第051話 覚悟:最強の鈍器を置く時。悪役令嬢ではなく、ただの『姉』として
ノアが吐血し、倒れてから数日。
屋敷の空気は重く沈んでいた。弟の誕生を祝う祝賀ムードは表面上続いているものの、離れの周辺だけは音を立てないように静まり返っている。
わたしは、ノアの主治医から残酷な宣告を受けていた。
「……『魔力過敏症』の末期症状です」
医師は、苦渋の表情で告げた。
「彼の体は、生まれつき生命力が極端に弱く、それを補うために外部の魔力を過剰に取り込もうとする性質がありました。しかし、今の彼の肉体には、それを受け止める器がありません」
「それは……どういうことですの?」
「強い魔力、高密度の魔導具、あるいは強力な魔法使い……。それらが近くにあるだけで、彼の体は許容量を超えたエネルギーに晒され、内側から崩壊してしまうのです」
医師の言葉が、氷の刃のように突き刺さる。
つまり、わたしが良かれと思って使った最高級ポーションも、アリスの強力な治癒魔法も、彼にとっては劇薬だった。 そして何より――。
「……まさか、わたし自身が?」
「はい。レヴィーネ様。……貴女の魔力は規格外です。そして、貴女が肌身離さず持っているその『鉄塊』……それもまた、恐ろしいほどの魔力を帯びています」
医師は、わたしの足元の影を指差した。 そこには、わたしの相棒『漆黒の玉座』が眠っている。 ドワーフの秘法と、わたしの膨大な魔力を吸い続けてきた、世界最強の魔導武装。
「貴女がそばにいるだけで、彼の命は削られているのです」
「――――ッ」
わたしは息を呑み、後ずさった。
最強の矛。最強の鎧。
理不尽な運命をねじ伏せるために鍛え上げ、手に入れた「力」。
それが今、一番守りたい相手を傷つける「凶器」になっている。
「……でも、昨日は。初めて会った時は、あんなに嬉しそうに……平気そうにしていましたわ」
すがるように問うわたしに、医師は悲痛な面持ちで首を横に振った。
「憧れの存在である貴女に会えたことの喜びで、少しの間は耐えられていたのでしょう……精神の高揚が、一時的に肉体の限界を超えさせていただけなのです。ですが今はもう……それほどに彼の状態は悪いのです」
医師は、静かに、けれど決定的な事実を告げた。
「貴女が側にいようといまいと。医師として情けない限りですが……寿命、そうとしか言えないのです……」
「……なんて、こと」
わたしは震える手で、自身のドレスを掴んだ。
強くなればなるほど、自由になれると思っていた。誰でも守れると思っていた。
けれど現実は、その強さが仇となり、そして強さではどうにもならない「寿命」という壁が立ちはだかる。
こんな皮肉な話があるだろうか。
「……わかりました」
わたしは唇を噛み締め、医師に背を向けた。
「部屋には、入りません。……あの子が苦しむのは、見たくないもの」
◆◆◆
それから、わたしはノアの病室に近づくことをやめた。
代わりに、庭の隅から、窓越しに彼の様子を伺うことしかできなかった。
窓の向こうで、ノアは日に日に痩せ細っていく。
ミリアやアリスが(魔力を極力抑えて)甲斐甲斐しく世話をしているが、その表情は暗い。
わたしは、庭のベンチに座り込み、空を見上げた。
影の中の『玉座』が、主の不在を嘆くように冷たく脈打っている気がする。
「……情けないわね」
独り言が漏れる。
武器がなければ戦えないのか。魔力がなければ何もできないのか。
前世のわたしは、動かない体で、それでも心だけは戦っていたはずなのに。
健康な体を手に入れた今世のわたしは、いつの間にか「力」に依存し、「心」の戦い方を忘れてしまったのではないか。
カツ、カツ、カツ……。
静寂を破り、力強い足音が近づいてきた。
その足音だけで、誰だかわかる。
大地の底から響くような重低音。
「……辛気臭い顔をしておるな、レヴィーネ」
頭上から降ってきたのは、雷鳴のような、けれどどこか温かい声。
見上げれば、そこには巨岩のような男が立っていた。
白い髭、丸太のような腕、全身から放たれる圧倒的な武のオーラ。
「……お祖父様」
北の辺境から駆けつけた、祖父マラグ・ハニマルだった。
弟の誕生祝いに来たはずだが、その目は今のわたしの苦境を見透かしているようだった。
「孫の顔を見に来たが、随分と湿っぽい空気じゃ。……あの坊主のことか?」
祖父はわたしの隣にドカリと腰を下ろした。ベンチが悲鳴を上げる。
「……ええ。わたしには、何もできません。近づくことさえ、彼を傷つけてしまう」
わたしは俯き、弱音を吐いた。
「最強を目指して、誰にも負けない力を手に入れたつもりでした。でも……その力が、あの子を殺す毒になるなんて」
祖父はしばらく無言で髭を撫でていたが、やがて静かに口を開いた。
「レヴィーネよ。……『最強』とは何だ?」
「え?」
「敵を殴り倒すことか? 誰も持ち上げられない重い物を持つことか? 魔力で天候を変えることか?」
祖父は首を横に振った。
