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第65話 騎士の伝説

 五枚の壁を突破した竜の炎は勝ち誇り、無力を嘲る。

 魔力不足で朦朧としているクリードと、その後ろで力なく倒れる無様な私にできることなど、何もない。

 もし、この足が動けば、囮になる事ができただろう。

 腕に力が残っていれば、この場に残ろうとしたクリードを殴り、目を覚ましてやれたかも知れない。


 しかし、鍛錬が足りなかったせいで、私は足枷となり、想い人を殺す。

 その事実は、首が締まって感じる程の自責を、世界が真っ暗に染まる程の呪いを誘った。


 唯一の救いは、あの邪悪な炎がすぐに私も葬ってくれる事。

 この喉が引き裂けるまで罪を詫びれば、向こうで許してもらえるだろうか。


 いや、そもそも彼は、絶対に私を恨まない。

 ジョークを飛ばし、何もかも無かったことにしてしまう。

 そういう男だと分かっているから、尚更辛いのだ。


 嗚呼、せめて彼の前では、強い女のままでいたかった。

 若き日の彼を射止めた、強い女のままで。


 騎士の象徴として恥じないまま先に死んでおけば、こんなにも憐れな思いをせずに済んだのに、何故戦場の神は、私を此処まで生かしたのか。

 最後の最後に格が暴落し、彼に不相応な存在にされるなんて、あんまりではないか。


 正直なところ、才能と血統に恵まれ常に勝者として生きてきた私は、この世の辛さを侮っていた。

 救われない事が、これ程までに辛いものだとは。

 クリードが此方を向いていないのを良いことに、私は涙を流した。


 バレないように、静かにしていた私を正気に戻したのは、ザッという革靴を踏み直す音。

 引き付けられた視線の先で、竜の炎が、クリードの上半身に直撃した。


 先程までふらふらとしていたはずの彼は、両足で大地を踏み締め、背後に炎を漏らすまいと、両の腕を広げる。

 軍服に火が纏わりつき、いよいよ階級章も燃えてしまったが、それでも彼は倒れない。

 体にどれだけの痛みが駆け巡ろうと、頑として、そこを動かなかった。


 筋肉隆々の大男と共に重苦しい二つ名を背負ってきた、城よりも堅牢な帝国の盾。

 そんな彼が命を賭して、私を守ると決意したのだから、結末は約束されている。

 私には、死ぬ事すら許されないのだ。


 くたばり損ねれば、強要された生の中、何度も思い出すのだろう。

 人生で唯一愛した男の肌が焼け焦げ、爛れていく、この悪夢を。


 案の定、光の盾との衝突で減衰した炎は、クリードを殺すところまでで精一杯。

 燃えた箇所から徐々に露わになった、サイズ違いの軍服に隠蔽されていた肉体美に、相殺されてしまった。


 一方、私の体が傷付くことはなかった。

 盾は、微かな熱と火の粉を通しただけ。

 クリードはその身一つで、竜とアイディーによる最期の一撃を受け切ったのである。


「ああ、クリード…」


「俺の怒りの対価が…命一つでやっと…!?ふざけるな…ふざけるな!」


 私も共に焼き殺されると信じて疑わなかったアイディーは、予想外の結果に打ち拉がれ、唖然。

 死人の側で、殺した張本人と生かされた女の両方が絶望しているという、おかしな状況だった。


 煙る背中が痛々しい。

 それでも、彼を殺した私に、目を逸らす権利は無かった。

 現実という剣が心を貫く耐え難い痛みに苦しみ、苦しみ、遂に涙も枯れかけたその時。

 屍は、ピクリと動いた。


「いいや、美貌一つに負けてもらおう」


 肌が焼け焦げた屍は、ウィットに富んでいた。

 腕が消えても、脳味噌だけは、魂だけは溶けていない証拠だ。

 誰もが後ろ指を指す程見苦しい姿になろうと、生きてさえいてくれれば、私には、何一つ文句は無かった。


 絶望がアイディーに吸い取られ、空き部屋となった心には、一杯の歓喜。

 尽きたはずの涙が、再び溢れ出した。


「馬鹿者が…!」


「約束は、守らなきゃでしょ」


 嘆きの涙と間抜けな声を聞かれていた恥ずかしさ、それを大きく上回る安堵の両方が、私の呼吸を荒らし、プライドをずたずたにする。

 どうにか繕おうと思っても、また声が聞けた事が嬉しくて、嬉しくて、どうしようも無かった。


「クソ…こんなんじゃあ、死んでも死に切れねえ!」


