第050話 敗北:特製ちゃんこもスクワットも、死神には届かないのか?
ノアと魂の「兄弟」の契約を交わした翌日。
わたしの――いいえ、わたしたちチーム・レヴィーネによる、全力のサポートが始まった。
場所は、ノアの療養所である離れの庭。
そこには今、香ばしい味噌と出汁の香りが充満している。
「さあ、出来ましたよ! 離れ特設リング、最初の補給物資! 特製『ヴィータヴェン風・滋養強壮ちゃんこ(消化ケアver.)』です!」
割烹着姿のミリアが、土鍋の蓋を開ける。
もわっと立ち上る湯気。中には、消化に良い鶏団子、くたくたに煮込まれた根菜、そしてたっぷりの豆腐。
ラノリア王国で数多の虚弱な男たちをマッチョに変え、帝都の親衛隊たちの心を救ってきた、実績ある「魔法のスープ」の改良版だ。
「すごい……。いい匂いです、姐さん、ミリアさん」
車椅子のノアが、目を輝かせる。
その横では、アリスが心配そうに、しかし励ますように微笑んでいる。
「ノア君、無理しないでね。でも、これを食べればきっと体力がつくよ」
「ええ。まずは『食う』ことよ、ノア」
わたしは熱々のスープを椀によそい、彼の前に置いた。
「人間、腹にモノが入らなきゃ戦えないわ。胃袋を動かし、血を巡らせ、細胞の一つ一つに燃料をくべるの。……さあ、食べなさい」
わたしの理論は完璧だった。
これまでの経験がそう告げている。「食べる」ことは「生きる」ことへの渇望。それを呼び覚ませば、体は必ず応えてくれるはずだと。
「……はいッ! いただきます!」
ノアは震える手でスプーンを持ち、スープを口に運んだ。
一口。二口。
その顔に、パァッと赤みが差す。
「……おいしい。すごく、温かいです……」
「でしょう? ミリアの腕は確かなのよ。全部平らげたら、次は軽めのスクワットよ。筋肉がつけば体温が上がって免疫力も――」
わたしが明るく言いかけた、その時だった。
カランッ。
ノアの手からスプーンが滑り落ちた。
彼の顔色が、一瞬にして土気色に変わる。
「う、っ……ぷ、ぅ……ッ!!」
ノアは口元を押さえ、苦しげに身をよじった。
そして、堪えきれずに、食べたばかりのものを全て吐き戻してしまった。
吐瀉物には鮮血が混じっている。
「ノア!?」
「ノア君!?」
わたしとアリスが駆け寄る。
ノアは呼吸を荒げ、脂汗を流しながら、必死に謝罪の言葉を紡ごうとする。
「ご、ごめんなさい……せっかく、作ってくれたのに……ごめんなさい、姐さん……」
「喋らなくていいわ! アリス、治癒魔法を!」
「や、やってる! でも……魔力の通りが悪いよ!?」
アリスの手から光が溢れるが、ノアの苦悶の表情は消えない。むしろ、魔法の光を受けるたびに、苦しそうに顔を歪める。
そこへ、屋敷の主治医が血相を変えて走ってきた。
「何を食べさせたのですか!?」
医師はわたしを一喝し、ノアの脈を取った。
「……消化不良を起こしています。彼の内臓は、もう固形物を受け付けて栄養に変える力すら残っていないのです! 今の彼には、食事という行為そのものが『毒』になりかねない!」
「な……」
わたしは言葉を失った。
栄養が、毒?
食べれば元気になるはずの食事が、生きるための行為が、彼を苦しめた?
「……安静にさせてください。これ以上の負荷は、寿命を縮めるだけです」
医師に連れられ、ノアはベッドへと運ばれていった。
去り際、彼は申し訳なさそうに、けれど必死にわたしに手を振った。
その姿が、胸に突き刺さる。
残されたのは、冷めかけた鍋と、私たちだけ。
「……そんな。私のちゃんこが……」
ミリアが鍋のふちを掴み、悔しそうに俯く。
「……ごめんね、レヴィちゃん。私の回復魔法も、なんだか弾かれちゃって。……彼の体、魔力への抵抗力も極端に落ちてるみたい」
アリスが沈痛な面持ちで告げる。
物理も、魔法も、通じない。
わたしは拳を握りしめた。爪が食い込む。
「……まだよ。食事ダメなら、他の方法で――」
言いかけて、わたしは口をつぐんだ。
食事すら受け付けない体で、運動などできるはずがない。エネルギーがないのにエンジンを回せば、焼き付いて壊れるだけだ。
その時、庭の向こうから楽しげな声が聞こえてきた。
「兄さん! 見て、走れるよ! こんなに走れる!」
「ああ、すごいぞ! でも転ぶなよ!」
芝生の上を駆け回っているのは、ジンと一緒にこの地へ静養に来ていた、彼の妹だ。
彼女もまた不治の病とされていたが、わたしが渡した最高級ポーションと、その後の適切な食事療法(ちゃんこ含む)によって、劇的に回復していた。
頬は薔薇色に輝き、その足取りは軽い。
まさに、わたしの「成功例」だ。
ジンがこちらに気づき、会釈をしてくる。妹も、満面の笑みで手を振ってくれた。
わたしは、引きつった笑顔で手を振り返すことしかできなかった。
(……どうして?)
同じ病弱な子供。同じように手を尽くした。
なのに、片方は光の中を走り回り、片方は吐瀉物にまみれてベッドに横たわっている。
これが、「寿命」の差なのか。
ポーションやちゃんこで埋められるのは「体調」の溝であって、あらかじめ定められた「運命」の溝ではないということなのか。
その夜。わたしは自室で、一人『漆黒の玉座』を磨いていた。
黒鋼の冷たい感触。
こいつがあれば、どんな敵も倒せた。どんな壁も壊せた。
魔王級の魔物も、腐った貴族も、世界の管理者さえも、物理でねじ伏せてきた。
けれど。
「……殴れない」
わたしはクロスを握りしめ、玉座の座面に額を押し付けた。
敵がいない。
ノアを苦しめているのは、誰かの悪意でも、システムでもない。
ただ、彼自身の生命力が尽きかけているという、自然の摂理。
殴る相手がいなければ、この最強の鈍器はただの鉄屑だ。
前世のわたしが一番恐れていた「どうしようもない手詰まり」が、今世の最強の肉体を持ったわたしを、再び嘲笑うように包囲していた。
「……クソッ」
絞り出した声は、誰にも届くことなく夜の闇に消えた。
タッグを組んだばかりだというのに、わたしはパートナーとして、彼に何一つしてあげられていない。
物理も栄養も通じない壁。最強の彼女が初めて直面する「無力感」です。
ここからの再起にご期待いただける方は、評価をお願いいたします。




