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4.すべてを知って

 翌日の夕方。辺境伯邸の近くにある街の広場で戦勝パーティーは開かれた。

 リーネニアはカチコチに緊張していた。まず参加者が多い。騎士たちばかりではなく、町の住民や旅人なども参加している。貴族が催したとは思えないほどオープンなパーティーだった。

 戦勝パーティーはまずアルオバストからの戦果報告から始まった。大規模な『異界の渦』を潰したしたと告げると、会場は湧き上がった。

 そんな場が温まった状態でリーネニアは紹介された。しんと静まり返る観衆を前に、挨拶することを求められた。

 

「リーネニア・ティエクスタールと申します。よ、よろしくお願いしますっ……!」


 なんとかそれだけ口にして頭を下げた。そうしたら喝さいがわいた。そのあとは騎士や商人、近隣の有力者など、様々な人たちが挨拶にやってきた。


「長くてきれいな髪ですね。ほれぼれします!」

「アルオバスト様に相応しい、落ち着いたご令嬢ですね」」

「事務作業に長けた才媛と聞いています。いや、こんな方が嫁いでくださるなら、辺境伯領も安泰ですな!」


 人々はみな、リーネニアへ賛辞を贈ってきた。初めて受ける誉め言葉の数々に、リーネニアはどうしていいかわからず、ただ愛想笑いを返すばかりだった。

 緊張して、なんだかいたたまれなくて、リーネニアはこのままでは気を失ってしまうのではないかと思った。でも常にとなりにアルオバストがいてくれた。彼がいると思うと、もう少し頑張れそうな気がした。

 だが、ある時。彼の顔におかしな変化が見られた。

 

「最近こちらで商いをさせていただくことになった商人のリークファと申します。これは娘のアフラーネです」

「よろしくお願いいたします」


 そう言って挨拶してきたのは商人の親子だ。娘のアフラーネは茶色い髪に大粒の青の瞳の10代後半くらいの少女だった。貴族ほど洗練された美しさはないが、育ちのよさを感じさせるかわいらしい娘だった。

 

 その少女を見た途端、アルオバストの瞳は潤み、頬が朱に染まった。商人リークファの言葉は聞き流し、彼女のこと以外、目に入らないといった様子だった。


……これは、恋に落ちた顔だ。


 リーネニアの胸の内に、そんな言葉が湧き上がった。自分に無価値と思っている彼女は、まともな恋をしたことがない。それでもわかった。たった今、アルオバストは恋に落ちたのだ。

 

 

 

 戦勝パーティーが終わり、自分の部屋に戻った後。リーネニアは一人、あの時見せたアルオバストの顔を思い出していた。

 何度思い返しても、あれは恋に落ちた男性の顔だった。なぜだかそれが確信できてしまっている。

 

 だがそれは、おかしなことだった。

 『運命の番』を見出した竜人は、それ以外の女性が目に入らなくなるという。リーネニアという相手がいる以上、アルオバストが他の女性に目移りするなどありえないはずだ

 考えをめぐらすうちに、リーネニアは一つの結論にたどり着いた。

 

「……やっぱりわたしは、無価値な人間なんですね……」


 事務員たちに受け入れられた。戦勝パーティーではいくつもの賛辞を受け取った。しかしそれらは全て、辺境伯家嫡男の『運命の番』という立場のおかげだ。

 リーネニアは自分に価値がないとわかっているつもりだった。それでもまさか、『運命の番』に選んでくれた竜人が、他の女性に目移りするほど無価値とは思わなかった。

 『真実の愛』を見つけたアルオバストは、婚約破棄を告げてくるかもしれない。あの卒業パーティーの夜のように。

 そのことを思うと、胸の奥をぎゅっと握りつぶされるような痛みを感じた。




 最初は、リーネニアも自分の思い過ごしかもしれない。悪い方向に考えすぎているだけで、あの時アルオバストが見せた顔は、自分の勘違いではないかと思った。

 だが、あの日以来、アルオバストと顔を合わせることが少なくなった。辺境伯邸内にいるはずなのに、彼は忙しくて会う機会がなかった。夕食のときに同席しても、目を合わせてくれなかった。

 

