第069話 ボスとの商談(脅迫):賭けるのは「全財産」と「マスク」と「命」。……安いですわね?
魔薬工場を物理的に「閉鎖」し、子供たちを救出してから数時間後。
わたしたちは、スラムの廃教会に戻っていた。
アリスとミリアが子供たちのケアに奔走する中、わたしは教会の入り口で、夕闇に沈む街を見下ろしていた。
工場の破壊。あれだけのことをして、黙っているような連中ではない。
「……来たわね」
ズズズ……と、地響きのようなエンジン音と共に、教会の前の広場に数台の魔導車両が乗り付けられた。
降りてきたのは、重武装したカルテルの私兵たち。その数、およそ50人。
そして、その中央から、仕立ての良い白スーツを着た男と、黄金のマントを羽織った巨漢が現れた。
カルテルのボス「毒蠍」と、偽りの英雄「エル・ソル」だ。
「貴様か。俺の大事な『農園』を滅茶苦茶にしてくれたアマは」
エスコルピオンが、噛み殺すような怒声を上げる。
彼はわたしの姿――ドレス姿の令嬢――を見て、鼻で笑った。
「なんだ、小娘どもじゃないか。……おい、ソル。ひねり潰せ」
ボスの命令を受け、エル・ソルが一歩前に出た。
身長は二メートルを超え、筋肉は鎧のように隆起している。だが、その立ち姿には「芯」がない。ゆらゆらと揺れ、呼吸が荒い。瞳孔が開いている。
「……邪魔だ。俺の栄光の邪魔をするな」
エル・ソルの声は、獣の唸り声のようだった。
彼は地面を蹴った。
速い。巨体に見合わぬ爆発的な加速。身体強化魔法と、過剰なドーピングによる瞬発力だ。
「死ねェッ!!」
ドゴォッ!!
彼が放ったラリアットが、わたしの残像を切り裂き、教会の石壁の一部を粉砕した。
瓦礫が飛び散る中、わたしは彼の背後に回り込み、冷ややかに告げた。
「……力任せなだけね。美しくないわ」
今のわたしなら、その首をへし折ることもできる。
けれど、それでは意味がない。ここで彼を倒しても、民衆は「悪党が卑怯な手で英雄を殺した」としか思わないだろう。
それでは、この国に染み付いた「偽りの希望」という病巣は取り除けない。
「逃げるな! 正々堂々と戦え!」
エル・ソルが振り向きざまに裏拳を放つ。
わたしはそれを、あえて鉄扇で受け止めた。
ガギィィィンッ!!
重い。鉛をぶつけられたような衝撃。
薬物によるリミッター解除。エル・ソルの筋肉が悲鳴を上げているのがわかる。
「正々堂々? ……いいわ。その勝負、受けてあげる」
わたしは衝撃を殺して後方へ飛び退き、着地した。
そして、エスコルピオンに向かって微笑みかけた。
「ねえ、セニョール・エスコルピオン。ここでわたくしを殺しても、工場はおろか潰された面子も戻らないわよ?」
「あぁ? 命乞いか?」
「いいえ、ビジネスの話よ。……二日後に建国記念の興行があるのでしょう?」
わたしは鉄扇を開き、挑発的に彼を指差した。
「メインイベントの対戦相手、わたくしが務めて差し上げてもよろしくてよ? 『極悪非道な魔女を、英雄エル・ソルが公開処刑する』……どう? 最高の見世物になると思わない?」
エスコルピオンの目が、欲に濁った光を放った。
計算高い男だ。ここで私を闇に葬るよりも、大観衆の前で嬲り殺しにする方が、カルテルの恐怖を植え付けるプロパガンダになると踏んだのだ。それに、賭けの対象としても金になる。
「……面白い。その度胸、買ってやろう」
エスコルピオンはニヤリと笑った。
「いいだろう。明後日の正午、国立闘技場のリングに上がれ。……ただし、賭けるのは互いの『全て』だ。お前が勝てば、このスラムからは手を引いてやる。だが、お前が負ければ……」
彼はわたしの後ろにいるアリスやミリア、そして教会の子供たちを舐め回すように見た。
「お前も、そこの連中も、全員俺の『商品』だ。死ぬまで工場でこき使ってやる」
「結構よ。……その代わり、この男には、その『マスク』も賭けてもらうわ」
「なに……?」
「当日は私もマスクを用意します。ただの女とやり合うよりは、華が咲くのではなくて? そして負けた方は、マスクを剥がれ、その素顔を白日の下に晒される。……『仮面剥ぎデスマッチ』でどうかしら? ただ、私のマスクを剥いでもそちらにはなんの得にもならないでしょうから、この試合には私の全てを賭けますわ。私の貴族の身分、私手持ちの資産――数億ベルはございます。いかが?」
エル・ソルが一瞬怯んだが、すぐに薬物の興奮が勝ったようで、獰猛に笑った。
「いいだろう! その綺麗な顔を、俺の拳でグチャグチャにしてやる! 貴様は地獄を見るぞ!」
「楽しみにしてますわ。……せいぜい、お薬の調整を間違えないことですわね」
エスコルピオンは勝ち誇ったように笑い、そして思い出したように視線を逸らした。
その視線の先には、わたしの後ろで震えているレオがいた。
「そこの薄汚いガキ。……確か『エル・アギラ』の息子だったな?」
「……ッ!」
レオが父の形見のマスクを握りしめる。
「親父が負け犬なら、息子も負け犬か? ……おい、ちょうどいい余興があるぞ。明日の興行、前座の相手が食あたりで欠場してな」
エスコルピオンは残酷な笑みを深めた。
「ウチの養成所が誇るジュニアクラスの王者、『猛牛』の相手がねぇんだ。……どうだ? そのガキをリングに上げろ。父親と同じ場所で、無様に這いつくばらせてやる」
「なっ……!?」
マテオ神父が慌てて前に出る。
「正気か!? レオはまだ子供だぞ! 貴様らの養成所の殺戮マシーンと戦わせるなど……!」
「やるよ」
少しも逡巡した間もなく、凛とした声が響いた。レオだ。
彼は一歩前に出て、震える足で踏ん張った。
「俺が……俺が出る。父ちゃんを、父ちゃんのマスクを――馬鹿にされたままじゃ終われない!」
「レオ……」
「ほう、威勢だけはいいな。……いいだろう! 契約成立だ!」
エスコルピオンは高笑いしながら車に戻った。
「メインは魔女の公開処刑! 前座は組織に逆らい惨めに死んだ英雄の息子の公開処刑! ……明日は最高のショーになるぞぉ!!」
去っていく車列を見送りながら、わたしはレオの肩に手を置いた。
「……言ったわね、レオ。もう後戻りはできないわよ」
「うん。……姐さん、俺、勝ちたい。絶対に勝ちたいんだ」
「いい目よ。……なら、特訓ね」
わたしはマテオ神父を振り返った。
この計画には、彼の協力が必要だ。
報復に来たボス相手に、さらにデカい興行(喧嘩)を売りつけました。「公開処刑」という舞台は、悪役令嬢にとって最高のステージ。次回、決戦前夜の特訓編。ルチャの極意が唸ります!
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