決意 2
「ロジレ! お前また俺の農具捨てやがったな!」
「ああ」
「何でだ!!」
「狭いし、怪我するといけないから……」
「何を今更! そもそも誰が怪我するってんだ!!」
「お嫁さん……」
「誰の!!」
「僕の……」
「寝言は寝て言え!!」
こんな酷い会話ある???
人の家を物置にしてた相手もアレだけどロジーの全く会話する気がない返事がヤバイ。botの方がまだ喋る。おかしいな、私と話す時はもっと長文喋ってたのにな。
戸を開けただけで一歩も外に出ていない私からは見えないが、彼等はどうやら歩きながら話しているようで、声が段々近付いてくる。
顔だけ出して声の方を見てみると、こちらに歩いてくるロジーと小太りの中年男性が見えた。
ロジーと目が合う。ショックを受けたような顔をされた。
「出ないでって、言ったのに……」
「おかえりなさい。よく見てロジー、わたしちゃんと家の中よ」
「た、ただいま……開けないでとも言った」
「あれは知らない誰かが来たらって話でしょう? ピチはお友達だもの、無視できないわ」
「…………!?」
ロジーとピチが揃って困惑した顔を見せた。
ロジーはともかくピチはなんなんだ。仲良くしようって言ったのはそっちなので今更撤回は受け付けない。ちょっと揉めたけどそれはそれ。これはこれ。見知らぬ土地に身一つで嫁いできた(ことになっている)ので同性のお友達はいるに越した事はない。ロジーのことは嫌いでも、私のことは嫌いにならないでください!!
二人が何も言わないので、私はロジーの隣で顎が外れそうな農具おじさんに挨拶した。
「初めまして、リリエンと申します」
「嘘だろ……どこからこんな姫さん攫ってきたんだ」
この国の首都の王城からですね。
ピチといい農具おじさんといい攫ってきた一択しかない辺りロジーがどう認識されてるのかわかるな。いや事実そうなんだけど。
あと名前はね、もういいかなって。自分の名前噛むのめちゃくちゃ恥ずかしいので許してほしい。
それにしてもここの人はちゃんと挨拶返してくれないな。愕然としてるおじさんにもう一度「初めまして」と笑顔で圧をかけると「あ、ああ……」と困惑しきりだった。自己紹介してくれる素振りがないのでこちらから気になっていた事を切り出す。
「昨日、家のお片付けをしようと思ったんだけれど、わたしうっかり物を倒して転びそうになってしまって。それでロジーが色々捨ててしまったみたい。もし他にもおじさまの物があるのなら、今のうちに引き取ってもらうのはどうかしら」
「おじさま……」
おじさんは愕然としている。
この人さっきから人の話聞いてる? 人んちに物置くなよ全部捨てるぞって言ったんだけど通じてない?
ちなみに昨日の私も愕然としていた。軟禁生活があまりにも暇だったので片付けでもしようと思ったものの、雑多なアレコレをどかそうとしても重くて持ち上がらないしあちこちスカートの裾をひっかけたりした。そわそわしているロジーが傍で待機してくれていなかったら間違いなく怪我をしただろう。最終的には「リリーは座ってて」と窘められ裁縫にシフトしたのだ。片付けもできない女のレッテルを貼られた屈辱の瞬間だった。あれ、これ別に他の女性をあてがわなくても普通に愛想つかされる可能性あるんじゃ?
ちらりとロジーを見ると彼は物言いたげにこちらを見ていた。口を開こうとしてまた閉じるのを繰り返している。ピチが気味悪そうにしながら彼に話しかけた。露骨すぎる。本当に落とす気ある???
「随分早かったじゃない。もう終わったの?」
「ああ、帰って確認して」
会話する気がゼロ。取り付く島もない。これでよくピチはロジーをどうにかしようと思ったな。
というか、このやり取りだけでピチの言っていた事が腑に落ちた。
「アンタも来なさいよ。報酬渡すから」
「僕は家に行った。いなかったのはそっちだろ。そっちが持ってくるべきだ。明日でいいから」
彼はピチと目を合わせようとしないし、その目は酷く濁っている。
あの死んだ魚の目はヤンデレスイッチだと思っていたが、彼女達に対してはあれが常だったのかもしれない。それならあの言い様も納得できる。怖いよねわかる。
言い募ろうとするピチに話は終わったと言わんばかりのロジーが私の手を掴む。荒々しいように見えて全く痛くないが相変わらず蛇に巻き付かれたような気分になる。パチリと瞬いた瞳が光を宿した。
「家に入ろう、冷えてる。……ジオ、今日中に全部出しとくから、いるなら持ってって」
ジオというらしいおじさんには目もくれず、彼は戸を閉めた。
鍵をかけると同時に「ちょっと!」とピチの抗議が聞こえたが彼は反応しなかった。
「ジオが気に入ったの?」
ただ私を見ながら静かに言った。その拳は強く握りしめられているように見える。
なんだか不穏な気配がするので慌てて否定した。
「とても気のせい」
「……ほんとう?」
「ええ。どうしてそう思ったの?」
「……かわいい顔してたから」
「わたしはいつもかわいいでしょ」
焦る余り思った事がそのまま声に出ていた。まずい、容姿に絶対の自信があるのが露呈してしまった。
流石に引かれたかと思ったがロジーは「それはそうだけど」と素直に肯定してくれる。なにこれ、これでモテないって嘘では?
