決意 1
するりするりとロジーの指が私の髪を梳いている。
時々その指先が首筋に触れたりするので、脳裏に般若心経を思い浮かべたりなどした。
無駄な事はわかっている。この国には神も仏もいないのだ。
何故こんな状況になっているかというと、ロジーがピチに仕事の依頼をされ、その前報酬にリボンをもらってきたからだ。物々交換みたいなシステムにしても新品でもないリボンが手付金代わりになるのってなんだかなあと首を傾げた。
淡い黄色のリボンはブルベに銀髪の私には明らかに似合わないものだったが、貰い物なのとロジーがじっと期待した目で見るのとで使ってみる事にした。
ところが、簡単に束ねようとしてリボンが上手く結べないという醜態を晒した。
なにこれ。リボンが手から逃げる。髪も逃げる。
思えば、姫は自分でヘアアレンジをした事がないどころか髪を櫛で梳いた事もなかった。
その結果、愕然とする私を見かねたロジーが持ち前の行動力を発揮してくれたわけだ。
男性に免疫がないので、こういうのはとても困る。
今まで身の周りの世話をしてくれていたのは当然全員女性だったし、男性と密室で二人きりどころか手を触れた事も触れられた事もない。手を繋ぐ、ではないところがミソである。
常に周囲を侍女に囲まれているので曲がり角でばったりなんて事も、物を手渡す時にうっかり手が触れたりなんて事も起こり得なかった。
家族以外の異性と手が触れただけではしたないとされるので、姫としては当然の護りなのだろう。継承権を持たない姫の用途は有力貴族や騎士への降嫁くらいしかないので、それまでにキズモノにされたら困るもんな。
手袋をしていればエスコート時のみ接触可だった気がするけどエスコートされた事がないのでそれすら経験が無い。うーん鉄壁の箱入り。
それにしても私の髪は細く柔く絡まりやすいタイプだと思うのだが、先程から全く痛い思いをしていないので随分丁寧に触れてくれているらしい。
というか、手慣れている? ロジーの髪も長いのでそのせいだろうか。いや、彼の髪は手入れされている様子がなく割とボサボサだ。そして彼以外に長髪の男性を見た事がない。
つまりこの技術は他の女性で磨いたという事だ。
よくよく考えてみれば、妙に気が利くところがあるし触れ方も優しい。そして完成した髪型が片側から前に垂らすタイプのゆる三つ編み。こ、これは二次元御用達人妻ヘアーでは!? 実際にやろうと思うと結構な長さが必要だし、ヘアピンとワックスを駆使しないと三つ編みと反対側の髪が崩れ落ちてくるあんまり現実的ではないアレ。腰まで長さのある姫髪だからこそできるのかもしれないが少なくとも私より(ヘアアレンジの)経験豊富である。
うーん、陰キャ代表かと思ってたけどまさかのプレイボーイ疑惑が出てきた。
ヘアアレンジのお礼を言ったものの、ロジーもやっぱりリボンの色に違和感があったのか首を傾げていた。うん、ピチには似合う色なんだけどね。
午後はロジーがピチの依頼に向かうと言うので、私は留守番だ。
依頼の内容は濁していたのであまり触れていない。たぶん駆除関係だろう。
「いってらっしゃい、お仕事がんばってね」
「っい、ってきま、す……」
彼は挨拶をすると挙動不審になる。今回は一言つけ足したせいか一際酷い。胸元をぎゅっと押さえてふらついている。
彼は何気ない挨拶に一体何を感じているんだろうか。
頼りない背中を見送りながらなんとも言えない気持ちになった。やっぱりプレイボーイ疑惑は無理がありそう。
暇つぶしに裁縫をしながらロジーの帰りを待っていると、度々戸が叩かれた。相変わらず罵声もセットである。クソ村。
言い付け通り無視していたが、どうやら今度の来客はピチらしい。外から「リリエン! いるんでしょ!」と彼女の声が聴こえる。噛んだ部分は省略することにしたらしい。まあ長いしね。
流石に夫(不可抗力)の依頼人を無視するのはまずいだろう。面識もあるし村人との関係が悪化したらロジーだって困るはずだ。
鍵を外して戸を開けた。
「こんにち、」
「おっそいわね! これだからお嬢様、は……」
人の挨拶を遮ったピチは、そのくせ言葉を詰まらせた。
彼女の視線は私の髪、というかリボンに向いている。
「これ、ピチがくれたのよね。ありがとう」
「なんで……」
……なんで?
