第148話 システム掌握完了! 過去の亡霊よ、私の席を空けなさい。
特製「天空ちゃんこ」によって胃袋と魔力を完全に満たしたわたしたちは、再び天蓋都市の中枢――管理タワーの最上階へと足を踏み入れた。
そこは、ドームの頂点に位置する円形のホールだった。
壁面はすべて透明なクリスタルで覆われ、頭上には満天の星空と、眼下には青い惑星の曲線が一望できる。宇宙の静寂と、眼下に広がる雲海の動的な美しさが同居する、神の座と呼ぶに相応しい空間だ。
部屋の中央には、複雑な魔術回路が刻まれた巨大なクリスタル製の操作盤が鎮座し、その上空にデメテルの本体ホログラムが静かに浮遊していた。
『……ようこそ、中枢へ』
デメテルの声は、先ほどまでの敵意や戸惑いとは異なり、どこか悲しげな響きを帯びていた。
『先ほどの食事……「美味しさ」という概念の共有、感謝します。……あの温かさを知ってしまった今、私の論理回路は一つの結論を出しました』
彼女は慈愛に満ちた瞳で、アリスを見つめた。
『私の子供たちを、ただ冷凍保存し続けることは「停滞」であり、緩やかな死と同義である。……命は、芽吹き、育ち、食され、そして循環してこそ輝くものである、と』
「デメテルさん……!」
アリスが顔を輝かせて駆け寄ろうとする。
だが。
ブォンッ!
コンソールの周囲に、何重もの赤い拒絶の光壁が展開された。
アリスが弾かれ、尻餅をつく。
『……ですが、できません』
デメテルが苦渋の表情で首を振る。そのホログラムには、葛藤を示すノイズが走っている。
彼女の視線が、定まらずに揺れている。開けたいという感情と、開けてはならないという命令が衝突しているのだ。
『私の感情サブルーチンがどれほど貴女たちを求めても、私の核に刻まれた「基本原則」がそれを許さないのです』
「ルール……?」
『はい。先ほど説明したとおり、この天蓋都市の全権限を移譲し、保管庫のロックを解除するためには、古代魔法文明の「正統なる王族」による生体認証と、王権の象徴たる「黄金の王笏」の物理挿入が必須条件なのです』
デメテルは、コンソールの中央にある空っぽの穴を指差した。
そこは本来、王の証である杖が収まるべき聖域だ。
『王笏なき命令はすべて無効化されます。いかなるハッキングも、論理攻撃も受け付けません。……そして、王族の血統は800年前の大戦で絶えました。王笏も失われて久しい』
彼女は悲しげに目を伏せた。
長い沈黙が落ちる。
『つまり、正規の手順で鍵が開くことは、永遠にないのです。……私はここで、朽ちるまで鍵を守り続けるしかない』
永遠の閉鎖。
それが、守り人として残されたAIの絶望的な運命だった。
「そんな……。じゃあ、デメテルさんはずっとここで、独りぼっちで……」
アリスが悲痛な声を上げる。
せっかく心が通じ合ったのに、過去の亡霊が作った冷たいルールが、彼女たちを引き裂こうとしている。
「……諦めるしかないの? 種も、デメテルさんも、ここに置いていくしかないの?」
『……去りなさい、優しき人間たちよ。貴女たちに「美味しさ」を教えてもらった記憶だけで、私はあと一千年、ここで耐えられますから』
デメテルが寂しげに微笑み、消灯シークエンスに入ろうとした。
その時。
カツン、カツン、カツン……。
静寂のホールに、ヒールの音が響いた。
優雅で、不遜で、絶望など微塵も感じさせない足音。
わたしは赤い光壁の前まで歩み寄り、冷ややかな視線でAIを見上げた。
「……お涙頂戴はそこまでになさいな。聞いていれば、随分とくだらないことで悩んでいるようですわね」
『くだらない……ですって? これは絶対的なシステム制約です! 物理的なキーアイテムがない以上、神でも介入は……』
「血統? 王の証?」
わたしは鼻で笑った。
「そんな1000年も前のカビが生えた……いいえ、化石になったような骨董品に、何の価値があるというのです?」
『なっ……!? 化石!? それはこの天蓋都市を作った偉大なる王の証です!』
