はじめてのお友達
恐怖の余韻で震えながらロジーの手をしっかり握りつつ帰路に着くと、驚く事に女性が一人でロジーの家の前に立っていた。
「ロジレ! アンタ今までどこほっつき歩いて……」
赤銅色の髪にすらりと背の高い若い女性だ。ロジーと同じくらいの年頃に見えるので二十歳前後くらいだろうか。
武器も命綱もなしに正気か? と私は慄いたのだが、あちらは何故か空いた口が塞がらないようだった。
彼女は私を指差して言った。
「嘘でしょ……どこからそんなお嬢様攫ってきたのよ……」
城から攫って来たお姫様ですね。
この反応はもしや善良な村人Aだろうか。だとしたら事情を話せば帰城の手助けを頼めるかもしれない。
「はあ……まさかアンタが外婚するなんて」
がい……なんだって?
「アンタも災難ね。コイツ腕っぷしだけは強いけど、まさかお嬢様の警備もぶち破るなんてね。ま、これからはここがアンタの故郷になるんだから仲良くしましょ。あたし、ピチよ」
「リリエンちゅカと申します……」
「リリエン、なんだって?」
動揺の余りまた噛んだがそれどころではない。
聞き返したいのはこっちの方だ。なんでこんなあっさりした反応なんだ。
もしかしてこれアレ? 嫁は他所から攫ってくる風習? 家族は娘を全力で護って護りきれなかったら諦めろ的な? 蛮族かよ。
人口少なかったりするとまああるよ? 都会に嫁探しに来ました〜とかさ。騎士の中にもいましたもの。でもそれは合意ありきじゃん。武勲を立てて褒美に嫁もらった〜みたいなケースもあるけど、これは親が差し出すやつなのでやっぱり合意なのだ。娘を褒美にって文化もどうかと思うけど王族や貴族の間では普通の政略結婚なので仕方がないのだ。本当にどうかと思うクソッタレ文化だけど。
しかし信じたくないが、それより酷い事が民間では蔓延っているらしい。若い娘さんがなんでもない事のように言うので、嫁取りのための襲撃は本当になんでもない「よくあること」なんだろう。よくあるな! この蛮族共!!
打ちひしがれている私を庇うようにロジーが彼女との間に入った。元凶ェ……。
「彼女、疲れてるから家で休ませるよ。話は僕が聞く」
「あっ、そうよアンタに話があったの!」
流れるように家に押し込まれ、小声で「鍵かけておいて」と言われた。
何をそんなに警戒することがあるんだと思いつつも言われた通り内鍵である閂を掛ける。不可解な事でもロジーの言い分が正しかった出来事がついさっきあったので。
玄関先から少し離れたらしく話し声も聴こえないので、私はトイレに向かった。
ファリーズショックでもめげずに当初の目的である花を採取したので早速活けるのだ。
と言っても小さい瓶に水瓶の水を少し入れて花を差すだけの簡素なものだが、ないよりはずっといいはずだ。置く場所は……とりあえず樽の上でいいか。
「うん、すてき」
オレンジ色の小さい花は見るに可憐で、フリージアによく似ている香りを放っているので芳香剤としても上出来だ。
便器の蓋を開けてみる。何度か使ったが、今のところ酷い悪臭はしない。うーんオーバーテクノロジー。
あとは専用の掃除用具と除菌洗剤になるものが欲しいなと高望みしていると、窓の外からけたたましい音が聴こえて来た。
「キェーー! キェヒヒヒヒ!!」
羽ばたくような音もするので鳥の声だろうか。心なしか腹の立つ声である。
姿が見えるかと窓を見上げたら、窓から便器の中に何かがポチャッと落ちてきた。
水面で何かが蠢いている、というか藻掻いている。
小指の爪くらいの大きさなので虫だろうが何だろうこれ。脚の数は一、二……八本。となると蜘蛛?
