同窓会
ざらついた木目のテーブルの上を、薄切りの刺身が滑っていく。
十年ぶりに会う同級生の、分厚くなった指がそれを運んでいた。
「でさあ……結局、高橋は?」
「まだ来てないみたいだ。幹事のくせに」
金曜の夜。
ありふれたチェーン居酒屋の、掘りごたつ式の個室。
壁には「本日のおすすめ」と達筆で書かれた短冊が貼ってある。
ビールと揚げ物の匂いに、少しだけ年をとった顔、顔、顔。
俺は、曖昧に頷きながらハイボールのグラスを傾けた。
「しかし、変わらねえな、お前ら」
「あんたが一番変わってないよ、佐伯」
俺の使い古された台詞にそう言って笑うのは、クラス委員長だった吉永だ。
結婚したらしく、今は山田という苗字になっている。
彼女の薬指には、安っぽくはない指輪が光っていた。
卒業アルバムをめくるような会話が続く。
あの時の先生は、あの時の文化祭は、あの時の馬鹿な噂話は。
そんな中で、違和感は唐突に始まった。
「でもさ、あの時の修学旅行、あいつ来なかったよな」
元野球部の剣崎が言った。
「え? 来たでしょ。夜に枕投げして担任に怒られてたじゃん」
すかさず山田が返す。
「いや、してない。あいつ、直前に風邪ひいて」
「違うよ。来てたって。ほら、バスで隣だった」
あいつって、誰のことだ?
俺は会話の文脈を追おうとしたが、彼らが誰の話をしているのかさっぱりわからなかった。
幹事の高橋ではない。
別の、俺たちの輪の中心にいたはずの、ある生徒。
だが、その名前も、顔も、思い出せない。
「……誰の話?」
俺が尋ねると、個室が一瞬、しんと静まり返った。
BGMのJ-POPだけが、やけに響いて聞こえる。
皆が俺の顔をじっと見ていた。
その目には、懐かしさとは別の、何かぬるりとした感情が浮かんでいる。
「何言ってんだよ、佐伯」
剣崎が乾いた笑いを漏らした。
「忘れたのか? お前のすぐ後ろの席だったのに」
後ろの席。
俺は記憶を探った。
窓際の一番後ろは、いつも空席だったはずだ。
いや、違う。
たしかに誰かいた。
背の高い、影の薄い……。
「ほら、あれだよ」
山田が個室の隅を指さした。
「あいつ、ああいうの好きだったよね」
彼女が指さしたのは、壁にかけられたセンスの悪い水墨画のレプリカだった。
「たしかに」
「いつも描いてたよな、ああいうの」
「ノートの端っこにな」
皆が頷き合い、再び「あいつ」の思い出話に花を咲かせ始める。
俺だけが、ついていけない。
水墨画は、ただの山と川の絵だ。
それを見て特定の個人を思い出すことなど、できるはずがない。
冷や汗が背中を伝う。
ハイボールの氷が、カラン、と高い音を立てた。
「佐伯、どうした? 顔色悪いぞ」
「いや……ちょっと、酔ったかも。トイレ」
俺は立ち上がった。
掘りごたつから足を引き抜く感覚が、やけに鈍い。
襖を開けて、個室の外へ出る。
「そういえばさ」
背後から、剣崎の声がした。
俺は後ろ手に襖をしめて、振り返らずに動きを止めた。
「あいつ、お前のことどう思ってたんだろうな」
その声は、ひどく平坦だった。
まるで、居酒屋の喧騒とは別の場所から響いてくるように。
「あいつだけだったな、お前のこと覚えてないの」
廊下は異様に静かだった。
さっきまで聞こえていた他の客の笑い声も、店員の呼び込みも、何も聞こえない。
ただ、俺が出てきた個室の番号札だけが、ぼんやりと光っている。
俺は、自分のスマートフォンの通知を見た。
一時間前、幹事の高橋からグループメッセージが届いている。
『ごめん! 今日、急な出張で幹事なのに参加できなくなった! 吉田が代行やってくれるから、みんな楽しんで!』
吉田?
俺は個室の方を振り返った。
襖は、ぴったりと閉じられている。
中から、相変わらず楽しそうな笑い声が漏れていた。
だが、その笑い声は、どこかおかしい。
壊れたラジカセから流れる音声のように不規則に途切れ、重なり合っている。
『……ザザ……変わらねえな……あいつ……覚えてない……』
俺は出口に向かって無我夢中で歩き出した。
会計は、どうでもいい。
あの個室には、戻れない。
店を出て冷たい夜風に当たると、急に夢から覚めたような感覚に襲われた。
今日、同窓会の予定なんかあったっけ。
そういえば……吉田って誰だ。
ここ、何処だ?
記憶にない場所だ。
記憶。
記憶ってなんだ?
俺は、自分の名前も思い出せなくなっていた。
あなたは覚えていますか?




