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誰がどう見ても拉致

 転生したのに文明レベルが前世よりめちゃくちゃ低い。

 スマホもねえ。テレビもねえ。ラジオもポケベルもねえ。そもそもエレキテルが発見されてねえ。

 あと上下水道も完備されていないのでトイレはボットン、移動は騎乗とか馬車とかで自転車すらない。

 こんな時抱く感情は何か? →絶望。


 幸い生まれた場所は大変裕福そうで身の回りの事は皆メイド服のお姉さんがやってくれる。

 これならローテクでも死ぬ事はない。よくある感じの中世から近世辺りの西洋風の文化圏と見た。よーし悠々自適に前世知識で文明開化するぞ~~~! と、思うじゃん?


 無理だった。


 言語の壁が恐ろしく高い。なまじ前世知識が邪魔をして単語すらまともに聴き取れない。

 お姉さんの一人が自分を指差して『ニンニクマシマシ』と言ったり『コンデンエイネンシザイノホウ』と言ったりするのだ。空耳がヤバイ。

 ちなみに私はロジレフィーデと呼ばれ、二つ下の妹はヒーゼルシュナイパーと呼ばれている。名前とは違うのでたぶん長女次女とかそんな感じだろうと思っていた。音に共通点見つからないけど。難易度高すぎて草。


 壁を前にのたうち回りながらそんなこんなで六歳。未だ言語習得に難航していて転生者無双なんて夢のまた夢だと思っていた頃、ローテク把握時以上の衝撃が私を襲う。


 お勉強の時間に四歳児の妹が交じり始めた。


 二つも年下の妹が同じ教材を使って机を並べている。

 前世成人済が四歳児と、という衝撃ではない。六年かけて学んだ分を四年で追い付かれた恐怖。

 決して怠けていたわけではない。寧ろ普通の幼児よりずっと机に向きあう時間は長かったはずだ。

 それなのにこのザマ。


 大人達の反応を見るに、妹が特別早熟なわけではないだろう。

 メイド服のお姉さん達は気遣わしげにこちらを見てくる。

 私に向かって何度も同じ言葉を繰り返している。


「大丈夫、大丈夫」


 そういえば、私が初めて覚えた言葉はこれだった。

 しかし全く大丈夫ではないので、三日寝込んだ後、私は前世の記憶を手放したのである。

 前世引き継ぎ転生チートなんて言葉が完全に頭の片隅からも消滅したのだ。

 なぜ私は前世を覚えていないのかなんて前世で散々人生二周目転生モノを羨んだものだけれど、この時答えが出た。

 前世の記憶なんて今生を生きるに当たって邪魔でしかないのだ。


 英断だった。

 忘却という人生の転機を迎えた私はそこそこ順調に成長できたと思う。

 妹と机を並べるのは変わらなかったが、追い越される事もなかった。遅れを取り戻す事もできなかったけれど。

 ちなみにロジレフィーデは足らず姫、ヒーゼルシュナイパーは高貴なる継承者という意味だった。この言い回しは今でも割と使われる。

 前世の記憶があった頃は自分が姫という事もわかってなかったのだから、ボロクソ言われてもまあ仕方ないのである。

 でも妹を継承者っていうのはやめた方がいいと思う。

 この国では王位とか爵位とかの継承権は男子しか持ち得ないので、六つ下にできた弟のみが正当な継承者なのだ。


 そして二度目の転機が来た。


 弟が十二歳の誕生日、盛大なお披露目式が行われた。

 城下はお祭り騒ぎで城門が開放され、集まった民衆が城のバルコニーにズラリと並ぶ王族の顔を拝みにくる。

 ちなみに姫にはそんなイベントないので十八歳の私は民衆の前に姿を現すのは初めてだった。

 前列中央に国王である父と弟が並び演説をしている。

 その一歩後ろの端の方に並んでいるのが私と王妃と妹。

 ただ微笑みながら民衆に手を振ったりするだけの簡単なお仕事である――そう思っていた。


 民衆の中から何かが飛んできた。

 すわ飛び道具かと、控えていた近衛騎士達が父と弟を下がらせ前へ出る。

 こういう時に投げられるのは大体石か卵がセオリーだと思うのだけれど、どう見てももっと大きい。というかあれ人間では?

