第088話 うつけ者、来たる。嵐のような男ノブナガ。「米一俵」を懸けて、悪役令嬢は土俵に上がります
翌朝。
村は、久しぶりの明るい朝を迎えていた。
昨夜の収穫祭の熱気は冷めやらず、村人たちは早朝から生き生きと動いている。黄金色の稲穂が風に揺れ、あちこちから朝食の炊き出し(おじやと塩むすび)の良い匂いが漂っている。
子供たちの頬には赤みが戻り、老人たちの目には確かな光が宿っていた。
「レヴィーネ様、本当に行ってしまわれるのですか……?」
村の入り口で、村長が名残惜しそうに頭を下げる。
わたしたちは荷造りを終え、出発の準備を整えていた。カエデも身支度を整え、わたしの横に控えている。
「ええ。ここはもう大丈夫よ」
わたしは、たわわに実った田んぼを見渡した。
『タカニシキ』は強い。妖刀の呪いすら栄養に変え、痩せた土地でもたくましく育つ生命力を持っている。種籾さえ残せば、この村はもう飢えることはない。
「このお米を育て、増やしなさい。そして、周りの村にも分けてあげるのよ。……それが、あなたたちの戦いよ」
「は、はいッ! 必ずや……! このご恩は、孫子の代まで語り継ぎます! このお米は、村の宝として守り抜きます!」
村人たちが涙ながらに手を振る。
わたしは鉄扇を軽く振り、背を向けた。
別れは湿っぽくなくていい。次の目的地があるのだから。
それに、あまり長く留まると、情が移りすぎて「定住」したくなってしまう。それはまだ、早い。
――その時だった。
ズズズズズズズ……ッ。
微かな振動が、靴底を通して伝わってきた。
最初は気のせいかと思ったが、次第にそれは明確な「音」となり、大地を揺るがし始めた。
ドドドドドドドッ……!!
地響きのような音が、街道の向こうから急速に近づいてくる。
雷鳴? 地震? いいえ、違う。
これは――蹄の音だ。それも、尋常な数ではない。
「な、なんだ!? 山賊か!?」
リョウマが懐の短銃に手をかけ、目を鋭くする。アリスも杖を構え、ミリアはフライパンを握りしめる。
だが、カエデだけは違った。彼女は音のする方角を見据え、小さく、しかし誇らしげに呟いた。
「……来たか」
「カエデ、知っているの?」
「はっ。……あれこそが、我が主君の軍勢にございます」
土煙を上げて現れたのは、派手な装飾を施した騎馬武者の一団だった。
その数、およそ五十騎。
彼らは全員、戦国絵巻から飛び出してきたような武者姿だが、その装備は一風変わっていた。南蛮渡来のマントを羽織る者、虎の皮を鞍に敷く者、長槍に派手な旗を掲げる者。
ただの軍勢ではない。「傾奇者」たちの集団だ。
彼らは猛スピードで村に突っ込んでくると、わたしたちの目の前でピタリと馬を止めた。
一糸乱れぬ停止。見事な馬術だ。見かけは派手だが、その中身は鍛え上げられた精鋭であることがわかる。
そして、その先頭に立つ男が、馬から飛び降りた。
「……ほう。ここか」
男は、異様な出で立ちをしていた。
深紅の南蛮ビロードのマントを羽織り、髪は髷を結わずに茶筅のように縛り上げている。腰には身の丈ほどもある長大な太刀と、大きな瓢箪をぶら下げている。
年齢は三十半ばほどか。
鋭い眼光。野獣のような覇気。
そして何より、その口元に浮かべた不敵で傲岸不遜な笑み。
彼が立っただけで、場の空気が変わった。
圧倒的な「陽」の気配。妖刀の陰鬱な瘴気を吹き飛ばすような、強烈な存在感。
「カエデの忍鳥が知らせてきた時は、狐に化かされたかと思うたが……。貧村が黄金郷に変わったというのは、まことか」
男はカエデに視線を向けることもなく、ズカズカと田んぼに近づいた。
そして、実ったばかりの稲穂を一本、乱暴に引き抜いた。
村人たちが「ああっ! 大事なお米が!」と悲鳴を上げるが、男は意に介さない。
籾殻のついたままの生米を、ガリリと齧った。
「……!」
咀嚼する音が響く。
硬いはずの生米を、男は猛獣のような顎の力で噛み砕く。
男の目がカッと見開かれ、そしてニカッと笑った。
「美味い! 生でもわかる、この力強い甘み! 噛むたびに力が湧いてくる……! 妖刀の呪いを跳ね返すほどの生命力ぞ!」
彼は満足げに頷くと、くるりと振り返り、ビシッとわたしを指差した。
「そこの女! 貴様がやったのか?」
初対面のレディに対して、あまりに失礼な物言い。
だが、不思議と不快感はない。その態度があまりに堂々としていて、裏表がなく、むしろ清々しいほどだ。
この男からは、わたしと同じ匂いがする。「自分のルール」で生きている人間の匂いが。
「……ええ。正確にはわたしの仲間が、ね。……で、あなたは?」
わたしが鉄扇で指し返すと、男はマントを翻し、仁王立ちした。
「余はオワリの領主、オダ・ノブナガ! ……世間では『うつけ者』などと呼ばれておるがな!」
ノブナガ。
その名を聞いた瞬間、わたしとアリスは顔を見合わせた。
間違いない。歴史上の英雄の名を冠する、この国のキーパーソンだ。
リョウマが言っていた「将軍の狂気に気づいている男」。そして、カエデが忠誠を誓う主君。
「貴様、名はなんという?」
ノブナガが、わたしを値踏みするように見つめる。猛禽類のような目だ。
「レヴィーネ・ヴィータヴェン。通りすがりの悪役令嬢よ」
わたしは優雅にカーテシーをして見せた。
ドレスは薄汚れているが、その所作には一点の曇りもない。
「悪役か! ぶはははは! 気に入った! 正義面した腰抜け侍より、悪党の方が話が早い!」
ノブナガは腹を抱えて豪快に笑った。その笑い声だけで、周囲の空気がビリビリと震えるようだ。
彼は笑い収めると、懐から一通の書状を取り出し、手裏剣のように投げてきた。
わたしはそれを指二本で挟み取る。
「……これは?」
「招待状だ。レヴィーネよ。余が開催する『天下一大相撲大会』に出ろ」
「……は? 相撲?」
あまりに唐突な提案に、わたしは目を点にした。
飢饉の最中に、相撲大会? しかも、わたしに出ろと?