 だから、リーネニアは。あれは勘違いではなかったのだと思うようになった。いずれ、アルオバストは離縁を告げてくるに違いない。その日に備えて、子爵家から連れて来た使用人たちにはいつでも出ていけるように荷物をなるべくまとめておくように指示した。

 

 リーネニアは不安を紛らわすために再び事務作業に没頭した。事務員たちは優しくしてくれた。そんな人たちと遠からず別れなければならないと思うと悲しい気持ちになった。

 

 そんなある日、凶報がもたらされた。巡回中に魔物に襲われ、アルオバストが重傷を負ったというのだ。




「アルオバスト様!」


 リーネニアがアルオバストの元に着いたのは、知らせを受けた翌日の昼前だった。

 周辺の巡回中、アルオバストは魔物の襲撃を受け、重傷を負った。近くの町の診療所で治療を受けているとの報告を受けたのは昨晩のことだった。夜に馬車を走らせるのは危険ということで、リーネニアは朝一番に馬車を走らせてやってきたのだ。

 

「ああ、リーネニア。済まない、心配をかけてしまったな」


 そう言ってアルオバストはベッドから身を起こした。

 リーネニアは慌ててベッドに駆け寄った。

 

「ああ! アルオバスト様、無理をなさらないでください!」

「いや、もう身を起こすことくらいなら大丈夫だ」


 アルオバストの受け答えはしっかりしていた。それでもリーネニアは安心できない。アルオバストは頭に包帯を巻いている。報告には怪我の詳細まで書かれていなかった。

 リーネニアはベッドわきの椅子に腰かけると、アルオバストに向き合った。

 するとアルオバストは周囲に目配せした。医師やリーネニアについて来た使用人たちは部屋から出て行った。二人きりで話さなければならないことがあるようだ。

 その様子を不審に思い、改めてアルオバストのことを見る。そしてリーネニアは、そのことに気がついた。

 

「なんてことでしょう……! アルオバスト様……あなた様の、角が……!」


 アルオバストの頭には包帯がぐるぐると巻かれている。その上からでもわかる。こめかみのあたりから後ろの方に伸びていた、アルオバストの角。その長さが半分以下になっている。

 

「ああそうだ。魔物が急に現れて不覚を取ってしまった。面目ない」

「わたしに謝る必要なんてありません! 悪いのは魔物ではありませんか!」


 アルオバストは言葉を返さず、目を伏せた。その様子があまりにも弱々しく思えて、リーネニアは不安を問いかけずにはいられなくなった。


「失礼ながら、お聞かせください。竜人の力の源は角にあると聞いています。そのお力の方は大丈夫なのでしょうか……?」

「それが、かなり力を削がれた。腕力も魔力も弱まったのを実感しているところだ」


 リーネニアはその意味するところに戦慄した。アルオバストは竜人としての強大な力を失った。確かに重症と報告が来るわけだ。これは辺境伯家の今後を左右する深刻な重症だ。


「これまでのように前に出て戦うことはできなくなった。しかしこうした事態に備え、騎士たちを訓練してある。弟のエーギルトもいる。私の角がなくなったくらいで辺境の平和は揺らがないさ」


 アルオバストは不敵な笑みを浮かべた。それが虚言ではないことをリーネニアは知っている。書類仕事を通じて、辺境の騎士たちがいかに精強であることを知っている。辺境伯家の竜人たちが優れた戦略家であることを知っている。

 だがそれらのことより、アルオバストの優しさに心を打たれた。彼は竜人としての力を失ったというのに、リーネニアのことを心配してくれている。

 彼のためにできることはないだろうか。

 考えをめぐらすうちにあの逸話を思い出した。過去の辺境伯が、角が折れて『運命の番』の絆を失ったという逸話。

 そしてリーネニアは自分に課せられた運命を悟った。


「アルオバスト様。角が折れてしまったということは、『運命の番』の絆も失われた……そう言うことですね?」


 まっすぐに目を見て問いかけた。アルオバストは気まずそうに目をそらした。何かを迷っているようだが、やがて口を開いた。

 

「……君もあの逸話を知っていたんだな。ああそうだ。『運命の番』を見つけたときの熱情を今は感じない。だが、私は君を手放したりしない。何も心配することはない」


 リーネニアはゆっくりと首を横に振った。

 

