第048話 【新章・帰郷編】懐かしの我が家! でも、弟分の少年に「死の影」が忍び寄っていて……
帝都を出立したヴィータヴェン家の馬車は、街道を弾丸のように爆走していた。
最高級の軍馬を交代させながら、不眠不休で駆け抜けること数日。
「見えてきましたわ! 領都の城壁です!」
御者台の隣に座っていたミリアが叫ぶ。
わたしは窓から身を乗り出した。懐かしい故郷の景色。だが、今は感傷に浸っている場合ではない。
「止まらずに突っ切るわよ! 屋敷まで最短ルートで!」
門番たちが「領主様の馬車だ!」「速すぎるぞ!?」と慌てて道を開ける中、馬車は土煙を上げて屋敷の正門へ滑り込んだ。
キキィッ!!
車輪が悲鳴を上げ、馬車が停止する。
わたしは扉を蹴り開け、飛び出した。
「お父様! お母様は!?」
玄関ホールには、蒼白な顔をした父ユリスと、お湯やタオルを持って走り回る使用人たちの姿があった。
父はわたしを見ると、縋り付くように駆け寄ってきた。
「レヴィーネ! よく戻ってくれた……! イリーザが、難産で……体力が持たないかもしれないと……!」
「大丈夫ですわ。……最高の『特効薬』を連れてきましたもの」
わたしは馬車の後ろを指差した。
そこから、旅の疲れも見せず、真剣な表情のアリスが飛び降りてきた。
「ユリス様! 状況は伺っています! すぐに寝室へ!」
アリスは父の返事も待たずに階段を駆け上がる。わたしとミリアも後に続いた。
寝室に入ると、そこには汗だくで呼吸を荒げる母イリーザと、必死に励ます乳母マールの姿があった。
母の顔色は紙のように白く、魔力の乱れを感じる。高齢出産に加え、母体の生命力が胎児に吸い取られすぎているのだ。
「……レヴィ……? 帰って、きたの……?」
「はい、お母様。……もう大丈夫よ。ご安心ください」
わたしは母の手を握り、アリスに目配せした。
「……『聖女』の力、頼りにしているわよ」
「任せて!」
アリスが両手をかざす。
部屋中が、暖かく、柔らかい光に包まれた。
それは、傷を塞ぐだけの単純な治癒魔法ではない。母体の生命力を底上げし、母と子の魔力循環を最適化する、最高位の光魔法「聖母の慈愛」。
「……あぁ……。痛みが、引いていく……」
母の呼吸が整い、頬に赤みが戻る。
「今です、奥様! いきんでください!」
マールの声に合わせて、母が最後の力を振り絞る。
そして――。
オギャアアアアアアアアッ!!!
元気な、あまりにも元気な産声が、屋敷中に響き渡った。
それは、死の予感を吹き飛ばす、圧倒的な「生」のファンファーレ。
「う、生まれました……! 元気な、元気なお坊ちゃまです!」
マールが涙声で叫び、赤ん坊を取り上げる。
父ユリスが、膝から崩れ落ちて男泣きした。
「よかった……! 本当によかった……! イリーザ、ありがとう……!」
わたしは、大きく息を吐き出し、壁に寄りかかった。
……勝った。
理不尽な別れというバッドエンドを、ギリギリでねじ伏せたのだ。
◆◆◆
数時間後。
屋敷は、先程までの緊迫感が嘘のような祝賀ムードに包まれていた。
領民たちからは祝いの酒や食材が届けられ、使用人たちは嬉しそうに走り回っている。
そんな中、客間では賑やかな「宴」が始まっていた。
「いやあ、めでたい! 実にめでたい! さあアリス殿、どんどん食べてくだされ!」
「もぐもぐ……美味しい! これが噂の『ヴィータヴェン牛』のローストビーフ……!」
上座で酒を煽っているのは、ミリアの父であるコーンフィールド男爵だ。ショーユとミソの商談とわたしの帰郷に合わせて、ちゃっかり挨拶に来ていたらしい。
アリスは山盛りの料理を前に、幸せそうに頬を緩ませている。大仕事を終えた後の飯は格別だろう。
そして、もう一組。
帝都とは別の馬車で、少し遅れて到着していた客人たちがいた。
「……賑やかだな。いい家だ」
「うん。赤ちゃん、可愛いね」
窓辺で微笑んでいるのは、剣鬼ジンと、その妹だ。
妹の顔色は、以前見た時よりもずっと良くなっていた。最高級ポーションと、ジンによる献身的な看病(と、ちゃんこ)のおかげだろう。
二人は、静養と警備を兼ねて、しばらくこの屋敷の離れに滞在することになっている。
「ジン。妹さんの具合はどう?」
わたしが声をかけると、ジンは背筋を伸ばして一礼した。
「おかげさまで。……姐さん、改めて礼を言う。この恩は、剣で返す」
「堅苦しいのは抜きよ。ゆっくりしていきなさい」
わたしは彼らの肩を叩き、赤ん坊――弟の眠る揺り籠へと向かった。
そこには、父と母、そしてミリアたちが集まって、幸せそうに覗き込んでいる。
「見てくださいレヴィーネ様! この太ももの張り! 将来有望な『ちゃんこ筋』の素質がありますよ!」
「ミリア、赤ん坊を食材みたいに評価するのはやめなさい」
わたしは苦笑しつつ、弟の顔を覗き込んだ。
小さく、赤い顔。無防備に握られた拳。
……可愛い。
理屈抜きに、守りたいと思わせる「弱さ」と「可能性」の塊。
わたしは、そっとその柔らかな頬をつついた。
「……よく来たわね。この家は、少し騒がしいけれど……退屈はさせないわよ」
弟が、むず痒そうに身じろぎし、ふあぁと欠伸をする。
その無垢な姿を見ていると、帝都での戦いや、政治的な駆け引きが、遠い世界の出来事のように思えてくる。
(この子のために、わたしは家を出る。……うん、悪くない選択だわ)
そう、一人で納得していた時だった。
「……あ」
ふと、視線を感じた。
部屋の中ではない。開け放たれたテラスの窓の向こう。
手入れされた庭園の奥、木々の隙間から見える「離れ」の窓辺。
そこに、一人の人影があった。
遠くて表情までは見えない。けれど、車椅子に座った小さな影が、じっとこちらを見つめているのがわかった。
「……?」
わたしが目を凝らすと、影は慌てたようにカーテンを閉め、姿を消してしまった。
「どうしたんだい、レヴィーネ?」
父が不思議そうに尋ねる。
「……いいえ。あそこの離れには、誰か住んでいるのですか?」
わたしの問いに、父の表情が少しだけ曇った。
「ああ……。遠縁の子だよ。少し体が弱くてね、空気の綺麗なこの地で預かっているんだ。……静かな子だよ」
父の言葉の端々に、言い淀むような重さが混じる。
単なる病弱ではない。もっと深刻な何かを含んだ響き。
わたしは、閉ざされたカーテンを見つめた。
光に満ちたこの屋敷の中で、そこだけがぽつんと切り離された「影」のように見えた。
(……気になるわね)
祝宴の喧騒の裏で、わたしの試合会場の全てを掌握する「悪役」としての勘が、微かに警鐘を鳴らしていた。
あそこには、わたしが見過ごしてはいけない「何か」がある。
最強の悪役令嬢の休息は、どうやら長くは続かないらしい。
新たな出会いの予感を胸に、わたしはグラスを傾けた。
家族の危機に間に合いました。新しい命の誕生と、幸せな宴の様子です。
家族愛に癒やされた方は、ぜひ評価ポイントをお願いいたします。




