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悪役令嬢の凶器はドス黒い鈍器です  作者: 月館望男
【第2部】北の氷獄「獣の穴」修行編 ~最強の筋肉と鈍器(相棒)を手に入れて、師匠を超えました~
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第13話 影魔法の真髄 ~重すぎるパイプ椅子を持ち運ぶため、必死で亜空間収納を覚えました~

 ドワーフの工房から戻ったその日の夜。わたしはいつものように、オルガ先生との淑女教育の時間に臨んでいた。


 今は基本的な淑女の動作の反復練習の最中だ。

 立って、歩いて、椅子に座り、椅子から立ち上がる。そしてまた歩いてダンスのステップとターンをして、静止して、エスコートを想定した歩き方で椅子まで戻り、座る。


 さすがにこの程度のレッスンなら、先生とおしゃべりをしながらでもできるようになっていた。

 頭の上に「大帝国全史 全40巻」を全て重ねて置かれていたとしてもだ。


 もはや無意識下での微量なバランス調整でなんとでもなる。とはいえ、明らかに集中を欠くとオルガ先生の氷のつぶてが飛んでくるので油断はしない。

 ちなみにこの夕食後のレッスンをはじめてからしばらく経つが、重ねた本の冊数が20を超えたところで、練習場所は屋敷の一室から裏庭に移動していた。天井の高さの問題が、ね。


「……ふむ。所作にブレはありませんね」


 月明かりの下、積み上がった本が作る長い影を見ながら、オルガ先生が扇子を開いた。


「それで、レヴィーネ様。先ほどからの相談事というのは?」


「はい、先生。実は、影魔法の応用についてご教授願いたいのです」


 わたしは頭上の40巻を微動だにさせず、優雅にカーテシー(膝を曲げる礼)を行った。物理法則が悲鳴を上げそうな光景だが、これこそがハニマル流淑女の嗜みだ。


「具体的には、影の中に物体を収納し、出し入れする術……『暗闇の間』を習得したく存じます」


「……ほう? 以前教えた時は『難しそうだし、まだいいや』と仰っていたのに。急にどうされたのです?」


「ええ。実は、どうしても常に持ち歩きたい『相棒』ができたのですが……少々、重すぎて持ち運びに不便しておりまして」


 わたしが事情を説明すると、先生は呆れたようにため息をついた。


「まぁ、仰りたいこととやりたいことはわかりました。なぜその椅子・・にそこまでこだわるのかは永遠に理解できる気がしませんが……それで、その椅子はどちらに?」


「屋敷の底が抜けるからと、こちらに立てかけてあるのですが……」


 そういいながら、わたしはオルガ先生の先に立って案内を始めた。大帝国全史40巻を頭に乗せたままで。

 芝生の上を滑るように歩き、屋敷の裏手の石壁へと向かう。


「……こちらですわ」


 わたしが示した先には、石壁に立てかけられた漆黒の物体があった。

 月光を浴びて鈍く黒光りする、ドワーフの秘法とわたしの魔力で焼き直された『漆黒の玉座』。

 そのあまりの質量に、立てかけてある地面がじわじわと沈下し、石壁にはうっすらと亀裂が入っている。


「…………」


 オルガ先生は無言でその鉄塊に近づき、扇子でコン、と叩いた。

 カィィィン……と、澄んだ、しかしどこか不吉な金属音が夜気に響く。


「……黒鋼クロムアダマン。それも、異常な密度の」


 先生の声から、呆れの色が消え、警戒の色が滲んだ。


「ただの鉄屑かと思っていましたが……これは『魔剣』の類ですね。それも、使い手の魔力を貪欲に吸い上げる、極めてたちの悪い」


「『聖剣』と呼んでいただきたいですわね。わたしの可愛い相棒ですもの」


「……はぁ。やはり貴女は規格外です」


 先生は扇子を閉じ、こめかみを揉んだ。


「わかりました。『暗闇の間』の習得を許可しましょう。……というより、こんな危険物をその辺に放置されては、屋敷の防犯上も問題です。これを振り回したり持ち逃げできるバケモノが貴女方を除いているかどうかは別として」


