第16話 帝都の洗礼? 道を塞ぐならへし折るまで。「話し合い(物理)」で即解決します
北の絶対的な氷獄、ハニマル領「獣の穴」。
そこで七年間に及ぶ地獄――否、わたしにとっては魂の故郷とも言える鍛錬の日々を終え、ヴィータヴェン領に戻って数ヶ月。
わたしたちを乗せたヴィータヴェン家の馬車は、ついにガルディア帝国の心臓部、帝都へと到着した。
窓の外には、隙間なく綺麗に舗装された石畳の街道と、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような煌びやかな街並みが広がっている。
行き交う人々も皆、洗練された(と彼らが信じ込んでいる)衣装に身を包み、どこか浮足立った空気が漂っていた。
「へえ……。これが帝都。聞いてはいたけれど、本当に無駄にキラキラしていますのね」
わたしは頬杖をつきながら、車窓の景色を値踏みした。
視界に入るもの全てが、北の基準から見れば「軟弱」の一言に尽きる。
同乗している父ユリスが、誇らしげに頷く。
彼は愛娘の晴れ舞台である入学式のために、領地の仕事を全て部下に丸投げして張り切ってついてきたのだ。
「ああ! ここが我がガルディア帝国の文化と政治の中心地だよ。どうだいレヴィーネ、気に入ったかい?」
「ええ、まあまあですわね。……ただ、あの城壁、薄すぎませんこと? 北の大型魔獣――たとえばギガント・ベアのスタンピードが来たら、3分もたずに決壊しますわよ」
わたしの指摘に、父の笑顔が引きつった。
「……レヴィーネ、そういう物騒な視点で見るのはやめなさい。ここは帝都だ。魔獣なんて滅多に出ないよ」
「油断大敵ですわ、お父様。『平和ボケ』は最大の隙を生みますもの。それに、魔獣より怖い人間だって、ここには沢山いるのでしょう?」
どうやらわたしの感性は、7年間の極寒サバイバル生活ですっかり「実用性こそが美」「強さこそが正義」という脳筋思考に染まってしまっているらしい。
この煌びやかな街並みも、わたしには「燃えやすそう」「壊れやすそう」にしか見えないのだ。
馬車は貴族街を進み、やがて巨大な正門が見えてきた。
この国の将来を担う貴族子弟が通う最高学府、「帝国立貴族院」だ。
正門前は、入学式を控えた新入生たちの馬車で長蛇の列ができていた。
どの馬車も、家紋をこれ見よがしに金銀で縁取り、ピカピカに磨き上げられている。
競い合うように施された過剰な装飾は、見ているだけで胃もたれしそうだ。
対して、我がヴィータヴェン家の馬車は、長旅の汚れと、北の氷獄に比べればまだ暮らしやすいが、それでも十分に過酷な環境である東の辺境産の質実剛健な作り――悪く言えば無骨で埃だらけだ。
周囲の馬車から向けられる視線には、隠そうともしない侮蔑の色が混じっている。
「……ふふッ。アウェイ感満載ね。燃えてきたわ」
わたしが鉄製の扇子で口元を隠してほくそ笑んでいると、馬車が急停車した。
馬がいななき、外で御者と誰かが言い争う怒声が聞こえる。
「おい、そこの薄汚い馬車! 止まれと言っているのが聞こえないのか! 我がグレビル伯爵家の馬車が先だぞ!」
どうやら、強引な割り込みをしようとした別の馬車が、こちらの進路を塞いだらしい。
父が眉をひそめる。
「何事だ? 我々は学院側から、辺境伯家としての優先入場の許可証をもらっているはずだが……」
ヴィータヴェン辺境伯家は、長年の国境防衛の功績により、宮廷内では侯爵家と同等の扱いを受けている。そのため、こうした場でも上位貴族としての優先権があるのだ。
だが、帝都の法服貴族の中には、それを面白く思わない連中も多い。
わたしは父を制し、ニヤリと笑った。
「お父様、ここはわたしにお任せください。……さっそく、帝都の『洗礼』を授けてくださる、面白いお客様がいらっしゃったようですわ」
「れ、レヴィーネ? お願いだから穏便にね!? パパ、心臓がもたないよ!?」
父の悲痛な叫びを背に、わたしは馬車の扉を開け、オルガ先生直伝の完璧に優雅なステップで石畳に降り立った。
目の前に立ち塞がっていたのは、過剰なフリルと宝石で飾られたデコレーションケーキのような馬車と、その前に立つ、これまた過剰に着飾った赤毛の少年だった。
年の頃はわたしと同じくらい、おそらく新入生だろう。
彼は、わたしの姿――埃だらけの馬車から降りてきた、完璧な所作の美少女(自分で言うのもなんだけど、今のわたしは客観的に見てもかなり仕上がっている)を見て、一瞬鼻白んだ。
だが、すぐに気を取り直し、尊大な態度で胸を反らした。
「なんだ、貴様は。どこの田舎貴族だか知らんが、この中央の法服貴族、グレビル伯爵家の馬車の前を横切ろうとは、身の程知らずにも程があるぞ!」
グレビル伯爵家。確か、帝都で書類仕事と派閥争いだけが得意な、典型的な「虎の威を借る狐」タイプの家柄だったはずだ。
(あー、はいはい。来たわね、テンプレの噛ませ犬くん!)
