第70話 悪魔の償い
毒薬に、特異魔法を奪われた師匠。
牙を抜かれた獣の体に集ろうと、天使たちが、翼をはためかせる。
餌を目前に、皆同じ顔で涎を垂らす。
そんな絶望の最中であっても、師匠は首を垂れていない。
ならば、手立ては残されているということ。
「研究なら、私だって本分よ」
師匠が呟く。
どんな表情をしているのか気になったが、影に隠れて、見えなくなってしまった。
ゴロゴロと、不穏な音。
知らぬ間に、空には黒雲が立ち込めていた。
空、とは言っても、私たちの真上だけを覆った、局所的な雲だ。
莫大な水蒸気も、それを乗せた強い上昇気流も、魔素が原料の作り物。
特有の、薄緑色を帯びていた。
信じ難いが、あの雷雲は、ヒト一人が生み出した、大規模な魔法なのだ。
「意思の奇跡を与えられながら、更なる力を求めるとは…負けず劣らず、貴様も強欲ではないか…我楽多よ!」
「私は嫌いよ…魔法なんて」
師匠の中指と親指が、弾けてパチン。
その軽い音は、すぐに霹靂に上書きされる。
分厚い黒雲の中に蓄積し、唸っていた静電気が、落雷と化した。
致死量の電流による、空襲だ。
後から反応して、回避できるような速度ではない。
外皮を更にこんがりと焼いた天使たちは、塵となって地に。
夥しい数の集団が、瞬く間に壊滅していく。
私が扱う古代魔法を王道とすれば、この技術は、邪道。
落雷までの一連の流れを再現するには、種類が異なる魔法を高出力で連発しなければならない。
使い手の才能に頼る部分が、大き過ぎる。
それでも、詠唱を失った現代の魔法で、どうすれば高い威力を実現できるのか、師匠なりに答えを出していた。
魔法を嫌いと言い切った彼女は、人一倍、魔法を知っていた。
「貴様の底力、しかと見た。だがしかし、私の憤りは、恨みは、無限…」
両手を杖に頼った賢者は、山の如し。
彼の背後に広がった大きな大きな闇は、まだ、大口を開いたままだった。
真っ暗な向こう側から、湧いてくる。
ゴキブリのように、湧いてくる。
神の使いが、湧いてくる。
正に、天使の海だ。
波を叩いて抗っても、無意味。
何回でも次の波がやってきて、私たちを押し流し、そして、呑み込んでしまう。
「二度も我が子を奪われるなんて、それこそ我楽多じゃない…!」
言葉の鞭で自らの尻を叩いた師匠は、小指から順々に、その手を握り締めた。
すると、雨雲が再び目を覚まし、ギュルギュルとうねり出す。
コットンキャンディーのように段々と膨らんで、天まで届くくらいに背の高い竜巻が、作り出された。
灰色の海と竜巻が、衝突、押し合いに。
見事、竜巻が前進した。
この一歩の前進が、最後だった。
賢者がふっと意気込めば、コートの中に隠れていた魔力が、溢れ出す。
それを分け合って喰らった天使たちは、豹変。
赤ん坊のようだった体付きが、筋肉の鎧で武装された。
「ブッサイクな魔法使いやがって…!」
「そう、その通り。醜悪は…罪!」
ジェシカが吐き捨てるように言ったのを、賢者は聞き逃さない。
叱り付けるように、はたまた自責でもしているかのように、彼は苦い顔をしていた。
強化された天使たちは、その身で竜巻を押し返し、押し返し、陣地を広げていく。
師匠も汗だくで踏ん張ってはいるものの、力負けは顕著だ。
はあ、はあ。
息が切れる。
鈍足が、恨めしい。
それでも今、私は走っている。
悲劇を止められなかったあの日とは、異なる結末を目指して。
外へ、もっと外へ。
目一杯腕を振って辿り着いたのは、賢者と師匠を結んだ直線から、きっかり九十度。
私がブレーキをかけると、靴裏から砂埃が巻き上がる。
杖代わりに、トタンの切れ端。
