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第67話 百人力

 古代魔法の直撃によって、賢者は死んだ。

 大事にしていた写真立て共々、ぺしゃんこだ。


 ただあの老人は、また立ち上がってくる。

 これまで我が家に籠っていたのであれば、少なくとも、三つの命を有しているはずだ。

 ルーライトで、ステナの体から二つの心臓をふんだくったのを、この目で見た。


「リリィ・ベイリー、ジェシカ・グリーンウッド…。たかが傭兵と侮っていたが、ここまでとは。アイディーの進言通り此処に残ったのは、正解だった」


 白煙の中から、賢者の独り言が。

 その肌は何度も搗かれた餅の如く伸び切っていたが、徐々に、徐々に、皴が復活して、年寄らしくなっていく。


 生きていると分かってはいたものの、いざ声を聞くと、がっくりとしてしまう。

 ありもしない勝利を、心のどこかで期待していたのだ。


 そんな間抜けな落胆を表に出して、賢者に馬鹿にされたくはない。

 だから私は、すぐさま虚勢を張った。


「そうかしら?おかげであんたは、一人ぼっちで死ぬ訳だけど」


「直にユータだって来る。それまで…トンズラだ!」


 知れっと大剣を背負ったジェシカと、もう使い道のなくなった杖をその場に捨てた私。

 二人同時に、宝物庫を飛び出した。


 扉の無くなった壁を九十度に曲がると、槍が背中を通りすがって、別の部屋の扉が破壊される。

 そのまま真っ直ぐに廊下を往けば、どこからともなく飛来した槍に、足場が襲われた。


 絵画も絨毯も、宮殿をウロチョロしている同胞さえも。

 見境なしに、何もかもがめちゃくちゃになっていく。

 自分の家だろうが、お構いなし。

 流石、目的のためならば、世界全土を我が物にしようという男の、やる事だ。


 兎にも角にも、逃げ続ける事しかできない私たちは、身を捻って、転がって、埃まみれになりながら、宮殿の奥へ。

 此処が何処かも分からないまま、大災害を引き連れて走った。


 そうやっている内に突き当たった階段を、三段飛ばしで駆け降りると、景色が開けた。

 美術品やインテリアの類がなく、代わりに、嫌味なくらいに豪勢な金の扉が、一枚。

 真っ白な壁の中で、ポツンと寂しく輝いている。


 それもすぐに、頬を掠めた数本の槍によって、壁ごと粉々に。

 巻き上がった煙の中を抜け、視界を取り戻したところで、とうとう、私たちの足が止まった。


 白い抜け毛が一杯で汚らしい床に、見た事のない文字が綴られた紙が、所狭しと散乱している。

 所々で割れている硝子は、ビーカー、フラスコ、シリンダーなど、あちこちに転がっている研究道具の、残骸か。

 そして、中央に据えられた長机の上には、万年筆と血痕。

 魔女の住処の様な、不気味な空間だった。


「他人の部屋に、無断で踏み込むな。…不躾な子供だ」


 いつの間にか、そう遠くない距離に立っている賢者。

 コツ、コツ、と杖を頼ってのんびりと歩いてきたが、あの速度で我々若者の足に追い付けるはずがない。

 どうせ、あんな棒は無くてもいいのだ。

 陰でスタスタ走っている姿を想像すると、至極シュールである。


「酷い言われ様。コッチは追い込まれてきただけなんですけど」


「躾がなってねえのは手前だろうが。扉ぶっ壊すなんて、俺でもやらねえよ」


 苦笑いで反論した私に、ジェシカが加勢した。


 ダウト。

 初対面だったあの日、彼女に蹴り開けられた馬車の扉が、悲しく宙を舞ったのを覚えている。

 大噓つきも、私と同じく表情が引き攣っていた。


 私たちの背中が、長机にじりじりと近付いていく度、賢者が一歩。

 また、一歩。

 その四歩目で、これではいけないと、ジェシカが後退するのを止めた。


「加齢臭がキツイんだよ。…次近寄ったら、死ぬぜ」


「私が死ぬ、か。今となっては、それも中々面倒だ」


「面倒だあ?老い先だって…それ程長くはねえだろうが!」


 含み笑いの賢者に対し、声を荒げたジェシカが、えいと斜めに振った剣。

 それには、特に何の工夫も無かったが、賢者の胴は裂けた。

 先程までは、一撃を加えるのがやっとだったのに、今度はやけにあっさりと、刃が届くではないか。


 違う、奴は敢えて受け入れたのだ。

 私たちを、絶望の底なし沼へ突き落すために。


「そういえば、勘違いしていたようだが…私が此処で待っていたのは、我が軍の帰還…ましてや貴様ら族などではない。百の、心臓よ」


 傷口から、覗いていた。

 ぬらぬらと艶めく大量の心臓が、蠢き、ひしめき合いながら、恨めし気に此方を覗いていた。


