第085話 街道の掃除:公儀隠密(ニンジャ)? ……悪いけど、あなたたちの動きは「止まって」見えますのよ
港町ナガサキでの騒動(奉行の空の旅)を終え、わたしたちはリョウマの案内で、トヨノクニの中央、オワリ領を目指して街道を進んでいた。
移動手段は、リョウマが手配した早馬だ。魔導駆動ではない、生きている馬に乗るのは久しぶりだが、適度な揺れが心地よい。
だが、窓の外――といっても馬の背だが――を流れる景色は、決して心地よいものではなかった。
「……ひどい有様ね」
街道の両脇に広がるのは、かつては水田だったであろう場所だ。
しかし今は、水が枯れ、地面は亀の甲羅のようにひび割れている。あぜ道には雑草が生い茂り、放置された農具が赤錆を晒していた。
行き交う人々は皆、継ぎ接ぎだらけの着物をまとい、土気色の顔をしてうつむいて歩いている。その背中からは、生きる気力そのものが削ぎ落とされているように見えた。
「数年前までは、ここも黄金色の稲穂が波打つ豊かな土地じゃった」
並走するリョウマが、悔しげに手綱を握りしめる。
「……許せないわね」
わたしの体から、隠しきれない魔力の余波が漏れ出し、たてがみが逆立つ。
「生きるために食べる。食べるために働く。……そんな当たり前の『人間』としての営みを踏みにじるなんて」
わたしは手綱を握りしめた。革が軋む音がする。
「その将軍様とやらに、教えてあげなくてはいけないわね。……この世には、権力なんかよりずっと重くて、硬くて、痛い『現実』があるってことを」
そんな殺気立った行軍を続けていた、その時だった。
前方の峠道から、不穏な土煙が上がっているのが見えた。
「……ん? あれは……」
目を凝らすと、一人の小柄な影が、必死に走って逃げてくるのが見えた。
黒い装束に身を包んだ少女――「くノ一」だ。
彼女は片足を引きずり、肩からは血を流している。相当な深手だ。
そして、その背後から、数人の男たちが追いかけてくる。
編み笠を目深に被り、黒装束を纏った男たち。その手には、妖しく光る忍刀が握られている。
ただの追手ではない。殺気と、禍々しい瘴気を帯びた「公儀隠密」だ。
「逃がすな! 謀反人の密偵だ! 斬り捨てろ!」
男の一人が、手裏剣を投げる。
少女はよろめきながらもそれを弾いたが、足がもつれて地面に転がり込んだ。
「くっ……! ここまで、か……!」
少女が顔を上げ、絶望の表情で追手を見上げる。
追手たちが刀を振り上げ、トドメを刺そうとした――その瞬間。
ヒュンッ!!
わたしは馬の鞍を蹴り、空高く跳躍した。
「――そこまでよ、野暮天ども!」
わたしは空中で鉄扇を抜き放ち、回転の勢いを乗せて投げつけた。
カァァァンッ!!
投擲された鉄扇が、振り下ろされた忍刀を真横から弾き飛ばす。
金属音が響き、刀が空中でへし折れて地面に突き刺さる。
「な、何奴!?」
追手たちが驚愕し、動きを止める。
わたしは少女と追手たちの間に着地し、ブーメランのように戻ってきた鉄扇を優雅にキャッチした。
黒いドレスの裾が、ふわりと舞う。
「通りすがりの、悪役令嬢よ」
わたしは鉄扇を開き、口元を隠して冷ややかに見据えた。
「多勢に無勢。しかも怪我をした女の子を寄ってたかって……。随分と『小さな』男たちね」
「貴様……! 公儀の邪魔をするか! 命が惜しくないようだな!」
隠密たちが殺気を漲らせ、一斉にわたしに向かってくる。
速い。普通の人間なら目にも止まらぬ速さだ。身体強化と、何か薬物のようなブーストがかかっている。
だが。
「……遅いわよ」
わたしにとっては、止まって見える。
わたしは一歩も動かず、足元の影に意識を向けた。
「出てきなさい、相棒。……少し、『掃除』をするわよ」
ズヌゥッ……!
わたしの影から、漆黒の鉄塊がせり上がる。
ドワーフの秘法で鍛え上げられた、物理最強の鈍器――『漆黒の玉座』。
ガシャン!
わたしは展開したパイプ椅子を片手で掴み、襲いかかる隠密の刀を真正面から受け止めた。
ガギィィィンッ!!!
「なっ、椅子!? 刀を受け止めた!?」
「受けるだけじゃないわ。……返すのよッ!」
わたしは腕に力を込め、椅子を振り抜いた。
ただの横薙ぎ。だが、そこには数百キロの質量と、わたしの剛力が乗っている。
ドゴォォォォンッ!!!
刀ごと、隠密の体が吹き飛んだ。
彼は枯れ木のように回転しながら森の奥へと消え、木々をなぎ倒す音が響く。
「ひぃッ!?」
「ば、化け物……!」
残りの隠密たちが怯む。
わたしは椅子を肩に担ぎ、ニヤリと笑った。
「教育的指導の時間よ。……その腐った性根、物理で叩き直してあげるわ」
そこからは、一方的な蹂躙だった。
忍術? 分身?
そんな小細工は、広範囲を薙ぎ払う質量攻撃の前では無意味だ。
わたしは椅子を振るうたびに、一人、また一人と空の星に変えていく。
数分後。
街道には静寂が戻り、地面には綺麗に埋まった隠密たちの頭部だけが並んでいた。
「……ふぅ。良い準備運動になったわ」
わたしは椅子を影に戻し、へたり込んでいる少女の方へ向き直った。
「大丈夫? 怪我は?」
少女は、信じられないものを見る目でわたしを見上げていた。
震える唇が、言葉を紡ぐ。
「……つ、強い……。鬼神の如き強さ……」
彼女は、痛みを堪えて立ち上がり、その場に片膝をついた。
忍びとしての最上級の礼。
「某はカエデ。……オワリのオダ家に仕える忍びでござる」
カエデは顔を上げ、真っ直ぐな瞳でわたしを見た。
「貴女様のその御力……もしや、異国の神の使いでしょうか?」
「いいえ、ただの旅行者よ。……レヴィーネと呼びなさい」
「レヴィーネ様……。かたじけない。この御恩、一生忘れませぬ」
カエデの瞳に、崇拝にも似た光が宿る。
どうやら、また一人、厄介な(そして頼もしい)信者を増やしてしまったようだ。
そこへ、馬から降りたリョウマたちが駆け寄ってくる。
「おいおい姐さん、派手にやったのう!!」
「視界に害虫が入ったから払っただけよ……それに、どうやら目的地は同じようよ」
わたしはカエデを助け起こしながら、彼女がオダ家の忍であることをリョウマに伝えた。
アリスがすぐに治癒魔法をかけ、傷を癒やす。
彼女が持っていた密書――将軍家の恐るべき計画書――が、この国の運命を、そしてわたしたちの旅路を大きく動かすことになるのだが、それはまだ少し先の話。
「さあ、行きましょう。オワリへ。……美味しいご飯と、面白い『うつけ者』が待っているわ」
わたしたちはカエデを加え、再び街道を進み始めた。
その背中には、確かな変革の風が吹き始めていた。
忍びVS悪役令嬢。スピード自慢も、圧倒的な質量と筋力の前では止まって見えます。カエデも加わり、一行はオワリを目指します。
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