 困惑しているうちに飛び人間は騎士の剣の届く手前まで来て、急に軌道を変え――銀色に輝く瞳と目が合った。

 一瞬のことに声すら上げられなかった。

 飛び人間の腕に抱えられ、浮遊感。遠ざかるバルコニーには妹を庇う王妃と弟を庇う父、どよめく騎士達が見えたが、私の方へ駆けて来たのは一人の赤髪の騎士だけだった。


「リリエンシュカ様!!」


 そう手を伸ばされたところでもう届きやしないのだが、私も懸命に手を伸ばしていた。

 バルコニーは遠い。ジェットコースターもかくやという勢いでスピードを上げられ、箱入り姫の私はあっさり気を失ったのである。



 目が覚めた場所はボロ屋だった。薄暗くてよく見えなかったが、それでもはっきりわかるくらいボロ屋。

 欠けた煉瓦の壁。木製の窓は閉じられていたが隙間から仄かに橙の光が差し込んでいる。夕日だろうか。

 少し身動ぎすると軋む音がしたのは恐らくベッドに寝かされているんだろう。シーツの肌触りは悪かったが、埃でざらついたりはしなかった。

 さらり、感触を確かめていた手の甲を何かが擽る。

 ベッドの横に立っていた男がこちらに身をかがめ、その髪が触れたようだ。男にしては随分と長い、少し癖のある黒髪だ。


「この服どうやって脱がすの」


 男はボソボソと言った。

 攫われたばかりの箱入り姫に聴かせる第一声としては刺激が強すぎた。

 ドレスのあちこちをグイグイ引っ張りながら言う男の目はやはり銀色で、人攫いの飛び人間に間違いなかった。

 あまりの恐怖に声も出なかったし、箱入りながらにこれから自分の身に降りかかる厄災を察した。

 母を思い浮かべ、弟しか庇わなかった父を思い浮かべ、こちらに手を伸ばしてくれた騎士を思い浮かべ――そして届かなかった手を思い浮かべ、そっと目を閉じた。


 そこで前世の私がカムバックしたのである。


 いや姫のメンタル弱すぎでは??? と思わないでもないけれど、六歳でドロップアウトした私が言えたことでもなかった。

 姫は陰口には慣れていたけれど、生まれと育ちからこういった直接的な危険とは程遠かったし知識もない。

 わからない事というのは実際の何倍も恐ろしく思えてしまうものだ。

 多少の知識のある私はまだ余裕がある。どうにか人攫いを思いとどまらせてやろうではないか。

 よーし前世さんがんばっちゃうぞ~!

 こうして、こうして、こう!


「やめて……」


 震える両手は口元に、声はめちゃくちゃ小さくあどけなく、更にとんでもなくバイブレーションさせた。

 どや! 儚げ美少女の庇護欲そそる懇願やで!

 そう、前世さんは知っている。今生のガワは大変優良な最高級品なのだ。

 つやつやふわふわの銀の髪。澄み渡る青空のような無垢な瞳。程よく色づいた白い肌。守ってあげたくなる華奢な身体。美しさと愛らしさと儚さが同居している奇跡!

 こんな美少女っぷりなので大抵の男は……いや老若男女問わず無碍にできないと自負している。

 あくまで儚げに幼気な雰囲気を出すのがポイントだ。誰だってぷるぷるチワワには優しくしたくなる。そういうもの。

 だというのに。


「どうして?」


 めちゃくちゃ冷静に返された。

 どうして? こっちの台詞である。

 男は恐怖と羞恥に震える私を見て不思議そうに首を傾げた。


「君は僕のお嫁さんなんだから」


 本当にどうして?