 有るべき場所に在る私たちの心臓が、狡いとでも言うのか。

 それともただ単に、我が家に帰りたがっているのか。

 そんな目で、見ないで。

 魂を天に帰すことはできても、あなたたちの人生を取り返してやることは、できないのだから。


 致命傷すらもあっさりと治癒してしまう今の賢者の相手が、私たちに務まる訳がない。

 すぐにでも逃げなければならない。

 それは、理解している。


 しかし、私たち人間の脳に、その光景はショッキング過ぎて。

 どろっと溶け出したかのように、足が言うことを聞かなくなってしまった。


「準備は、整った。我が悲願のために…この世を獲る」


 黒の光が、キラリ。

 輝いた賢者の杖の先端によって、くるっと大きな輪が描かれる。

 そこから生まれ落ちるは、鬼の顔。

 後ろで、ガシャガシャと五月蠅く鎧が組み上がると、最後に首が拾い上げられ、合体。

 鬼武者が、完成した。


 ルーライトでも使っていた、お得意の魔法。

 翼を生やしたユータですら、蠅のように叩き落したあの刀から、逃げ切れるとは思えない。


 私が諦めかけた、その時。

 何処からか、獣が唸るような声が響いてきた。


「ゼンさん!ブレーキ…ブレーキー!」


「とっくに踏んどるわ!こんのポンコツがァー!」


 反応に遅れた賢者。

 振り向きかけた彼を、賑やかな、見た事のない物体が撥ね飛ばした。

 重い体を振り回したそれは、キーっと床と摩擦して、私とジェシカの側で動きを止める。


 一体、何だコレは。

 鉄やアルミの板、トタンで作られた張りぼての箱に、車輪がくっついているだけに見える。

 衝突の反動でネジが吹っ飛び、ボディはくしゃっと凹んでしまっていたが、瓦解しないだけ、頑丈。


 何より、独りでに煙を吐き出して、独りでに走っていた。

 魔石以外で動力を確保するなんて、随分物好きな造りだ。


 私が不思議がっていると、扉らしき物が、ガン、ガン、と内側から叩かれ、音が止む。

 間を置いて、金属の甲高い悲鳴。

 扉が何処かへ飛んでいき、謎の箱から長い脚が生えてきた。


「ふう。六速でもちゃんと動いてくれたわね。良かった良かった」


「良かったじゃあない!最後のギアだけ、加速幅の設定がおかしいだろう!」


「そのおかげで間に合ったのに。文句ばっかり言うんだから」


 降りてきたのは見知った二人。

 それも片方は、私の師匠であり、母親だった。


 ガルダ・ベイリー。

 天才中の天才が、戦いの経験を豊富に蓄えた、鬼に金棒を体現する存在。

 私が知る限り、最強の魔法使いだ。


「し、師匠…!?」


「ごめんね、待っててって言われたのに。愛娘に会いたくて、我慢できなくなっちゃった」


 白のワンピースと長い黒髪を靡かせた師匠が、目を丸くしている私に向かって、微笑む。

 顔のパーツや装いの美しさよりも、その表情の可愛らしさに、溌溂とした印象を受けた。


 そうだ。

 こういう人だった。

 あの一件で失われていた、出会った頃のエネルギッシュな彼女が、蘇っていた。


 やってきたもう一人、およそあの張りぼての運転を担っていたのは、ダラクの闇医者、ゼン・ウィーグル。

 暫くおかんむりだった彼は、その熱を冷ましつつ、私に問いかける。


「おい、アレは何処に行った」


「ユータなら、途中で分かれたの。でも、これだけ派手にやってれば、いずれ来るわ。絶対に」


「そうか…。ガルダ、本当に大丈夫なんだろうな!?何度も言うが、俺は何もできんぞ!」


 姿が見えないユータを気に掛けた、ゼン先生。

 私に問いかける際は落ち着いた雰囲気だったが、会話の矛先を師匠へ向けた途端、口調から遠慮が消えた。


 眼鏡の裏で、下瞼は真っ黒。

 此処に辿り着くまで、ろくな休憩を取らずに来たのだろう。

 ガルダさんのコンディションが完璧に保たれているのは、彼のおかげという訳だ。


 しかし、厄介事に巻き込まれるのを嫌っていた彼までもが、この宮殿に乗り込んでくるとは。

 戦闘能力無しに死地へと躍り出た勇気に、拍手を送りたい。


「安心して。ちゃんと守ってあげるわよ。…誰一人、殺させるもんですか」


 そう言い切った師匠は、バラバラにされた骨を接着しながら、ゾンビの如く揺らめく賢者に、メンチを切る。

 紫のコートが放つ怪しさと、ワンピースの純白が、ゴングを待たずして争っていた。


 母は強し、などとよく言うが、ガルダ・ベイリーはそもそも、若き日の時点で強者である。

 そんな彼女が、今や母親二周目。

 百人力。

 いや、万人力だ。

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