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3.辺境伯家で過ごして

 大規模な『異界の渦』の対処には、最低でも一か月はかかるらしい。その間、リーネニアは辺境伯邸で過ごすことになった。

 アルオバストの言葉通り、リーネニアは生活に不自由することはなかった。用意された部屋は子爵家の自室より豪華で快適だった。辺境伯家の使用人たちはよく面倒を見てくれた。おかげで子爵家から連れて来た使用人たちも辺境伯家での仕事に無理なく慣れていった。アルオバストとその弟エーギルトは『魔力の渦』の対処に行ってしまったが、辺境伯夫妻はそうではない。だが彼らも忙しいようだった。それでも時間を作ってはリーネニアと話す機会を設けてくれた。

 

 そうして穏やかに過ごすことができたリーネニアだったが、その心中は穏やかとは程遠かった。

 まず、アルオバストのことが心配だった。辺境伯家の誰もが大丈夫と言ってくれたが、それでも万が一ということもある。

 加えて自分の立場が心配だった。あまりにも行き届いた暮らしは、自分を無価値と断ずる彼女にとっては落ち着かないものだった。

 だから彼女はこの辺境伯家でできることを探し求めた。そうして行きついたのが領地経営の事務作業だった。

 

 辺境伯家は武門の家で、書類仕事には明るくない。だから領民から見込みのある者を選出して教育し、事務員として雇い入れている。

 領民に限っているのは二つの理由がある。一つは統治を辺境伯領内だけで完結させる方針のため。もう一つは悪意を持った間者の侵入を阻むためだ。

 事務員たちの仕事ぶりを見て、リーネニアはこれが自分にできることだと確信した。朝から晩まで机に向かっていた彼女にとって、黙々と事務作業をするのは向いていると思えたのだ。

 辺境伯夫妻に許可を取った上で、事務員たちに声をかけた。

 

「そうおっしゃられても……未来の辺境伯夫人にこんな雑務をお願いするなんてできません!」

「辺境に身を置くことになるからこそ、領地のことを少しでも知っておきたいのです! あなたたちの扱う雑務こそが、もっとも大切なことなんです! どうかお手伝いさせてください!」


 事務員は難色を示したが、内気なリーネニアもこの時ばかりは食い下がった。不安で仕方なかった。それを紛らわす仕事がどうしても必要だったのだ。

 やがて事務員も折れて、ようやく少しずつ仕事を渡してくれるようになった。辺境伯領は広大だ。土地の管理、住民の管理、農作物の収穫量や畜産の生産、それらの流通などなど。情報量が多く、その管理も複雑極まるものだった。その処理は膨大かつ手間のかかるものだ。嫡男の婚約者に渡すのを渋るのも当然だった。

 

 しかし、リーネニアはそうした作業を前にしてもひるまなかった。年がら年中勉強ばかりしていた彼女にとって、何時間も机にかじりつくのは日常だった。もともと数字には強かったうえに、領地経営の知識も備えている。山のような書類を黙々と処理していった。事務員たちも驚くほどの熱心な仕事ぶりだった。

 やがてリーネニアは事務員たちの信頼を得るようになった。




「アルオバスト様は大丈夫でしょうか……」


 アルオバストが出立してから一か月ほど過ぎた頃。事務作業の合間、事務員たちとの休憩のお茶の席で、リーネニアはそんな言葉を漏らしてしまった。一か月で戻ってくると聞いていたが、まだ現地では『異界の渦』の対応に手間取っているようだった。アルオバストや騎士たちに被害が出たという報告はないが、それでも心配なことに変わりはなかった。

 同席していた事務員は微笑みながら言葉を返した。


「アルオバスト様は戦上手だから心配ありません。リーネニア様も防衛費の収支はご覧になったでしょう?」

「はい。(いくさ)に関することは詳しくありませんが……戦闘回数は多く、各町の騎士たちもずいぶんご活躍されているようなのに、治療費がそれほどかかっていないことに驚きました」

「辺境伯家の当主となるお方はみな優れた戦略家です。少々大規模な『異界の渦』ができたからといって、大事になることはありませんよ」


 事務員は自分のことを自慢するように胸を張った。

 いくら辺境伯家が強力な竜人の一族だからと言って、それだけで広い辺境全てを守り切れるわけではない。『異界の渦』をいかに素早く処理しようと、監視の目を逃れて魔物が町までやってくることはある。

 そうしたときは各町に常駐している騎士が対処する。そうした土地なのに、重症者や死人は驚くほど少ない。これは騎士たちの装備が充実しており、普段の訓練と指導が行き届いていることを意味する。それを統括する辺境伯家は確かに相当に優れた戦略家なのだろう。

 

 気晴らしに始めた事務仕事だが、そこから読み取れる情報は多かった。

 それでわかったことは、辺境が予想以上に広大で豊かということだった。『運命の番』に選ばれたリーネニアはその土地を治める夫人とならなければならない。

 改めて自分には過ぎた立場だと実感し、ため息が出た。

 そんな彼女の様子に、女性事務員が声をかけた。

 

「もしかして、リーネニア様は『運命の青(フェイト・ブルー)』になられているのではないですか?」

「『運命の青(フェイト・ブルー)』?」

「『運命の番』に選ばれた方は、結婚の前後で不安な気持ちになるそうです。それを『運命の青(フェイト・ブルー)』と言うのです。平民から『運命の番』となった方は、ほぼ確実に『運命の青(フェイト・ブルー)』になると言われています」


 結婚の前後で不安な気持ちになることを『マリッジブルー』と呼ぶのはリーネニアも知っていた。『運命の番』では別な呼び方をするらしい。

 

