第067話 貧民街の飢え。……脂っこいスープはまだ早い。命を繋ぐ「おじや」と、復讐の準備
ミリアの特製ちゃんこ鍋が煮立つ頃には、教会の前は異様な雰囲気に包まれていた。
教会の子供たちが嬉しそうに食器を持って並ぶその後ろに、ゆらり、ゆらりと、路地裏の闇から無数の小さな影が集まってきたのだ。
スラムのさらに奥、光の当たらない場所から這い出てきた子供たちだ。
「おい! 割り込むなよ! ここは俺たちの教会だぞ!」
教会の子供の一人が、入ってこようとした余所者の少年を突き飛ばした。
突き飛ばされた少年は、抵抗もせずに地面に転がり、それでも虚ろな目で鍋の方を見つめている。
「やめなさい!」
アリスが慌てて割って入る。
「みんなで食べればいいじゃない。ご飯はいっぱいあるよ?」
アリスとミリアが、集まってきたスラムの子供たちにも椀を配ろうとする。
ミリアが、脂の乗った肉と野菜がたっぷり入った、栄養満点のちゃんこをお玉ですくい上げた。
「さあ、たくさん食べてくださいね! 元気が出ますよ!」
ミリアが椀を差し出す。
しかし。
その湯気が少年の顔にかかった瞬間、少年はビクリと震え、口元を押さえてその場にうずくまってしまった。
「う、ぷ……っ……」
「え?」
ミリアの手が止まる。
少年の顔色は土気色で、頬はこけ、腕は枯れ木のように細い。
食べ物を前にしても、目が輝くどころか、苦しげに顔を背けている。
その姿を見た瞬間、ミリアの顔から血の気が引いた。
脳裏にフラッシュバックする、苦い記憶。
――あの子が、特製ちゃんこを口にして、吐き戻してしまったあの日の記憶。
「……ミリア?」
わたしが声をかけようとしたが、ミリアは鋭く首を横に振った。
「……だめです。このちゃんこは、配れません」
ミリアの声が震えていた。けれど、その瞳には強い決意が宿っていた。
「レヴィーネ様、アリスさん。見てください。……この子たちは、食べる力さえ残っていないんです。今のこの子たちの胃に、こんな脂っこいものは毒です。……あの時と同じになってしまいます!」
ミリアは唇を噛み締め、お玉を鍋に戻した。
カジノで見せていた陽気な笑顔はもうない。そこにあるのは、料理人としての、そして友を看取った者としての真剣な眼差しだ。
「メニューを変更します。……脂と香辛料は抜いて、お米をクタクタになるまで煮込んで、卵と少量の味噌で……『おじや』にします」
ミリアはリュックから精米された白米を取り出し、手早く準備を始めた。
「まずは、命を繋ぐことから始めないと……。もう二度と、私の料理が食べられないなんて、言わせませんから!」
その言葉に、わたしは胸が熱くなるのを感じた。
彼女は、ただ悲しんでいたわけじゃなかった。あの日の無力感を、確かな知識と判断力に変えて、今ここに立っているのだ。
「……ええ、任せるわ。最高の賄いを頼むわね」
しばらくして、優しい湯気の立つおじやが配られた。
子供たちは最初はおっかなびっくりだったが、一口すすると、その瞳から涙をこぼし、夢中で器を舐めるように食べ始めた。
「おいしい……あったかい……」
その姿を見て、アリスがほっと息をつく。
しかし、一人の少女がおじやの椀を抱えたまま、口をつけずに震えていた。
「あなた、食べないの? ……ひょっとして、誰かのために持って帰ろうとしているのですか?」
ミリアが優しく尋ねると、少女は消え入りそうな声で答えた。
「……妹が、動けないの。……お母さんも、薬で……」
その言葉に、わたしは眉をひそめた。
ここは「マシな方」だったのだ。この教会の外側には、もっと深く、救いのない地獄が広がっている。
「……案内してくれる?」
わたしは少女に告げた。
◆◆◆
少女に連れられて足を踏み入れたのは、スラムの最深部。
腐敗臭と、甘ったるい薬品の臭いが充満するエリアだった。
崩れかけたバラック小屋の中を覗くと、そこには――。
「……ッ」
アリスが絶句し、口元を押さえる。
床に敷かれたボロ布の上に、骨と皮だけになった人々が横たわっていた。
大人たちは魔薬の禁断症状で震え、子供たちは飢餓で腹だけが膨らみ、動く力も残っていない。
「これが……この国の現実……」
アリスが少女の妹に駆け寄り、治癒魔法をかける。
光が溢れるが、少女の顔色はあまり良くならない。
「なんで……? 私の魔法、また届かないの……? 聖女なんて呼ばれてるのに……!」
アリスの手が震える。
彼女の脳裏にもまた、救えなかったあの子の冷たさが蘇っているのだろう。
魔法は万能じゃない。生命力が尽きかけた器には、どれだけ注いでも溢れてしまう。
「アリス、焦らないで。……今は寄り添うだけでいいわ」
わたしはアリスの肩に手を置き、そして視線を上げた。
この地獄を作り出している元凶――工場の煙突が見える方角を睨みつける。
(……許せないわね)
ここまで徹底的に、未来を食い物にしているとは。
カルテル。魔薬。そしてそれを黙認する社会。
すべてが、わたしの癇に障る。
「レオ。マテオ神父」
ついてきていた二人に、わたしは声をかけた。
「手伝ってちょうだい。……ここにある『絶望』を、一つ残らずへし折る準備を始めるわよ」
想像以上の地獄がそこにありました。かつてのトラウマを乗り越え、冷静に「おじや」を選択したミリアの成長に涙です。次回、聖女アリスが本気でキレます。
ミリアの優しさとレヴィの決意に共感してくださった方は、ぜひ応援の評価をお願いいたします!




