ディマスの仔
「ディマスの仔は産声と共に何かしらの異常が起きて、見境なしに周囲を傷つけたり殺したりするんだよ。だから隙を見て殺すんだ。それから医者が悪い血を抜いて人間に戻してやるんだって」
なにその怖い話聞いた事ない……と思ったけど前にロジーが言ってた八つ裂きにされて死ぬ母親の話がこのケースなんだろうか。それだけの被害が出るなら対応としては仕方がないのかもしれないが、気分の良くない話だ。
それに瀉血はどこから来た。いや瀉血は間違った治療だけど生きている時に施すものなので正確には違うか。そのまま血抜きでいいんだろうか。そんな描写を医学書でちらっと見た覚えがあるがドン引きして詳細を読まなかった。こんなことならちゃんと読んでおけばよかったな。もしかしたら何かしらの根拠があるのかもしれない。それでも死者に鞭打つ所業がまかり通っているなんて信じられない事だ。食肉用の家畜じゃないんだぞ。
しかしロジーはどうやってそれを逃れたんだろう。無差別に周囲に危害を加えるなら、たとえすぐ殺されなくても誰も育ててくれないというか育てられないだろう。赤ん坊がどうやって一人で生き延びた?
「僕はよくわからないけど、なかなかそういう事が起きなくて……起きるとわかった頃には隠さなきゃいけないってわかってたから、隠してきた。僕を産んだ女も知らなかったと思う。なんで生きてるんだとは何度も言われたけど、殺そうとはしてこなかったから」
その割には隠し方ガバだったけど大丈夫か? よく生き延びて来られたな。
疑問点は多々あるがやっぱりロジーの母親はクソ。母親と呼ばないのは自分の意思か母親の意思かでクソ度が変わってくるけどどっちにしろクソ。もしご存命なら落ち武者ハゲになってほしい。
私はいいママになるからな……。
「だからリリーはすごく変。どうして?」
「なにが?」
「僕を殺そうとしないの、どうして?」
「理由がないもの」
「理由?」
「ディマスの仔というのは、人を殺めるから仕方なく殺すのでしょう? だけどロジーはわたしを殺そうとしないもの」
「そうだけど……ディマスだから殺されるんじゃないの?」
「……王城にはディマスの衛馬がたくさんいるし、わたしにはロジーは人に見えるのだけれど……」
そもそも人間の定義って何だ? 魔法を使えたら人間じゃない扱いならこれは魔女狩りか悪魔祓いか? ご先祖様と我々王族グレーゾーンじゃないか? この辺突き詰めると革命からの処刑ルート行きそうだからあんまり考えたくない。
王族とはいえ、つくづく隔絶された環境にいたものだ。知らない事が多すぎる。書庫通いもあまり良い顔されなかったもんな。淑女教育はバンバンやらされたのにな。クソッタレ。
ディマスの仔は人間ではないので殺すべき――これが一般論ならクソ喰らえ。
国王である父は把握している事案だろう。こんなのが蔓延っている現状を放置しているなら本気で軽蔑する。
だってこれ、衛馬派遣すれば対処できるんじゃないだろうか。
あの子達は優しい。騎手ではない私が近くで転んだ時に護ってくれて、怪我をせずに済んだ事がある。同じように母親や乳母を護ってもらえばなんとかなりそうなものだ。
分別がつくまで成長すればロジーみたいに魔法を制御できるようになるかもしれない。同じベッドで寝ていても傷一つつけられた事がないので無意識化での暴走もなさそうだし、そこまで危険ではないように思える。
この国の歴史も医学も法律も、クソッタレな事ばかりなのであんまり信用していない。私は私の目で見たものを信じる。
「わたしは、ロジーは優しくていい人だと思うから、生きていてほしいわ」
結局のところ、利害が一致するかどうかだ。
衛馬もご先祖様も、人知を越える能力を持っているという点は人類の脅威になり得た。
衛馬は騎手を護るが衛馬自身も護るので、もし彼等が爆走していても只人には止める手段がない。人は馬に蹴られて簡単に死ぬ。
ご先祖様は言わずもがな。テイマーとか一般人からしたら魔王と紙一重だろう。何のために力を行使したかが重要だ。というかご先祖様に関しては人間の敵対勢力とかあっても余裕で殲滅できたと思うのでマジモンの魔王だった可能性もある。今あるのは勝者とそれに追従し生き延びた者の歴史なので。
その点ロジーは初手のやらかしを除いて私にとって脅威ではない。……ちょっと言い過ぎたな。ちょいちょい脅威ではあるけど問答無用で殺せ! となる程ではない。子供が電子レンジに卵ぶち込んだとか飼い犬が泥遊びしたあと突撃してきたとかそんなレベルだ。困っちゃうから次は気をつけてね、で済む。なお次がないとは限らない。でもしょうがないな〜で済んじゃうやつである。
ロジーは私の言葉をゆっくりと咀嚼するように唇を震わせ、瞳を揺らしながら言った。
「君に触れたい」
早速爆発卵チャレンジか?
