第025話 落ちこぼれ王子を拾いました。今日から貴方は私の舎弟。
ギルベルト王子を舎弟にして数日。
早朝の旧校舎裏庭で、わたしはギルベルトの基礎トレーニングを監督していた。
「ほら、腰が高いわよ! 屈伸はもっと深く! 勢いだけでやらない!」
「は、はいッ! ……うぐぐ、もう足が……」
生まれたての子鹿のようにプルプルと震えるギルベルト。
まだ基礎体力が足りない。これでは「漆黒の玉座」のメンテナンス(磨き上げ)を任せることすらできないわね。
その時だった。
背後の茂みから、ガサリと音がした。
「……誰?」
わたしは瞬時に鉄扇を抜き、殺気を飛ばした。
教団の監視者か? それともアリスの取り巻きか?
「ひゃうっ!?」
茂みから飛び出してきたのは、小柄な人影だった。
見覚えのある栗色の髪と、小動物のような瞳。そして、その背中には……異様に巨大なリュックサックを背負っている。
「……ミリア?」
わたしは目を疑った。
そこにいたのは、帝国の貴族院で「レヴィーネ様親衛隊」を率いていたはずの、ミリア・コーンフィールド男爵令嬢だったのだから。
「レ、レヴィーネ様ぁぁぁッ!!」
ミリアは感極まった声を上げ、猛ダッシュでわたしに抱きつこうとした。
わたしはそれを鉄扇で額を押さえて止める。
「ちょっと待ちなさい。なぜあなたがここにいるの? 貴族院はどうしたの?」
「えへへ……。レヴィーネ様がいない学園なんて、茶葉の入っていない紅茶のようなものですから!」
ミリアは鼻息荒く言い放った。
「いてもたってもいられず、休学届を出して追いかけてきちゃいました! よいしょっと」
ミリアは巨大なリュックを下ろしながら事もなげに言う。
ズシン、と岩を落としたような音を立てて降ろされたリュックからは、どこか懐かしい匂いがした。
「追いかけてきたって……あなた単位は……いえ、それより国境はどうしたのよ? 海を渡るのよ?」
帝国とラノリアを結ぶ航路には「魔の海域」がある。正規の交易船でさえ護衛が必要なのだ。
「貴族院の単位は全部取得済みです! それと海は貨物船の中に隠れて密航……あ、いえ、『非正規留学』してきました!!」
「……たくましいわね、あなた」
わたしは呆れると同時に、感心した。
魔力も腕力も乏しい彼女が、単身海を渡るなど正気の沙汰ではない。それを可能にしたのは、純粋すぎる信仰心か。
その一点だけを評価すると、ひょっとしたら彼女はかなりの「怪物」なのかもしれない。
「あ、あの……姐さん。この方は?」
ポカンとしていたギルベルトが尋ねる。
ミリアの目が光った。
「姐さん……? あなた、新入りですね?」
ミリアはギルベルトに歩み寄り、ジロジロと値踏みするように観察した。
その態度は、さっきまでの忠犬のようなものとは一変し、古参信者としての貫禄に満ちている。
「あ、ああ。ラノリア王国第三王子のギルベルトだ」
ギルベルトが屈伸しながら応えた。
「王子殿下? ……ふうん。まぁ、身分なんて関係ありません。ここではレヴィーネ様への忠誠度と、筋繊維の太さが全てですからね」
ミリアはリュックからジャージを取り出すと旅装の上から羽織り、堂々と言い放った。ジャージには「親衛隊長」と刺繍がされている。
「私はミリア。あなたの『姉弟子』にあたります。……その屈伸、型が甘いですよ? 膝がつま先より前に出ています!」
「えっ、あ、ああ。そうだな」
「レヴィーネ様の美学を体現するには、指先一つの角度までこだわらなくてはなりません……ほら、こう!」
ミリアが手本を見せる。
得体の知れない重そうな荷物を背負っての長旅直後だというのに、そのフォームは深く、美しく、そして一切のブレがない。いつの間にか随分鍛えこんだようだ。
帝都でわたしの行く先々に現れ、これみよがしにトレーニングをしながらチラチラ見てくるのを見かねて、何度かアドバイスをしたのが功を奏したらしい。
「す、すごい……! なんてリズミカルでしなやかなんだ……!!」
ギルベルトが戦慄する。
わたしはフッと笑った。
使える手駒が増えた。それも、わたしの流儀を熟知している、最高の即戦力が。
「いいでしょう、ミリア。その根性に免じて、随伴を許可します」
「本当ですか!? やったぁ!」
「ただし! ギルの指導係と、身の回りの世話、マネージャー業務、そして……現地の情報収集。こき使うわよ?」
「望むところです! 一生ついていきます、レヴィーネ様!!」
海外遠征先の裏庭で鍛錬をしていたら、舎弟が二人生えたのだった。
◆◆◆
翌朝、というか深夜過ぎ。当然まだ暗い旧校舎の裏庭に、わたしとギルベルト、そして改めて弟子となったミリアの姿があった。
「強くなりたいと言いましたわね、ギル。そしてミリア」
わたしは不敵な笑みを浮かべ、懐から手製のカードの束を取り出した。
