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第204話 外伝・ソレンの姪っ子溺愛日記① 現場監督は11歳。姪っ子の写真は命より重い。

 ガガガガガッ! と、腹の底、あるいは魂の芯まで響くような振動が「黒鋼大回廊」の最前線に轟いている。


 魔導掘削機(ドリル)が神代の岩盤を削り、火花を散らす音。それは、僕――ソレン・ヴィータヴェンにとって、どんな優雅な宮廷音楽よりも心地よい子守歌だ。


 噴き出す魔導蒸気の白煙と、焦げ付いた鉄の匂い。


 僕はその中心で、巨大な設計図を広げていた。


 数え年で十一歳。


 ガルディア帝国の本国であれば、まだ学園の門を叩いたばかりの、親の庇護下で蝶よ花よと育てられる年齢だろう。だが、ここ「連邦皇国」の建設現場において、年齢などという数字には何の意味もない。


 あるのは「どれだけ現場を回せるか」という実績と、姉上――レヴィーネ・ヴィータヴェン皇帝陛下が切り拓いたこの「道」を、一秒でも早く、一ミリでも正確に繋げるという意志だけだ。


 僕は現在、この大陸横断大工事の要、第一開拓旅団の「特攻隊長」という肩書きを背負っている。


「ソレン隊長! 第三区画、魔導レールの敷設が完了しました! ですが、地盤の魔素密度が予定より三%高い! このままではレールの経年劣化が早まります!」


 血気盛んなドワーフの工夫が叫ぶ。僕は図面に目を落としたまま、即座に計算を弾き出した。


「……周辺の排水溝を影魔法で拡張しろ。過剰な魔素は地下の貯蔵庫へ流す。それと、ミリア様から預かっている耐魔塗装を二重に施せ。コストは予備費から捻出する。僕が後で帳簿を合わせておくから、現場を止めるな。……いいね?」


「は、はいっ! 了解しました!」


 的確な指示。合理的な判断。


 これこそが、僕がこの数年間、義兄上であるアレクセイ様から学んだ「帝王学」と、宰相ミリア様から叩き込まれた「物流管理・実務能力」の結晶だ。


 姉上のような、パイプ椅子一つで山を砕く圧倒的な「物理」は僕にはない。けれど、姉上が砕いた後の更地を「国家」という形に整えるための「知性」なら、誰にも負けない自信があった。


 だが、そんな僕の「冷徹な現場指揮官」としての仮面が剥がれ落ちる瞬間がある。


 僕はふと作業の手を止め、胸ポケットから一枚の魔導写真を取り出した。


 そこに写っているのは、数ヶ月前に生まれたばかりの、僕の天使。


 姪のエレノアだ。


「……ふふ、ふふふ。今日も可愛いな、エレノア。昨日の写真より、心なしか筋肉の張り(ハリ)が良くなっている気がするよ。……さすがは姉上の娘だ」


 写真の中で、彼女は僕の指を、赤ん坊とは思えない万力のような握力で握りしめていた。


 あの時、僕の人差し指から聞こえた「ギリギリ……」という骨のきしむ音。あれは僕にとって、どんな勲章よりも誇らしい痛みだった。


 ヴィータヴェンの血が、彼女の中で脈動している。それだけで僕は、三日は飯を食わずに掘削作業を続けられる。


「いいかい、エレノア。叔父上は、この道を君のために造っているんだ。君がいつか、この広大な世界を自由に行き来できるように。そして、君に近づく悪い虫を、僕がこの十字鍬で地平線の彼方までノックアウトするためにね。……ああ、想像しただけで闘志(オーラ)が湧いてくる。少なくとも、僕かドラゴンを単騎でボコボコにできないような男には、君の指一本触れさせないからね……!」


 ズモモモモ……と僕の背後から噴き出す、どす黒い闘気のオーラ。


 現場の職人たちが「出たよ、叔父バカ隊長の定時発作だ」「あのお歳で、将来の姪の彼氏を暗殺する計画を立ててるのか……」と遠巻きにしているが、知ったことか。


 僕は彼女の「護衛騎士」にして、最強の防波堤になるのだ。


 しかし、そんな充実した(?)日々は、一通の魔導通信によって終わりを告げた。


 発信元は、東のヴィータヴェン本家。お父様とお母様からだ。


『ソレン。元気でやっていますか? あなたが姉さんを追いかけて家を飛び出してから、もう随分経ちますね。出奔したままでは、ヴィータヴェン家の次期当主……いえ、貴族としての体裁が立ちません。そろそろ、一旦帰ってきなさい。……これは「お願い」ではなく、親としての「命令」ですよ』


