第008話 北の氷獄「獣の穴」へ! 祖父に挑む7歳の決意。
パーティーが一通り落ち着き、わたしは、母がこの日のためにと用意してくれた新しいドレスに着替え、自室の大きな姿見の前に立った。
深紅の生地に、黒のレースがあしらわれた、少し大人びたデザインのドレス。金髪は綺麗に結い上げられ、小さなティアラが乗っている。
鏡の中に映っているのは、紛れもない自分自身だ。
健康的な頬の赤み、意志の強さを宿した黒い瞳。化粧をほどこされたこともあってか、総合すると黙っていても周囲を威圧するような、派手で傲慢にも見える美貌がそこにあった。
わたしは、自分の顔をじっと見つめた。
前世の記憶にある、乙女ゲームのキャラクターたちと照らし合わせる。
(……うーん。どこからどう見ても、「悪役令嬢」顔ね)
ヒロインをいじめ、高笑いを上げ、最終的には断罪されて破滅する。そんな役割を背負わされた顔だ。
わたしの「闇」属性や、規格外の力も、その役割を補強する要素でしかないのかもしれない。
――もし、この世界が本当に「物語」で、わたしにそんな運命が用意されているのだとしたら?
わたしは、鏡の中の自分と視線を合わせた。脳裏に、愛する父や母、マールたちの笑顔が浮かぶ。
この温かい居場所。それを守るためなら、わたしは何だってできる。
(シナリオ通りの破滅? 大好きな人たちを悲しませるバッドエンド? ……上等じゃない。全部、わたしがねじ伏せてやる)
わたしはニヤリと笑った。自然と浮かんだその表情は、鏡の中で最高に輝いていた。これこそが、わたしの「キメ顔」だ。
「いいわ。もし世界がわたしを悪役に指名するなら、喜んで受けて立つ」
ただし、わたしは既存のつまらない悪役令嬢のテンプレなんてなぞらない。
陰湿ないじめ? ヒロインの持ち物を隠したり捨てたり破いたり? 陰口を叩いたり仲間はずれにしたり?? ああ、それからパーティーでドレスにワインをかけて台無しにしたり???
「――しょっぱいわね」
そんなセコい真似は、「レヴィーネ・ヴィータヴェン」の美学に反する。
この世界がなにかの物語で、誰かが主役なのだとしても、わたしには関係ない。わたしの人生はわたしだけのものだ。
だから、そう。
「わたしの『悪役』は、そんなこと、しない」
わたしは、わたしのやり方で、この人生という巨大な舞台を支配する。
誰よりも強く、誰よりも自由に、そして誰よりも面白く。
周囲の人々を熱狂させ、ヒロインすらも自分の人生の引き立て役にして、最高のハッピーエンドをこの手で掴み取るのだ。
そのためには、圧倒的な「力」が必要だ。口先だけではない、本物の力が。運命すらもねじ伏せる、絶対的な強さが。
◆◆◆
覚悟を決めたわたしは、ドレスの裾を翻し、部屋を出た。向かう先は、お披露目のパーティー会場である屋敷の大広間だ。
父ユリス、母イリーザ、そして祖父マラグの三人が談笑しているタイミングを見計らって、わたしは動いた。
三人の前に進み出て、深紅のドレスの裾をつまみ、マールに仕込まれた完璧なカーテシー(淑女の礼)をしてみせた。
「お父様、お母様、そしてお祖父様。わたくし、レヴィーネ・ヴィータヴェンより、一生のお願いがございます」
普段のわたしとは違う、張り詰めた真剣な声色に、場の空気が変わる。三人の視線がわたしに集まった。
「なんだい、レヴィーネ? 改まって」
父が穏やかに、しかし少し訝しげに尋ねる。
わたしは顔を上げ、三人の、この辺境を支える偉大な大人たちの目をしっかりと見据えて、宣言した。
「わたしを、お祖父様のところへ行かせてください。北のハニマル領、あの『獣の穴』へ。そこで、誰にも負けない最強の力を手に入れたいのです!」
一瞬の静寂の後、父が悲鳴のような声を上げた。
「なっ……! 何を言っているんだレヴィーネ! 『獣の穴』だって!? あそこがどんな場所か知っているのか!?」
父が取り乱すのも無理はない。祖父の治めるハニマル領は、極寒の気候と強力な山岳魔獣、そして「強さこそ正義」という過酷な環境から、畏怖を込めて「獣の穴」と呼ばれているのだから。
か弱い(と思われている)七歳の令嬢が行く場所ではない。
父がさらに何かを言おうとしたその時、それまで黙って聞いていた祖父マラグが、一歩前に出た。
ドォォォン、と空気が重くなった気がした。
ただ一歩踏み出しただけなのに、その場の支配者が誰であるかが瞬時に理解させられる。
先ほどまでの好々爺の顔は完全に消え失せた。
そこにいたのは、幾つもの戦場を制し、幾度もの魔獣の氾濫を最前線で抑え込んできた「北の大将軍」、「帝国最強の武人」としてのマラグ・ハニマルその人だった。
祖父としてではなく、一人の武人としての眼光が、射抜くようにわたしを見据えた。
「ユリス、控えよ。……レヴィーネ、面を上げい」
低く、腹の底に響く声。わたしは反射的に背筋を伸ばし、その圧倒的な威圧感に抗うように祖父の眼を見つめ返した。
逸らせば、その時点で負けだと本能が告げていた。
「『獣の穴』に行きたいと申したな。……小娘、貴様は何のために強さを求める? 辺境伯の娘としての義務感か? それとも、物語の英雄への憧れか? その程度の動機ならば、北の風に吹かれただけで凍え死ぬぞ」
容赦のない言葉が突き刺さる。わたしは、ドレスの下で拳を握りしめ、即答した。
「どちらでもありません。わたしが強さを求めるのは、わたしの意志です。自分の足で立ち、自分の運命を自分で切り拓くため。そして、愛するこの場所と家族を、理不尽な運命から守り抜くためです。そのためには、生半可な力では足りないのです!」
(そう、わたしの人生という舞台を、誰にも邪魔させないための絶対的な力が必要なの!)