続く言葉はなんだろう。
「なんでそんなに似合わないのつけてるの?」は渡した側が言うのはおかしい。
まして彼女は私の容姿を見た上で渡して……いや、違う。彼女は私に会う前からロジーに依頼をするつもりで訪ねて来ている。
他に前報酬を持っていたけど私を見てリボンに変更した? それにしては彼女の髪はしっかりオレンジ色のリボンで束ねられている。買ったばかりでもないリボンを余分に持ち歩く事なんてあるだろうか。
もしかして、元々ロジーにリボンをあげるつもりだった? 男に? 使用済みの女物を? 妻(という事になっている)の存在を確認してなお?
……これはまさかの修羅場だろうか。
私の髪を見た時の彼女の驚いた顔だったり、お礼を言った時の苦虫を噛んだ顔だったり、もしそうなら妙にしっくりくる。……そういえば彼女、初対面の時も随分驚いてたな。あれって私が激マブ美少女だったからじゃなくてロジーが女を連れてた事に驚いてたのか。
こういう子は前世で覚えがある。彼氏や好きな人に私物とか可愛い物持たせてマーキングするタイプ。他の女への牽制になるし、趣味でない物を受け取ってくれるかで脈アリか確かめられると言っていたっけ。
あとよく聞くのは浮気相手がこっそり車とか洗面所に私物残していくとかいうあれかな。こっちは身近な例がなかったけど、今回の場合こっちの方が近いかもしれない。
付き合いが浅いので泥棒猫は私の方なのだろうが、新婚(と思われている)をぶち壊しかねない行動を速攻で迷いなく行う人間性が怖い。
いやいや落ち着け、勘違いかもしれない。もしかしてリボンじゃなくて荷物整理用の平紐だったかもしれない。「なんで髪につけてるの?」これだ!
逃げ道を見つけた私だったが、彼女はアクセル全開で突っ込んできた。ブレーキ! ブレーキ!!
「ねえ、あんな男のどこがいいの? 腕っぷしは強いけどそれだけじゃない?」
いますよね相手を貶して捨てさせようとする子。そんで後釜におさまろうとするアレ。役満ですお疲れ様でした!
この子の言動どストレートでめちゃくちゃ疲れるな。もうちょっとオブラートに包んでほしい。人の夫の悪口言うの良くないぞ! 仲良くしましょって言ってたじゃないか! どうしてこうなった!
「髪は女みたいに長くて鬱陶しいし、身体は細くてナヨナヨしてて男に見えやしない」
まあね、元々武力で治安維持してきた国家だからね、短髪にがっしり体系がメジャーですよね。でもあの黒髪は陽に当たると青みがかっていて綺麗な夜色になる。伸ばす価値のある髪だと思う。手入れされてないけど。
実際ロジーみたいなタイプを見た事ないのも確かだ。吸血鬼と狼男を足して割ったみたいな異様さがある。万人受けはしないだろう。
「親も親戚もいなくて頼りになんないし」
そうだよね、田舎って大体、親と一緒に暮らしてるよね。親がいるなら、そうだよね。
胃が痛くなってきたな。
「知ってた? アイツ、娼婦の子だって! だからあんな風なのよ。仕草がなんか気持ち悪いでしょ」
直線的ではなく曲線的な柔らかい動きをするなと思った事はあるが、そこを不快に思った事はない。ガサツよりはいいと思う。蛇モードはちょっと困るけども。
生まれは本人が選べるものじゃないんだから別にいいだろう。
それにロジーの母親についてはクソ確定なので擁護するつもりはないけど、需要と供給が成立している時点で娼婦も立派な職業だ。滅多な事を言うものじゃない。
女性として嫌悪するのもわかるが、本人達だって望んでやっていないだろう。ここの医療レベルだと命がけの仕事だし。
「それに、あの目! 不気味なのよ! いつも虚ろでどこ見てるかわかんない!」
なんだかヒートアップしてきた彼女には悪いが、こればっかりは素で首を傾げた。
ちょいちょい死んだ魚の目にはなるが、視線はよく合うし基本は月みたいにキラキラしている。たまにギラギラ。
というかピチは先程からロジーの個人情報をポロポロ落とすので、本人不在の状態でこれ以上話すのもなんだか罪悪感がある。
どうにか彼女のペースを乱したくて私もアクセルを踏んだ。
「でも、いいなと思ってるから、リボンをあげたんじゃないの?」
「!!」
「気付いてたの!?」と言わんばかりに驚くピチ。
それから憎々しげに見られた。なんで?
