第68話 父と母
鬼武者の巨大な足袋の間で、不動の賢者。
その迫力は、此方の時も止まってしまいそうな程だったが、我が師匠、ガルダ・ベイリーが、怖気付くことはない。
寧ろ、柔らかく眉を寄せ、念入りに気合を溜めている。
ジョギングを始める直前のように、両腕の筋を、ぐっと伸ばしながら。
「我楽多の魔術師…あの貧民街から頑として動かなかった貴様が、こんな所までやって来ようとは。今更、敵討ちのつもりか?」
「笑っちゃうわね。何でも知ってそうな顔で、的外れなこと言われると。頑張ってる我が子のために決まってるじゃない。あなただって、若い頃はそうだったでしょ?」
「舐めてくれるな…今も尚、私は!」
抜刀。
そこから流れるように振り下ろされた鬼武者の魂に、露わになった賢者の憤りが、憑依する。
薄暗い闇に包まれた刀身が、刃が師匠を見下ろした。
しかし、残念ながら、彼女の準備運動はもう済んだ。
こうなってしまっては、どれだけの名刀をこさえていようと、足りない。
四肢の改造を施された戦士の大軍を相手に、多大なる戦果を上げ、あまつさえ生き残った大魔法使いを相手するには、それ一本で足りる訳がない。
動きは最小限。
結果は紙一重。
左に靡いた長髪が、バッサリと持っていかれた。
女の命が、散っていく。
しかし、女としての自分など、師匠にとってはトカゲのしっぽだ。
「こっちのセリフよ。…母親舐めんな」
回避を後回しに、限界まで魔力を練り上げた師匠。
高品質な樹液の匂いに惹かれて集合、発光し、可視化された魔素は、厳かな鎧と、円錐形の槍を生み出す。
最後に、十字架をその胸に刻んで、完成した。
顔が見えない、あるいは中身が空洞の、鎧の騎士。
聖騎士とでも、呼ぶべきか。
上背は鬼武者と同等だが、真逆に位置する存在に思える。
師匠の真横に刺さった得物が、大至急引き抜かれる。
刹那、大身槍の先端が鬼の面を掠め、その巨体をぐらりとよろめかせた。
無傷ではない。
鬼武者は、顔の一部を欠損していた。
奴がちょっとでも身を引くのが遅ければ、赤い鼻を中心に、大穴が開いていたのに。
「分を弁えぬ言葉使い…あの娘の無作法は、親譲りという訳だ!」
「私によく似て、かわいいでしょう!」
魔力のコントロールと口を動かすのに忙しい、師匠と賢者。
彼女たちの決闘を、対の巨人が代理した。
一本取り返そうと斬りかかった鬼武者の刀を、聖騎士の槍が受け止める。
競り合っただけで、広い部屋全体を強風が襲う。
そんな凄まじい戦いの真下に居るのはハラハラするが、槍に降られるよりかは気が楽だ。
「九死に一生か…クッ!」
幸運に胸を撫で下ろしたジェシカが、今度は顔を歪める。
抑えていたのは、足。
強がりな彼女がここまで辛そうにしているのだから、生半可な負傷ではないと、すぐに分かった。
分泌されたアドレナリンが引っ込んで、立ち上がれなくなってしまったジェシカ。
その様子に、すぐさま膝を突いて症状を確認したゼン先生は、思わず、たじろいだ。
あちこちの外傷がかわいく見えるくらいの、尋常ではない腫れと毒々しい内出血が、下腿で主張していたのである。
「何だこの傷は…此処まで、どうやって歩いてきた!」
「うるせえな。走れば痛くなかったんだよ!」
「この足で走っただと!?…クソ、馬鹿な事を!」
不満一杯の表情で、ちらちらと辺りを見渡したゼン先生は、早足で二人が乗ってきた張りぼての方へ。
到着するや否や、持ち上げた足裏をガンと、ボディに押し付ける。
くすんだ顔が、林檎の様に真っ赤になって。
バキッ、という痛い音。
補強に使用されていた木の板を、無理矢理に引き剥がしたのだ。
脇にそれを挟んだ彼は、もう一方の手で車内から医療箱を持ち出して、えっさ、ほいさ、戻ってくる。
ぜえぜえと上がった息を整えることもせず、応急処置に取り掛かった。
「…手遅れの可能性も、零じゃない。また虐めようものなら、確実に一生片足だ。親から貰った大事な体を、これ以上失ってやるな」
ゼン先生が、木の板をジェシカの患部に添え、包帯でぐるぐると固定する。
慣れ切った手つき。
長い人生の大半を崇高な生業に、現場に捧げた結果、培われた技術だ。
ダラクでユータを治した時も、きっと、今も。
決して自らを医者と認めぬ、この男。
しかし、真摯に患者に向き合う後ろ姿を、白衣の幻が覆っていた。
「これだけの力…何故、私の元へ来なかった!呼び出された才能を腐らせるのは、大いなる意思への冒涜だ!」
「何それ、神様?もしそうなら…私が一番殴ってやりたいのは、そいつよ!」
