匠【たくみ】も囮【おとり】も半人前
「ご在宅ですよね!開けていただけませんか!」
警官とマンションの管理人、鍵を持った警備員が、玄関の前で困った顔をしていた。
「しょうがない、開けましょう」
警官は鍵を使ってドアを開けた。
「管理人さんたちはもう大丈夫ですので、仕事に戻っていいですよ」と柔らかな物腰の警官に言われ、管理人と警備員は少し安心した顔で管理室に戻って行った。
「入りますよ」
警官は中に入り、狭い廊下を通って突き当たりのドアを開けた。
女は警官に背中を向け、産まれたばかりの乳児を抱きしめて床に座っていた。部屋の中は、病院から盗んできたオムツやミルクが散乱していた。
「今ならまだ間に合いますよ。どうか考え直して、病院にお戻りなさい」
警官は優しい笑顔で言葉をかけた。だが女は「だって」や「でも」といった言葉しか出てこなかった。
「ここにいたってこの子は学校も行けないんですよ」
「じゃあ、じゃあせめて学校に上がるまでは一緒に……」
「無理ですよ。パートナーはいらっしゃらないんですか?」
「いません……私と……赤ちゃんだけ……」
「“最後“にもう一度言います。今ならまだ間に合いますよ。病院に戻りましょう。子どもは預けるのです」
恐怖で怯えたように汗をかき、唇を噛み締めていた女の顔から、次第に感情が消えていった。
「……わかりました……」
女は力無くそう言った。
その言葉を聞いて、警官は気付かれないように出していたワイヤーの端を、手首から体内に格納した。
乳児を抱いた警官が管理室の窓をノックし、会釈して女と去っていった。
管理人と警備員は安心した顔をして、「やれやれ」と言った。
腹が減り過ぎて目が覚めてしまったボギーは、冷蔵庫の中を物色した。午後1時。まだ誰も起きてこない。
「冷凍庫の中に美味そうなの発見!」
ボギーはマグロの柵と冷蔵庫の胡瓜を角切りにし始めた。
「みんな〜、起きろよ〜〜。俺丼食えよ〜」
リビングにはボギーの声しか響き渡らず、各々の部屋からも物音はしなかった。
「……」
リビングはまた静まり返った。
「ギター鳴らしたろ」
ジャ───ン
ギャギャギャ───ギィィィ
ドアを乱暴に開けて、レジーがリビングに飛び出して来た。
「うるせえ!」
キャンティも自室から不機嫌顔で出てきた。
「信じらんねえ……そのアンプぶっ壊す」
「俺のポキ丼食えよ〜。多分美味いって〜」
「多分って何だ……」辨野と場地も起きて来た。
「ビリーは?」
「あいつは爆音くらいじゃ起きない。とりあえずアンプ抜け……」
「そのギターは買ったのか?」辨野がポキ丼を食べながらボギーに聞いた。
「貰った。地元の楽器屋のじーちゃんたちに。そこの店、3人のじーちゃんでやっててさ、たまたまクロスロードでばったり会った時、チューニングしといたから持っていきなってくれたんだよ。未だに弾けねーんだけどっ! あはは」と笑った。
「3人いたのか?」辨野が聞いた。
「真っ暗だったけど、顔だけははっきり見えたから3人じゃね? 優しいじいちゃんたちだったよ。結構小さい頃から店覗いてたから、顔も覚えられてて────」
「へえ」
辨野は少しニヤリとしたが、それ以上は何も言わなかった。
ボギーは左手の指でぎこちなく弦を押さえ、アンプを外して遠慮なくジャンジャン鳴らした。
「へったくそだな……」キャンティが言った。
左手をもたつかせながらコードを鳴らして
「なんかどっかの一本が変な音鳴るんだけど……」とボギーは嘆いたが、その割には楽しそうだった。
「お前そんなの抱えてよく歩き回ってたな。重くねーのか」レジーが言った。
「全然平気。コイツは俺の体の一部だぜ」とドヤ顔で言った。
「ド下手くそなのによく言う……」とキャンティが言った。
「ボギ蔵、昼間ウロウロするなら、あっちの部屋でID付けて行けよ」
食べ終わった辨野が、リビングの奥の暗い部屋を指して言った。
「付けるの?」とボギーが不思議そうに言った。
場地は頷いて、
「俺らのIDは無登録だろ? IDが無いと野良だってバレる。日本中を監視されてるからな。だから出歩く時はダミーのIDを付けてんのよ。誰かのIDを勝手に拝借。短時間ならバレない。ランダムに日毎に変えてる。これなら多少検知されるのに時間稼ぎになる」
場地はさっさと食べ終わってキッチンに向かいながら、
