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5.そして、誓いを立てる

 リーネニアは辺境伯邸の客室に戻ると、部屋に閉じこもった。生活に最低限必要な使用人の出入りのみを許可し、誰の連絡も取り次がないように使用人に命じた。

 アルオバストと話したことを一人できちんと考えねばならなかった。


 リーネニアが『運命の番』だというのは、自殺を思いとどまらせるための嘘だった。アルオバストは最初からリーネニアのことを好きだった。そのために、本物の『運命の番』を見出してもよしとせず、自らの角を折り、竜人としての力を捨てた。

 

 思い出すうちにリーネニアの中に湧き上がった感情は怒りだった。アルオバストの嘘に対する怒りではない。愚かな自分に対する怒りだ。

 自分は無価値を令嬢だと思い込んだ。アルオバストが優しくしてくれるのは、『運命の番』という理由だけだと決めつけた。


 アルオバストは最初からリーネニアのことを好きだった。大切にしてくれた。優しくしてくれた。『運命の番』という言葉に囚われずにちゃんと向き合っていれば、本当の想いに気づけたかもしれない。

 自分を無価値と決めつけることは、自分を大切にしてくれる人を蔑ろにすることだ。そのことを、初めて知った。

 なんて自分はダメなんだろう。消えてなくなってしまいたいと思った。その時思い出したのは、卒業パーティーの夜、ベランダから身投げしたことだ。

 

 今、ようやくわかった。死んだ方が迷惑にならないなんて、都合のいい言い訳だ。自分を無価値と決めつけた方が楽だった。そうすれば婚約者から見捨てられたことから目をそらせる。婚約破棄を告げられて、本当はつらかった。悲しかった。そうした気持ちに背を向けて、ただ楽な方に逃げたのだ。でも逃げ場所なんてなくて、自分の気持ちと向き合うことも嫌で、だから安易に死を選んだ。

 

 あんな風に死んだところで何にもならない。嫌いな自分はそのままだ。今のリーネニアは、そんなことでは胸の奥から湧き上がる怒りは収まらない。こんな自分はもっと徹底的に完全に滅ぼさなければ気が済まない。そうしなければ、アルオバストが捨てた物とまるで釣り合いがとれない。

 

 リーネニアは一週間も部屋にこもり考え続けた。そして、嫌いな自分を終わらせる方法を、ついに思いついた。

 

 

 

 辺境伯邸の中には小さな礼拝堂がある。かつては魔物との戦いの前に、戦勝祈願を行っていた場所だ。

 リーネニアはその礼拝堂にアルオバストを招いた。

 時はそろそろ月が見えそうな夜。リーネニアの前にアルオバストが現れた。

 部屋に入ってきたとき、アルオバストは息を呑んだ。それも無理はない。普段は暗めの服を着ているリーネニアが、真っ白なドレスを身にまとっている。毅然とした面持ちで礼拝堂にたたずむリーネニアは、今までとはまるで別人だった。

 

 アルオバストは少しやつれたようだった。彼はつい昨日、辺境伯邸に戻ったばかりだ。病み上がりというせいもあるのだろう。だがなにより、先日の診療室での嘘を明かしたことが大きいに違いない。

 暗い顔をしている。あんな話をした後で、礼拝堂に呼び出されたのだ。別れを告げられると思っているのかもしれない。リーネニアはそんな彼の姿をこれ以上見たくなかった。だから早く終わらせることにした。


「アルオバスト様。初めに言っておきます。あなたが『運命の番』を偽ったことについて怒ってはいません。あなたのくれた優しさに、言葉にできないほど感謝しています」

「リーネニア、それなら……!」


 思わず歩み寄ろうとするアルオバストを手で制した。

 

「だからこそ、わたしは自分が許せないのです。自分を無価値と決めつけて、『運命の番』という言葉に囚われて、あなたの優しさに気づかなかった。そんな愚かな自分が、憎くて憎くてたまらないのです! ……だからここで、終わりにします」


 そう言ってリーネニアが取り出したのは、鈍く輝く短剣だった。

 

「リーネニア、いったい何をするつもりだ!?」


 アルオバストは思わず駆け寄ろうとする。だが、踏みとどまった。リーネニアの目には輝きがあった。戦場に身を置くアルオバストは、それが死を受け入れた者のする目ではないとわかったのだ。

 リーネニアは短剣を振るうと、腰まで伸びる長い髪をばっさりと切り落とした。

 突然の凶行に目を見開くアルオバストに向けて、リーネニアは叫んだ。

 

「髪は女の命と言います! それを切り落とすことで、自分を無価値と決めつけるリーネニアは、今ここで死にました!」


 リーネニアは切り取った髪と短剣を床に叩きつけた。高く鋭い金属音が、鐘の音のように礼拝堂に響きわたった。

 