わたしは内心で快哉を叫んだ。
入学早々、こんな分かりやすい「ヒールの餌」が向こうから飛び込んでくるとは。帝都も捨てたものではない。
わたしは表面上は完璧な淑女の笑みを浮かべ、鉄扇を優雅に広げながらカーテシーを披露した。
「ごきげんよう、グレビル様。わたくしはヴィータヴェン辺境伯家の娘、レヴィーネと申します。以後、お見知り置きを」
「ヴィータヴェン……? なんだ、東の果ての野蛮な田舎者じゃないか!」
彼は「辺境伯」という言葉を聞いた途端、あからさまに侮蔑の色を浮かべた。
彼のような中央の温室育ちにとって、国境を守る辺境伯は、尊敬の対象ではなく「ただの野蛮な田舎領主」と同程度にしか認識されていないのだ。
「我々グレビル家は、宮廷の法と秩序を司る誇り高き家柄だ。泥と血にまみれた辺境の武人風情とは格が違うのだよ。序列もわきまえぬ田舎者が、帝都の空気を汚すな。さっさとその薄汚い馬車を下げろ! そして、この僕に頭を下げて詫びるんだな!」
彼は勝ち誇ったように鼻を鳴らし、取り巻きたち(似たような金太郎飴のごとき着飾った少年たち)と一緒に下卑た笑いを浮かべた。
なるほど、単なる我儘ではなく、彼らなりの歪んだ「秩序」や「正義」があるわけだ。だからこそ始末が悪いし、叩き潰しがいがある。
わたしは鉄扇をパチンと鳴らし、一歩前に出た。
「あら、奇遇ですわね、グレビル様。わたくしも今、全く同じことを考えておりましたの」
わたしの瞳から、淑女の穏やかさが消え、リングに上がった捕食者の光が宿る。
「序列をわきまえぬ愚か者が、帝都の空気を汚している、と。……ねえ、どちらが先に道を譲るか、少し身体で『話し合って』みませんこと?」
「……は?」
グレビル伯爵令息は、わたしの言葉が理解できなかったようで、間抜けな声を上げた。
「『話し合う』だと? 貴様、自分が何を言っているのか分かっているのか? 辺境の田舎娘が、この中央の伯爵家の嫡男である僕に口答えするなど、許されると思っているのか!」
彼の顔が怒りで茹でダコのように赤く染まる。
周囲の金太郎飴――もとい、取り巻きたちも、「そうだそうだ!」「身の程を知れ田舎者!」とヤジを飛ばしてくる。
わたしは鉄扇を口元にあてたまま、小首をかしげてみせた。
「あら、奇妙ですわね。わたくしは辺境で、中央の方々は礼節を何よりも重んじると伺っておりましたのに。……まさか、ご自分から難癖をつけて道を塞ぎ、その上、話し合いすら拒否されるとは。これが帝都の『洗練されたマナー』というものですの? 随分と……野性味に溢れていらっしゃいますのね」
わたしの声は、鈴を転がすように甘く、そして氷河のように冷たい。
オルガ先生直伝の、「相手の神経を逆撫でする淑女の話し方(上級編)」だ。
効果は覿面だった。
プライドばかり肥大化した彼は、わたしの言葉に含まれた強烈な皮肉と侮蔑を敏感に感じ取ったようだ。
「き、貴様ッ……! 田舎者の分際で、この僕を愚弄する気か!」
彼は激昂し、ツカツカとわたしに歩み寄ってきた。そして、そのまま勢いに任せて右手を振り上げた。
「その減らず口、僕が直々に躾けてやる!」
――よし、手を出したわね。
わたしは心の中でニヤリと笑い、脳内でゴングを鳴らした。
向こうが先に暴力を振るったのなら、ここからは正当防衛。わたしのターンだ。
ヒュンッ、と彼の平手がわたしの頬を打つ――その寸前。
パチンッ!