「いいえ。無理をなさらないでください。アルオバスト様が商人のアフラーネ嬢に惹かれているのはわかっています。『運命の番』となっただけのわたしのことなど、気にすることはありません。愛する方を娶り、どうか幸せになってください」


 リーネニアを『運命の番』としながら、アルオバストは商人の娘アフラーネに恋してしまった。そしてアルオバストは角を折られ、『運命の番』との絆を失った。まるで、運命が彼の恋路を進めようとしているかのように。

 なら、恋の障害物であるリーネニアのすべきことは、潔く身を引くことだ。

 

 こうすることが正しいのだとわかっている。それでも胸が苦しくてたまらない。アルオバストの優しい言葉も笑顔も失う。優しくしてくれて辺境伯夫妻とも関わりがなくなってしまう。辺境伯家の事務員たちとは二度と顔を合わせることなどないだろう。

 どれほど胸が苦しくても、アルオバストのためならば、その痛みに耐えなくてはならない。

 リーネニアは立ち上がると、深々と頭を下げた。


「これから辺境伯邸に戻り、すぐに荷物をまとめて出ていきます。今までありがとうございました!」


 そう言うと、アルオバストの顔を見ず背を向けた。目が合ってしまえば、胸の痛みに負けてしまうと思った。

 歩き出した一歩目で、しかしリーネニアは進めなくなった。アルオバストの手が、彼女の腕をつかんでいたのだ。

 

「待ってくれ、リーネニア!」


 リーネニアの胸の奥にカッと怒りの炎が燃え上がった。つらい思いをしながら潔く身を引こうとしているのに、この人はなぜ引き留めようとするのか。優しさも時には残酷なものになるのだと、初めて知った。

 

「離してください! わたしにもう、優しくしないでください! 本当に愛する人を大事にしてあげてください!」

「違うんだ、話を聞いてくれ!」

「何が違うというんですか! わたしは一度、『真実の愛』によって捨てられました! これで二度目になった! それだけです!」

「そうじゃないんだ!」


 リーネニアはなんとか手を振りほどこうとした。しかしアルオバストの力は強かった。竜の力を失い、怪我人だというのに、リーネニアの細腕では振りほどくことはできない。

 ここにいても辛さが増すばかりだ。胸の痛みに耐えきれなくて、リーネニアは涙をこぼした。

 

「『運命の番』でないわたしのことなんて、放っておいてください!」

「違うんだ、リーネニア! 君は最初から、『運命の番』ではなかったんだ! 自殺しようとする君を止めるために、嘘を吐いたんだ!」


 突然の告白に頭の中が真っ白になった。

 リーネニアは抵抗を向け、アルオバストを見た。彼は、泣きそうな顔をしていた。

 

「身投げしたときの君は、とても悲しい顔をしていた。なんとしてでも引き留めないといけないと思った。だから『運命の番』だと嘘を吐いたんだ」


 確かに、あの時はおかしいと思った。婚約破棄されたタイミングで『運命の番』と気づくことなどあるのだろうかと疑った。しかし嘘をついていたというのなら、その疑問はなくなる。


「『運命の番』は自己申告で成立する。誰も疑う者はいなかった。大丈夫だと思った。ところが私は『運命の番』を見出してしまった。君も気づいたように商人の娘、アフラーネがそうだったんだ」


 戦勝パーティーのとき。アルオバストが恋に落ちたのだと思った。その推察は間違っていなかった。あの時彼は、『運命の番』を見出していたのだ。


「『運命の番』に対する思いなど、意思の力でねじ伏せられると思っていた。だが想像をはるかに超えて強烈だった。もう抗えないと悟った私は、過去の逸話に倣って自らの角を折ることに決めた。魔物に折られたというのは狂言だ。両親の許可を得たうえで、自分の意志で角を折ったんだ」


 既に婚約した相手がいた。『運命の番』の束縛から逃れるには、角を失うしかない。だから自分の意志で折った。

 あるいは逸話の中の辺境伯も、そうした理由で自ら角を折ったのかもしれない。

 

