第66話 聖剣
愛されし者が略奪した金銀財宝を腹一杯に貯め込む、宮殿の宝物庫。
偉大なるルーライト国王のへそくりだって、もう消化されて一緒になっているのだろう。
だがしかし、突如として、健康な胃腸に穿孔。
二つ隣の部屋までの壁が、真っ黒な閃光で串刺しにされてしまったのだ。
大穴をぶち開けたのは、他でもない、この宮殿の主。
私、リリィ・ベイリーの想い人の、実の祖父にあたる男、賢者だった。
ジェシカと私は、きっとこの宮殿にとって、細菌やウィルスの類と同義。
免疫が退治しようとするのも、頷ける。
それでも、大きな大きな光の通り道を間に挟んだ私たちは、目を丸くする以外にない。
「英雄になるって言ったって…まるで天災じゃない」
「身内も死にかねないだろ、コレ」
「生憎、身内と呼べるような相手はこの世に一人も居ないものでな」
驚きつつも敵の身を案じたジェシカに対し、心配ご無用と、賢者が鼻で笑う。
真顔で心臓を喰う彼だ。
己以外の人命など、屁とも思わないくらいでなければ、解釈違い。
最後の敵は血の通っていない魔王だという、おとぎ話の相場通りの、悪の親玉に相応しい男ではないか。
「つまり、死んでも誰も悲しまねえ訳だ。そりゃあ、斬りやすくてしょうがねえなァ!」
私と共にビビって壁に張り付いていたジェシカは、一転。
背の大剣を引っこ抜き、賢者に向かって飛び掛かった。
躍動感溢れる赤髪、血の気の多い瞳は、正に眠れる獅子が目覚めた、といった様相である。
あの吹き抜ける風の様な一撃に、賢者の首がゴトッと落ちる。
そう予想していた私は、目を疑った。
なんとジェシカの大剣が華麗に躱され、空を切ってしまったのだ。
それも、一度とならず、二度までも。
隙だらけとなったジェシカの腹に、ドスンと前蹴りを突き刺した賢者は、唾を吐き出してよろめく若者に、説教を一つ。
「乱暴な剣だな。剣に振られ過ぎている」
「クソ…ダイエットさせられてんだよ、こっちは!」
得意の近接戦で後手を取ったジェシカは、手の甲で口元を拭いながら悔しがる。
義手を失い再び隻腕となってから、幾度か交戦を重ねてきた彼女だったが、未だ剣の勢いは衰えていない。
衰えていないだけに、体重が軽くなった分、想定よりも重心がズレてしまう。
特に連続して剣を振った際の違いは、一目瞭然だ。
だが大前提、七十、八十の老いぼれが躱せるような攻撃ではない。
私は賢者が魔法によって身体能力を上昇させているのかと思っていたが、種は大剣によって切り裂かれた、良質なコートの中身。
鍛え上げられた、これまた良質な肉体だった。
色素の抜けた頭髪、顎髭、口髭は、正に老紳士。
反対に、猫のしっぽの様にピンと真っすぐに立つ姿は、若々しさに溢れていた。
あの細長い杖だって、きっと必要ないくらいに。
「此処で息の根止めなきゃ、後二十年は堅そうね」
「安心するがいい。万能の薬さえ手に入れば、すぐにでも私は、この世界から出ていく。…その後どうなるかは、大いなる意思の気分次第だ」
絶対王政を危惧した私の冗談への答えは、我々にはよく分からないものだったが、そもそも此処での敗北など、許されない。
だって私は、先人たちの魂に、二人目の師に誓っているのだから。
この世の平和を、守ると。
「ジェシカ、もう動けないなんて言わせないわよ?」
「…舐めんな。あんなジジイより先に音を上げる訳ねえだろ!」
煽れば即座に火が付く御し易い女、ジェシカ・グリーンウッド。