硬質な音が響いた。
わたしの頬の数センチ手前で、彼の右手首が止まっていた。
それを止めているのは、わたしがタイミングよく広げた美しい黒のレースの扇子――の、骨組みである鋼鉄のフレームだ。
「なっ……!? い、痛っ!?」
「まあ、手荒な真似を。殿方が淑女に手を上げるなんて、感心しませんわね」
わたしは微笑んだまま、扇子を持つ手に、ほんの少しだけ――そう、ハニマル領基準で言えば「赤ん坊がくしゃみをした拍子に入る程度」――の力を込めた。
ギリリリィッ……。
「い、ぎっ!? が、あああああっ!?」
扇子の鋼鉄の骨が、彼の手首の骨を万力のように締め上げる。
骨がきしむ嫌な音と、これまで味わったことのない激痛に、彼の顔が恐怖で歪む。
「な、なんだ、この馬鹿力っ……!? は、放せ! 折れる、折れるぅぅッ!」
必死に逃れようと暴れるが、わたしの手は微動だにしない。
7年間、魔獣や筋肉ダルマたちと組み合ってきた指の力だ。温室育ちの彼に解けるはずがない。
わたしは彼の目を真っ直ぐに見つめ、声を一段低くした。淑女の仮面を、少しだけずらす。
「ええ、その……『へし折って差し上げようか』、と」
その瞬間、わたしは体内の魔力を極微量だけ解放し、「獣の穴」で培った濃密な殺気のごく一部を乗せて彼にぶつけた。
ドォォン……。
周囲の空気が、一瞬で氷点下まで下がったような錯覚。
「ひいぃっ!?」
本能的な恐怖に、彼は腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
わたしは彼の手首を離すと同時に、パチンと軽快な音を立てて鉄扇を閉じた。
そして、倒れ込んだ彼の鼻先に、閉じた鉄扇の先端を突きつけた。
「さて、グレビル様。先ほどの続きですけれど……。道を譲っていただけますわよね?」
わたしは完璧な角度で彼を見下ろし、満面の「悪役スマイル」をプレゼントした。
「あ、あ……ひ、はい……譲ります……すぐに、退きます……!」
彼は涙目で何度も頷くと、這う這うの体で自分の馬車へと逃げ帰っていった。
御者を怒鳴りつけ、大慌てで馬車をバックさせていく。
取り巻きたちも、蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。
あっという間に、正門前には静寂が戻った。
周囲の馬車から様子を伺っていた他の新入生たちが、信じられないものを見るような目でわたしを見ている。
「……ふぅ。帝都の方々は、少し気が短くていらっしゃいますのね。それに、随分と打たれ弱いようで」
わたしは何事もなかったように鉄扇を優雅に仰ぐと、後ろの馬車に声をかけた。
「お待たせしました、お父様。道が空きましたわ」
「……ああ、見ていたよ。相変わらず、容赦がないな……レヴィーネ」
馬車の中から、父ユリスの深い深いため息が聞こえた。父は頭を抱えているようだが、止めるつもりはなさそうだ。もう慣れてしまっているのだろう。
「あら、わたくしはただ、中央の礼儀作法について、少し実技を交えて『話し合った』だけですわ」
わたしは再び優雅なステップで馬車に乗り込んだ。
ヴィータヴェン家の泥だらけの馬車が、悠々と貴族院の正門をくぐり抜けていく。
その背後では、騒ぎを見ていた生徒たちのヒソヒソ声が、さざ波のように広がっていた。
「おい、見たかよ今の……」
「あのグレビルを、一瞬で黙らせたぞ」
「鉄の扇子で受け止めていたわよね? 一体何者なの……?」
「辺境伯の令嬢だって? まるで……そう、美しい猛獣のようだった」
こうして、わたしの貴族院生活は、入学初日から特大のインパクト(と、一部からの恐怖と敵意)と共に幕を開けたのだった。
さあ、次はどんな挑戦者がリングに上がってくるのかしら!
帝都の貴族たちへの「挨拶」回でした。鉄扇は鈍器として運用しております。
「スカッとした」と感じていただけましたら、評価ポイントにて応援をお願いいたします。




