第30話学食が草と水だったので、魔獣肉を焼いて餌付けと屈伸を始めます。
食堂での一幕の効果は劇的だった。
最初にステーキを食べた彼からは完全に黒いモヤが消え失せた。今も元気に鍛錬に励んでいる。
同じように、肉を食らい、鍛錬に励む生徒たちからは、洗脳の証である黒いモヤが霧散し、代わりに瞳の中に精悍な光が宿り始めたのだ。
だが、ここで致命的な問題が発生した。
――このままでは肉が、足りなくなる。
さすがに食堂をステーキハウスにして占拠し続けるわけにもいかず、今では活動拠点としている旧校舎の裏庭に場所を移したものの、噂を聞きつけた男子生徒たちが日増しに増えている。
彼ら全員に、毎日ステーキや焼肉を振る舞うには、わたしが「暗闇の間」に蓄えていた肉だけでは限界があった。それに、脂と肉の精気だけでは栄養バランスも偏る。
夕暮れの裏庭。わたしは腕を組み、沈みゆく太陽を見つめていた。
(……このままでは、兵站が尽きるわね)
特製スパイスはともかく、魔獣肉には限りがある。
魔獣狩りにでも行きたいところだが、さすがに他国で自由狩猟というわけにもいかないし、なるべくこの拠点を離れたくない。
彼らは今、筋肉という名の自我を取り戻しかけているのだ。ここで経過観察を怠れば、また洗脳に飲み込まれてしまうかもしれない。
劇薬レベルの魔獣肉ステーキとまではいかずとも、魂と筋肉に強く働きかける『食事』が必要なのだ。
どうすればいい?
安価で、大量で、栄養満点で、しかも士気を高める食事。
そんな都合の良いものが、この世にあるのだろうか?
――風が吹いた。
ふと、前世の記憶が脳裏によみがえった。
何度も繰り返し観た映像。
血と汗と涙の染み込んだ道場。湯気の向こうに見える、屈強な男たちの笑顔。
大事なことは、いつだってプロレスが教えてくれたじゃないか。
そうだ。
大人数でも一度に食べられて。
肉も野菜もたっぷり摂れて。
一つの鍋を囲むことで、チームの結束力まで高められる魔法の料理。
頭の中に、どこか懐かしい、軽やかなBGMが流れた気がした。
(――そうだ、ちゃんこ、作ろう)
◆◆◆
ちゃんこの具材を求めて、わたし達は王都ルミナリスの市街地へと繰り出した。
メインストリートは、白亜の石畳が敷き詰められ、整然として美しい。
だが、わたしは歩き始めて5分で、不機嫌そうに鉄扇で肩を叩いた。
「……なんなのよ、この街は。死んでいるわ」
「えっ? 人は結構歩いていますけど……」
ギルベルトが巡礼者の列を見ながら首をかしげる。
「活気の話よ!」
わたしは通りに立ち並ぶ店を指差した。
どこの店も、看板は地味で、商品は埃を被り、店主はやる気なさそうに欠伸をしている。とにかく活気がない。
唯一、立派な店構えをして客が入っているのは、魔法薬や魔石を扱う店だけだ。
「帝都の、あの着飾った砂糖細工のような、胃もたれしそうな煌びやかな文化もどうかと思ったけれど……。この街の、枯れ木のようなやる気のなさも、大概ね」
わたしは呆れ果てた。
ラノリア大聖堂は、大陸中から巡礼者が訪れる聖地だ。
そして大聖堂につながるこのショッピングストリートは、申し訳程度のやる気で作られた「巡礼者のため」のものなのだろう。
だというのに、観光客向けの店が一つもない。
ついでに精肉店もなければ、青果店にも求めるレベルのものがない。買い物に行くとだけを伝えて、ギルに案内を任せたのが間違いだった。あとでしばく。
――それにしても。
「普通、こういう場所には『参道ビジネス』というものが自然発生するものでしょう?」
「参道……ビジネス?」
「ええ! たとえば、『元祖・聖都まんじゅう』とか! 『本家・聖都せんべい』とか! 『聖都クッキー本舗』とか! 『銘菓・聖都の月』とか!!」
わたしは存在しない土産物の名前を列挙した。
薄皮の中にたっぷりの餡が詰まった饅頭。パリッと焼けた香ばしい煎餅。カスタードクリームが詰まったふわふわのスポンジケーキ。
それらが山積みになり、売り子の威勢のいい声が飛び交う――それが、わたしの知る「聖地」の姿だ。
「なんで無いのよ!? 巡礼に来た田舎のおばあちゃんが、孫のために買うお土産はどこ!?」
「あ、あの……姐さん。この国では、清貧こそが美徳とされていて……。食事や娯楽にお金をかけるのは、あまり推奨されていないんです」
ギルベルトが申し訳なさそうに説明する。
「それに、巡礼者は教団に多額の寄進をしますから、お土産を買う余裕なんて……」
「教団が吸い上げているだけじゃないの!」
わたしは憤慨した。