老人のキックを腹にもらった不甲斐なさを、一秒でも早く払拭したい彼女は、懲りずに前を向き、床を蹴る。
「その逞しい精神…枯らして見せよう」
接近を試みるジェシカを、賢者が杖を軽く振って迎え撃つ。
今度はどれだけ破壊的な魔法が発射されるのかと不安になったが、杖の先から現れたのは、三体の小さな天使。
真っ黒な配色を除けば、絵画の中を漂っているものと大差ないビジュアルだ。
「随分可愛い魔法じゃない!」
杖を構えた私はそう言って笑ったものの、可愛いなどという感想はいきがりである。
あの角膜の無い瞳が酷く不気味に思えてしまい、直視したくないのが本音だった。
それでも、威力の方は見た目通り。
私が抱いた拒否感が上乗せされた電撃が命中すれば、あっさりと霧散する、脆弱な魔法だ。
一匹、二匹と撃ち落とされ、残すは最後の一匹。
私の援護はもう間に合わないが、ジェシカの大剣が準備万端だ。
彼女は指にギュッと力を込め、迫り来る天使の微笑みに向かって、鉄の刃を振り下ろす。
「この程度の魔法如きで…何!?」
顔面をぶった切る事に成功したにも拘らず、ジェシカは驚愕し足を止めた。
それもそのはず、その手に握られた大剣が、端の方からどんどん錆びていくではないか。
天使を屠った代償に、鉄は若さを失ったのだ。
「さて、武器の無い剣士に何ができる」
ジェシカをいてもいなくても同じの存在だと判断し、躊躇わず言い放った賢者。
生気のない彼の瞳に映された彼女が剣を捨て、横っ飛びした次の瞬間には、その場に数本の槍が突き刺さった。
あの邪悪な槍は、見覚えがある。
ルーライトでステナの脳天を貫通したものが、同じ形状だった。
額の傷口から徐々に老いていく悲しい姿は、忘れたくとも忘れられない。
続け様に披露された、生物から時間を奪う魔法と、無生物から時間を奪う魔法。
何方も、厄介極まりない力である。
「逃げるだけか?ならば、もう片方が死ぬだけだ」
「そう簡単にくたばってたまるもんですか!」
標的を私へと変えた賢者は、次々と槍を宙に浮かべ、発射。
対して私は、全速力で氷柱を作り出し、一撃必殺の槍を一本一本相殺した。
こんな抵抗、長くは保たない。
狙いを外したら終わりという緊張が、私の精神を蝕み、弱気が顔を出す。
もし的当てに成功し続けようと、魔力の枯渇もそう遠い話ではなかった。
「ハッ、あるじゃねえか。…お誂え向きの剣がよ」
希望を口にしたジェシカの方に目をやると、彼女の手に、薄汚れた金色の剣。
宝物庫の中で埃を被っていた、置物である。
同じ色の義手が残っていれば似合っていたのかも知れないが、ボロボロの現状では盗人にしか見えない。
「そんな玩具でこの私と戦うつもりか…舐めるな小娘!」
「しまった…何も見えない!」
怒りを低い声に含んだ賢者は、私の足元を槍で乱射して破壊。
巻き上がる砂埃によって、数秒間だけ世界から切り離されてしまった。
その隙に、賢者の頭上に貯蔵されていた槍が豪雨の如く、ジェシカの赤髪へと降り注いだ。
刹那、プラズマが弾ける。
急激に加速したジェシカの体が、靡く髪が、そして、存在そのものすら不安定になったような錯覚。
槍と槍の隙間を迸るその赤い残像を追いかけて、追いかけて、やっと現在に辿り着くと、賢者の細胞が初めて接触を許していた。
剣が腹を切り裂き、続く二撃目は杖と競り合う。
その摩擦によって、被っていた化けの皮が剝がれ、黄金の中に隠れていた鈍色が露わに。
「やっぱメッキか…最高の鈍らだぜ」
「たった一撃、掠り傷…この程度、すぐに無に帰す!」