賢者と師匠の問答は、無限。
双方共に、言い包められるような相手ではない。
では、鬼武者と聖騎士はどうか。
その答えは、唐突に訪れた。
撓って見えるくらいに加速した刀と、正義を映した真っ直ぐな槍。
それらはすれ違い、装い異なる互いの胸部を、ごっそりと削り取った。
すると、操り人形たちの糸が切れたか。
手を握り合っていた無数の魔素が霧散し、無へと帰す。
「その威勢、何回戦まで続くか見物だな」
鎧は、鎧。
物は物。
生命体とは違い、素材さえあれば幾らでも作り出せる。
憮然とした賢者は、何事も無かったかのように、淡々と杖を振るうだけ。
こうやって、貯蔵された心臓から魔力を抽出しさえすれば、簡単に二体目が立ちはだかる。
「これじゃあ、埒が明かない!」
「仕方ない…ガルダの娘、アレに乗れ!」
焦る私を、ゼン先生が呼んだ。
彼が指差していたのは、あの張りぼて。
ボロボロで、まだ動くのか信用ならないが、武器も考えもない今、従うほかなかった。
ジェシカの重い体を何とか担ぎ上げたゼン先生は、私の後ろをついてくる。
怪我人を揺らすのを嫌がって、不自然なフォームで走った。
速やかに後部座席のドアを開け、私が奥に。
その横に、ジェシカがそっと置かれて、先生はハンドルの前へ。
座席は硬いし、何だか油臭い。
とても快適とは言えないが、彼と師匠が長らく我慢していたのだから、乗車して間もない私は、口を噤んでおくべきだ。
「スクラップになりたくなかったら…動けよ、オンボロ!」
ゼン先生が鍵を捻ると、張りぼてが呼応し、キュルキュルと悲鳴を上げる。
一回、二回、三回。
何度やっても、張りぼては苦しそうにしているだけだったが、苛立った先生が蹴りを入れて、四回目。
息を、吹き返す。
耳障りだった甲高い音が低く移り変わり、座席が継続的な振動を開始。
尻から煙を吐き出した張りぼてが、遂に、発進した。
馬車とは比べ物にならない加速力が、高価で収穫量の安定しない魔石の力に頼らず、実現されている。
そのためコストは格段に下がり、魔力を扱う才能に、操作性を左右されることもない。
持たざる者への救済になり得る、革新的な発明である。
「道だ、ガルダ!」
運転に必死なゼン先生は、具体性が欠けた指示を、がなる。
普通なら、咀嚼するのに時間がかかりそうなものだが、振り上げたその手に、迷いはなかった。
師匠に従った光によって、左右に一セットずつ、砲手、砲台が。
狙うは、この張りぼてと師匠を結んで、過ぎた先。
崩壊した壁が積み上がった、瓦礫の山だ。
「放て!」
命令が下った瞬間、大砲が発射され、ギリギリまで寄せた張りぼてと、師匠がすれ違う。
空いているシートは、一つ。
扉を蹴っ飛ばされた、あの席。
どすん。
車内はぐらり。
スカートが、はらり。
次には、ゼン先生の口から、言葉にならない声。
勢いよく飛び乗った師匠の頭が、彼の横腹にめり込んでいた。
外から臓器を押し潰されながらも、先生はがっちりハンドルを固定、ペダルは踏みっぱなし。
空いた右手でレバーを動かすと、車輪が更に速まった。
こうして一行は、光の大砲が着弾した所に膨れ上がった、煙の中へ。
「ふう。ゼンさん、ナイスキャッチ」
「…コッチに受け止めるつもりが無いんだ、今のはキャッチじゃねえ。着地だ、着地」
「ちょっと見ないうちに、大人っぽくなったわね、リリィ。どう?自動車の乗り心地は!」
「さ、最高です」
ゼン先生が、怒りにぷるぷる震えている横で、ケロッとしている師匠。
久方ぶりの会話を楽しむよりも、私は気まずくて仕方がなかったが、そんな苦悩は長続きしなかった。
尻が浮くほどの瞬発的な地震にびっくりして、もう、忘れた。
震源地は、すぐ後ろ。
高くから降ってきた、鬼武者。
砕けて宙を舞った大地の破片が、やけにゆっくりに見えた。
着地の衝撃を、膝のクッションで吸収し切ると、長いストライドで追いかけてくる。
賢者本人は置いてけぼり、という訳ではない。
鬼の肩の上に、ピンと突っ立っていた。
「あの爺さん、靴の裏に釘でも刺さってるのか!?」
「確かに、固定具があってもいいわね。この車にも、ベルトとかつけてみようかしら」
「…言っとる場合か!」
顎に手を当てて悩み込む師匠を、ゼン先生が怒鳴って。
中々に、良いコンビではないか。
後部座席から、笑みが零れる。
依然、死と隣り合わせの危機的状況ではあったが、暗い気持ちにはならない。
それくらい、母の背中は偉大だった。




