2.辺境に赴いて
「どうだ。いい眺めだろう? 辺境はいいところだ。きっと気に入るだろう」
馬車が辺境に入ったころ。アルオバストはそう話しかけてきた。
あの夜から一か月ほどが過ぎていた。今、リーネニアはアルオバストの用意立てた馬車に揺られ、辺境伯邸へと向かっている。
あの夜からいろいろなことがあった。
まず翌日の午後。アルオバストは、リーネニアのティエクスタール子爵家の所有するタウンハウスを訪れた。そして子爵夫妻にリーネニアが自分の『運命の番』になったことを告げ、正式に婚約したいと申し出た。子爵夫妻はいったん考えさせてほしいと回答を先延ばしにした。しかしそれは形式的なことだ。
アルオバストの家、レグイオン辺境伯といえば侯爵に匹敵する有力貴族だ。そこから婚約の申し出があったとなれば、子爵家の立場で断ることはまずできない。しかし即答するのもかえって非礼に当たる。リーネニアが婚約破棄を宣言されたことも伝わっていたので、なおさら断る理由もない。結局、一週間の時間をおいてから婚約を結ぶと回答した。
両親たちはアルオバストの実直な人柄を気に入ったようだ。彼の立場なら、子爵夫妻を呼びつけて婚約を申し込むのが通常のやり方だ。それが自ら子爵家のタウンハウスを訪れて婚約を申し込んできたのだ。
それにアルオバストは身投げを救ったことについて話さなかった。相手に恩を売り、そのことを盾に交渉を有利に進めるのが一般的な貴族のやり方だ。そうしなかった彼は、確かに実直なのだろう。
話を聞きつけた姉のシルカロジアもやってきた。
「アルオバスト様の評判は聞いています。きっと大切にしてもらえるでしょう。悲しいことに囚われないで、これから幸せになることを考えなさいな!」
姉は自分のことのように喜んでくれた。辺境伯と家のつながりができれば、姉のシルカロジアの立場も良くなるだろう。優秀な姉の足を引っ張らずに済んで、リーネニアとしてはほっとした思いだった。
婚約が決まると、アルオバストは辺境伯領にリーネニアを招きたいと申し出た。婚約関係のうちから辺境での暮らしに慣れて欲しいとのことだった。それから一か月はその準備に追われた。貴族が住む場所を変えるとなれば、諸手続きや、持っていく衣服や家具、使用人の選定など、様々な準備が必要となるのだ。
忙しい合間に時間を作り、リーネニアは竜人に関する情報を集めた。
竜人。人間の信仰する女神とは別の神によって生み出されたとされる種族。希少種族とされ、この王国においてはレグイオン辺境伯の一族しか確認されていない。
竜人は角が生えていることを除けば外見的に人間と変わるところはない。ただその内に秘めたる力は人間とはまるで違う。腕力も魔力も人間を大きく凌駕する。
その魔力の源は角だという。角で蓄えた魔力によって、竜人はその強大な力を発揮する。この角を失えば竜人は力の多くを失うようだ。そうは言っても、竜人の角は鋼よりも頑丈で、よほどのことがない限り折れることはないらしい。
そして竜人はその生涯において『運命の番』を見出すという。伝説によれば、『運命の番』とは竜人の神がもたらした慈悲だという。竜人はその強さゆえに他の種族を寄せ付けず、に孤立する。竜人が孤独にならないよう、神は『運命の番』という習性をもたらしたのだという。
そんな伝説があるが、竜人は同族の者を『運命の番』とすることもある。真偽のほどは定かではない。
『運命の番』に選ばれる対象には定まった条件がない。種族や身分、能力すらも関係ない。貴族がごくありふれた平民を『運命の番』と見出すこともあったという。変わった例としては、戦地で捕縛した敵国の指揮官が『運命の番』だったなどという記録もある。
また、『運命の番』を見出すタイミングもまちまちだ。幼いころに出会う者もいれば、一生出会わない者もいるという。
そうしたことを踏まえれば、アルオバストがリーネニアをあのタイミングで『運命の番』としたことはありうる話ではある。言い伝えでは『運命の番』は一目みればわかるなどと言うが、実際にはある程度親しくなって初めて気づくこともあるらしい。