「思ってるわけ、ないでしょ、あんな奴……!」
ツンデレかな?
「でももう、アイツくらいしか……何でアンタみたいな、いくらでも選べそうな奴が」
攫われたので選択肢はなかったですね。
なんだか頭が痛くなってきた。
彼女の言い分を聞くに、ロジーのプレイボーイ疑惑は完全否定されたも同然だった。
もし彼を狙っているガチ恋女子がいるのなら協力するのもありかと思っていた。
ロジーの好みを探って情報を横流しして彼を射止めてもらえば、私のことなんていらなくなるだろう。そしたらこっそり城に返品してもらってみんなハッピーエンドだ。そんな皮算用をした。
そこらにほっぽり出される恐れもあるので好感度の調整は慎重にしなければいけないが、私が帰るにはロジーの関心を薄れさせるのが穏便且つ必須の手段のように思えるのだ。
だから修羅場の気配を感じたものの、期待する気持ちも少しあった。
でも、ピチは駄目だ。
「わたしは、望んでつれてこられたわけじゃないの」
「そうでしょうよ」
ピチは当然だと言わんばかりに頷いた。
残念ながら私は彼女に同調してあげられない。
「でも、彼はいい人だわ」
私は純然たる被害者だが、ロジーを憎んでいる訳ではない。
恨んではいるが、不幸になってほしいとまでは思わない。
国では極悪人扱いだろうが、彼には悪意がなかった。
私が泣けば心配する様子を見せたし、理由を話せば譲歩をした。
共感性と倫理観に欠けてはいるが、理解しようと努力する姿勢を見せた。
少なくとも人を思いやる心を持っている。
認めよう。私はロジーに対して既に情を持ってしまっている。人に散々ちょろい認定しといてこのザマ。
不当な扱いを受けている事に同情しているし、箱入り姫一人どうにでもできる力を持っているくせにこちらの意を汲んでくれる事に感謝してもいる。
足らず姫にとって、あの人攫いは優しすぎた。
彼の望み通り妻になろうとまでは思わない。
ただ受けた優しさの分だけ、彼が幸福になるための手伝いくらいはしたいと思っている。
だからピチは駄目だ。
彼を見下しながら自分のものにしようとするのが許容できない。搾取したいだけなら他をあたってほしい。
少なくとも彼を大事に思ってくれる娘じゃないと駄目だ。欲を言うなら彼に足りていない社交性を身に付けている娘がいい。こんなあけすけですぐに敵を作りそうな娘と、思い立って即近衛騎士と対峙するような男は相性が悪い。ちょっとした事でどこまでも悪い方向に転がっていきそうだ。
「ど、どこが? 誰がいい人だって? それにそんな、そんな理由で……」
「彼はあなたに何かひどいことをしたの?」
一応ロジーに非があるのか聞いておきたかった。
もしこれでヤリ捨てされたとかだったら彼女に正当性がある。ここでの純潔の価値は前世と比べ物にならない程高い。というかそうでない未婚女性の価値が救いようのないくらい低いのだ。ほんとこの世はクソッタレ。
頷かれたらどうしようかと思ったが彼女は「普通に無理なだけ」と首を振ったのでセーフ。いやセーフじゃないな。何でここまで毛嫌いされてるんだロジーは。水洗トイレの権威だぞ。
「アンタもすぐにわかるわ。碌なもんじゃないって。今までは何不自由なく生きてきたんでしょ。どうせすぐ嫌になるわよ。早く家族でも使用人でも迎えに来てもらえば?」
今となれば攫われる前も不自由しか感じてなかったけど、私もお迎えを望んでるんですよね……。
ピチに現在地について問おうとしたところで、ふと男性の怒鳴り声がして彼女の視線が私から逸れた。