「ただし、人型と接触したり目が合ったりすると、すぐダミーって検知されるから気をつけろ。ほれ、ダミーの登録のやり方教えるから」と言った。
通常、生後すぐに極小のチップが耳たぶに埋め込まれる。ボギーも左耳にチップが入っており、ヘッドギアを装着した。
「人目があると襲わないって、面白いよね」
ボギーはダミーIDを体に取り込みながら、場地に話しかけた。
人型に攻撃させない最善策は、一般人が大勢集まっている所に紛れる事。
野良狩りや人型の存在をひた隠しにする徹底ぶりは、好都合な事もある。
噂が流れる事も許さないらしく、見られたらそこにいる全員を皆殺しにしなきゃならないらしい。
「周囲にバレないように消しに来るから、大体ブレードかワイヤーか。サイレンサー付きの銃とかありそうだけど見た事ないな」
モニターに【ID登録完了】の表示が出て、ボギーは両腕を上げて伸びをした。
「一瞬! よっしゃ買い物行こ! こういうの、まさかベンさんが開発したんじゃないよね」
「まさか。ああ、今度会いに行くか」と場地が言った。
「誰に?」
「情報部隊」
「夜はオムライスだ! 召し上がりやがれ〜」
ボギーはドヤ顔でオムライスをテーブルに並べた。
「本当に料理人になりたかったんだ、お前」と辨野が感心して言った。
「いや別に? 俺、将来なりたい職業はって聞かれたら、【匠】って答えてたからな〜」
「それ職業じゃねえし……」
ツッコむのもそろそろ疲れてきたキャンティが、呆れ顔で言った。
午後9時を回った頃、辨野がスマホを見て言った。
「[2人帰って来れなくなり。直ちに六本木へ]だそうだ」
スマホの画面に、写真付きの2人の情報が表示された。
「女の子だ。野良なの?」ボギーが聞いた。
「ああ」
「助けよう!」ボギーはキリッとして言った。
「囮になれ。お前」とレジーがボギーを見て言った。
「ええ……どうやって?」ボギーが不信感を顔に出して言った。
「目が合えば襲って来るだろ。簡単」とキャンティが言った。
「確かに!」
そこで「ダーメ」と辨野が口を挟んだ。
「まだ人がめちゃくちゃ多い時間だな」と場地が呟いた。
ソーダ味のアイスを食べていたレジーは、鋭い瞳の奥に隠しきれない戦闘意欲を見せ始め、不敵な笑みを浮かべて言った。
「廃墟ビルに誘い込んで、ぶっ潰す」
「ハナです。地下のファストフードにいる。人がいっぱいいるから。でもずっと見てる奴がいる。たぶん人型」
イヤホンマイクが拾ったハナの声は、小声だがしっかり聞き取れるよう、丁寧で冷静な口調だった。
「いつのまにか目が合っちゃったのかも〜」と、ベティはハナに話しかけるように、アイスラテを飲みながら言った。2人で普通にお喋りしているかのように、周りに装っていた。
[どんな奴?]とイヤホンから辨野の声が聞こえた。
「白人、20代から30代、髪は茶色、180cm、白のTシャツ、黒のパンツ」
「白T黒パンの白人なんて、六本木に100人はいるって……」
イヤホンから会話を聞いていたキャンティが呟いた。
ネオンと車のテイルランプで溢れかえっている街の、廃墟ビルの前にレジーとキャンティはいた。キャンティは入り口の階段に座り、通り過ぎる人を興味なさそうに眺めていた。
レジーはビルを見上げて、
「ちょっと暴れただけで全壊しないよな、このボロビル」と言った。
辨野はイヤホン越しの彼女たちに向かって、
「そのまま外に出て。俺を見つけても無視。飯倉方面に直進。俺が合図したら芋洗坂の方に走れ」と言った。
ベティとハナは言われた通り外に出て、人がごった返している大通りを歩いた。
やはり付いて来る白人の男を警戒しながら、慎重に辨野の前を通り過ぎて、合図を待った。
(このまま歩いていいんだよね……)
ベティとハナは平静を装って、正面を向いて歩いた。
すると数メートル先に、こちらを見て不敵に笑う、見覚えのある双子の顔があった。
双子は彼女たちを見ているのではなく、その後ろを見ていた。
「鬼さんこちら♡」
レジーのその言葉と同時に「行け」という合図がイヤホンから聞こえた彼女たちは、急いで右に曲がり芋洗坂の方に走った。
キャンティはすでに開けておいた正面の入り口からビルの中に入り、レジーはビルの裏に回った。
白人の男は足音や無駄な動きが一切なく、真っ直ぐキャンティの後を追ってビルの中に入って行った。




