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元カレ

一ノ瀬 遙がスマホを握りしめたのは、深夜二時を回った頃だった。


きっかけは些細なことだ。

一人でつけていたテレビから流れた古いラブソング。

そのメロディを聴いた瞬間、記憶が稲妻のように脳裏を走った。


智也。


約一年前、親密に付き合っていた元カレだ。


遙はすぐに、智也のSNSアカウントを検索した。

智也はマメなタイプではなかったが、SNSを全くやらないわけではないことを遙は知っていた。

しかし、記憶にあるアカウント名で検索してもそれらしき人物はヒットしない。


「あれ……名前変えたのかな」


遙はSNSでの捜索を諦めて、去年の夏に投稿した自分の写真を遡る作業に移った。

早速、八月に智也と二人で行った熱海旅行の写真を見つける。


しかし、写真に写っているのは遙一人。


海辺の岩場、旅館の窓辺、お揃いで買ったキーホルダー。

それらを撮っている遙自身の姿しかない。

智也を撮った写真も、智也へのタグ付けも、智也とのコメントのやり取りも、すべてが完全に欠落していた。


遙は額に冷や汗が伝うのを感じた。


おそるおそるLINEを開いて「智也」を検索するも、どこにも彼の痕跡はない。

あまりの衝撃に指先が震え、スマホを落としそうになった。


「え、なんで……」


遙は当時の共通の友人たちとのグループLINEを開き、メッセージを送り始めた。


「去年の夏、私と智也が熱海に行った話したよね」


返信はすぐに来た。


「あ~、誰と行ったんだっけ? 智也って…ごめん、誰」

「智也? そんな男と付き合ってたっけ。ちょっと記憶にないかも」


全員が、智也の存在そのものを否定した。


パニックに陥った遙は、智也を探し求めてSNSの奥深くまで潜り込んだ。

長めの英単語が組み合わさったアカウントだから、打ち間違えたに違いない。

そう思いながら必死に検索し続けること数十分。

ついに一つのアカウントを発見した。


これだ、間違いない。


しかし、遙の胸の内にこみあげてきたものは、安心でも嬉しさでもなかった。

それは言いようのない不安。


アイコンは、誰もが初期設定で使う水色のアイコンだった。

フォロワーはゼロ、最新の投稿は遙と付き合うよりも遥か昔、約三年前の日付。


その投稿は意味不明なひらがなの羅列で埋め尽くされていた。


遙は手から滑り落ちるスマホを気にも留めず、しゃがみ込んで頭を抱えた。

智也との思い出は、あまりにも鮮明だ。

手の温もりや声の響き、匂い、すべてが五感に焼き付いている。

しかし、そのすべてが誰の記録にも、誰の記憶にも残されていない。


全部、自分の妄想?


遙はゆっくりと、自分の左手の薬指を見た。

智也からもらったはずのペアリングは、当然ながらそこにはない。

あるのは、指輪が締め付けた跡だけ。


では、この指が覚えている誰かの指と絡み合った感触は一体、誰の指だったのか。

遙は自分の存在が、一人残された虚無の記憶だったのではないかという決定的な自己不信に、声も出せずに押しつぶされそうになっていた。


その瞬間、ブーンという振動音とともにスマホの画面が突如として光った。

目を向けると、ダイレクトメッセージの通知がポップアップしている。


あの水色をしたアイコン。


大好きだったあの人。


智也からの。


遙は呼吸を忘れて画面を見つめた。

メッセージの本文をタップする勇気は、彼女には残されていなかった。

よりをもどす、とは、寄りを戻すとも書けますね……。

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