 人攫いの身で図々しいというかふてぶてしいというか、本当に不思議そうにしている辺り首の裏辺りがざわつく。


「ドチテ……」


 本能的恐怖にチワワどころか宇宙人になってしまった。


「だって、僕に笑いかけてくれた」


 不特定多数に向けた王室スマイルにそんな勘違いする奴いる???

 前世のドルオタですらその程度でのぼせ上がる人間はいなくなってましたが? 最低限DMくらいはもらってから勘違いしてほしい。いやするな。あんなのみんなコピペだぞ。

 つまりこの男的にお互い一目惚れして駆け落ちしたみたいな話になってるのか?

 草。これは絶対コミュ障陰キャ。

 一国の姫を狙う辺りただの肉欲目的ではないだろうと思っていたが、これはあんまりだ。

 しかもこういう精神がアレなタイプは否定されるとどう逆上するかわからない、かといって肯定すればノンストップで終点行きである。行動力は特急列車。詰んだ。


 お手上げ状態で口を噤んだ私をどう思ったのか、男は眉を下げた。


「……違うの?」


 途端に銀の瞳が濁る。輝きを失ったそれは灰色だった。

 わ~死んだ魚の目みた~い!

 箱入り姫がさじを投げたように私も投げ出した。

 気分を害したらしい男の手元から布が裂ける音がする。言わずもがな私のドレスである。肯定も否定も無言も行き着く先は同じというクソ仕様。ルート分岐をサボるな。

 なにはともあれ美人薄命とは本当のことだったらしい。

 前世知識が害にしかならないと気付いた時も泣きに泣いたけれど、今生の当たりガチャだと思ってたガワすら害になるとかほんと泣ける。


「殺さないで……」


 身も世もなく泣いた。

 更に刺激するかもしれないけれど、どうしようもないのだ。箱入り姫の武器は笑顔だけだったし、二次元大好き前世さんの対人スキルは察してほしい。

 好意から即拉致に至る男の扱い方なんて知らない。

 きっと美陽キャの皆さんは苦労の末に生き残るための処世術を学んでいたんだろうな。ガワが優秀ならどんな状況だろうと不戦勝だろとか思っててごめんなさい。


 ぴえぴえ泣いていると男はなんだかオロオロし始めて「えっ、えっ」「どこか痛いの?」「こわくないよ」「優しくする」とかなんとか言っているけれど、全く安心できる要素がない。

 たとえ丁重に扱うつもりだとしても合意なしの行為は暴行でしかない。というか論点はそこではない。


「お嫁さんを殺したりしない」

「お嫁さんになったら、死んでしまうわ……」

「えっ」

「お母さまは、わたしを産んだせいで亡くなったの……」


 ほんとこれに尽きる。

 最先端の医療を受けられるであろう、国で最も高貴な女性が出産で死ぬ。前世ではなかなか考えられない事だった。

 無痛分娩とかそこまでは言わないからせめてリスク管理はしてくれ。

 元々体の弱い人だったらしいが、そもそもその表現がクソ。基礎疾患とか具体名出てこないのかよ。書庫にあった医学書読み漁ったら瀉血みたいなのあったしほんとクソ。

 一夫一妻制の国の王妃だから義務だったのかもしれないし母が産みたいと言ったのかもしれないけど、その結果が継承権を持てない女児一人、しかも私という何の役にも立たない混じり物だったのが一番クソ。


 幼い頃、父は私を見る度顔を歪ませた。

 私はその頃言葉がわからなかったのでその理由を察せなかったし、侍女の中に一人だけいた乳母が母だと思っていた。

 そのうち、後妻に据えられた現王妃と彼女が産んだ妹と顔合わせしたことにより彼女が母親だったのかと思い直し、家族揃っての食事会でお母さまと呼んでしまい場の空気が凍った。

 父は「二度と彼女をそう呼ぶな」と怒鳴るし王妃は「こいつマジ?」という目で見てくるし、一歳になったばかりの妹はベビーベッドでスヤスヤだったが私は泣いた。中身成人だろうと幼児に大きな声は刺激が強かったのだ。

