最後の灯火
暗がりの中で、じっと手元を見つめている。
湿った風が吹き込むたび、手に掴んだオイルライターの小さな炎が揺らぐ。
頼りないオレンジ色の光は、今にも闇に飲まれそうだ。
親指を離せば蓋が閉まり、あたりは完全な漆黒に戻る。
そうすれば二度と、この火は点かないような気がしていた。
ここは廃村の外れにあるトンネルの入り口だ。
コンクリートの壁には緑色の苔がびっしりと張り付き、天井からは絶え間なく水滴が落ちてくる。
ピチャピチャと、水溜まりを叩く音が鼓膜の奥で反響を繰り返す。
待っている。
誰を?
誰でもない。
ただ、ここを動くことができない。
足元の地面が泥濘み、靴底を強く吸い付けているからだ。
泥は生き物のように粘度を増し、足首まで這い上がってきている。
トンネルの奥から風が吹くと、腐った土のような匂いがした。
炎が大きく傾き、影が伸びる。
コンクリートの壁に映る自分の影がねじれて見えた。
その影の隣に、もう一つ、別の影が並んでいる。
「火を、すこし」
声はすぐ耳元で聞こえた。
掠れて、乾いた音。
落ち葉を踏みしめる音に似ている。
横を見ると、男が立っていた。
いつの間にそこにいたのか、足音はまったく聞こえなかった。
男は古い作業服を着ていて、顔は帽子のツバに隠れて見えないが、顎のあたりまで包帯が巻かれているのがわかる。
包帯の隙間から、なにかドス黒い液体が滲んでいる。
「火を」
男は一本の煙草を差し出した。
その爪は剥がれ落ち、赤黒い肉が露わになっていた。
私は何も言わず、ライターを差し出す。
炎が男の顔を照らすと、包帯の隙間、本来目があるべき場所にはなにもなく、ただ深い空洞があった。
男は煙草に火をつけると深く吸い込んで、紫色の煙を吐き出した。
煙は甘ったるい、しかし嗅いだことのない花のような香りを漂わせる。
「ありがとう」
男は煙草をくわえたまま、トンネルの闇へと歩き出した。
その背中が闇に溶ける寸前、男は振り返らずに言った。
「絶やさんようにな」
男の姿が見えなくなると同時に、周囲の気配が変わった。
水滴の音が止み、風も止んだ。
かわりに、無数の視線が肌に突き刺さってくる。
背後の草むらから、頭上の木々から、そして足元の泥の中から。
オイルは確実に減っている。
金属のケースが熱を持ち、指先を焦がし始めた。
熱さは鋭い痛みとなり、痛みは焦燥を生む。
草むらがガサガサと揺れる。
這うような、引きずるような音。
湿った音が、ライターの光が届かない境界線ギリギリで止まる。
「火を」
「寄こせ」
「寒い」
「もっとこっちへ」
重なり合う声。
女の声、子供の声、老婆の声。
それらはすべて、先ほどの男と同じように乾いていた。
炎が小さくなってきた。
芯が燃え尽きようとしている。
親指が熱さに耐えきれず、痙攣を始めた。
私は必死に炎を守ろうと、もう片方の手で覆いを作る。
その瞬間、伸びてきた白い手が私の手首を掴んだ。
氷のような冷たさが皮膚を突き破り、骨まで浸透する。
「火を」
誰かが囁く。
炎が青白く輝き、ふっと吸い込まれるように消滅した。
闇の帳が落ちる。
足元の泥が、ふくらはぎまで這い上がってくる感触があった。
無数の冷たい手が、身体中に触れる。
絶やさないように。
ああ、そうか。
彼らは火を求めていたのではなかった。
火が消える瞬間を、待っていたのだ。
それは命の輝き。