「わたしは『真実の愛』で捨てられました! 『真実の愛』なんて言葉、大嫌いです! だからあなたに『永遠の愛』を誓います! 『永遠の愛』で、あなたを一生幸せにすると誓います!」


 これがリーネニアの『嫌いな自分の終わらせ方』だった。

 自殺したところで、自分は変わらない。本当の意味で嫌いな自分を終わらせるなら、自分自身を変えるしかない。そうすることで、嫌いな自分を過去に葬るのだ。

 そのために、髪を切って『永遠の愛』を誓った。

 魂からの誓いを受けてアルオバストの顔から暗さが失せた。その凛とした顔は、魔物に立ち向かう辺境伯家の男の顔だ。

 

「その誓い、確かに受け取った! ならば私も『永遠の愛』を誓おう! 『永遠の愛』で、君のことを世界で一番幸せな花嫁にしてみせる!」


 力強い宣言を受け、リーネニアはその言葉にうなずき、涙をこぼした。アルオバストは彼女の元に駆け寄ると、愛しい人を抱きしめた。

 

「リーネニア、君の事を好きになってよかった……!」

「はい! わたしも、あなたのことが大好きです!」


 二人は絆を確かめるように、お互いを抱きしめあった。




「久しぶりに会いましたね」


 『永遠の愛』を誓い合った夜から数年後のこと。ここ王城の広間では和やかなパーティーが開かれていた。

 アルオバストは辺境伯となり、その伴侶リーネニアは辺境伯夫人として参席していた。

 夫が所用で席を外している間、一人となったリーネニアに話しかけてきたのは、かつての婚約者、サルフィーシス・ラクフォサート伯爵だった。


「お久しぶりです、伯爵殿。ご健勝なようでなによりです」


 かつて自分を捨てた相手から突然話しかけられたというのに、リーネニアはわずかな動揺を見せず、優雅に礼を返した。

 かつてのリーネニアは、どこか薄暗く頼りない令嬢だった。しかし今の彼女にその弱さは見られない。

 襟足で切りそろえたグレーの髪はつややかで、深い青の瞳には知性の輝きがある。身を包むグリーンのシックなドレスは、彼女の上品さを引き立てていた。身体の細さは変わっていないが、頼りなさはまるでない。その身にまとう気品は辺境伯夫人にふさわしいものだ。細くしなやかなその姿は、優美なレイピアを思わせる。

 リーネニアはこれまでずっと辺境にいて、結婚後に王都に出てきたのはこれが初めてだ。彼女の変わりぶりにサルフィーシスはわずかに怯んだようだが、それでも踏みとどまった。

 

「学生の頃を知る私としては、あなたには辺境伯夫人という立場は荷が重いのではないかと心配していました。なにかおつらいことがありませんか? 我が伯爵家には助力するだけの蓄えがあります」


 周囲の人々が眉を顰めた。

 今やリーネニアは辺境伯夫人として名声を高めている。広大な辺境の領地経営に熱心に取り組み、領民の暮らしを改善して人々の信頼を集めている。今では『辺境の賢妻』と呼ばれ称えられている。

 リーネニアが名を知られるようになったからこそ、あの婚約破棄のことは伝わっている。会場の誰もが、この二人の因縁の深さを知っている。

 

 わざわざ人目のある場所でサルフィーシスが助力を申し出るなど、質の悪い嫌がらせだ。

 それでも動揺を見せたなら、リーネニアは貴族社会での評価を大きく落とすことになるだろう。貴族の上下関係は、こうした些細なやりとりで変動するのだ。

 

「お心遣い痛み入ります。ですがそれには及びません。今年は麦が豊作で領民たちも喜んでおります。そういえば……そちらの伯爵領では近年麦の収穫量が伸び悩んでいらしているようですね。もしご入用でしたら融通いたします。同じ学園に通っていたよしみです。どうぞ遠慮なさらずお申し出ください」


 リーネニアは実に落ち着いた態度で、逆に助力を申し出た。しかも相手の弱みを把握したうえでの提案だ。それは上位貴族らしい痛烈な反撃だった。婚約破棄されたということをまるで気にしていないという、冷たい対応でもあった。

 これにはサルフィーシスも鼻白んだ。


「結構! それには及びません!」


 そう言ってサルフィーシスは去っていった。周囲の誰もがこの場の勝利者は辺境伯夫人だと判定した。この一件は貴族社会に伝わり、サルフィーシスは立場を落とすことになるだろう。

 そうして場が収まったのを見計らったかのようにアルオバストが戻ってきた。


「リーネニア、待たせたな」

「おかえりなさいませ、アルオバスト様」


 彼の登場に、周囲の貴族たちは一歩下がった。

 アルオバストは竜人としての力を失ってからも魔物の討伐に率先して出ている。魔力や腕力は大幅に落ちたが、それまで培ってきた戦術はより鋭さを増した。

 もともと、辺境伯領の騎士たちは竜人の不在を前提とした訓練をしている。竜人の強さに頼り切っていては魔物に対抗することなどできない。アルオバストはそうした騎士たちの立場に立って戦術を編み出せるようになったのだ。