 まあ中身成人だし滅多に会わない父に情が湧くわけでもなし、怒鳴られたところで傷ついたりもしなかったのだけれど、ただひたすら母が哀れだった。

 母の命を喰らって生まれた身だ。立派に……というのはあまり期待しないでほしいが、せめて長生きくらいはしないと割に合わないだろう。だのに状況は絶望的だ。


 王室の主治医でも不安しかないのだから避妊もアフターピルも碌な方法が確立されていないに決まっている。時間稼ぎと割り切って男の機嫌を取りながら生き永らえ助けを待つにしても、十代って妊娠しやすかったはずだし、そうでなくてもこういうのは一発アウトがあり得る。つまり行為に及んでしまえば、助かる確率は非常に下がる。

 こんな不衛生な場所で拗らせ陰キャの子を孕まされ出産の苦痛を味わいつつ死ぬくらいならいっそ早めに死んだ方がマシなのでは? でもこの状況で自決ってどうやるんだ……舌を噛むとか? いやいや上級者向けすぎて無理。こちとら鰻の骨が喉に刺さって泣いたことあるんだぞ。


 ぐるぐるマイナス思考に陥っているうちになんだか息苦しくなってきた。極度のストレスに曝されているせいだろうか。

 意識が朦朧としてきた中、男が震える声で呟いた。


「血が止まらなくて死んだ人の話聞いたことある……」


 でしょうね。


「あと八つ裂きにされて死んだ人も……」


 それはなんで???


「死なないで……」


 それはお前次第なんだよなあ……。

 攫った時のようにビューンと私を城に帰してくれれば事はそれで済むので「城に……」と言いかけたらまた男の目が死んだ。


「あいつらは君を護れなかった。君は僕のだ。僕といるんだ。ずっと」

「わたし、リリエンちゅカっていうの」


 否定も肯定も沈黙も許されないタイプの無差別地雷ターンがまた来たので早めに話を逸らすことにした。焦って噛んだのは気のせい。

 唐突な自己紹介だが、きみ呼びしてたからってことでまあ通るだろう。「君じゃなくて名前で呼んで!」とおねだりしたと不本意な解釈をされかねないが致命傷じゃないので良しとする。

 男は「りりえんちゅか」と噛みながら目をキラキラさせた。ちょろい。


「僕、僕はロジレ……」

「……ロジレ?」

「うん」


 一体何の冗談だ。

 思い出すのは不名誉な二つ名である。

 ロジレフィーデ――――足らず姫。

 フィーデは姫、ロジレは不足・劣等などを意味する。後者は人に対して使うには随分と悪意にあふれている単語だ。

 私の場合はいつまでも言葉の覚えが悪かったから周囲にコソコソと馬鹿にされたに過ぎない。だが生まれた時につけられるはずの名前がそれとはどういうことか。毒親グランプリ優勝です本当にありがとうございません。やーいお前の息子犯罪者! モンスターがモンスターを生んだぞー!

 要は「あいつバカだよな」ではなく「おはようバカ」みたいな酷さなので非常に呼びたくない。そんなキラキラおめめで期待するように見られても困る。困る……。


「ろ……ろ……ろ、ロジー」

「?」

「そう呼んでもいい? わたしのこと、親しい人はリリーって呼ぶの」

「リリー……ロジー」

「ちょっと似てるでしょう?」


 そう言って微笑みかけると男は噛み締めるように頷いた。

 とんでもない名案を思い付いてしまったものだな。噛んだのも誤魔化せるし。


「リリー、僕のお嫁さん」


 男は私を攫った時のようなギラギラした目で言った。

 結局話はそこに帰結するんだなあと今度は私の目が死んだ。


「子供がいない夫婦もいる。僕達はそれでいい。リリーと僕だけでずっと一緒にいるんだ。僕がずっと大切にするから、僕とずっと一緒にいて」


 そう早口に捲し立てる自称夫は止まらず、それからも何やら話し続けていた。

 頭がガンガンと痛む。私は曖昧に微笑みながら、意識が遠のいていくのを感じた。


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