……通信を握りつぶしたくなった。


 今、ここを離れるわけにはいかない。エレノアは毎日、一秒ごとに成長しているんだ。昨日できなかった寝返りが今日できるようになっているかもしれない。それを、この目で見られないなんて、死活問題だ。


 僕は三日ほど、この通信を「魔素の乱れによる受信失敗」ということにして無視し続けた。


 だが、四日目の朝。僕のテントの入り口が、物理的に吹き飛ばされた。


「――ソレン。居留守も三日までよ?」


 そこに立っていたのは、漆黒のドレスの下に鋼の肉体を隠した姉上――レヴィーネ・ヴィータヴェン皇帝陛下、その人だった。


 その手に握られた、鈍く光る漆黒のパイプ椅子「漆黒の玉座」が、僕のテントの柱をミシミシと威圧している。


「あ、姉上……! いや、陛下。これはその、現場が忙しくて……」


「言い訳は不要よ。実家を心配させるのは、真の『悪役(ヒール)』のやり方じゃないわ。お父様たちの心労を考えなさい。それに、エレノアの出産のお祝いも、まだ直接伝えていないでしょう?」


「写真は毎日見ています! 念を込めています!」


「キモいからやめなさい。ほら、これ」


 姉上が差し出したのは、東への魔導SLの特等席チケット。


 そして、お父様とお母様へ宛てた、封印された厚い手紙だった。


「エレノアの最新の家族写真を同封したわ。それを届けるついでに、一度顔を見せて安心させてきなさい。これは、あなたの姉として、そして連邦皇国皇帝としての命令よ」


 姉上の言葉は、この世界において重力と同じくらい絶対だ。


 項垂れる僕に、背後から落ち着いた声がかけられた。


「まあ、そう肩を落とすな、ソレン。君のこの数年の働きは、僕もミリアも、そしてレヴィーネも深く感謝している」


 義兄上のアレクセイ王配殿下は優雅に、だが力強い手つきで僕の肩を叩いた。


「だが、今の君には『公式な実績』が足りない。このままでは、君がいかに優秀でも、古い頭の貴族たちは君を『家出少年』としか見ないだろう。それは君の将来にとっても、エレノアという姪の叔父としても、不都合なはずだ」


「……不都合?」


「ああ。エレノアが成長し、社交界に出るようになった時、叔父である君が『無役の家出人』では、彼女に恥をかかせることになる。……違うかい?」


 その言葉は、僕の脳天を十字鍬で殴られたような衝撃だった。


 エレノアに恥をかかせる。


 それは、死ぬよりも耐えがたい屈辱だ。


「……分かりました。帰ります。帰ればいいんでしょう!」


「聞き分けが良くて助かるよ。今回は『出奔』ではなく、連邦皇国での『高度実務留学』を終えたという体裁を、僕が整えておいた。君は胸を張ってヴィータヴェン領へ戻り、正式な手続きを踏んでくるといい」


 数週間後。


 僕は、懐かしのヴィータヴェン領へと足を踏み入れた。


 そこには、僕を温かく迎えるお父様と、そして……。


「おかえりなさい、ソレン! さあ、旅の疲れを癒やす暇なんてないわよ! 明日から領主教育の全カリキュラムと、帝都貴族院への特別編入試験の対策を始めるわからね!」


 お母様の、あまりにも「狩人の目」をした笑顔が待っていた。


 姉上のレヴィーネ陛下があまりにも「規格外」すぎて、もはや教育の範疇を超えてしまった反動だろうか。長男である僕への「まともな(だが苛烈な)英才教育」への熱量が、異常なまでに煮詰まっている。


「母様。……言っておきますが、僕は連邦皇国でアレクセイ様とミリア様に鍛えられました。普通の子供だと思わないでください」


「あら、心強いわね! じゃあ、三日でこの魔導法学の原典を暗記できるかしら?」


「……二日で終わらせます。その代わり、試験が終わったらすぐにエレノアのところへ戻らせてください」


 僕は即座に書類の山にかじりついた。


 義兄上から教わった「政治的な立ち回り」と、宰相であるミリアさんから学んだ「最短経路での目標達成術」。そして姉上から受け継いだ「理不尽を力尽くでねじ伏せるヴィータヴェンの魂」。


 それらが僕の中で化学反応を起こしていた。


 凡庸な貴族たちが数年かけて学ぶ内容? 


