第066話 ルチャドール:タコスとちゃんこの炊き出し対決? 腐敗した道場に「本物のプロレス」を教えに行きます
レオに案内されたのは、観光エリアの華やかさとは無縁の、薄暗い路地裏の奥にある広場だった。
その奥に、古びた石造りの教会が建っている。外壁は煤け、屋根の一部は崩れ落ちているが、入り口周りは綺麗に掃き清められている。
その入り口脇に、一台の小さな屋台が出ていた。
そこで鉄板に向かっていたのは、僧服の上に油染みたエプロンをつけた、白髪交じりの巨漢だった。
「ただいま、マテオ神父! お客さんだよ!」
レオの声に、男が振り返る。
穏やかな顔立ちだが、その体躯は僧服の上からでもわかるほど分厚い筋肉に覆われている。
そして――右袖が、肘のあたりからぶらりと揺れていた。隻腕だ。
「おお、レオか。チビたちからチンピラに追いかけられていたと聞いたが無事だったか! ……おや?」
神父――マテオは、わたしたちを見て手を止めた。
その視線が、わたしの立ち姿、そして影の中に潜む『玉座』の気配を一瞬で見抜いたかのように、鋭くなる。
「ふむ……どうやらまともな観光客じゃなさそうだ。随分と『重い』ものを背負ったお嬢さんだね」
「はじめまして、神父様。……いい匂いにつられて来ましたの」
わたしはカーテシーをしつつ、屋台を覗き込んだ。
鉄板の上には、少しばかりの肉と、大量の野菜や豆を刻んだタコスの具が炒められている。決して豪華ではない。けれど、限られた食材を丁寧に調理しているのがわかる。
隻腕とは思えない手際だ。ヘラを操る左手の動きは、無駄がなく洗練されている。
「ははッ、お恥ずかしい。子供たちの腹を満たすためだけの、質素な賄いさ」
マテオ神父は残った左腕一本で器用にトルティーヤを返し、具を包んで差し出した。
「さあ、お食べなさい。料金はいらんよ。遠くから来た旅人をもてなすのも、この教会の流儀だからね」
わたしはタコスを受け取り、一口かじった。
……美味い。
肉の旨味、スパイスの刺激、そしてトウモロコシの甘み。素朴だが、温かい。作り手の「食わせたい」という熱い想いが込められている。
「……とてもほっとする味ね」
「お口に合ったならなによりだ」
「ええ。……でもなぜかしら、涙の味がするわ」
わたしの言葉に、神父は一瞬動きを止め、それから寂しげに笑った。
ふと、教会の奥から数人の子供たちが顔を出した。
彼らはボロボロの服を着ているが、瞳にはまだ光があり、体つきも極端な痩せ方はしていない。
神父からタコスを受け取り、美味しそうに頬張る姿は、どこにでもいる元気な子供たちだ。
「……神父様。あの子たちは?」
「私の家族さ」
神父はタコスを子供たちに配りながら、静かに語った。
「彼らの父親や母親は、皆……かつてこの国のリングに立っていたルチャドールや、それを支えるスタッフだった」
神父の視線が、教会の壁に掛けられた数枚のマスクに向けられる。
陽に晒され色褪せているが、かつては誇り高くリングを舞ったであろう戦士の証。
「カルテルの八百長を断り、魔薬の蔓延に反対し……そして消された者たちの遺児だ。せめて関わりのある子供たちだけでもと、私がここで引き取って育てている」
なるほど。ここは「抵抗者たちの砦」というわけか。
だからこそ、貧しいながらも最低限の秩序と、誇りが保たれている。
アリスとミリアが、その光景を見て、ほっと息をつくのがわかった。
「……よかった。ちゃんと、笑ってる」
アリスが小さな声で呟く。その表情は、カジノで見せていた空元気とは違う、心からの安堵に満ちていた。
「はい。食べる力があるなら、大丈夫ですね」
ミリアもまた、リュックのベルトを握りしめていた手を緩め、優しく微笑んでいる。
「……いい話を聞かせていただきましたわ」