 時間切れだった。

 アイディーの肉体が悉く枯れ、それに伴い、足下に張り巡らされた植物も生気を失う。

 彼女の目から零れた無念の雫が、体内に残された、最後の水分だった。


 肉体の半分が崩れた今、あれはもう、意識があるかどうかも分からない、炭素の残骸。

 そんな悲しい砂が散り終える寸前に、クリードが膝を突いた。


「俺はこの大陸の盾になる。生まれ変わった君が、君で居られる世界を作る。…だから、安心して眠っていい」


 手向けた誓いが届いたかどうか、定かではない。

 だが、クリードが言い終わるまで、アイディーの半身が形を留めていたのは事実だ。

 私には、平和、そしてその先にある多様性への祈りを聞き届けた彼女が、最後に、納得したように見えた。


 残骸が風に消え、そこに何も無くなってもそのままでいた彼は、電池を切らしたように、パタリとその場に倒れる。


「クリード!…誰か!誰か居ないか!すぐに回復魔法の手配を…医者でも構わん!」


 未だに足が言うことを聞かない私は、上半身だけを動かし、死に物狂いで周囲に呼び掛けた。

 しかし、此処は主戦場から離れた森の中。

 騎士は当然、一般人が訪れるのも極稀だ。

 都合良く反応が返ってくる事など無く、ただただ私の焦りが木々に反響するのみ。


 そうしている内に、気絶したと思っていたクリードが、ふらりふらりと、頼りない足取りで立ち上がった。

 立ち上がってしまった。


「無理するなクリード!本当に…本当に死んでしまう!」


「まだ戦争は終わってない…本隊を立て直さないと…」


「寝てろと言っている!命令を何度無視すれば気が済むんだ!」


 私が何度制止しても、部下と国防を案ずるクリードは、一歩、また一歩と戦場に戻ろうとしてしまう。

 あんな状態で出来る事など何も無いと言うのに、彼の強靭な精神が、限界を超えた肉体をも動かしてしまうのだ。

 もう、彼の中にある騎士としての使命感は、団長である私のそれを、優に超えていた。


 奇跡が生かした愛する男が、このままでは、自殺に等しい死を迎えてしまう。

 私は躍起になって這いずったが、少しずつ、彼の背中は離れていった。


「行くな…お願い、行かないで…!」


 最後の力を振り絞り手を伸ばしたが、覚醒したクリードには、この指も、声さえも届かない。

 諦められない私が、もう一度指先に願いを込めた、その時。

 思うように動けない私の代わりに、誰かの腕が、彼の歩みを止めた。


「若造よ。貴様が解決してしまっては、作戦が台無しになるだろうが」


 遺跡の柱が軋む音のように、聞くものに歴史を感じさせる声。

 こんな、威厳に足が生えているような男は、この世に一人しかいない。


 アダム・アレクサンドラ・ロー。

 帝都で匿われているはずのルーライト国王が、現在世界一危険な場所に、突然現れたのである。


「ダメだ、今も部下が戦って…」


「安心しろ。貴様が行こうが行かまいが、結果は変わらん」


 国王がそう言うと、応えるように主戦場から爆発音。

 音の正体は、敵軍に降り注ぐ魔法の雨霰だった。


 疲労が極限まで達した脳による、都合の良い妄想ではないかと疑った私は、瞬きをぱちぱちと。

 しかし、夢でも幻でも無い。

 数百の魔法使いで構成される軍が、崩壊しかけた本隊を確かに支えていた。


「秘密裏に掻き集めた、我が国の生き残りだ。愛されし者という絶対悪が帝国を喰らい、力を蓄える結末など、あってはならぬ」                         


「見計らったように出てきておいて…良く言うよ」


「見返りは、ルーライト復興への全面支援。そのために、皇帝を説得する事だ。この老耄の面倒、最後まで見てもらうぞ」


「副団長兼介護士とは…ブラックな職場だなあ」


 口先では文句を垂れながらも、帝国の民や騎士の命が担保された事に、心底ホッとしたのだろう。

 クリードは安らかな表情で、意識を手放した。


 今日は本当に良く走った。

 目を覚ましたら、口が忙しくなるに違いない。

 伝説の語り部になるという責務を果たすため、クリード・ミラーの勇姿を脳に焼き付けた私は、砂のベッドへと身を投げるのであった。

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