「あんな風に男に笑うのって、近しい親族とか好きな相手くらいだよ……たぶん、ジオもそう思ってる」
「まあ……困ったわ……」
「困るなら僕がし」
「否定しておいてくれる?」
「…………うん」
彼の言葉を遮った私の反射神経を誰か褒めてほしい。何しようとしたのかその沈黙が気になるが「し」から始まる言葉で良いものが思いつかないのでスルーした。ロジーが何をどこまで躊躇せずにやるのかまだ判断がつかないが、私もしやおじさんの命救ったのでは?
それにしても全然話聞かないおじさんだと思っていたらまさかときめかれていたとは思わなかった。
まあ確かに? 私は美少女だから? キュンしちゃうのはわかるけど?
でも流石に新妻(だと思われてる)が夫の前で他の男に色目使ってると思われるのはおかしいと思う。しかもあのおじさん四十歳前後に見えたので間違ってなければ親の世代だぞ。もうちょい理性と女性耐性つけておいてほしい。
ロジーの過剰反応による思い違いであってほしいが、もし事実だったらどうしよう。
愛想笑いは私の唯一の処世術だったのだが、少なくとも男性相手にはやめた方がいいのかもしれない。城では常に人の目があって護衛もいたし姫という立場もあったから何事もなかったが、ここでは可愛いだけの小娘だ。その気があると思われたらトラブルの元になりそう。実際それで攫われてるしな。全方美人も考えものである。
大体ロジーの目があるはずなのでそう危ない事にはならないはずだが、その当人がご機嫌ななめなのが一番まずい。
「ごめんなさい、本当に何もないのよ。ただの癖だから。これからは気をつけるわ」
「くせ」
「そう。人とお話するときの癖なの」
「やっぱり戸は開けないでほしい」
「アッ、でもピチは」
「友達なんだっけ。会ったばかりなのにどうして?」
「アイサツスルタビトモダチフエルノ……」
「ならもう挨拶しないで。誰にも会わないで。あいつらと親しくなったって、いいことなんてない」
お魚スイッチ入っちゃったなあ……。
ロジーの目はすっかり濁っている。真面目に対処しないとヤバそう。
だが流石にこの要求は呑めない。確かに男性相手に愛想を振りまいたのは私に非があったかもしれないが、同性のお友達も駄目とか心が狭すぎるだろいい加減にしろ。
私が帰るためには人脈が必要だ。
ロジーを刺激したくないので大手を振って助けを求められない以上、少しでも多くの人に私がここにいると知ってもらわなければならない。幸い私はエグいレベルの美少女なので人の話題になりやすいだろう。そうやって容姿の噂が広まれば、いずれ騎士の耳に届くかもしれない。消極的な作戦だが、現状の私にできることはこれくらいしか思いつかない。
ただそんな事正直に言えないので黙ってしまった私にロジーは畳み掛けてくる。
「僕のこといちばん好きって言ったのに……」
言ってない。何の話をしてるんだ。夢でも見たのか?
黙り込んでいるとどんどん悪い方へ転がっていくのは目に見えているのに、困惑のあまり反論の機を逃してしまった。
「どうして、僕だけじゃだめなの。僕が君を護るし、身の回りのことだって全部やってあげるのに。どうして他の奴が必要なの。ぼくが、ぼくだけ……」
――ああ、失敗した。
ピチに応対してしまったのが良くなかった。
話すべきじゃなかった。知るべきじゃなかった。
あんな風に、他人になにも感じていないロジーの姿を見るべきじゃなかった。
人と目を合わせず、言葉を選ばず、常に無表情。
あんなのはコミュニケーションとは言わない。
そこにいるのが同じ人間だと思っていないし、自分がどう思われるか考えていない。相手に何も期待していないとでもいうように、好かれるための労力を割かない。
それが今、私を前にして懸命に下手くそな言葉を重ねている。こちらの目を見て必死に訴えかけてくる。
下がった眉は悲しげというよりは苦しげで、私がするような取り繕われた表情ではなかった。表情なんて、見せるために作るものなのに。
駆け引きも何も知らない、拙い感情表現だ。だが拙いからこそ伝わって来るものもある。
恐らく私だけだ。
彼は、私以外の誰かに怒る事も縋る事もできないんだ。
そう思ってしまったら、駄目だった。
「……わかったわ、ロジー」
「リリー……!」
頷くべきではないと頭ではわかっていた。
「何もできない足らず姫をワンオペで世話できると思うなよ」とか、「鍵がついてるとはいえ簡単に蹴破れそうな木戸のお家で留守番させるとか護る気ある?」とか「お嫁さんとお人形さんは違うよ???」とか言葉で殴る事はいくらでもできた。私が殴ったってきっと、彼は危害を加えて来ないだろうという確信もあった。
けれど、しない選択をした。
だって、この拙く幼い彼の心をこれ以上傷つけたくないと思ってしまったので。
人に嫌われて蔑ろにされて、それが当たり前になってしまった子がこちらに手を伸ばしている。
笑顔一つでどこまで心の内に入り込んでしまったのか知らないが、そうなった以上その責任を果たそう。
ストックホルム? 知るものか。
私はもう決めたのだ。
私は――――ロジーのママになる!