 弟のエーギルトの協力もあり、彼は今や辺境伯の地位に恥じない働きぶりを見せている。

 常に前線で指揮するアルオバストは、以前より武人としての凄みが増していた。並の貴族では気圧される迫力があった。


「場所を変えようか」


 アルオバストに促され、バルコニーに出た。

 今日は雲一つない夜だった。空には満天の星空が広がっている。

 他に人影がいないことを改めて確認すると、アルオバストは眉をしかめて口を開いた。


「あの小物が君に近づいてきたときはどうしてやろうかと思ったが……君が言っていたように、私の出る幕はなかったようだな」

「ええ、予想範囲内の牽制でした」


 リーネニアは上品に笑った。余裕を持ったその笑みは、先ほどのやりとり全てが彼女の手のひらの上の出来事だったことを示していた。


「君を傷つけたあの伯爵が憎くてたまらない。必ず報いを受けさせてやる……!」

「承知しています。でもそれを為すのは、今ではないのでしょう?」

「ああ、その通りだ。最も効果的なタイミングで一気に叩く。戦術の基本だ」


 辺境伯の権力をもってすれば、伯爵家のひとつくらい、圧力をかけて追い詰めることは難しくない。だが正当な理由もなくただ恨みを晴らすためだけ他家を害すれば、辺境伯家の名に傷がつく。余計な軋轢を生むだろう。なにより、とどめを刺すには至らない。

 

 だが、向こうから噛みついてくれば話は別だ。

 リーネニアが名声を高めることで、サルフィーシスは先の見えない愚か者として評判を落とし始めている。それが効いてきたからこそ、あんな牽制をしてきたのだ。プライドの高い彼のことだ。このままでは引き下がらずに、いずれなにかを仕掛けてくるに違いない。復讐はその時だ。

 

「あなたに『永遠の愛』を誓った時から、あの伯爵のことなどどうでもよくなりました。あの者の婚約者だったわたしは、誓いの日に終わったのです。ですが……伯爵家を滅ぼすことであなたが幸せになるというのなら話は別です。誓いに従い、力を尽くします」


 リーネニアのきっぱりとした言葉に、アルオバストはわずかに表情を硬くした。

 劣等感を捨て去ったリーネニアは才能を開花させた。特に帳簿や文書から情報を読み取る能力が異常なほどに高い。先ほど麦の収穫量でサルフィーシスをやり込めたように、辺境ばかりでなく他の貴族の領地についても深く把握している。

 情報はどんな戦いにおいても強力な武器となる。そんな彼女が全力で伯爵家を潰そうとするのなら、サルフィーシスごときでは抗うことなどできないだろう。魔物との戦闘ならいざしらず、貴族社会での戦いなら、リーネニアはアルオバストを上回る『戦上手』だった。

 (いくさ)の予感に引き締まった顔を緩め、アルオバストは笑顔を見せた。

 

「ああそうだな。私たちは誓いを忘れてはならない。私もまた、君を幸せにするために全力を尽くそう」


 そう言って、アルオバストは愛する人を抱きよせた。

 触れそうなほど近くで見つめ合う。リーネニアの深い青の瞳に、アルオバストの真紅の瞳が映る。それは静かな湖面に映った一番星のようだった。

 どれほど星空が綺麗でも、リーネニアはもう手を伸ばすことはないだろう。アルオバストがいる。彼女にとって最も輝かしい星が、いつもそばにいるのだから。


「愛しているよ、リーネニア」

「愛しております。アルオバスト様……」


 満天の星空の下。二人はお互いを確かめるように、唇を重ね合った。



終わり

『運命の番』は自分にとって扱いづらい設定でした。

「運命の番の成り立ちについてあれこれ考えてみたシリーズ」を書いたときは、『運命の番』をテーマにした作品を書くことはないだろうなあと思っていました。

でも「自分の意志で『運命の番』を脱する」というネタなら書けそうだと思いつき、こういう話になりました。

書き続けていると、思いもしなかった話が出てくることがあります。

やっぱりお話づくりは奥が深いと改めて思いました。


・運命の番の成り立ちについてあれこれ考えてみたシリーズ

https://ncode.syosetu.com/s7665i/


2026/1/14

 誤字指摘ありがとうございました! 修正しました!

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― 新着の感想 ―
運命の番をテーマにしたお話は物語を紡ぎ出す方々にとって特別なものかもしれませんわね。 こういう視点もあるのね、と毎回感心させられますの。 己の価値を自身で確立して幸せを掴み取る様は美しく眩いばかりです…
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