「うむ。余は無類の相撲好きでな。強い奴を見るのが大好きなのじゃ。……だが、最近の力士はどいつもこいつも覇気がなくてつまらん。妖刀に精気を抜かれ、死んだ魚のような目をしておる」
ノブナガはわたしの体をジロジロと、しかし嫌らしくはない、武人が名刀を鑑定するような目で見つめた。
わたしのドレスの下にある筋肉の質、立ち姿の重心、そして纏う魔力の密度を見抜いている。
「だが、貴様は違う。……その細腕に秘めた、とんでもない『暴力』の匂い。プンプンするぞ。立っているだけで、周囲の空間が歪むほどの質量を感じる。お前なら、この国の死にかけた魂を叩き起こせるかもしれん」
なるほど。
彼はただ遊んでいるわけではない。この閉塞した状況を打破するための「起爆剤」を探しているのだ。
力と熱狂。それこそが、呪いを打ち破る鍵だと直感している。
「あら、淑女に向かって暴力だなんて。……エレガントと言っていただきたいわね」
「カカッ! 減らず口も一級品だ! ……どうだ、その剛力で優勝してみせれば、褒美をやろう」
ノブナガは、わたしの背後の田んぼを指差し、そしてニヤリと笑った。
「余の領地で取れた、極上の米一俵。……さらに、極上の味噌と醤油もつけてやろう」
ピクッ。
わたしの耳が動いた。
米一俵。
この飢饉の時代、それはダイヤモンドの山よりも価値がある。
しかも、味噌と醤油まで?
「……極上、と言いましたわね?」
「ああ。余の舌に狂いはない。オワリの水と土が育んだ最高傑作だ。貴様の作ったこの米にも負けん自信があるぞ」
わたしの目が、ベルマークならぬ米マークになった。
これは、挑発ではない。ビジネスチャンスだ。
それに何より、この男――ノブナガ。ただのうつけ者ではない。カエデがわざわざ忍鳥を飛ばしてまで呼んだ理由がわかる。
常識に囚われず、面白いことには貪欲に飛びつく。そして、民のためなら泥をかぶることも厭わない。
彼となら、この国の腐ったシナリオを書き換える共犯者になれるかもしれない。
「……なるほど。乗ったわ」
わたしは立ち上がり、鉄扇を開いた。パァン! と小気味よい音が響く。
「その大会、優勝いただきよ! ……うちの『タカニシキ』と、どっちが美味しいか勝負ね!」
「タカニシキか。良い名だ! ……待っておるぞ、南蛮の黒鬼!」
ノブナガは高笑いを残し、馬上の人となった。
そして、嵐のように去っていった。
騎馬隊が巻き上げる土煙が消えるまで、わたしたちはその場に立ち尽くしていた。
「……行っちゃいましたね」
「なんか、台風みたいな人だったね……」
ミリアもアリスも呆気にとられている。
「嵐のような方でした……。でも、お米への情熱は本物でした! タカニシキの味がわかるなら、あの方の味覚、信頼できます!」
わたしは拳を握りしめた。
お米のために土俵に上がる。
悪くない。それこそ、食いしん坊な悪役令嬢にはお似合いのステージだ。
「行くわよ、みんな! オワリへ!」
わたしは高らかに宣言した。
「米一俵は、誰にも渡さないわ! ……そして、この国の『茶番劇』をひっくり返す、最強のタッグパートナーを見つけに行くのよ!」
こうして、最強の悪役令嬢は、食欲と野望を原動力に、新たな戦い(相撲)へと挑むことになった。
目指すはオワリ。天下布武ならぬ、天下布米(物理)の始まりである。
嵐のような男、ノブナガ登場。食欲と覇気が共鳴しました。次回の舞台はまさかの「土俵」です。
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