トイレに虫は付き物なので、それを獲ってくれる蜘蛛は大歓迎である。網戸とかないので。
小瓶から花を一本抜き取り、未だ藻掻いている蜘蛛に藁よろしく差し出す。蜘蛛がしがみついたのを確認して素早く持ち上げ、窓まで手を伸ばして蜘蛛を下ろし、花は窓から外に投げ捨てた。流石に便器の水につけた花を再度飾りたくはない。短い間だったけどありがとう成仏してくれ。
不慮の事故を防ぐために便器の蓋を閉めて、再度窓を見上げると蜘蛛はじっとこちらを見下ろしていた。
ずんぐりとした身体つきにつぶらな瞳が特徴的だ。大きな目と小さな目がそれぞれ二つずつ、どれも真っ黒であどけない。そのキュートな四つの目でじっとこちらを見下ろして来るので、なんとなく手を振ってみると、蜘蛛も一本の脚を振り返してくれた。嘘だろ可愛すぎるし賢すぎない?
「大丈夫? どこか痛いところはない?」
流石にそんなことはないだろうと思いつつも、好奇心が勝り蜘蛛に話し掛けるという奇行をしてしまった。
蜘蛛は牙をカチカチさせて暫く停止し、そしてーーーー
「(コクリ)」
「ヒェッ」
頷いた。
う な ず い た ! !
「そ、それなら良かったわ。……どうして落ちちゃったの?」
蜘蛛は四本脚を持ち上げてワサワサッと動かしてから、手招きをするように一本の脚先を曲げてみせた。
恐怖と好奇心が競り合って後者が勝った私は、便座の蓋に乗り上げて窓に近付く。
するとそこには無惨に壊された蜘蛛の巣があった。窓枠から垂れ下がって風に揺れている残骸はなんだか物悲しい。残骸の大きさから見るにそこそこ立派な巣だったんじゃないだろうか。窓を作ったのは昨日なので一日もしないうちに立派な巣を張ってくれていたらしい。とっても働き者である。
落ちた理由は巣が壊されたから。では巣を壊した犯人はといえば、蜘蛛が落ちて来る直前の出来事を思えば明らかだ。
「鳥にやられたの?」
蜘蛛は「そうだ!」と言わんばかりにピョンピョンとジャンプをしてみせた。相当お怒りのようだ。
まあせっせと作った新居を壊されたんじゃ激怒もやむなし。私だってこのトイレを壊されたら我を忘れるかもしれない。
巣を壊すだけで蜘蛛本体が無事なのは目的が巣の方なのかもしれない。鳥も営巣に蜘蛛の糸を使うと聞いた事があるが、もしやまた来たりするのだろうか。もしそうなら撃退したいところだ。鳴き声が煽りにしか聞こえなかったし、私はこの子に網戸の役割を期待している。
「鳥避けになる物って何かあるのかしら……。あとは、うーん、糸を強化する、とか。こう、二本で捻ったり、三本で編んだり」
鳥の大きさもわからないし、壊されないくらいの強度は難しいかもしれないが「どうやるの?」と首を傾げた蜘蛛がノリノリだったので、トイレのドアを開けて昨日裁縫に使った糸を持ち込んだ。
これをこうして、こうして、こう! と見せる度に蜘蛛が良いリアクションをしてくれるので調子に乗って指編みでレース紐なんかも作ってしまった。
一人と一匹できゃっきゃしていると背後から「リリー?」と呼ばれた。ロジーの用事が終わったらしい。
「おかえりなさい」と言いながら振り返る。また少し動揺しつつ「ただいま」って言うのかなと思っていたが、ロジーは怪訝そうな顔でこちらを見るばかりだった。
「誰と話してたの……?」
「トイレにいた蜘蛛さんと。とっても賢いの」
今度はトイレを振り返ると蜘蛛はいなくなっていた。元々窓にいたし外壁にでも移動したんだろう。ロジーが来てびっくりしたのかもしれない。
「蜘蛛、と……?」
ロジーは困惑しきりで、まるで宇宙人を見るような目で私を見ていた。
その視線に少し冷静になって己の所業を思い返すが、不思議生物代表みたいな彼にそんな目を向けられるのは納得いかない。遺憾の意。
「トイレの窓に住んでくれるみたいだから、ロジーもお話する機会があると思うわ」
「そうかな……」
そうです。
ところで閂の仕組みを知っているだろうか。
左右の扉もしくは扉と枠や壁を跨るように通して固定する事で鍵の役割を果たすのだ。
だから通常は掛けた側からしか開けられない。
「わたし、ちゃんと鍵できてなかった?」
「できてたよ。食事にしよう」