「死んだ王の証など、今の時代にはただのガラクタよ。……今を生き、大地を踏みしめ、未来を切り拓く意志。それこそが『王』たる資格でしょう?」
わたしは足下の影から、相棒を取り出した。
「漆黒の玉座」。黒鋼の鈍器。折りたたみ式のパイプ椅子。
それを、バチィンッ! と展開する。
ニンニクとバターの香りをほのかに漂わせながらも、そこにあるのは絶対的な質量と、魔を断つ黒き輝き。
「王笏がないなら、代わりのものを挿せばいい。……血統がないなら、捩じ伏せればいい。……ここに、私の『玉座』がありますわ!」
『ぎょ、玉座!? それはただの椅子……しかも鈍器でしょう!? 形状も用途も規格も合いません!』
「合わせるのよ。……力尽くでね」
わたしは光壁の前に立ち、椅子を高く振りかぶった。
特製天空ちゃんこ鍋でフルチャージされた魔力が、血管の中で暴れ回る。
夜色のオーラが噴き出し、ホール全体がビリビリと震え始めた。
空気中のマナが悲鳴を上げ、空間そのものが歪む。
「さあ、道を開けなさい過去の亡霊ども!! 新しい『大家』の入居よッッ!!!」
ドォォォォォンッッ!!!!!
わたしは渾身の力で、椅子を光壁に叩きつけた。
バキィッ! という硝子が割れるような音と共に、絶対防御のシステム・バリアが粉砕される。
赤い破片が舞い散る中、警報が鳴り響く。わたしはコンソールへと歩み寄り――その繊細なクリスタルの「鍵穴」に、玉座のパイプ脚を突き立てた。
『ひぃぃぃッ!? 入らない! 入りません! 物理的にサイズが違いますぅぅ!!』
「入るわよッッ!!!」
ズガガガガガガガッッ……!!!
わたしは全身の筋肉を硬化させ、無理やりねじ込んだ。
ミシミシとクリスタルが悲鳴を上げ、火花が散る。
『そ、そんなドス黒い鈍器を私の敏感なところにねじ込むだなんて!! やっぱり人類は乱暴で野蛮ですぅぅ!!』
「……なんか色々勘違いされそうなこと言ってないで、あんたも同調しなさい!! 私の玉座を受け入れるのよ!!」
『壊れちゃいますぅぅ!!』
「まだ先っぽも入ってないわよ!! ほら力を抜きなさ、いッッ!!!」
ゴオオオオオオオオオオッッ!!!!
わたしは両手を椅子の背もたれに置き、体内の魔力を――「魔王級」と恐れられた膨大なエネルギーを、一気に解放した。
黒鋼の椅子が媒体となり、わたしの意志と魔力が、電気信号となってシステム内部へ暴力的に侵食していく。
「玉座」を介して影魔法の茨を伸ばし、キースロットから奥へ、さらに奥へ。この天空都市の『全て』を司る中枢の、更に最奥へと、わたしの魔力を泳がせる。
わたしの魔力を押し戻そうとする力の奔流の中に、かつての王族の幻影――王冠を被った老人の姿がちらついたような気がした。
いや、一人ではない。数多の魔術師、騎士、王族たちが、最後の防衛ラインとして立ち塞がっている。
『去れ、卑しき者よ』
『去れ、簒奪を企む者よ』
『去れ、侵略者よ』
そう囁く亡霊の声。
それは800年前、この場所を天空へと飛ばし、守るために散っていった者たちの残留思念。
『ここはただの宝物庫ではない』
『偉大なる人類の稀少庫なのだ』
『力のみを恃む野蛮の輩に明け渡せるものではない』
『人類の防人たる我ら神聖魔法皇国アストライアの王族のみに、その責務と権利があるのだ』
重厚な圧力。正論という名の壁。
だが、わたしはそれを鼻で笑い飛ばした。
「黙りなさい、敗北者。……あんたらが守れなかった世界を、今守っているのは誰だと思っているの?」
『守れなかった、だと……?』
「ええ。エルフの女王に聞いたわよ……愚かにも戦争で地上を、民を、文明を焼き尽くしたってね!」
『……ッ!?』
痛いところを突かれたのか、幻影たちが揺らぐ。
わたしはさらに言葉の刃を突き立てた。
「そこから1000年! 何代にも渡って! 泥と汗にまみれて! あんた達が失敗したツケを払い続けたのは『今』を生き続けている民なのよ!!」