 先生は私の目を見据えた。


「ただし、条件があります。その頭の上の『全史』を一度も落とさず、いえ揺らすこともなく、朝まで影魔法の制御訓練を行うこと。……よろしいですね?」


「望むところですわ、オルガ先生!」


 わたしはニヤリと笑い、頭上の40巻のバランスを正した。


◆◆◆


 こうして「暗闇の間」の習得が始まったが、現実は非情だった。

 ドワーフの秘法で生まれ変わり、わたしの魔力を限界まで吸った玉座は、以前とは比べ物にならないほどの「存在感(質量と魔力密度)」を持っていたのだ。


 影の亜空間「暗闇の間」に収納しようとしても、その圧倒的な存在感に影が悲鳴を上げ、弾き出されてしまう。

 収納できる容量は、術者の「魔力量」と「制御力」に比例する。魔力量は十分。つまり、圧倒的に制御力が足りていないのだ。


 そこから、制御のための猛特訓が始まった。


 まずは小石一つから。影に沈め、形を認識し、取り出す。

 そうして小石から、木の枝へ、木の枝から流木に、流木から大岩に、と徐々に質量を増やしていき、最終的には「生きていたもの」――狩った魔獣そのものを収納する訓練へと移行した。


 これには、単なる重量以上の意味があった。

 「暗闇の間」の最大の欠点、それは術者の集中が途切れた瞬間に中身が亜空間の彼方へ消滅する「アイテムロスト」だ。


 ある日の狩りの最中。わたしは仕留めたばかりの巨大なボアを前に、脂汗を流していた。


(……くっ、重い。物理的な重さじゃなくて、情報の密度が!)


 命あるもの(あるいは直前まであったもの)は、大岩や流木とは情報の複雑さが違う。気を抜けば、影の彼方へ消えてしまう。


 もしロストすれば、貴重な魔獣素材という経済的損失だけではない。

 わたしが奪った「命」そのものを、無為に虚空へ捨てることになる。それは、命のやり取りを神聖視するハニマル流の流儀にも、そして何より、わたし自身の「悪役ヒール」の流儀にも反する外道の行いだ。


 奪ったからには、骨の髄まで利用し尽くす。それが勝者の責任であり、敗者への最低限の礼儀だ。


(意識が……霞む……!)


 不慣れな情報量の処理に、脳が焼き切れそうになる。玉座の重みに耐えうる精神を作るための、極限の負荷。

 収納物の認識が薄れかけた、その時。


 ガッ!!


 わたしは迷わず、自分の腕に強く噛みついた。

 鋭い痛みが脳を貫き、意識を現実に引き戻す。口の中に鉄錆の味が広がる。


(忘れるな……! 忘れるな!! わたしが奪った命を! わたしがわたしのためだけに奪った、尊い命の形を!!)