「違う。それはただの『現象』だ。……本当の強さとは、『在り方』だ」
祖父の大きな手が、わたしの頭に置かれた。
「武器が使えぬなら、素手で戦え。素手が使えぬなら、心で戦え。……お前が目指した『最強の悪役』とうやらは、力がなければ何もできぬような半端者だったのか?」
ハッとした。
前世の記憶。わたしが憧れたプロレスラーたちは、リングを降りてもスーパースターだった。
怪我で試合ができなくても、マイク一つで観客を沸かせ、病室の子供たちを勇気づけていた。
彼らの武器は、筋肉や技だけではない。「不屈の魂」そのものだったはずだ。
「あの子は今、死という最強の敵と戦っておる。……お前は、あやつと共に戦うと約束したのだろう?」
祖父がニカッと笑い、わたしの背中をバシッと叩いた。
「ならば、最後まで逃げずに傍にいてやれ! 武器など捨てて、魔力など空っぽにして、ただの『レヴィーネ』として、あやつの魂に吼えてやるのじゃ!」
「……ッ!」
視界が開けた気がした。
そうだ。わたしは何を迷っていたんだ。
魔力が邪魔なら、全部吐き出せばいい。武器が毒なら、置いていけばいい。
わたしにはまだ、この身一つがあるじゃないか。
「……ありがとう、お祖父様。目が覚めました」
わたしは立ち上がった。
そして、足元の影に向かって、強く念じた。
(しばらくお別れよ、相棒。……今回は、お留守番していなさい)
わたしは『漆黒の玉座』へのリンクを、意図的に遮断した。
そして、屋敷の宝物庫から「あるもの」を取り寄せた。
かつて「獣の穴」で修行時代につけていた『封魔の首輪』。
それだけではない。手首、足首にも装着する、黒鉄の重厚な枷――『封魔の拘束具』一式だ。
ガチャリ。
首輪をはめる。呼吸が重くなる。
ガチャリ。
手枷をはめる。指先が鉛のように重く、痺れる。
ガチャリ。
足枷をはめる。立っているだけで精一杯の、圧倒的な倦怠感。
魔力回路が強制的に閉ざされ、身体強化が霧散する。
今のわたしは、ただの重い肉体を持った、無力な少女だ。
「……重いわね」
わたしは壁に手をつき、荒い息を吐いた。
一歩踏み出すだけで、脂汗が出る。
「でも……これがあの子の感じている『日常』なのよね」
わたしは顔を上げた。
体が重い。風が冷たい。
けれど、心は軽い。
「行ってきます」
わたしは祖父に一礼し、ノアの病室へと向かって歩き出した。
鎖の音を響かせながら。かつてないほど無防備で、そして誰よりも強い足取りで。
◆◆◆
病室の扉を開ける。
ベッドの上で、ノアが浅い呼吸を繰り返していた。
その顔は白く、死相が漂っている。
「……姐、さん……?」
わたしが入ると、ノアが薄く目を開けた。
わたしはベッドの脇に椅子(普通の木製椅子だ)を引き寄せ、重い体を沈めるように腰掛けた。
「遅くなってごめんなさいね。……少し、着替えに手間取っていたの」
わたしはノアの手を握った。
魔力を完全に消したわたしの手は、以前よりも温かく感じられたのか、ノアが安堵したように息を吐く。
「その、恰好……」
「ちょっと不格好、かしらね?……でも、これで対等に話せるわ」
わたしは枷を見せびらかすように笑った。
「ふふっ……でも……僕、もう、ダメみたいです」
ノアが掠れた声で言う。
「悔しいな……。もっと、生きたかった。姐さんみたいに、強くなりたかった……」
その目から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
わたしは彼の手を両手で包み込み、真っ直ぐに見つめ返した。
「まだ終わっていないわ。……終わりの鐘は、まだ鳴っていない」
「え……?」
「見せてあげるわ、ノア。……貴方が憧れた『悪役』の、一番の見せ場を」
わたしはニヤリと笑った。
それは、彼を励ますための優しい嘘ではない。
これから始まる、一世一代の興行への招待状だ。
「明日の朝、窓の外を見ていなさい。……特等席を用意させるわ」
「……何を、するんですか?」
「決まっているでしょう? ――『バトルロイヤル』よ」
わたしは宣言した。
武器も魔法も使わない。小細工なしの、魂と魂のぶつかり合い。
この消えゆく命の灯火に、最後の燃料をくべるための、熱狂のステージ。
「ヴィータヴェン家総出で、あなたのために戦ってあげる。……目に焼き付けなさい。これが、『生きる』ということよ」
ノアの瞳に、最期の、そして一番強い光が宿った。
「……はいッ! 見ます! 絶対に……!」
約束は交わされた。
さあ、忙しくなるわよ。
リングの設営、選手の招集、そして何より――わたし自身の、魂の仕上げ。
待っていなさい、死神。
アンタがこの子を連れて行く前に、一生忘れられない『名勝負』を見せつけてやるわ。
力を捨て、ただの人間として寄り添う決意。強さの定義を見つめ直す重要な回です。
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