民衆から楽しみを奪い、金と魔力を搾取して、自分たちは裏では洗脳魔法という非人道的な実験をしている。
改めて、ろくでもない国だ。
「食文化が発展しないわけだわ。食べる喜びも、買う楽しみも、全部『魔力』という物差しの下で窒息している」
わたしは無駄に上品に見える虚無パンが申し訳程度に並んだショーウィンドウを睨みつけた。
「これ以上ここにいても無駄ね。来る場所を間違えたわ」
わたしは無駄に腹を立てて踵を返した。
「ミリア、地元住民が使うような市場は調べてある?」
「はい! 港の方は肉体労働者が多いので、そこそこの市場があります!」
「探すわよ! この食文化が死んだ街に埋もれている、まだ死に絶えていない『旨味』の種を!」
◆◆◆
「いいこと、ギル。ちゃんこの命は『出汁』よ。ただお湯で煮るだけじゃ、野菜の青臭さが勝ってしまうし、なにより美味しくないわ」
わたしは目を皿のようにして、露店を巡っていた。
狙うは、この世界の食文化では見過ごされがちな「旨味」の源泉だ。
「姐さん、出汁って……肉の煮汁のことですか?」
「甘いわ! もっと深淵なる、海の恵みよ!」
わたしは海産物を扱うエリアへ突撃した。
ラノリアは海に面している。どこかにあるはずだ。アレとアレが。
「……見つけたわ!」
わたしが掴み上げたのは、木箱の隅に追いやられていた、硬く乾燥した魚と、同じく乾燥した黒っぽい海藻だった。
二つを握ったわたしは鼻へと近づけて確認する。――勝った。十分に使える。
「おいおい嬢ちゃん、そりゃ売り物にならねえよ。日干しにしすぎて固くなっちまった魚と、ただの海草だ」
店主が呆れたように言う。この国では、これらは「クズ」扱いらしい。
「これを全部いただくわ! 言い値でいいわよ!」
「へ? ま、まあいいけどよ……」
わたしは勝利の笑みを浮かべた。
煮干しモドキと、おそらくは昆布のような海藻。
これさえあれば、黄金のスープが作れる!
「さすがです、レヴィーネ様! まさか捨て値同然の乾物に目をつけられるとは!」
ミリアが感心したように拍手する。
「ええ。でも、まだ足りないわ。味のベースとなる塩気とコクが……」
塩だけでは味が尖る。わたしの特製スパイスでもダメだ。
もっとこう、奥深い発酵の力が欲しい。
わたしが唸っていると、ミリアがおずおずと手を挙げた。
「あ、あの……味付けでしたら、心当たりがあります」
ミリアは自分のリュックをゴソゴソと漁り、黒い液体の入った瓶と、茶色のペーストが入った壺を取り出した。あの、どこか懐かしい匂いが強く香った。
「……あら? それは?」
「はい! 実家で作っている『ショーユ』と『ミソ』です。母が昔、東の果ての島国から流れてきた旅人から製法を教わったそうで……」
ミリアは瓶の蓋を開けた。
ふわりと漂う、芳醇で香ばしい香り。
それは間違いなく、わたしの魂に刻まれた「故郷」の香りだった。
「領地の豆や麦を使って特産品にしようと父が頑張ったのですが、風味が独特すぎて全く売れず、在庫の山でして……。もったいないので、留学のついでに売り歩こうと思って大量に持ってきたんです」
(……ビンゴ! まさかこんな所に供給源があったなんて!)
わたしは内心でガッツポーズをした。
神よ、見たか。これが「ご都合主義」ではない、執念の引き寄せだ!
「素晴らしいわミリア! その独特な風味こそが、疲れた筋肉を癒やし、魂を奮い立たせる秘薬になるのよ! これをベースにスープを作るわ!」
「ええっ!? これでですか!?」
「今ある分はわたしが全部買い取るわ! それからご実家に連絡を! わたしも父にかけあって船を出してもらうわ!」
輸送の問題はこの際財力で解決させてもらう。貴族の力なんてこんなときくらいしか使いようがないのだから。
それにこの世界で味噌と醤油が手に入るとわかった以上、前世日本人としては是非抑えておきたい。
「えっ、その、なんか、大事になっていませんか? うちとレヴィーネ様のご実家でお取引なんて……」
「そんな細かいことはいいのよ! この作戦の成否はショーユとミソにかかっていると言っても過言ではないのよ! 時間が惜しいわ! 急いで!」
「は、はいッ!!」
出汁と、醤油&味噌。
最強の布陣が揃った。
「さあ帰るわよ、野郎ども! 今夜はパーティーよ!」
こうして、ラノリア王国の片隅で、歴史的な食文化革命――「ちゃんこ鍋」の産声が上がろうとしていた。
戦うためには兵站(食事)が必要です。異世界ちゃんこ、ここに爆誕。次回、道場開きです。
このトンデモ展開を許容してくださる寛大な読者様は、下部の【★★★★★】にて評価をお願いいたします。