その辺に転がっていた、自動車の残骸だ。
持ってみると中々に鋭利で、私の指の腹は斜めに切れてしまっていた。
だが、それがどうした。
照準を定めようと腕を上げただけで、脇の筋が私にクレームをつける。
だから、何だ。
腕による疲労の訴えを、逆の手で抑え込み、放つ。
私が選んだのは、一番得意で、好きな魔法。
初歩的ながらかっこいい、電撃だった。
師匠の雷と、威力は天地の差。
離れた距離から命中したところで、静電気のようにバチっと衝撃を与えて、終い。
しかし、堂々と構える賢者の肌を、外から刺激さえすれば。
魔力が可視化されるほどの、研ぎ澄まされた集中力は、保てない。
鱈腹平らげた心臓と違って、脳は一つしかないのだから。
「やってくれたな…小娘!」
魔力切れの脱力感によって倒れた私を、賢者が睨み付けてくる。
その瞳の恐ろしさに、達成感を抱かずにはいられない。
声を出す力も残っていなかったが、ニヤリと笑って、見せつけてやった。
刹那、劣勢だった竜巻が、力を取り戻す。
推進力を失ってしまった先のようにはならず、天使の翼を捥いで、捥いで、とうとう完全に殲滅した。
破壊の限りを尽くしても、まだまだ竜巻の前進は、止まらない。
何故だろうか。
私の妨害によって、確かに賢者は苛立っている。
だが、窮地に立たされた人間の、絶望感というものが見受けられない。
そんな私の疑問に、答えが出るより先に。
天使の出どころだった闇から、長い指が生えてきた。
「何よ、コレ…」
絶望。
そこに至ったのは、私たちの方だった。
呟いた師匠だけでなく、私も、ゼン先生も、死の運命を受け入れざるを得なかった。
闇から出でし指は、天使の産道を無理矢理に破って。
そうやって広げられた異空間から現れたのは、女神。
賢者が操る鬼武者の、倍くらいは顔がデカい女神が、徐に、魔法の竜巻を掴んで、握りつぶしてしまった。
彫刻のような形状には神聖さ、それと正反対の印象を抱かせる、天使と同じ配色。
悲壮感に溢れた表情で叫びを上げながら、赤子の様に這い出てくる様子は、不気味だ。
「まさか掃除に、戦争用の魔法を要するとは…不愉快だ。不愉快、この上ない」
常に私たちは、魂を削って戦っていたが、相手はそうではなかったらしい。
それに、出し渋っているのがこの魔法だけとも、限らない。
余力が如何ほどか、底が知れない。
そんな負の想像は、連鎖していく。
気を吐き続けた師匠が、遂にがくっと崩れ落ちれば、ジェシカもペンダントを握って、祈るのみ。
やれることはやったが、平和を手にすることはできなかった。
敗北は悲しいが、後悔できないくらい、力量の差は歴然。
長きにわたる戦いの果てが、こんなにも虚しいとは。
うすぼやけていく視界の中で、ピクリ。
賢者の左手が、痙攣した。
老人の手だ、何も不思議な事ではない。
なのに、目が離せなかった。
不意に、甘ったるい、薔薇の匂いが香って、ゾッとする。
実際に嗅覚が感じ取った訳ではない。
これは、記憶から引き出された、まやかしだ。
私が、夢うつつから正気を取り戻した、次の瞬間。
賢者は、自害した。
「これは、何事だ…!」
目を見開いた賢者は、ドバっと血液を吐き出した。
コートの左胸に施された、銀の刺繡に突き刺さっていたのは、彼自身が魔法で作った、身の丈ほどの大鎌。
血迷った行いに、理解が追いつかない。
賢者は痛みなどお構いなしに、長々伸びた鎌の刃を、乱暴に引っこ抜く。
鮮血が舞い散った。
「ご機嫌いかが?…お爺様!」
興奮した声の主は、血濡れの鎌、あるいは賢者の左腕。
その幾か所に、口、唇が、三十二本の歯が浮かび上がり、パクパクと動いているではないか。