「…なら、十の傷を刻むまでよ!」
軽い得物を手にしたことで、アンバランスな肉体へのストレスから解放されたジェシカは、過負荷に悲鳴を上げる太腿に鞭を打ち、乱舞する。
軽くあしらわれていたのが嘘のように、その連撃の全てが命の在処を脅かしていた。
剛剣という二つ名を授かるまでに至った彼女が愛用する、身の丈に近しいサイズの大剣。
そもそもあれは、本職の傭兵業にて、魔獣を一撃で仕留めるために選ばれたものである。
使い手の強さのせいで、人間を相手に振り回す苦労がいまいち伝わらなかったが、賢者だけはその弱みを露呈させた。
しかし、遂に人殺しのための武器を手にしたジェシカは、初めて殺し合いの才能を最大限に発揮する。
疲労に筋肉が動かなくなるまで、という短い時間ではあるが。
「何処のどいつだ、宝物庫に紛い物を仕舞い込んだ戯け者は…!」
増えていく生傷の修正が間に合わない賢者は、元凶への不満を洩らす。
しかし、文句を言い終わったその瞬間にも、槍を跳ね上げた剣が、ジェシカの手首をくるりと一周。
流れるように切り裂かれた頬には、一筋の赤。
防戦一方の展開にフラストレーションを溜めているようだが、彼の防御手段は、際限なく生成される槍と、その手に握った一本の杖が全て。
秒間二本ぽっちでは、千手観音の如き斬撃に敵う訳がない。
むしろ、致命傷を避けているのを自画自賛すべきだ。
しかし、彼が後退するその一歩は、即ち死への一歩。
剣を振る毎に、ジェシカがその扱いに慣れ、速さに技術と経験が上乗せされていく。
付け焼刃の対処によって生まれた時間が、彼女の才能を育てていく。
「こんな…意思の力もない女に!」
「ああそうだ。魔法どころか敬語すら使えねえ女に、今から手前は殺されんだよ!」
そして、咲き誇った才能は、賢者の静脈に刃を届けた。
光年単位で遠くに感じられた高貴な首を、遂に捉えたのだ。
スプリンクラーの様に、鮮血。
大量の命の一個目が、失われようというその刹那。
「私を殺したその豪運…地獄で誇るが良い」
白目を剝きかけた眼球が、ギョロリ。
その視神経を真っ直ぐに突き破り、奥から槍が姿を現す。
目の前の強敵を相打ちにするために、賢者自ら、死の予定時刻を五秒だけ早めたのである。
攻撃に集中しきりだったジェシカは、唐突にやってきた逆転の一手に反応できず、床に縫い付けられてしまっている。
隠れ蓑になった頭をぶちまけながら、賢者の口元が歪んでいた。
しかし、魔法使いが一人寂しく祈っていた事に、彼はまだ気付いていない。
周りを見る余裕がないのは、お互い様か。
「冷酷たる平等よ、罪を赦せ…一罰百戒」
決死の策諸共、賢者は無情に叩き潰された。
私の残りの魔力を殆ど平らげ、部屋の天井スレスレまで巨大化した、氷の槌によって。
詠唱を省略した影響もあり、古代魔法本来の威力はないが、それでも十分。
あの老人に二度目の死を与えるには、十分だ。
「全く、何が豪運よ。剣を握ったからって、人が殺せる訳じゃない」
あの剣を私が、いや、誰が握ったところで、ただの鈍ら。
幼少期から幾度となく生死の境の綱渡りを成功させたジェシカが扱うからこそ、黄金の輝きを放つ聖剣に見紛うのだ。
しかし、そんな私の主張は、当の本人に半分否定されてしまった。
「いいや、俺は確かに豪運だ。…一人ぼっちで戦うアイツと違って、最高の仲間に恵まれてる」
ジェシカは満足げに笑い、言った。
会ったばかりの頃、魔法使いである私を、あれ程毛嫌いしていた癖に。