 痛みで自身を鼓舞し、命の重みを脳に刻み込む。

 そうして、わたしは血の滲むような努力の末に、少しずつ、しかし確実に「器」を広げていった。


◆◆◆


 そんな修行の日々が続いたある夜。

 いつものように裏庭で、頭に本を乗せたまま影魔法の制御訓練をしていると、オルガ先生が静かに歩み寄ってきた。


「……随分と、影の扱いが馴染んできましたね」


 先生は満足げに頷くと、月を見上げた。


「レヴィーネ様。貴女は影魔法の本質をどう捉えていますか?」

「え? ……不意打ちや隠密に便利な、暗殺者向けの魔法、でしょうか?」


 わたしが答えると、先生は「半分正解です」と微笑んだ。


「影魔法の深奥は、全ての影を支配下に置くこと。それは即ち、光の当たるもの全ての影を操ることでもあります」


 そう言うと、先生の姿がかき消えた。


「――『影渡かげわたり』」


 声は背後からした。振り返ると、先生はいつの間にか屋敷の壁の影に立っていた。瞬きする間もない移動。


「このように、視認できる範囲であれば、影を通じて瞬時に移動することも可能です。……ですが」


 先生は再び影に沈み、今度はわたしの足元の影から、音もなくせり上がってきた。


「この影魔法の深奥は、あくまでも表向きのもの。……影魔法の、真なる最奥は」


 先生の双眸が、月光を受けて妖しく光った。


「――『夜』を統べることにあります」


 その言葉と共に、オルガ先生の輪郭が崩れた。

 影に沈んだのではない。先生という存在そのものが、夜の闇に溶け出したのだ。


 フッ……と、世界から「オルガ・ヴァローナ」という個人の気配が世界から消滅した。

 代わりに。


 ゾワリ。


 裏庭の全ての闇、木々の影、建物の影、そして夜空そのものから、濃密な気配が立ち昇った。


「――ッ!?」


 わたしは戦慄した。

 なまじ影魔法を習得し、影の感覚に鋭くなっているからこそわかる。

 今、この空間にある「闇」の全てが、オルガ先生なのだ。


(ここにも! そこにも! ……ひっ、わたしの服の影にまで!?)


 どこにでも気配がある。逃げ場がない。

 わたしはパニックに陥り、絶叫しそうになった。


 ありえないのだ。人の肉体を持っている人間が、夜という「現象」そのものになるなど!

 自分がちっぽけな異物になったような感覚。

 夜という巨大な捕食者の胃袋の中に放り込まれたような絶望感。


(ああ……! 夜に! 夜に食われてしまう!!!)


 混乱の極地に達し、わたしがへたり込みそうになった瞬間。


 スゥッ……。


 圧倒的な気配が収束し、目の前にいつもの涼やかなオルガ先生の姿が戻った。


「……はぁ、はぁ、はぁ……ッ!」


 わたしは地面に膝をつき、荒い息を繰り返した。全身が冷や汗でぐっしょりと濡れている。


「……と、まだ年若い貴女にここまでできるようになれ、とは申しません」


 先生は優しく手を差し伸べ、わたしを立たせてくれた。


「ですが、だからこそ真の最奥をお見せしたのです。慢心することなく歩み続ければ、いつかは貴女も『夜』の一部になれるでしょう。期待しておりますよ」


 その言葉は、恐怖よりも大きな希望として、わたしの胸に響いた。

 すごい。この人は、魔法使いという枠を超えている。


「とはいえ、わたくしが真の最奥に辿り着けたのも、さほど昔の話ではないのですけどね」


 先生は恥ずかしそうに頬に手を当てた。


 ふと、疑問が浮かんだ。

 この圧倒的な実力。亡き祖母の親友であり、母の師匠であり、騎士引退後は帝妃直属の影だったという経歴。

 しかし、目の前の女性は、肌に張りがあり、どう見ても40代……いや、若く見れば30代後半にも見える美貌の持ち主だ。


 わたしは、まだ「夜」の恐怖心から心臓が早鐘を打っている中、恐る恐る禁断の質問を口にした。


「せ、先生はその、大変失礼とは存じますが……その、今おいくつでいらっしゃるのですか……?」


 先生は扇子を広げ、口元を隠して、茶目っ気たっぷりにウインクした。


「あら、レディに年齢を聞くなんてマナー違反ですよ? ……ですが、可愛い弟子には特別に教えて差し上げましょう」


 先生はにっこりと微笑み、爆弾を投下した。


「先日、60を二つほど超えました」


「……は?」


 60たす、2。

 ろくじゅう、に……?


「えええええええええええッ!!??」


 わたしの絶叫が、夜のハニマル領に響き渡った。

 今日一番……いや、転生してから一番の驚きだったかもしれない。


 (この人、還暦過ぎてるの!? 魔力でアンチエイジングしてるの!? いや、もしかして『夜』と同化すると老化が止まるの!?)


 最強の椅子を手に入れた夜。

 わたしは、世界にはまだまだ未知の強者(と美魔女)がいることを思い知らされたのだった。


質量のある鈍器を持ち運ぶための、影魔法の習得です。師匠の深淵も垣間見えました。

次回、修行の成果を披露いたします。続きが気になる方はブクマをお願いいたします。

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