 笑わせないでほしい。


「一年……いや、半年だ。半年で全課程を修了し、貴族院の卒業資格をもぎ取ってやる」


 ペンを走らせる僕の目は、かつて北の氷獄で姉上が見せた、獲物を定める猛獣のそれと同じだったに違いない。


 待っていてくれよ、エレノア!


 叔父上は、この退屈な「お勉強」という名のハードルを音速で飛び越えて、最高の「箔」を身につけて、君の騎士として戻るからね!


 ソレン・ヴィータヴェンの、本当の戦いはここからだ。



 ◆◆◆



 帝都、貴族院。


 そこは、帝国全土から選び抜かれた貴族の子弟たちが集い、将来の社交界を担うための教養と人脈を培う「学びの園」である。


 優雅な音楽、洗練されたマナー、そして腹の探り合いという名の高尚な遊戯。


 だが、僕――ソレン・ヴィータヴェンにとって、ここは単なる「通過点」ですらなかった。


 言うなれば、道路工事の際に邪魔になる小石。あるいは、書類上の手続きを行うだけの「役所」の窓口。


 それ以上でも、それ以下でもない。


 入学式から、およそ三ヶ月。


 季節が春から夏へと変わろうとする頃。


 僕は、貴族院の事務総長室の重厚なマホガニーのデスクに、分厚い書類の束を叩きつけていた。


「……そ、ソレン君? これは……?」


 総長が、鼻眼鏡をずり落ちさせながら、引きつった声で尋ねる。


 僕は、ヴィータヴェン家で培った「営業用スマイル(温度ゼロ)」を浮かべ、淡々と告げた。


「卒業に必要な全単位の取得証明書、実技試験の免除申請書、ならびに卒業論文です。テーマは『永久凍土における道路敷設と魔物除けの効率化について』。……すでに、担当教官の承認印は全て頂いております」


「は、早すぎる! 君はまだ入学したばかりだろう!? 確かに、君の成績は筆記・実技ともに開校以来の最高得点だが……もう少し、学園生活というものを楽しんでも……」


「楽しむ?」


 僕は片眉を跳ね上げた。


 総長は言葉に詰まる。無理もない。彼らのような温室育ちには理解できないのだ。


「失礼ですが総長。幼少期にヴィータヴェン領から帝都まで単独で走破し、大陸横断道路の現場でツルハシを振るってきた僕にとって、この学園の授業など『赤子の昼寝』と大差ありません」


 剣術の実技? 先輩方の剣は止まって見えた。


 魔法学の講義? 実戦データの裏付けがない机上の空論だ。


 社交パーティー? 姉上――レヴィーネ・ヴィータヴェン皇帝陛下が開催する「筋肉とちゃんこ鍋の宴」に比べれば、あまりに貧弱で刺激が足りない。


 僕は胸を張り、毅然と言い放った。


「我がヴィータヴェン家は、辺境の独立独歩の気風を重んじます。帝都での無意味な顔つなぎや、生温いダンスに興じる時間は、僕の人生設計(スケジュール)には1秒たりとも組み込まれておりません。何より――」


 僕は懐から、最新型の魔導通信端末を取り出した。


 画面をタップし、愛おしげに表面を撫でる。


「連邦皇国では、我が愛すべき姪、エレノアが僕の帰りを待っているのです。一分一秒でも早く帰らねば、彼女の成長という『歴史的瞬間』を見逃してしまいます」


 画面に映っているのは、先日ミリア宰相から送られてきた、エレノアの最新動画だ。


 クッションを握りつぶしながら、キャッキャと笑う天使。


 その握力は、すでにリンゴ程度なら粉砕する域に達しているという。


 かつて赤子の僕が、海運王サカモト・リョウマの指をへし折った時と同じ、頼もしい成長ぶりだ。


「……あ、ああ……やっぱり、あのレヴィーネ様の弟君だ……」


 総長は遠い目をして、震える手で書類に承認印を押した。


 姉上の威光と、義兄上(アレクセイ元皇子)という皇族との太いパイプ。使えるものは全て使い、僕は最短記録で貴族院という名の鳥籠を粉砕した。


 さらば、帝都。


 さあ、帰ろう。僕の「守るべき光」が待つ場所へ!


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