欠席裁判
埃と、湿った雑巾のような匂いがする。
気がつくと、俺は古い公民館の会議室みたいな場所に座っていた。
長いテーブルには、俺を含めて七人の男女が着席している。
誰も顔見知りではない。
にもかかわらず、彼らの間には妙な連帯感が漂っていた。
まるで、長年連れ添った劇団のように。
「では、始めます」
眼鏡をかけた痩せた男が、議長のように口火を切った。
その声は、乾いた紙やすりのようにざらついている。
「本日の議題は、言うまでもなく『阿久津』の件です」
阿久津。
その名前に、俺の記憶はまるで反応しなかった。
誰だ、それは。
しかし、他の参加者たちは一様に重々しく頷いている。
なんだ、これは。
なにやら会議のようだが、そもそもここがどこなのか、なぜ俺がここにいるのかわからなかった。
それどころか、いつ、どうやってここに辿り着いたのか、それすらも思い出せない。
昨日は何をしていたっけ。
「まったく、あいつは許せませんね」
向かいに座る、厚化粧の女が吐き捨てるように言った。
「この前の課の打ち上げ。わざわざ高い店を予約したっていうのに、『家の用事がある』ですって。白々しい」
「ああ、それ」
女の言葉に、隣の作業着姿の男が同調する。
「あいつ、いつもそうだ。俺たちの『輪』に入ろうとしない。誘っても、どこか一歩引いている」
「そうそう!」
「わかる」
議論は熱を帯び始めた。
彼らが挙げる阿久津とやらの罪状は、どれも取るに足らないものばかりだった。
曰く、ランチの誘いを断ることがある。
曰く、皆が噂話で盛り上がっている時に黙々とパソコンを打っている。
曰く、上司の冗談に作り笑いすらせず真顔でいる。
それは、罪なのか?
俺は疑問に思った。
だが、部屋に充満するねっとりとした非難の空気が、俺の思考を麻痺させた。
彼らの言葉は、単なる悪口ではなかった。
それはもっと粘度が高く、質量を持った呪詛のようだ。
彼らは阿久津という存在が、自分たちの形成する完璧な調和を乱す異物であると、本気で断罪しているのだ。
「あいつの、あの『自分は違います』みたいな態度が、我々全員を不快にしているんだ。これは明白な『罪』ですよ」
議長の言葉に、全員が強く頷いた。
俺も、いつの間にか頷いていた。
そうだ。
そういう奴は、いる。
空気を読まず、集団の和を乱す人間。
そいつがいるだけで場の雰囲気は淀む。
それは確かに、不快だ。
許しがたい。
……阿久津が誰なのかは、未だにわからないが。
「判決を」
誰かが言った。
議長が、満足そうに全員の顔を見渡す。
「異議のある方は?」
誰も手を挙げない。
もちろん、俺もだ。
「では、満場一致ですね。阿久津は、我々の世界から『追放』ということで」
追放?
その言葉の響きに、俺はぞくりとした。
それは、どういう意味だ?
狼狽える俺を無視して彼らは立ち上がり、満足げな、やり遂げたような顔で互いに頷き合っている。
まるで、大きな仕事を終えたかのように。
「ああ、スッキリした」
「これで明日から、快適になるわ」
俺も慌てて立ち上がった。
「あの!」
俺は声を張り上げた。
「阿久津って、一体誰なんです? 俺は、そんな名前、聞いたこともないんですが」
六人の男女が一斉に俺を振り返った。
彼らの顔には、さっきまでの熱狂が嘘のように消え、氷のような無表情が浮かんでいる。
議長の男が、薄く笑った。
「おや。ご存知ない?」
「……何をです?」
「あなたが、なぜ今日ここに呼ばれたのか」
ぞわり、と背筋を冷たいものが駆け上がった。
「阿久津は、欠席裁判となりましたから」
と、厚化粧の女がくすくす笑う。
「本日の第二議題は、『あなた』の件です」
俺は息を呑んだ。
「ま、待ってください。俺はここに出席しているじゃないか!」
「ええ、もちろん」
議長は、心底おかしそうに肩をすくめた。
「だから、これは欠席裁判じゃない。ただの査問会ですよ」
彼はバインダーを閉じた。
「——あなたが、我々の『輪』にふさわしいかどうか、これから皆で決めないといけませんからね」
埃と、湿った雑巾の匂いが、急に濃くなった。
ふさわしくなかったら、どうなるっていうんだ。
他の五人が、じり、と俺を取り囲むように一歩、近づいた。
大事な話は、大体いつもこれ。