然も、見た目、声色と共に、私のトラウマの元凶である、あの女のものだった。
奇怪な光景だが、おかげで女神の進撃が一時停止している。
私たちは、延命されたのだ。
肉体から切り離され、心臓のみとなったステナの、反逆によって。
「貴様の祖父になった覚えなど、毛頭ないわ!」
自らに何が起こっているのかを理解した賢者は、不自由になった左腕を、槍の射撃で一閃。
肩から切り落とした。
にょろにょろ生え治った腕に、最初はおかしい部分などなかった。
が、みるみるうちに、あちこち皮膚が盛り上がってくる。
数秒後には、蕾が花開くように、ステナの唇が笑っていた。
「あら、釣れないわね。来世はきっとそうなるのだから、良いじゃない」
再びステナにコントロールを奪われた左腕が、賢者の首を掴んで、締め上げる。
自らの左腕に右腕で抵抗している姿は何とも馬鹿馬鹿しいが、本人は必死だ。
どんどん顔が青くなって、窒息、するよりも早く。
黒く光った指に触れられた首は腐り、ぶちっと千切り落されてしまった。
自重で一回転した生首は、泡を吹いていた。
視界を失った賢者は、ふらり、ふらり。
酔っぱらいのような足取りで、倒れそうになる胴体を、どうにか支える。
無様な首無しに、追い打ち。
鋭く尖った手刀が、紫色のコートの上から皮膚や筋肉を貫通し、体内へと突っ込まれた。
また、ステナがやった。
そう思ったが、返り血を浴びているのは、まだ無事であるはずの、賢者の右腕。
彼はゴソゴソ、雑に弄って、やがて心臓を一つ、サルベージ。
「郷に入っては郷に従え…それができぬなら、消えろ」
回復中の賢者の頭部に、ようやく戻ってきた左目で、彼はギロッと威圧する。
指の腹に押さえつけられながらも、ドッ、ドッと脈打っている、ちっぽけな心臓を。
パン。
破裂して。
中身の液体が散った。
唇が疎らに巣食った左腕を、賢者が切り捨て、放り投げる。
にゅるり、戻ってきた腕にはもう、寄生されているような痕跡はない。
師匠の側まで転がってきた腕は、灰となって、崩れていく。
与えられた最期の機会に、真っ赤なリップが喜んでいた。
「久しぶりね、我楽多の魔術師さん。白のワンピース、可愛いわ」
「…例え、地獄に落ちたって、私はあなたを許さない」
「そうね…何を捧げたところで、私が奪ったものには、釣り合わない。今はもう、解っているわ。だけど、それでも償うんだって…彼に、教わったから」
短い会話だったが、それが全てだった。
悪魔は風に消えて、跡形もない。
残り香すらも、すぐに無くなった。
訪れた空白を紛らわせるように、ザーッと、コンクリートと金属が擦れる音が、遥か遠くから近付いてくる。
次に、ガンと真上で衝撃音。
宮殿の屋根から、希望が、降ってきた。
青い炎を引っ提げた空飛ぶソリが、着地して、スリップ。
火花を散らす。
よく見るとソリの正体は、ノブの外れた、ひしゃげた扉。
お役御免となった扉は、乗ってきた黒髪の青年に、足裏で蹴っ飛ばされた。
「コイツ、大事な弟なんで。守ってやってくれますか」
そう言った青年は、抱きかかえていた荷物を、師匠の横に降ろす。
高所からの落下に怯え、ガチガチに固まっているせいで、それがロビン・サリバンだと理解するまでに、時間がかかった。
相対する、賢者と青年。
瞳の茶色は同じだが、彼ら二人は敵同士。
逆に、目鼻立ちも、髪の色も、全くもって似つかない私たちは、仲間であり、家族だ。
「入れ歯になる覚悟、出来たかよ…じいちゃん」
掌と拳を突き合わせ、ユータは笑う。
その力強さが、賢者との体格の差を、感じさせなかった。