アルオバストは図書館で見かける程度の薄い関係だった。リーネニアが婚約破棄されたとき、強く意識することで初めて『運命の番』だと気づいた……というのも、それほど無理がある話ではない。
「でも、無価値なわたしなんかを選ばなくても……」
『運命の番』が神のもたらした慈悲だというのなら、なんでよりにもよって自分なのだろう。リーネニアはどうしても、納得いかないものがあった。
「辺境などと言われているが、この辺は平和なものだ。ほら、あそこに牛が見える。実にのんびりしたものだろう?」
「そうですね。これも辺境伯家が魔物の進出を抑え込んでいるおかげでしょうか」
「我が領地についてよく知っているな。ふふ、なんだかうれしいな」
「いえ、そんな……」
そして今、リーネニアは辺境伯領の中にいる。アルオバストととりとめのない話をしながら馬車に揺られている。
辺境と言うが、現在においてその呼び方は適切とは言えない。
かつてこの地は魔物が多く発生し、人の住めない土地だった。まさに辺境と称する他ない危険地帯だった。
しかし200年ほど昔のこと、どこからともなく竜人の一族が王国にやってきた。竜人の長は当時の王にこう申し出た。
「我らが魔物を駆逐いたします。その暁にはこの土地を治めさせてはいただけないか」
王が承諾するとすると、竜人の一族は強大な力を振るい、わずか10年で辺境を支配していた主要な魔物を倒してしまった。その後、残った普通の魔物は王国の騎士団と協力して殲滅した。西の端にある魔物の発生源である魔の森だけは残ったが、そこは竜人の一族が常に目を光らせて見張っている。こうして辺境と呼ばれた広大な土地は、人の住める場所となった。
竜人の一族は王より辺境伯の地位を与えられ、この地を治めるようになった。
現在においては穀物の生産や牧畜が盛んに行われており、王国における重要な食糧生産地となっている。辺境とは呼ぶにはふさわしくないが、「レグイオン辺境伯」という名前があまりに人々に定着してしまったので、いまだに辺境と呼ばれている。
アルオバストの言葉の通り、辺境はのどかな場所だった。どこまでも広がる平原。時折、牛や羊が放牧されているのを見かけた。
こんな広大な土地を治める人の伴侶になるなど、リーネニアにはまるで実感がわかなかった。
「どうした? 馬車に揺られて気分でも悪くなったのなら、しばらく休憩を取ろうか?」
「いえ、大丈夫です。ただ、思った以上に辺境が広々としていて驚いていたのです」
「そうか! 確かに我が辺境は広いからな! はははっ!」
アルオバストは邪気のない笑みを見せた。
明るくて実直そうな人だ。そんな人が、自分のような人間を『運命の番』だからという理由だけで愛してくれている。
『運命の番』について少しは調べてみたが、結局よくわからなかった。言い伝えや記録を見てもその本当に意味することは解らない。一目見ただけで深く愛するようになると言うが、それは本当に愛と呼べるのだろうか。
でも、納得している部分もある。無価値な自分に対して、こんな風に愛を向けられるなんて普通ならありえない。でも、『運命の番』という習性で強いられているというのなら、仕方ないと思うことができる。
アルオバストの笑顔も、優しい言葉も、『運命の番』という習性によるものに過ぎないのだ。もし普通に出会っていたなら、こんなふうに馬車に揺られて話すなんてことはなかっただろう。
リーネニアは自分の状況がちゃんとわかっている。そのはずだ。でも、なぜだか。そのことを考えると、胸の奥がきゅっと苦しくなる。その痛みが何なのか、リーネニアにはよくわからなかった。
馬車に揺られて三日ほどで辺境伯邸に着いた。ぐるりと周囲を囲む堅固な石造りの壁。見張りの塔もいくつも設えられている。邸宅というよりは砦と言った方がふさわしい佇まいだった。