わたしはタコスを飲み込み、後ろに控えるミリアに合図した。
「ミリア。お礼の時間よ」
「はいッ! 特製ちゃんこ鍋、振る舞わせていただきます!」
ミリアが巨大な寸胴鍋とコンロを展開し、準備を始める。
そんな中、レオをはじめとする教会の子供たちが、わらわらとわたしの周りに集まってきた。
「ねえ、ねえちゃん! 強いんだろ? あのマフィアたちをやっつけたんだろ?」
「すげーや! 俺たちにも教えてくれよ!」
目を輝かせる子供たち。
わたしは屈んで目線を合わせ、ニヤリと笑った。
「教えてあげてもいいけれど……その前に、少し手伝ってくれないかしら? わたし、この街の『悪い奴ら』のことをもっと知りたいの」
すると、子供たちは顔を見合わせ、胸を張った。
「任せとけ! 俺たち『スラム少年探偵団』にお見通しだぜ!」
「この街の裏道なら、ネズミより詳しいんだから!」
「頼もしいわね。じゃあ案内してちょうだい。……この街の『ルチャドール』たちが、どこで育っているのかを」
◆◆◆
ミリアに炊き出しの準備を任せ、わたしとアリスは少年探偵団の案内で、街に点在するいくつかのルチャ道場を巡った。
道場といっても、前世日本のプロレス団体のように団体が運営する道場とは少し違う。引退したルチャドールや現役のルチャドール達が独自の道場を運営しており、そこで若手を基礎から育成する。
しかも「基礎」はロープワークや受け身などの技術や実際の技だけではなく、ルチャの歴史の座学までを含む厳しいものだ。そして公営連盟試験に合格し、師匠やプロモーターの推薦と登録料の支払いをもって、ようやくライセンスを取得し、ルチャドールとなれるのだ。
こうした厳しくも、ある意味手厚い、育成体制がある――はずだった。
しかし今のサン・ルーチャで道場を巡って見たものは、あまりに惨憺たる光景だった。
最初の道場。
薄暗い室内で、子供たちが奇妙な色の液体――筋肉増強剤の入った水を無理やり飲まされている。
「飲め! もっとデカくなれ! 薬を使わなきゃ勝てねえんだよ!」
指導者が怒鳴り散らし、吐き出した子供を竹刀で殴りつける。
次の道場。
リングの上では、技術の練習など行われていない。
「いいか、相手の指をこうやって折るんだ! 目潰しはこうだ!」
教えられているのは、伝統あるルチャの技ではなく、ただ相手を壊すための卑劣な暴力のみ。
そして、どの道場の扉にも、看板にも、禍々しい紋章が刻まれていた。
――黒い太陽。麻薬カルテルの支配下にある証だ。
「……ひどい」
アリスが顔をしかめる。
「ええ。これは武術の道場じゃないわ。……ただの『暴力製造ライン』よ」
わたしはギリリと鉄扇を握りしめた。
伝統も、誇りも、技術も。すべてがカルテルによって塗り潰され、子供たちはただの「兵隊」として消費されている。
「父ちゃんが生きてた頃は、ルチャドール達はみんなもっとカッコよかったんだ……」
レオが悔しそうに呟く。
その言葉が、わたしの背中を押した。
この街には、本物のルチャを取り戻す必要がある。
「……帰りましょう。まずは腹ごしらえよ」
わたしは怒りを押し殺し、教会へと戻る道を歩き出した。
教会前に戻ったわたし達から話をきいたミリアが、神妙な顔つきになる。
「……子ども達にまで、魔薬がそんなに横行しているなんて……。普通の食事じゃ、受け付けないかもしれません」
そして、ミリアの懸念は現実のものとなった。
隻腕の神父マテオと、かつての英雄たちが遺した希望。しかし、街の道場は薬物と暴力に汚染されていました。まずは腹ごしらえ(炊き出し)から、反撃の狼煙を上げます!
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