オフ会
ケンジは、ここ数ヶ月で最も高揚していた。
彼が夢中になっているのは、「廃墟探索」の匿名フォーラムだ。
ハンドルネーム「K」として、彼はいくつかのスレッドで活発に議論を交わし、特にカリスマ的なリーダー格の「主」という人物と親しくなった。
そして今日、ついに「主」が主催するオフ会が開催されるのだ。
メンバーはケンジを含めて4人。「主」、古参メンバーの「ノクターン」、そして紅一点の「シズク」。
集合場所は、都心から2時間ほど離れた私鉄の終着駅。
そこから「主」の車で、今夜の目的地である山中の廃診療所へ向かう手筈だった。
改札を出ると、肌寒いロータリーに3人の人影があった。
「Kさん?」
声をかけてきたのは、痩身で黒いコートを着た男だった。
顔色は病的に白く、目だけが妙にギラついている。
おそらく彼が「主」だろう。
なぜだかそう確信したケンジは、にこやかに挨拶を返した。
「そうです!はじめまして、主さん」
ケンジが差し出した手を、主は握り返さなかった。
ただ、薄く笑う。
「どうも。こちらノクターンさん、こっちがシズクさん」
紹介された二人は、主以上に無表情だった。
ノクターンと呼ばれる男は、冬だというのに薄手のパーカー一枚で、焦点の合わない目で虚空を見ている。
シズクは可愛らしいワンピースを着ているが、人形のように瞬きが少なかった。
(……思ったより、暗い人たちだな)
ネット上での主は、もっと雄弁で情熱的だった。
ノクターンもシズクも、ジョークを飛ばす気さくな人物像を想像していた。
「まあ、ネットとリアルは違いますよね」
ケンジが気まずさを誤魔化すように笑うと、主は「ええ、全く」とだけ返し、駐車場に停めてあった古いワゴン車を指差した。
車内は、カビと獣の匂いが混じったような異臭が充満していた。
後部座席でケンジは、無言のノクターンとシズクに挟まれる形になった。
車が揺れるたびにぶつかり合う彼らの体は、外気よりも明らかに冷たかった。
車は舗装されていない山道に入り、やがて巨大なコンクリートの塊の前で止まった。
月明かりに照らされた診療所の姿は、巨大な墓石のようだ。
「さあ、行きましょう。懐中電灯は必須ですよ」
主がバールで入り口の鎖をこじ開ける。
ギィィ、と錆びた金属音が闇に響いた。
中は、想像を絶する荒廃ぶりだった。
腐った畳と薬品の匂いが鼻を突く。
ケンジは興奮で寒さを忘れ、デジタルカメラのシャッターを夢中で切った。
「こっちです」
主は慣れた様子で、地下へ続く階段を指差した。
「メインディッシュは地下の手術室ですから」
地下は、地上よりも空気が重く、湿っていた。
懐中電灯の光が、壁の染みに反射してヌメヌメと光っている。
先頭を主が、最後尾をケンジが歩く。その間を、ノクターンとシズクが機械的な足取りでついてくる。
おかしい。
ケンジはふと気づいた。
この二人、診療所に入ってから一言も発していない。
「あの、ノクターンさんたち……」
ケンジが声をかけようとした、その時だった。
パチ。
先頭を歩いていた主の懐中電灯が、不意に消えた。
いや、違う。主が自分で消したのだ。
「主さん? どうしたんですか?」
ケンジが自分の懐中電灯を主に向けると、そこには誰もいなかった。
「え?」
ノクターンとシズクも、いつの間にか消えている。
「ちょ、みんなどこったんですか!?」
ケンジは叫んだが、返事はない。
自分のライトが照らす円の中だけが「現実」で、その外側は、まるで墨を流したように濃い闇が広がっている。
パニックになりかけたケンジの耳に、低い囁き声が聞こえた。
『はじめまして、Kさん』
主の声だ。
すぐ近くから聞こえる。
だが、姿は見えない。
「ど、どこですか! さすがにこれは、冗談きついですよ!」
『冗談? 君、ここの噂、知ってるんだろう?』
声は、右から、左から、背後から、同時に聞こえる。
ケンジは懐中電灯を振り回した。
光が揺れながら壁をなぞる。
そして、見てしまった。
壁に映る、自分の影。
その影の足元から、別の「影」が、3本、這い寄ってきていた。
それは、主、ノクターン、シズクの形をしていたが、物理的な体はどこにもない。
ただ、異常に濃い影だけが、壁や床を自在に這い回っている。
『ネットとリアルは違うって、君が言ったんじゃないか……』
主の影が嘲笑うように揺らめいた。
「ひっ…!」
ケンジは逃げようとした。だが、足が動かない。
自分の足元を見ると、3本の影が自分の影に絡みついていた。
まるで、自分の影を踏んでいるかのように。
『新しい仲間が増えるね……』
シズクの甲高い笑い声が、闇に溶けた。
ケンジの懐中電灯が、カラン、と音を立てて床に落ちた。
彼の影が、他の3つの影と混ざり合い、ゆっくりと闇に引きずり込まれていく。
数日後。
廃墟探索フォーラムに、新しいスレッドが立った。
【件名】次回のオフ会について 【投稿者】主
「先日のオフ会は、大成功でした。 新しく『K』も本当の仲間になりました。 さて、来月のオフ会ですが、今度は有名なTトンネルに行きませんか? 新しい仲間、大歓迎です」
その書き込みには、既にいくつかの「参加します!」という返信がついていた。