とりあえずハグをした。
「……たりない。噛んでいい?」
「だめ。おなかがすいたなら食事にしましょ」
グゥ、と唸ったのは彼の腹でなく喉だったけれど知らぬふりをする。
これが他の男だったならひっぱたいて悲鳴をあげながら逃げるところだが、大人しく腕の中にいるのは信頼の証だ。アサガオは肉食動物ではない。
あとなんか鼻を啜る音も聴こえるのでポンポンとあやすように背中を叩いてやった。
この世はとても生きづらい。それは私にもわかる。
ロジーが落ち着いてくると朝食の準備を始めようとしたので、ねだったら目の前で魔法を使ってくれた。初めは「え? ほんとに? 大丈夫?」みたいな顔をしながら挙動不審な様子を見せていたが、私のはしゃぎっぷりを見て次第に落ち着いたようだった。
私があまりにもにじり寄るので、火の付いた岩塩を鍋に入れる時なんかは「危ないから離れてて」と窘められたりもした。
岩塩を鍋の中でひと混ぜすると水が沸騰し出したので実際かなりの高温なんだろう。焼石みたいな感じかな。すぐに出された岩塩はジュッと水分を蒸発させてすっかり乾いていた。すごいんだけど温度とか塩分濃度の調整難しくないんだろうか。作ってもらっててなんだけどいつも大味なのこのせいでは?
「直接お鍋に火を当てないのはどうして?」
「鍋は燃えないから」
成る程、火を出現させてるのではなくそこにある物を燃やしてるのか。
でも燃やしてるって事は高温にできてるってことなので鍋自体温められそうなものだけどな。
「火は出せないの? 水みたいに」
「? 火は燃えるものだ」
「空気も燃えるじゃない?」
「????」
燃えなかったっけ? 酸素とか水素とか。
「じゃあ水を振動させて温めるのは?」
「水を、しんどうさせて、あたためる……」
駄目だロジーがオウム返ししかしなくなってしまった。
私自身原理とか詳しく説明できないしなあ……。
正直十年以上使ってなかった前世知識はめちゃくちゃ錆びついている。そもそも私は理系じゃなかったし人文学も詳しくないしマヨネーズの作り方も知らない。生食文化の無い場所でどうしたら生卵を安全に扱えるんだろう。ほんと謎。サブカルは嗜んでたけど小難しい説明とか「ほーん、なるほどね」と流し見するタイプだったので雑学すら身についていないという残念さ。言語の問題が生じなくても知識チートとか絶対無理だったな。こんな役に立たない転生者いる???
魔法ものでファイヤーボールとかあったけどあれどうなってるんだろう。燃える芯がないのに球状で飛んでいくの謎。それともよく燃える芯を同時に生成してるんだろうか。それ火属性だけじゃできなくない? よく火の初級魔法として出てくるけど実は複合魔法だった?
ロジーは現時点で水と火と念力っぽいの使えてるので自然の力を借りる的な魔法じゃないと思う。どちらかというと万能パワーって感じ。だからやろうと思えば何でもできそうなんだけどな。変身とか治癒とか時間操作とか。考えるだけでわくわくが止まらない。
ああ、転生して良かったな。生まれて初めて思った。
朝食を終える頃には、一生分喋ったかもしれないというくらい喋り倒した。
ちなみにどうやってるのか訊くとロジーは「そうなれって思ってる」と答えたので本当に万能説ある。原理とかなさそう。火の件はロジー自身ができないと思っているから今のところできないが認識を変えればいけるかもしれない。食事中もウンウン唸りながら手首をくるくるさせて何やら試しているようだった。時々水が出て慌てていたのが面白かった。
一番知りたかった「私にできるか」という件については、めちゃくちゃ水出ろって思っても出なかったのでたぶんそういう事。
テンションだだ下がりの私にロジーは不思議そうだ。
「どうしてリリーはそんなに使いたいの?」
「……すてきな力だもの」
無気力ぎみにぼんやり呟くと、ロジーはなんだか変な顔をした。
唇を噛み締めて何かを堪えるように瞼も閉じる。無神経な事を言っただろうか。でも本心だし、苦痛を感じている表情とも違う気がする。
ロジーは感情表現が下手だ。ピチ達への対応を見ていると無表情が常だったのだろうから仕方ないところもあるが、こちらが空気読みに苦労するのでもう少し表情豊かになってほしい。ほぼほぼ眉の動きと雰囲気だけで機嫌を読んでいる私はもうちょっと褒められるべきだ。
でもなんだろう、今回は本当に読めないな。本人もよくわかってないんじゃないだろうか。情緒が育ってないので有り得る。
「やっぱりリリーは変だ。他の人と全然違う」
おい、三度目だぞ。いい加減怒るぞ。割と城でも言われてたので結構効くのだ。
まあね、前世の記憶とかいうゴミ付きで生まれたから多少はね? でもロジーとかいうウルトラレアも大概だと思うんだよなあ?
ただ人間嫌いの気があるのもコミュニケーション不全も全部ディマスの仔とやらで説明がついてしまう。迫害対象である自覚があったなら人との関わりを最低限にしようとするのは当然だ。おまけに毒親コンボだし。それだけでもとても不憫なのに、本人これで寂しがりっぽいのがもう……頼むからどうにか幸せな家庭を築いてくれ。
ディマスの仔に関しては新人類説あるので育児法が確立されれば簡単に人数増えると思うのだ。能力が遺伝するかはまだわからないが、魔法使いが確認されていない今でもポツポツ生まれているのなら時間の問題だろう。
自然という脅威に多くの人間が殺されるこの世の中、干ばつも寒さも怖くないというだけでも強者だ。現状衛馬の飼育係でしかない王族なんてそのうち取って代わられ……もしかして権力維持のために捨て置いてるとかないだろうな。
テンションが下がる一方の私に、ロジーは噛み締めるように言った。
「リリーも、使えたらよかったのに」
本当にな。それは一番の地雷なので二度と言わないでほしい。
「僕と同じだったらよかったのに」という副音声が聴こえたけれど、こればっかりはどうしようもない。
私にできるのは「変」でも「違って」も人は一緒にいられるし、仲良くできるというのを証明する事くらいだ。