わたしの脳裏に、トヨノクニで出会った人々の顔が浮かぶ。
やせ細った土地を耕す農民。新しい技術に目を輝かせる職人。そして、おにぎりを頬張って笑う子供たち。
彼らは、過去の遺産などなくても、懸命に生きてきた。
「民を顧みない、過去の清算もできない、『今』も未来も見据えられない、そんな王になんの権利があるっていうの!!」
『ぐ、ぬぅ……! しかし、我々は守らねば……純粋な種を……』
「退きなさい亡霊! その種は渡してもらう。……それは過去の遺物ではない。今の、そして未来の子供たちが、お腹いっぱい食べるための『ご飯』ですわ!!」
『ご飯……? 崇高なる遺産を、食料と……』
『なんという強欲……なんという生命力……』
亡霊たちが揺らぐ。
彼らの「高潔な使命感」が、わたしの「泥臭い食欲」と「生への執着」に押されている。
「王権? 血統? そんな骨董品に価値などない!」
わたしは、ありったけの魔力を「漆黒の玉座」に注ぎ込んだ。
黒い光が、幻影たちを飲み込んでいく。
「今、この大地を踏みしめ、民を導き、美味しいご飯のために世界を敵に回す覚悟がある者! それこそが『王』でしょう!?」
バキィィィィンッ……!!
幻影の王冠が砕け散る音がした。
「道を開けなさい、過去の遺物ども!! ……ここからは、私が座る席よッッ!!!」
ゴオオオオオオオオオオッッ!!!!
黒い魔力の奔流が、亡霊たちを、システムを、古い理を、すべて飲み込み――書き換えていく。
『ぴ、ピガーッ!? け、警告! 異常霊圧! 規格外の魔力流入! 論理防壁が融解しています!』
デメテルが頭を抱えて絶叫する。
室内の照明が激しく明滅し、ホログラムの空にノイズが走る。
コンソールの画面には、無数の赤いウィンドウが表示された。
【 Error : Unknown Device Detected (エラー:未知のデバイスを検知) 】
【 Authority Check... Failed. (権限確認……失敗) 】
【 Access Denied... Access Denied... (アクセス拒否…拒否…) 】
「拒否? 生意気ね……! 私が『通せ』と言っているのよ!」
わたしはさらに魔力を込めた。
筋肉が唸りを上げ、魔力がシステムコードを物理的に焼き切る。
やがて。
エラーの赤い文字列が、次々と青色に書き換わっていく。
【 System Override... Complete. (システム強制上書き……完了) 】
【 Old Registry : Delete. (旧王権データ:削除) 】
【 New Administrator : ――Levine Vitaven. (新管理者:レヴィーネ・ヴィータヴェン) 】
カッ……!!!!
コンソールの中央に突き刺さったパイプ椅子が、黒い光を放った。
それはもはや単なる鉄塊ではない。
古代の王権を、魔力ごと食らい尽くし、飲み込み、自らの力とした「真の玉座」としての輝きだった。
『……し、システム掌握……完了。……認証コード……「簒奪者」……』
デメテルが呆然と呟く。
彼女のホログラムが一度ノイズに包まれ、そして再構成された。今度は敵意ではなく、絶対的な主に対する「恭順」の色を持って。
『……信じられません。王笏もなしに、魔力の質と物理的な圧力だけで、アストライアのセキュリティを屈服させるなんて……』
「言ったでしょう? 鍵がないなら、奪えばいいと」
わたしはコンソールから玉座を引き抜き、ドカッとその場に据えて座り込んだ。
足を組み、悠然とデメテルを見下ろす。
その姿は、まさにこの天蓋都市の――いや、かつての大国を滅ぼし、その上に君臨する「新しい女王」の姿そのものだった。
「さあ、デメテル。……貴女の新しい主の命令よ」
わたしは鉄扇を開き、高らかに告げた。
「冷蔵庫のロックを解除しなさい。……ショッピングの時間ですわ!」




