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小話置き場  作者: 煤竹
その他
14/16

狐と鴉と人間

和風ファンタジー・序列もファンタジー・途中で終わる

 もう長いこと、永いこと、一人でいた。

 人はそれを孤独と呼ぶのだろう。



「あ」



 孤独という言葉は親近感がある。狐に似た文字が入っているからだ。



「あー」



 これまでも、これからも、ずっと自分は孤独のままなのだろうと。

 そう思っていたのだが。



「あー、あー」

「……こら、髪を引っ張るんじゃない」



 腕に抱く赤子に悪戯をされる毎日に慣れ始めている自分が時折恐ろしくもある。



「あーぅ」

「やめろ、よだれでべたべたに……ぬあああっ」



 誰からも忘れ去られていたはずの朽ちた社に降って湧いた自分以外の他者、それも言葉を解さぬ人間の赤子とあっては自分にはどうすることも出来ないと考えていたのだが。どうにか、こうにか。まだ半年ほどであるが赤子は無事に過ごせている、と思う。



「うー」

「良いから眠れ、いい子だから」



 胸に乗せ、小さな背を擦り、尾を被せれば次第に眠気に襲われ大人しくなる。くうくうと、時折ちゅうちゅうと指を吸う音を奏でながら自分の身体をゆりかごにして眠る赤子に満たされる日々。

 ああ自分は、孤独であったのだなと思わされる。とうの昔に忘れたはずの感慨が戻ってくるようだ。



「……共にいるから、安心して眠れ」



 これは、赤子と過ごすようになって芽生えた自分の想い。

 孤独の中で眠る日々は常に空虚が隣り合わせであったが、今は、胸に抱える温かな重みが安堵を運んできてくれる。



 ―――健やかに育てよ。



 胸の中で願い、自分も目を閉じる。



 今はしばし、赤子の吐息を感じながら共に眠ろう。







 *****







「サンザ、居るのか」

「居らん」

「嘘を言うな、居るじゃないか。来い」



 姿を見せぬ相手へ腕を差し出せば。ばさり、という羽ばたきと共に落ちてくる黒い羽根と呆れた溜め息。



「俺に向かって来いと言うのはお前くらいのものだ」



 空から舞い降りる黒い鴉が、自分の腕に三つの足で器用に停まった。

 この大きく綺麗な鴉はサンザという。今日も見事な羽根の艶はサンザが日頃からよく手入れをしている賜物だろう。



「して何用だ、狐」

「言わなくとも分かっているだろう」

「分からん」

「分かれよ、いつものだ」



 サンザが停まっているのとは逆の腕に持っていた空の籠を差し出せば、途端にギャアと不機嫌な鳴き声を上げられた。



「断る」

「そこを何とか」

「何度も言ったはずだ、もう金輪際牛の乳集めなどせんとな。忘れたのか阿呆」

「覚えている。前回も、その前も、というよりもあの子が来てよりずっと言い続けられて忘れたくとも忘れられん。……だがサンザよ、このままじゃあの子が死んじまう」



 本来ならば、誇り高い八咫の者であるサンザに牛の乳を集めてくれなどと頼むことは出来はしないだろう。だが、サンザは文句を言いつつも最後には引き受けてくれる優しさがあると、短い付き合いながらも自分は知っているからこうして呼び出し、頼るのだ。



「頼む、友よ」

「待て、いつの間に俺と狐は友になったというのか」

「サンザがあの子をここへ連れて来た時からだ。子はかすがいということわざもあるしな」

「ふざけるな、それは夫婦の仲を表すことわざだろう」

「へえ、そうなのか。ならいっそのこと夫婦になるか?」

「軽々しくそのようなことを口にするでないこのド阿呆がっ」



 笑い声を上げながら自分がそう言えば、サンザの鋭い嘴の一撃を額に喰らい、頭が揺れ視界も揺れた。



「……おい、額が割れるだろ」

「これしきのことで割れるか馬鹿狐」

「馬鹿と言う方が馬鹿という法則があってだな」

「ああもう、付き合っておれん。狐と問答をしている暇があるなら乳集めをしている方が幾らもましだ」



 貸せと言って自分の腕から籠を奪い取ったサンザは瞬く間に空へと消えた。あ、と言い忘れた事柄に気付き空へ向けて大声で叫ぶ。



「出来るだけ沢山頼むなー!」



 成長した赤子の食欲は凄まじく、これまでの量では足りないほどで。

 遠くからアホーという鴉の鳴き声が聞こえ、サンザにこの要望が届いたことを伝えてきた。

 断り文句を口にしながらも断ることのないサンザはとても捻くれている。初めから快く引き受けてくれれば言い合いなど起きず、平和に丸く収まるのだが。まあ、サンザとの不毛な言い争いは、嫌いではない。