もともとこの場所は魔物との戦いの最前線で、かつては実際に砦として使用されていたらしい。周囲の魔物はずっと昔に討伐され、現在、ここが砦として使われることはない。しかしこの建物は竜人の勝利の象徴だ。ここに竜人が住んでいると領民は安心できるという。外見上は砦のようだが、大規模な改築を繰り返し、中は貴族の邸宅として申し分のない装いとなっていると、道すがらアルオバストが話していた。
伯爵邸の門をくぐると、出迎えに現れる者がいた。
金髪のすらりとした青年だ。その頭には角が生えている。顔つきもどこかアルオバストに似ている。どうやら辺境伯家の者らしい。
リーネニアは身を固くしていると、アルオバストが「そう緊張しなくていい。弟のエーギルトだ」と、そっと耳打ちしてくれた。
「兄上、良く戻ってくださいました!」
「お前が出迎えてくれるとは珍しい。何かあったのか?」
「帰って早々に申し訳ないのですが……実は魔の森で大規模な『異界の渦』が観測されました。対処が必要です」
「なに、本当か!?」
魔物はどこからともなく現れる。その神出鬼没ぶりから、他の世界から送り込まれているのではないかと考えられている。その発生源が『異界の渦』だ。『異界の渦』は最初は弱い魔物しか出てこないが、放置すると拡大し、強大な魔物を呼び込むこともあるという。
辺境の魔の森はその『異界の渦』が発生しやすい危険地帯であり、その対処が辺境伯の最も大事な仕事だ。そのことを、リーネニアは事前に調べて知っていた。
「わかった。ひとまず我が『運命の番』を両親に紹介しよう。その後、出立する。準備を進めておいてくれ」
「はい、わかりました!」
アルオバストは弟に指示を出すと、リーネニアの方を向いた。厳しく引き締めていた顔を緩め、申し訳なさそうに
「あわただしくなって済まない。まずは君を両親に紹介したいと思う。問題ないだろうか?」
「ええ、大丈夫です」
アルオバストに連れられて屋敷の広間へと入った。そこにはアルオバストの両親、辺境伯夫妻が待っていた。
本来ならば貴族の礼儀作法に則って形式的なやりとりを行うのだが、今は時間が限られていることもあって略式のものとなった。
そんな短いやりとりだったが、辺境伯夫妻の言葉には優しさがあった。リーネニアは自分が温かく迎え入れられていると感じた。
あいさつの後は、リーネニアの滞在のために用意された客間に通された。子爵家から連れて来た使用人たちに指示を出していると、アルオバストの出立の準備が整ったその知らせが来た。
リーネニアが門に向かうと、そこにはずらりと完全武装の騎士たちがいた。その中央にアルオバストがいた。勇壮な鎧をまとった彼は、どの騎士よりも強そうに見えた。
それなのに、急に不安な気持ちになった。竜人は強いと知っている。でも、魔物が恐ろしい強さを持っているということも知っている。リーネニアはどちらも知識として理解しているだけで、実際にはどうなのかはわからない。
アルオバストはもしかしたら無事に帰ってこれないかもしれない。彼と話すようになってまだ一か月程度しか経っていない。その笑顔も言葉も『運命の番』という習性によるものだとわかっている。
それでも、彼がもし帰ってこなかったらと思うと、泣き出してしまいたいくらい悲しい気持ちになった。
「辺境の騎士たちはみな精強で、魔物との戦いにも慣れている。何より、私は強い。『異界の渦』など、すぐに潰してすぐに帰ってくる。留守の間、君が不自由しないよう、使用人たちにはちゃんと命じてある。何も心配することはない」
危険な戦いを前にしているというのに、アルオバストはリーネニアのことを心配してくれている。自分に価値はなく、『運命の番』だから優しくしてもらえるだけ……頭の中を締めていた理屈が、この時だけは消えていた。
「……ご武運を、お祈りしています」
他に言うべき言葉見つからず、想いを込めてそう言った。
アルオバストは満足げな笑みを見せた。
「我が『運命の番』の言葉に百万の味方を得た思いだ! 騎士たちよ! 『異界の渦』なぞ蹴散らそう! 我に続け!」
「うおおおおおおおおおっ!」
気迫に満ちた叫びと共に、騎士たちの鬨の声が続いた。
そうしてアルオバストは出陣していった。