「はい! 魔法に頼らず、己の肉体だけで運命を切り拓く……姐さんのような強さが欲しいんです!」
「わ、私も……お荷物にはなりません!」
「結構。では、始めましょうか。……『獣の穴』直伝、地獄の基礎強化プログラムを」
わたしはカードの定義を説明した。
四種類のシンボルと1から13までの数字が描かれたカードを使い、出たシンボルによって、屈伸、腕立て、腹筋、跳躍の種目をそれぞれ繰り返す。数字は回数、11から13までの絵札は問答無用で20回。
「そして、ジョーカーが出たら……校舎周回ダッシュ、全力で一本よ」
わたしが指差した先には、カードの山(53枚)と、分厚いカードのタワー(10デッキ分530枚、こちらはわたしの分だ)が積まれていた。
「ルールは簡単。『山札が無くなるまで終わらない』。……さあ、引きなさい!」
◆◆◆
「ハァッ……ハァッ……! も、もう無理……足が……!」
開始から一時間。ギルベルトは汗まみれになって地面に這いつくばっていた。
屈伸20回を引き当て、生まれたての子鹿のように足を震わせている。
だが、その横で。
ミリアは、涼しい顔で同じメニューをこなしていた。しかも、その背中にはなぜか人一人分以上はありそうな、持参したリュックを背負って。
相変わらずリュックからはどこか懐かしい匂いがする。何が入っているのよそれ。
「……はぁ、はぁ! な、なぜだ……! なぜ君は、そんなに平気なんだ……!?」
ギルベルトが汗だくで問う。
ミリアは不思議そうに小首をかしげた。
「え? だって殿下。これくらいの荷物、収穫時期の『麦運び』に比べれば軽いものではありませんか?」
「……む、麦?」
「はい! 私の実家は貧乏男爵家ですので、農業は家族総出で行います。夜明け前から畑を耕し、井戸から水を汲み、肥料を背負って山を登る……。それに比べれば、ただその場で屈伸するだけなんて、休憩みたいなものです!」
ミリアの笑顔が、ギルベルトのプライドを粉砕する。
「休憩みたいなもの」。その言葉が、王子の胸に深々と突き刺さった。
「そ、そうか……。僕は、農家の娘さんよりもひ弱だったのか……」
ガックリと膝をつく王子。
既に全てのメニューを終えたわたしは。木陰で紅茶を飲みながら、その様子を眺めていた。
「項垂れている暇はないわよ、ギル! 彼女を見習いなさい! ミリアにあるのは『生活筋』という基礎よ! ただ重量を挙げて作った筋肉とは『芯』が違うの!」
「は、はいッ! 姐さん! ……でも、ミリアさん、ちょっとペース速すぎませんか!?」
「あら? すみません。殿下の動きがあまりに……その、スローモーションのように優雅だったので、つい先に進んでしまいました」
悪気はない。ただ純粋に、「なんでこんな簡単なことができないんだろう?」と思っているだけの、天然の毒舌。それが一番、効く。
「くそぉぉぉッ! 負けてたまるかぁぁッ!!」
ギルベルトが涙目で屈伸を再開する。
その後も
・街路に等間隔で立っている魔導灯の区間を、ダッシュ・しゃがみ歩き・肩車走・手押し車でランダムに走るロードワーク(ギルは23回も足を攣った)。
・逆さ吊り状態で下に据えられた水桶からティーカップで水をすくっては上に据えた桶に流し入れる水汲み腹筋(ギルは逆さ吊りで溺れるという器用なことをして見せた)。
極めつけは線香を尻の下に焚いての馬歩と、地獄のメニューは続く。
「ぐ、うぅぅ……! お尻が、お尻が炙られるぅッ!」
「腰を下げすぎれば火傷するわよ。でも、上げすぎればわたしの鉄扇が飛んでくるわ。……耐えなさい!」
わたしも身体強化を使わず、馬歩の姿勢で『漆黒の玉座』を胸から背中へ、背中から胸へとリズミカルに回す鍛錬をしつつ檄を飛ばす。
極限状態の中で、ギルベルトの瞳から甘えの色が消えていく。
彼は「王族」という殻を脱ぎ捨て、一人の「求道者」へと変貌しつつあった。
一方でミリアは「弟たちを肩車したことを思い出しますね! みんな元気かなー」「水汲みは得意なんです!」などと言いながら、汗は流しつつも割と余裕がありそうだ。今も正面に伸ばした両腕と頭の上にティーカップを乗せて馬歩をこなしている。
「お尻が温かくて、冷えに効きそうです!」
……農家の娘ってなんなのかしらね。
そんなミリアに煽られて、ギルも限界の向こう側へと魂を燃やす。存外、この二人は相性がいいのかもしれない。鍛錬は競い合う方がより高みに至れるものだ。
「……いい目になってきたじゃない」
かつてのわたしも、そうやって血反吐を吐きながら強くなった。
映画の中のジャッ○ーも、ロッ○ーも、そしてア○ラ兄さんも。
すべての強者は、この地獄を楽園に変えて登ってきたのだ。
「さあ、ラストセットよ! 声を出して!!」
「はいッ!」
朝日が差し込み始めた校庭に、熱い師弟の咆哮がこだました。