 サンザに突かれた額を手の甲で拭う。鴉の言うとおり頑丈な自分の額は割れてなどおらず、痛みも無いのだが、どうせなら割れてくれれば良かったのに、と詮無いことを思ってしまった。

 自分にも、赤子と同じ色が流れているか確かめたかった。赤子の名の通り、小さな体を満たす命の赤い水。それは鉄錆臭く、とても温かく、甘い―――。



「……ああ、あの子が泣いている。かえらなきゃ」



 社の中から自分を呼ぶ声を耳に認め、振り返る。荒れた境内を早足に駆け、朽ちた木戸を潜り抜けぼろぼろの床に敷いた白装束の上に寝かせておいた赤子を抱き上げた。この泣き方は腹を空かせているのだろう。



「よしよし、今おとうが乳を集めに行ったから今暫く待てよ」



 ふにゃふにゃと言葉にならない声で泣く赤子をあやし、唯一の玩具となる自分の尻尾を掴ませて泣き止ませることに努める。



「お前のおとうは千里の空を翔けることの出来る八咫の者。すぐに美味しい乳を持って帰るからな」



 勝手にサンザを赤子の父として刷り込んでいるのだが、それはサンザも知らぬことで。赤子が言葉を発するようになった時、あの鴉はどれほど目を白黒させるだろうか。真っ黒い鴉が目を白黒。それは見物だ、と自分は笑う。



 疾く帰れ、サンザ。

 お前の子が腹を空かせて泣いているぞ。









 *****









「おとぅ」



 初めて赤子が言葉を発したその時、感慨が胸を打つよりも先に鋭い嘴が自分の頭を揺らした。



「この阿呆狐、どうしてこいつは俺を指して『おとう』と言うんだ」



 何度も、何度も、額に限らず頭全体を突き回すサンザの動揺が心地良く。鴉の気が済むまで払い除けもせず好きに突かせた。



「はっはっは、サンザよ。油断していたな」

「油断という話ではない」

「照れるな照れるな、この子が目を丸くしているだろう」



 自分の膝上に乗せた赤子は己の親指を咥えながら、忙しなく喚き散らしている鴉を見上げている。

 無垢な眼に見つめられ、サンザは悔しげな呻きを上げながら自分を突くのを止めて板間へと降り立ち、三つの足の爪が奏でる音を響かせながら赤子の前へと来た。

 ちゅうちゅうと親指を吸いながら鴉を暫く見ていた赤子は、



「おっとぅ」



 そう言って、よだれ塗れの手をサンザへと伸ばし、硬直している鴉の身体を鷲掴みにした。



「よ、よだれが! 俺の羽根が!」

「諦めろ。良かったなぁ、おとうも嬉しいってよ」

「おとぅ、おとぅ」



 きゃらきゃらと笑う赤子の手の中で、じっと耐えるサンザの姿に笑い堪えられず。



「……ぶっ」

「狐おまえ後で覚えていろ泣かす絶対泣かしてやるから逃げるなよど阿呆」



 世に聞こえる八咫の者に泣かされるとは誉れであると笑い転げながら言えば、自分に釣られて赤子も笑い、更に鴉はもみくちゃとなり。朽ちた社から漏れる絶えぬ笑い声が山々に響き渡ったことだろう。

 穏やかな日の昼下がりだった。











「寝たのか」



 板間に敷いた布団代わりの白装束に寝そべる自分と赤子を鴉が見下ろす。



「ああ、散々遊んで笑って食べて満足したんだろうな。いつもより眠りが深そうだ」



 寝返りさえ打つのを忘れ、静かに安眠を貪る赤子は少しの物音にも動じない様子で近寄る鴉の爪音も気にしていない。



「可愛いと、おとうもそう思うだろう?」

「ふん、俺には関係のないことだ」

「嬉しいくせに、素直になれ」

「そんなことよりも、お前は俺のこの姿を見て可哀想だとは思わないのか」



 くいっと髪を嘴で一筋引かれ、嵐が過ぎ去った後のような姿のみすぼらしい鴉が目に入る。乱れた羽根の流れに、よだれで掻き消された羽根艶はいつものサンザらしからぬ有り様。赤子の傍若無人な振舞いを黙って受け入れぼろぼろになった姿はいっそ勇ましささえ感じる。ただやはり、勇ましかろうがサンザをこのままにしていては罰が当たるというもの。