 アルオバストの話は分かった。リーネニアの自殺を止めるために『運命の番』だと嘘を吐いた。しかし本物の『運命の番』が現れたから、自らの角を折った。まとめてみればそれだけだ。

 しかしその話には決定的に欠けていることがあった。

 

「なぜ……そこまでするんですか?」


 自殺を思いとどまらせるために『運命の番』だと、その場限りの嘘を吐く……それぐらいはありえるだろう。しかしアルオバストはリーネニアと正式に婚約して辺境伯家へ招いた。その関係を保つために自分の意志で竜人の力を捨てた。

 いくらアルオバストが優しいからと言って、そこまでする必要などなかったはずだ。

 アルオバストは観念したようにうなだれ、絞り出したような細い声を出した。

 

「君のことが……ずっと前から好きだったんだ」


 その言葉は、小さな声で告げられたのに、リーネニアの胸の奥に響いた。心臓がうるさいくらいに高鳴った。


「そんな……あなたとは、ほとんど話したこともありません。わたしのような地味な女を、好きになるはずなんてありません……」

「私にとって、君は誰よりも素晴らしい女性だよ」


 そう言われても納得できない。暗いグレーの髪にm水底のように暗い青の瞳の薄暗い外見。机に向かう忍耐力以外に大した能力を持たない無価値な令嬢。それがリーネニアだった。

 

「自分で言うのもなんだが、私は幼いころから腕力も魔力も優れていた。大して勉強もせずにいい成績が取れた。正直、努力というものをほとんどしたことがない。だから図書館で誰よりも熱心に勉強する君の姿が不思議だった。気づけば君の姿を目で追うようになって、いつしか心惹かれるようになっていた。でも君には婚約者がいる。辺境伯の嫡男である私が近づけば迷惑がかかる。だから話しかけないようにしていたんだ」


 図書館で勉強し続けたのは自分にはそれ以外に取り柄がなかったからだ。姉への劣等感に苛まれ、ただ逃げ込むように勉強に没頭した。そんな自分の姿が誰かの気を引くなんて思ってもみなかった。

 リーネニアには容易に受け入れられないことだった。


「ただ、好きになったというだけで……あなたは竜人としての未来を捨ててしまったのですか……?」


 問わずにはいられなかった。竜人としての力を失うことがどれほど重いことか、リーネニアにはわからない。普通の人間に例えるなら、腕の一本を失うこと以上の喪失であるはずだ。

 アルオバストは力なく笑った。

 

「……ただ私は、恐ろしかったんだ」

「恐ろしかった……?」

「あの卒業パーティーの夜。君を救ったことは、一生誇れることだと思っていた。だが『運命の番』を見出してから、そう思えなくなった。胸の奥から声が聞こえるんだ。『あんなことは大したことではない、そんなくだらないことを忘れて、『運命の番』を愛するんだ』という声が……! それが恐ろしかった……自分が歪められるのが怖くて、私は角を折ったんだ……」


 リーネニアはぞっとした。『運命の番』を見出すということについて、真剣に考えたことはなかった。ただ好きな相手が現れて、愛するようになるだけだと思っていた。

 もし既に好きな人がいるのに、それとは別な相手が『運命の番』になってしまったらどうなるのか。それまで積み上げてきた気持ちを強制的に無意味なものにされてしまうのだとしたら……それは別人に代わってしまうに等しい、恐ろしいことなのではないだろうか。


「君の前では格好をつけていたが……私はこんな男だ。恋心を捨てられず、かといって話しかけることもできず、ただ君の顔を見るために図書館に通った。君を救うという名目で『運命の番』と偽り、君と添い遂げようとした。そんな情けない男なんだ……」


 そう言って、アルオバストは目を伏せた。これまで何者にも屈しない、たくましい男性だと思っていた。辺境伯家の嫡男にふさわしい立派な紳士だと思っていた。でも肩を落としたその姿は、彼も同い年の青年だった。

 彼のことを情けないとは思わなかった。むしろ愛おしさすら感じた。抱きしめたいという衝動が湧き上がった。

 だがそれは、今の自分には許されない――リーネニアはそう思った。

 

「少し、一人で考えさせてください」


 そう告げると、リーネニアは病室を去った。今度はアルオバストは引き留めなかった。

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