「心配することはありません。辺境伯家にはこんな素敵なお話があるんです」


 そう言って、女性事務員は辺境伯家に伝わる逸話を話し始めた。

 

 

 

 今を遡ること数代前。当時の辺境伯は、平民を『運命の番』を見出し、婚約した。

 しかし不慮の事故に遭い、辺境伯は角を折るという重傷を負った。

 竜人の角はその力の源であるとともに、『運命の番』という絆の源でもある。辺境伯は竜人としての力と共に、『運命の番』への燃えるような愛情を失ってしまった。

 平民の娘は、所詮身分違いの婚約だったと自ら身を引こうとした。しかし辺境伯はこれを引き留めた。

 

「『運命の番』としての絆は失われた。だが、あなたと過ごした日々は幸せだった。どうかこれからも私の近くにいて欲しい」


 辺境伯の真摯な告白を平民の娘は受け入れた。そして二人は辺境でも評判となるほどの仲の良い夫婦となったという。

 

 

 

「アルオバスト様は素晴らしい方です! あの方に『運命の番』に選ばれたのですから、リーネニア様もきっと幸せになれます!」


 女性事務員はそう断言して話を結んだ。他の女性事務員たちはきゃーっと黄色い声を上げて盛り上がった。

 リーネニアはそんな彼女たちに微笑みを返したが、その胸中は穏やかではなかった。

 アルオバストは誠実な人物だ。それでも、自分は無価値な令嬢だ。逸話の中の平民の娘とは違う。もし『運命の番』の絆が失われたら、離縁されてしまうに違いない。そう思わずにはいられなかったのだ。

 

 

 

 アルオバストの出立から一か月半ほど過ぎた頃の夜。リーネニアは辺境伯邸の廊下を足早に歩いていた。

 ようやくアルオバストが戻ってくるとの連絡があった。到着は明日の朝になるらしい。そう聞いたらなんだか妙に事務作業にも身が入ってしまい、夜まで作業してしまった。付き合ってもらった事務員たちには申し訳ないと思ったが、みな気にした様子はなかった。

 受け入れてもらえたのだろうか。無価値な自分が、こんなふうに温かく接してもらえるとは思わなかった。リーネニアはなんだか不思議な気持ちになっていた。

 

 そこまで考えたところでリーネニアは頭を振った。事務員たちが受け入れてくれるのは、アルオバストの『運命の番』だからだ。そもそも事務員にまじって事務作業を没頭するなど、辺境伯夫人の行いではない。そんなことで喜んでいてはいけない。

 そんなことを考えていると、廊下の先に誰かが立っているのに気が付いた。鎧に身を包んだたくましい身体。イナズマを思わせる二本の角は間違いない。

 

「アルオバスト様!」


 思わず駆け寄りたくなったが、廊下で走るのは無作法なことだ。リーネニアは礼儀作法に反しない範囲で足を速め、アルオバストの元へと行った。

 

「お怪我は! お怪我はありませんか!?」

「ああ、大丈夫だ。かすり傷ひとつない」


 リーネニアは無作法と思いながらも、アルオバストの身体のあちこちに目を向けた。身にまとった鎧に目立った傷はない。どうやら言葉の通り、怪我を負うことはなかったようだ。

 

「よかったぁ……」


 安堵のあまりそんな言葉が洩れた。

 アルオバストはそんなリーネニアにほほ笑んだ。

 

「ふふ。愛しい『運命の番』にそんなに心配してもらえるなんて、私は幸せ者だな」


 アルオバストがあまりにまっすぐに言うものだから、リーネニアはなんだか恥ずかしくなってしまい、顔を赤くした。

 

「あのその……! 到着は明日と聞いていたので驚きました!」

「ああ。予定より少し早く着いたんだ。君が部屋に戻ったというなら挨拶は明日にしようと思ったが、まだ執務室で働いていると聞いてな。今なら会えるかもしれないと思ったんだ」


 戦時下でもないのに鎧姿のままで邸内をうろつくのは無作法なことだ。アルオバストが鎧をまとったまま邸内にいたのは、リーネニアに会うためだったのだ。そのことを意識すると、リーネニアは胸の奥が温かくなるのを感じた。

 

「領地経営の事務作業をしていると報告を受けた。今日も随分と遅くまで頑張ってくれていたようだな」

「そんな……わたしはただ、手が空いていたので何かできることはないかと思っただけです」

「君が婚約に前向きに取り組んでくれてうれしい」


 そう言われてリーネニアは返す言葉に迷った。事務作業を手伝ったのは、ただ不安を紛らわすためだ。婚約のためという意識はなかった。でも、それをこの場で正直に言うのは、せっかく喜んでいるアルオバストの気持ちに水を差すようで躊躇われた。

 

「君は素晴らしい『運命の番』だ。明日の戦勝パーティーでは大々的に紹介させてもらおう」

「戦勝パーティー?」

「なんだ聞いていないのか。『異界の渦』を処理したときは、近くの町で戦勝パーティーを開き、騎士たちを労うんだ。我が『運命の番』である君にももちろん参加してもらう。事務作業で疲れただろう? 早く休んで、明日は楽しんでくれ」


 そう言うと、アルオバストは行ってしまった。

 リーネニアは茫然としていた。彼女は自分を無価値な令嬢だと思っている。人前に出る機会は少なかったし、そうした場を苦手としている。

 それが明日には戦勝パーティーが開かれ、辺境伯家嫡男の『運命の番』として紹介される。パーティーの主役も同然だ。

 それはリーネニアにとって、事務作業の疲れよりずっと重たく肩にのしかかる難事だった。

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