左へ曲がれば
ありきたりな展開は、思考を蝕む。
愛しい人への信頼さえも。
彼女が事故で息を引き取ってから三カ月。
部屋に残った香水の匂いが薄れた頃、俺は逃げるように車に乗り込んだ。
エンジンをかけると、かつてふたりで聞いていたプレイリストが自動で流れ始める。
けれど歌詞は頭に入ってこない。
フロントガラスの向こうに夏雲が浮かび、舗装の継ぎ目がタイヤの下で規則正しく弾む。
それだけを感じ取りながら、俺は車を走らせた。
県境の峠道にさしかかる。
助手席にはもう誰もいないのに、無意識に助手席を見てしまった。
「シートベルト閉めた?」
声が漏れそうになる。
彼女が生きていたころ、よくここで道を間違えた。
思い出すたび胸がすくむのか軋むのかわからない。
すると、ナビが突然ピピッと鳴り、目的地を再計算し始めた。
画面に現れた赤いラインは集落を外れ、山奥へ折れ込む旧道を示す。
地元で“首無し坂”と呼ばれ、昔から事故死が絶えないと噂されるいわくつきの道だ。
生前の彼女はその話を怖がり、決して近寄らなかった。
ナビの故障か?
若干イラつきながらスピードを落として、もう一度画面を見る。
分かれ道が迫っていた。
左へ行けばナビの指示どおり。
右へ行けば国道を回り、海沿いに抜けられる。
そこへ、澄んだナビ音声がすうっと響いた。
「三百メートル先、左方向です」
妙にやわらかい口調が彼女の声質に重なり、背中の汗が冷たくなった。
ふいに、ある種の奇怪な考えが頭に浮かぶ。
よくある展開じゃないか、これは。
ナビに従って進んでいくと、誰もいない不気味な場所に辿り着くような類の。
くだらない怪談話だ。
乾いた唇を舐める。
もし彼女が、俺を向こう側へ連れて行こうとしているなら――。
そんな妄想が頭をかすめ、ブレーキを踏み、俺は右ウインカーを出した。
ハンドルを切ると、砂利が跳ねて車体が揺れる。
ナビの矢印はくるくる迷いながら再計算を繰り返している。
胸にわずかな安堵が芽生えた瞬間。
対向車線奥で荷台を揺らした大型トラックがセンターラインを割って膨らんできた。
運転手はこちらを見ていない。
逃げ場のないカーブ。
アクセルを抜くより早く、ヘッドライトが真っ白な閃光となり、衝突音が鼓膜を裂いた。
エアバッグが炸裂し、シートベルトが骨に食い込む。
視界は赤黒く滲み、耳鳴りが遠雷のように鳴った。
血の匂いと鉄の味が混ざり合う。
身体がバラバラになったような痛みが押し寄せる。
耳鳴りが波音に変わり、そこで俺は悟った。
あいつは俺を道連れにしようとしたわけじゃない。
守ろうとしてくれていたんだ。
ひしゃげた助手席に座る彼女のシルエットが、霞の向こうで笑っている、気がした。
もう、痛みはない。
俺は目を閉じて、この世界を手放した。