第052話 激闘:庭園のバトルロイヤル ~魂(ソウル)だけのリング~
翌朝。
ノアの病室のカーテンを開けると、そこには昨日まではなかった「非日常」が広がっていた。
庭の芝生の上に、四本の太い杭が打ち込まれ、太い麻縄で囲われた四角い空間――即席の「リング」が作られていた。
朝日を浴びて、露に濡れたロープがキラキラと輝いている。
「……すごい」
ノアがベッドの上で、弱々しく、けれど嬉しそうに呟く。
窓は開け放たれ、心地よい風と共に、庭の土の匂いが流れ込んでくる。ここが、特等席だ。
庭には、既に選手たちが集結していた。
全員、武器は持っていない。魔力を帯びた装飾品も外している。身に纏っているのは、動きやすい服と、熱い決意だけ。
参加者は、総勢七名。
まずは、ヴィータヴェン家当主にして私の父、ユリス。穏やかな彼は今日ばかりは上着を脱ぎ、意外と引き締まった肉体を晒している。
その隣には、産後の肥立ちもどこへやら、元騎士の血が騒ぐのか道着姿で準備運動をしている母イリーザ。
そして、規格外の巨体を揺らして仁王立ちする「北天の獅子」、祖父マラグ。
氷の微笑を浮かべ、優雅に腕をまくる「鉄の淑女」、オルガ先生。
「ちゃんこ道場」のハチマキを締め、やる気満々のミリア。
静かに闘志を燃やす剣鬼ジン。
そして、最後にリングインしたのは――魔力封じの拘束具をあえて身につけ、己の力を極限まで「人間」レベルに落とした、わたし。
ガチャン、ガチャン。
手足の枷と鎖が重い音を立てる。普段なら羽のように軽い身体が、今は鉛のように重い。
だが、それでいい。この重さこそが、ノアが背負っているものなのだから。
「……よく集まってくれたわね」
わたしはリングの中央で、マイク(魔道具ではなく、ただの筒)を握りしめ、高らかに宣言した。
「ルールは簡単! 武器禁止! 魔力禁止! 魔法禁止! 使えるのは、この五体のみ!」
わたしは鎖のついた拳を突き上げた。
「勝敗なんてどうでもいい! 倒れても、倒れても、何度でも立ち上がること! それだけが、このリングの掟よ!」
参加者たちが「応ッ!」と吼える。
これは試合ではない。魂の儀式だ。
カァン!
リングサイドのアリスがフライパンをオタマで叩く音が、ゴング代わりに響き渡った。
その瞬間、リング上はカオスと化した。
「行くぞレヴィーネ! 父さんの愛を受け止めろ!」
「甘いですわあなた! 私の首狩りのほうが速くてよ!」
父と母が同時に突っ込んでくる。
普段なら指一本であしらえる攻撃だ。だが、今のわたしは魔力を封じられた、ただの少女。
父のタックルが腹に突き刺さり、母のラリアットが首を狩る。
「ぐっ……!」
わたしは派手に吹き飛び、マット代わりの芝生に転がった。
痛い。土の味がする。
これだ。これが「痛み」だ。ノアが毎日耐えている、苦しみのほんの一部だ。
「まだまだぁッ! 北の風はもっと厳しいぞ!」
起き上がる間もなく、祖父マラグが巨体でプレスしてくる。
わたしは歯を食いしばり、その重量を受け止める。骨がきしむ。
「く、うぅぅッ!!」
「隙だらけですね、レヴィーネ様!」
オルガ先生が優雅な足払いでわたしの体勢を崩し、そこへミリアとジンが連携して飛びかかってくる。
手加減なし。全員が本気でわたしを「潰し」にかかっている。
なぜなら、わたしがそう望んだからだ。
圧倒的な強者として君臨するのではなく、泥にまみれ、傷つきながらも、決して心を折らない姿を見せるために。
ドカッ! バシッ! ズドン!
何度も地面に叩きつけられる。ドレスは汚れ、髪は乱れ、口の端から血が流れる。
普通の令嬢なら、とっくに泣き出しているだろう。
だが、わたしは笑った。
「……ハッ、効かないわね!」
わたしは震える膝に力を込め、よろめきながらも立ち上がった。
「見ているでしょう、ノア! ……わたくしは、まだ負けていない!」
窓の方を向き、拳を突き上げる。
そこには、身を乗り出してこちらを見つめるノアの姿があった。
彼の瞳が、燃えている。死にかけた命が、わたしの姿を通して共鳴し、熱を発している。
『立て! 立ってください、姐さん!』
声にならない声が聞こえた気がした。
「ええ、立つわよ! 何度だって!」
わたしは咆哮し、祖父に向かって突進した。
魔力はない。技術も通じない。あるのは、ただ「倒したい」という意志のみ。
「うらぁぁぁッ!!」
渾身の頭突きが、祖父の鋼のような腹筋に突き刺さる。
祖父が「ぐおっ!?」とたじろぐ。
その隙に、わたしは祖父の丸太のような腕を掴み、背負い投げの体勢に入った。
「重い……! でも、背負ってみせる!」
拘束具の重み、祖父の体重。ノアの苦しみに比べれば、この程度の重さ、何でもない。
全身の筋肉を総動員し、限界を超えて踏ん張る。
「――投げッ、っぱなしッ!!!」
ドズゥゥゥン!!!
巨体が宙を舞い、地面を揺らした。
歓声が上がる。アリスがフライパンを連打する。
乱戦は続く。
時間は過ぎ、太陽が高く昇る頃には、全員が立っているのがやっとの状態だった。
父も母も、ミリアもジンも、オルガ先生さえも、肩で息をして倒れ込んでいる。
リングの中央に立っているのは、ボロボロのわたしと、同じく満身創痍の祖父だけ。
「……やるな、レヴィーネ。魔力がなくとも、お前は強い」
祖父がニカッと笑う。前歯が一本欠けているが、気にしてもいない。
「当たり前ですわ。……誰の孫だと思っているのです」
わたしはふらつく足を踏みしめ、最後の構えを取った。
「これで、おしまいよ。……ノア、よく見ていなさい!」
わたしと祖父が同時に走り出し、中央で激突した。
クロスカウンター。
互いの拳が、互いの頬を捉える。
バシンッ!!
視界が明滅する。意識が飛びそうになる。
けれど、わたしは倒れなかった。
祖父が、ゆっくりと膝をつき、大の字に倒れたからだ。
「……カカッ。見事……」
静寂。
庭には、荒い息遣いだけが響いている。
わたしは、よろめきながらコーナーポスト(木の杭)に登り、天に向かって右手を突き上げた。
「――生きろォォォォッ!!!」
勝利の雄叫びではない。
それは、命の賛歌。
どんなに打ちのめされても、どんなに理不尽でも、心臓が動く限り、人は立ち上がれるのだという証明。
窓辺のノアが、泣き笑いのような顔で、ゆっくりと拍手をしていた。
パチ、パチ、パチ……。
その音は小さく、頼りなかったけれど。
わたしにとっては、何万人の大観衆の喝采よりも、尊く、誇らしい音だった。
試合終了のゴングが鳴り響く。
わたしはリングを降り、泥だらけのまま、ノアの元へと歩み寄った。
魂のプロレス、ここに極まれり。言葉ではなく背中で語る、彼女なりの激励でした。
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