彼の居る縁側
キーワード:歳の差・擬人化・方向を間違えたおっさん萌え
古い民家。
朽ちかけの縁側。
陽がよく当たる真ん中に、その黒い塊はあった。
「おはよう、大吉さん」
ぼうぼうに伸びた生け垣から、朝の挨拶。
すると、どうだ。黒い塊がのそりと動き出し、くわぁ…と大きな欠伸を一つした。
「ご飯食べた?」
ひょろりと動く尻尾。
「ねこまんま作ってきたの」
その言葉に反応する耳。
「いっぱい作って来たから一緒に食べようね」
重そうに膨らんだ手提げ袋を掲げ、庭への入口となっている崩れた木戸を跨いだ。
「ったく、話しかけるなといつも言ってるだろうが」
渋い声が、どこからか。
「ふふ、だって大吉さんとお喋りしたいから」
「……普通は気味悪がって逃げ出すぞ」
縁側に寝そべる黒い塊へと近づく。声の発信源は、正に其処。
「大吉さんは気味悪くないよ」
「俺はお前が気味悪い」
ぐぅっと伸びをした黒い塊。伸びた身体を覆う黒い毛。長い尻尾。ぴくりぴくりと動く髭。眠そうに薄く開かれた瞼の下は緑がかった金色の瞳。小さな頭にはふさふさの毛がついた、猫耳。
黒い塊の正体は、黒猫だった。
「大吉さんひどい。私はこんなに大吉さんのことが好きなのに」
「俺は好きじゃねえ」
「でも私の作るねこまんまは好きだよね」
「……腹が膨れりゃ何でもいい」
素っ気無い言い方をしつつ、喉がぐるぐると鳴っている。苦笑して、春花は大吉の隣へ腰を下ろした。
「はい、どうぞ」
アルミホイルに包んだ三角形。かつおぶしと醤油が香るねこまんまのおにぎりを大吉へと差し出す。
「剥いてくれ」
「自分でやってください」
「お前な、猫にそんな器用なこと求めんなよ」
大吉は小さな手のひらを春花に見せ、にぎにぎと爪を出し入れしてみせる。
「その爪でどうにかなるでしょう?」
「握り飯の包みを解ける猫がいるか。それでなくてもがっちり厳重に包装しやがって」
「自分の分は自分で。お先に頂きまーす」
カシャリとアルミが擦れる音。一つ一つ丁寧に包んだ銀色を剥せば綺麗に茶色く色づいた中身が顔を出す。
ふんわりと辺りを漂うかつおぶしの良い匂い。
がぶり、と春花は大きな口で頬張る。大吉から唾を飲む音がした。
「ん~、おいし」
母直伝のねこまんま。かつおぶしと醤油だけのシンプルな握り飯。
直伝とは言うもののかつおぶしと醤油の配分は己の好みで、と教えられた春花のねこまんまは、醤油は薄くかつおぶしがたっぷりと入っている。
「ちくしょう。18の小娘にこの俺が…」
ぶつぶつ文句を言いながら、薄暗い部屋の奥へと大吉は足音無く進む。
日焼けしてシミだらけの襖に開いた細い隙間をするりと通り、さらに暗い隣の部屋へと消えた。
ガタガタ、ごそごそ。静かに部屋を荒らす音が聞こえる。
春花は暫く襖を見ていたが、暗い隙間から金に煌めく一点の光を見つけて慌てて視線を外へと移す。
空を見上げながら手に持ったねこまんまをまた一口頬張り、良い天気だなぁ、と呟いた。
建付けの悪くなった襖が開く音がした。
どしどしと古い畳を踏み締める振動が春花に届く。
縁側に座る春花の隣へ腰をどっかりと下ろし、銀色の包みを取り上げた、人。
春花がにまにまとその人物を見た。
紺色の浴衣を着た壮年の男性が、春花の作ったねこまんまの包みを開いたところだった。
ぼさぼさの黒髪。顎には無精髭。顔に刻まれている皺は、男性が過ごした年月を物語っているのだろう。
ねこまんまに喰らい付く口から覗く鋭い牙。三口ほどで一つの握り飯を完食し、手に付いた米粒を舐め取る舌のざらりとした音。
明るい庭先を眩しそうに目を細める男性の瞳の色は、緑がかった金。そして―――
「大吉さん、今日もイブカワだね」
ぴくりと反応する、髪の合間から覗くふさふさの毛がついた、猫耳。
「意味が分かんねえこと言うんじゃねえよ。日本人なら日本語喋れ」
「いぶし銀なのに可愛いでイブカワだよ。大吉さんを表す言葉を私が作ったの。今」
「しかも今かよ」
「作ったのは今だけどいつも思ってることだよ」
「うるせえな。茶も持ってきてんだろ、出せよほら」
「はい、はい」
キンキンに冷えた麦茶を水筒のコップへ入れて、春花が黒猫と同じ名前、大吉と呼んだ男性へと渡す。
「いっぱいあるからたくさん食べてね、大吉さん」
返事の代わりに、先が二つに分かれた尻尾で傷みの激しい縁側を一度打った。
この世には、猫又、と呼ばれる妖怪がいる。
猫が20年生き抜くと、尻尾が二股に分かれて人語を操り人々を惑わすと言われている猫又は、お伽話の住人などではなく。
「大吉さん、食べたら猫じゃらしで遊ばない?」
「誰が遊ぶか」
「えー、折角鈴付きの猫じゃらし持って来たのに」
「ちょ、おま、取り出すんじゃねえよ!やめろ、揺らすな!」
「ほーらほらほら」
確かにここに、存在している。
ちょっと前にありましたムーンさん用の企画で思いついたネタ。
猫が擬人化しておっさんに猫耳生えたら萌えじゃないかなと。それがおっさん萌えというものかもしれないと。
…蓋を開けてみたらそういう萌えじゃなかったと様々な作者様の企画小説を読んでいて思いました。無念であります。