「これはいけませぬな。八咫の御遣い殿はこれなる狐に何をお望みか」



 位で言えばサンザは雲上の者。だが自分は畏まりながらも寝そべったまま、慇懃無礼とはこの事だろう。だが鴉は特段気にした風もなく、ふん、と尊大に笑うだけだった。



「誠心誠意を込め、我を浄めよココノエ白狐」

「仰せのままに」



 寝ている赤子を起こさぬよう床を離れ、陽が落ち闇に包まれようとする社の外へサンザと共に出る。空が完全な闇に包まれた時、鴉は一際大きな羽ばたきを上げ、昼とは別の顔を覗かせた。



「ああ、酷い目に遭った」

「ぶふーっ」

「笑うなと言っているだろうが」



 地に足をつけて憤るサンザの夜の姿は自分と同じ人型なのだが、如何せん赤子にしっちゃかめっちゃかにされたままでぼろぼろだ。長い黒髪をよだれでべとつかせ、あちらこちらに跳ね放題。サンザご自慢の粋な装束も乱れに乱れており、笑いを堪えることにこれほど労力を必要とするとは思わなんだ。



「早く湯を持って来ないか阿呆め」

「かしこまりまして」



 朽ちた社とはいえ裏の井戸はいまだに清水を湛えている。山から湧き出す恵みの水は喉を潤すだけでなく身体の浄めにも役に立つ。時節を問わず常に凍るような冷たさを誇る井戸水を数度汲み上げて今にも穴が開きそうな桶へと溜めた。

 まあこんなものだろうというところで柏手を一つ打ち、自分の周りに青く光る火の玉を作り上げた。狐火というものだ。浮遊するいくつかの狐火を無造作に桶の中に放り込んで暫し待つ。すると次第に蒸気が立ち上り、サンザが所望する湯へと変わる。



「沸いたぞ」



 二つ残った狐火を供に、裏手から境内に戻り鴉に向かってそう言えば、既に着物を脱いでいたサンザがこちらに近付いてくる。



「ご苦労。あとはこれも洗っておけ」

「ったく、狐使いの荒い鴉様だ」



 汚れた着物を一式まるごと自分へ投げるようにして渡したサンザの後を追うように付いて行く。明かりとなるよう狐火の一つをサンザへと向かわせ、自分は洗い桶を拾いつつ井戸端へ向かった。



 サンザは湯に浸かり、自分は再び冷たい井戸水を汲み上げて洗い桶に溜めてサンザの着物を洗う。深く染め抜かれた藍色は、一目見た限りでは鴉の羽根のように黒く、地味だ。サンザから聞いた話によれば八咫の者が身に着ける装束は存外質素であるらしい。だがこの着物の裏地には贅沢に金糸の刺繍が施されており、型に填まるのを厭うようなサンザの気質を見た気がした。



「ひー、冷たい。適当で良いか」

「いいわけがあるか。真面目にやれ」

「……真面目に不真面目が身上なのだが」

「何か言ったか」

「何も」



 ざぶざぶと赤子が付けたよだれの跡を丁寧に洗っていく。それと何故か下帯も混じっていたのでこれも洗う。



「……何故自分が他人の褌を洗わねばならないのか」



 袖捲りまでして冷たい水に漬けたそれを力を篭めてごしごし洗う自分の姿に、ついぽろりと零した言葉。それを耳聡く拾った鴉は肩に湯を掛けながら気だるげに言った。



「おとうの褌を洗うのはおかあの仕事だろう」

「……はあ?」



 何を言うのかとサンザを見れば、大層意地の悪い顔でにやついている。



「俺にだけ父の責を押し付けるのは狡いとは思わないか」

「思わん。サンザが連れて来た子だぞ、責は十分サンザにあると主張する」

「異議あり。確かにあの子は俺が手違いでここに落としたが、離さないのは誰在ろうお前じゃないか。……母性を擽られでもしたか? 子殺しのココノエよ」

「……それはまた、随分懐かしい呼び名だな」



 にやにやと厭らしい顔をする嫌な鴉だ。だが自分とて狐狸の中でも長命で。幾度と無く言われ続けたその仇名は聞き飽きている。



「八咫の者よ、それで鬼の首を取ったかと思ったか? 残念だが、それしきの呼び名で泣く自分では無いぞ」

「なんだ、つまらんな。ならばついでに俺の髪も洗え」

「ならば以下の意味が分からんぞ」

「深く考えるな。お前を泣かす材料が尽きて俺は困っている」

「尽きるも何も一つだけじゃないか……」




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