わたしの答えに、祖父の眉がわずかに動く。
「力とは暴力だ。振るえば必ず何かを傷つけ、壊す。貴様に、その業を背負う覚悟はあるか? ただ強いだけのケダモノになるつもりか?」
「力なき正義が無力であるように、制御なき暴力もまた無価値です。わたしは、力を持たぬ者の悲惨さを知っています。だからこそ、力を持つ者の責任も理解しているつもりです。わたしは獣にはなりません。理性を持ち、目的のために正しく暴力を振るう、誇り高き『悪役』になります」
祖父の眼光がさらに鋭さを増す。試されている。魂の底まで見透かそうとする視線だ。
「口だけは達者だな。だが、『獣の穴』は貴様が思うような甘い場所ではない。ハニマル領に入れば、辺境伯の令嬢という肩書きなど何の役にも立たん。ただの一人の門下生として、泥にまみれ、血を吐くような鍛錬の日々が待っている」
祖父は一拍置き、さらに残酷な現実を突きつけた。
「それだけではないぞ。貴様はヴィータヴェン家の娘だ。武術の修行と並行して、貴族としての令嬢教育も完璧にこなしてもらう。逃げ道はない。……そして何より、温かい両親の元を離れ、見知らぬ極寒の地で一人で生きていくのだ。その孤独に、貴様の柔な心が耐えられるかな?」
温かい食事、マールの優しい世話、両親の溺愛。それら全てを捨てていくことへの恐怖がないと言えば嘘になる。
けれど、それ以上の渇望が、わたしの魂を突き動かしていた。
わたしはニヤリと笑った。鏡の前で練習した、最高の「キメ顔」で。
「望むところですわ、お祖父様。泥にまみれるのも、血を吐くのも、全部まとめて引き受けて差し上げます。孤独? 上等じゃないですか。その程度の試練、わたしの『覇道』のスパイスにしかなりませんわ」
祖父の目が、驚きで見開かれた。そして次の瞬間、その口元が大きく歪み、獰猛な笑みが浮かんだ。
「……ハッ! 面白い! 七歳の童が、よくぞここまで吠えたものよ。とても小娘の台詞とは思えんな!」
祖父は腕組みをし、最後に一つ、問いかけた。
「ならばレヴィーネ。我がハニマル流闘術の心得、知っておるな?」
「はい。バルドに頼んで、書庫の文献を調べました」
わたしは背筋を伸ばし、朗々と暗唱した。
「――武器が折れたならば手足で、手足を失ったならば牙で、牙さえも失ったならば、せめて睨み殺せ」
祖父は満足げに深く頷くと、続きを促すように、ゆっくりと一度だけ瞬きをした。
わたしは、不敵な笑みを深めて答えた。
「そして、『それができるなら、最初から全部使え』、ですわ」
その瞬間、大広間に雷鳴のような爆笑が轟いた。
「ガハハハハハハ!! 良い! 実に良い! まさか続きまで知っておるとはな! 気に入ったぞレヴィーネ!」
祖父は涙が出るほど笑うと、バンバンとわたしの背中を叩いた(身体強化してなかったら死んでたかもしれない)。そして、呆然としている父の方を向いた。
「こりゃダメじゃ、ユリス。諦めろ。ここまで肚が決まっていたら、ワシが断ったとしても、レヴィは帰りの馬車に忍び込んででもついてきかねんぞ」
「そ、そんな……お義父様まで……」
父ががっくりと肩を落とす。母は、困ったような、でもどこか誇らしげな顔でわたしを見ていた。
祖父は再びわたしに向き直り、今度は武人としての厳しい顔を少しだけ和らげ、一人の祖父としての穏やかな目でわたしを諭した。
「レヴィーネ、わしはお前さんを受け入れよう。『獣の穴』はお前を歓迎する。だがな」
祖父の大きな手が、わたしの頭にポンと置かれた。
「旅立つ者は、希望や覚悟で胸がいっぱいかもしれん。だが、送り出す者が常にそうとは限らんのだ。残される者には、残される者の寂しさや心配がある。……それは、どんな旅立ちでも同じことだ」
祖父の視線が、父と母の方に向けられる。
「お前を愛し、慈しんで育ててくれた者たちだ。彼らが納得し、笑顔でお前を送り出せるようにするのも、旅立つ者の務めだぞ。それができぬようなら、強さなど手に入らん」
その言葉に、わたしはハッとした。自分の覚悟ばかりに気を取られて、一番大切な人たちの気持ちを置き去りにしようとしていた。
「……はい、お祖父様。ありがとうございます」
わたしは深く頭を下げた。そして、ゆっくりと振り返り、愛する父と母の顔を見た。
パーティーの賑やかな喧騒が、少しずつ戻り始めていた。
わたしの「修羅の道」への第一歩は、まず、この世界で一番大切な人たちを説得し、笑顔で見送ってもらうことから始まるのだ。




