第63話 主演男優賞
「腹立たしい。上に立つ者が、命を蔑ろにするとは…!」
「御立派な矜持です。そこまで命を尊ぶと仰るのであれば…飢えに苦しむ貧民が、ちょっとは気に掛からねえかよ!?」
黒竜の背からブライスに見下ろされたアイディーは、こめかみに血管を浮かばせながら、皮肉。
ミロとキロが言っていた不満と、同じ内容だ。
貧困の責任を他国に転嫁するのは、やはり間違っている。
それでも、帝国の崩壊を目指し、これだけの大軍が押し寄せたのだ。
我が国を富を独占する悪として認識している者が、少なくないという事実は、受け入れざるを得ない。
それに、もしこの大陸全体を平和に、幸せにする事が可能なのであれば、追い求めるべきではないだろうか。
同じ空を見て、同じ時を生きる人類の苦しみを、放置していて良いのだろうか。
俺はそんな風に、今の帝国の政治に対し、疑念を持ち始めていた。
ここ最近まで、政になど興味すらなかったのに、らしくもない。
だが、この腕章を巻いてからというもの、自らが果たすべき責任の範囲が、国防の外まで広がった気がしてならないのである。
未熟だった精神に、突然甲斐性が身に付いたせいで、自分が自分に思えない。
まだ俺にとってのクリード・ミラーは、お姉さんの尻をひたすらに追いかける、ガキでしかなかった。
結局考えが纏まらないまま、自らの成長痛に悩む時間は終わった。
油断していると、帝国最強の剣士の動きに着いていけなくなってしまう。
苦痛に揺れる黒竜の背を蹴った、ブライスの動きに。
この特異魔法が、此方の命に干渉するもので無いと分かった以上、敵軍の中心であるアイディーを殺すという目的に、立ち戻るだけ。
そんなブライスの意向に、異論は無い。
異論は無いのだが、それをさせないための最終兵器が、我々の足元で忌まわしくうねる植物の波だということも、分かっていた。
俺は漠然とした不安を抱きながらも、ブライスを受け止めるため、光の足場を作成。
念じた通り完成した球体は、革靴に踏まれるという羨ましい役割を終えるより前に、飛来した小さな物体によって貫かれ、砕けて消えた。
高速の飛び道具という、戦闘において一、二番目に厄介な力の行き先を、目で追っていく。
空気抵抗に屈さずに飛び、直線上の大木に着弾、やっと足を止めたそれの正体を知った俺は、驚愕した。
「アレは…鱗!」
なんと、幹で光っていたのは、真っ黒な竜の鱗。
命を燃料にする事を命じられた黒竜は、身を守るための鎧さえも解き放ち、武器としていたのだ。
自らのタイムリミットを自覚してしまえば、防具など必要ないという事か。
「生を奪われても尚、飼い主の命を果たさんとするか…!」
足場を失ったブライスは、忠犬のような黒竜の働きに眉を顰めてはいたが、同時に何処か、感心している。
倫理に反した魔法によって手に入れた能力だとは分かっていても、その身を犠牲にして主人の助けになろうとする姿勢までをも、完全な悪とする事はできなかったのだろう。
悪とするならば、やはり力の存在そのものであるべきだという考えは、俺と一致していた。
そうやって、半分肯定するような立場を取ったからといって、攻撃が止んでくれる訳ではない。
残弾は、竜の巨体を覆った鱗の全てだ。
地面に落下したブライスは、受け身を取って衝撃を分散させ、それでも消え切らない痛みは、奥歯で噛み殺す。
即刻大地を蹴って突進を試みるも、その脹脛と頰を、黒い弾丸が掠めた。
「そう簡単に通れるとでも!?」
「全く、厄介極まりない」
血を流しながら顔の皺を増やしたブライスに対し、ピアスを揺らしたアイディーの、犬歯がキラリ。
表情だけで見れば対照的。
だが、向こうも同じか、それ以上の苦痛に見舞われているはずだ。
魔剣を使ったジェイクと同様、汗の下で膨らんだ血管は浮き彫りになっており、人間と呼べる範疇から外れるのも、時間の問題。
心臓のストックがあるとはいえ、そう遠くない内に限界は来る。
どうやら、いつの間にか攻守はひっくり返っていた。
翼竜を市街地に向かわせないために、積極性を必要としていた俺たちは今、時間稼ぎが最優先事項となったのだ。
特異魔法の反動でアイディーが息絶えるまで、黒竜の攻撃から逃げ続けることができれば、帝国の勝利。
戦いの終わり方が決まったなら、そこに至るまでを逆算するだけでいい。
「耐えるのは、盾の本分さ」
自らに言い聞かせ、気合いを入れる。
光の盾が鱗に貫通され、戦闘に介入する方法を見失っていたが、砲台に狙われ続けるブライスを守れるのは、俺だけ。
愛する人を、最後まで守り通さねば。
未完の技術を、駆使してでも。
「いい加減あの世に送ってやるよ、クソババア!」
「ギャオオオ!」
いよいよアイディーの指示が下り、黒竜の全門が解放。
試すように一発ずつ放っていた先程までとは違い、魚群のような弾幕が、軍服へと襲いかかる。
肉食動物に追われる兎の如く、ビュンと駆け出したブライスの足跡が、次の瞬間には黒い鱗で埋め尽くされていた。
森へと逃げ込んだブライス。
逃すまいと、鱗の弾幕が木々を撃ち倒す。
僅かでも姿を視認されれば、後は追い込み漁の要領で、再び開けた場所へと誘導されてしまった。
弾数が山程ある以上、その殆どをブライスの足に回避して貰わなければならない。
鍛え上げられた彼女の大腿四頭筋は、ここまでのブラック労働にも文句一つ言わないのだから、涙ぐましいではないか。
実際のところは、揉み消されているだけだろうが。
「おい、何百発外せば気が済むんだ!?」
中々直撃に至らないことに苛立ったアイディーが唾を飛ばすと、散弾のように鱗がばら撒かれる。
範囲の広さに堪らずジャンプしたブライスは、空中に用意してあった光の階段を蹴って、蹴って、追撃してきた鱗まで華麗に回避して見せた。
「チッ、逃げ足だけは二十歳並だな…けれど、消費されているのは弾数だけではない」
余裕の笑みのアイディーが言うように、逃げる此方側にも擦り減らしているものがある。
ブライスの脚だ。
筋肉は度重なる瞬発に疲労し、やがて壊れる。
今ですら、鞭打って言う事を聞かせている状態だ。
呼吸器だって、酷使を訴え出している。
少しの休憩を見つけては、肩で息をしているブライスの肺を、木の裏で息を潜める俺のものと、交換してやりたい。
こんな事なら、彼女にも禁煙を強要しておくべきだった。
「丁度、ダイエットでもしようかと思っていた所だ。良い運動になる」
ブライスは強がっているが、切り裂かれた軍服に開いた穴から覗く肉体は、彫刻のように完全無欠であり、痩せる必要性など見受けられない。
それでもこの全力疾走を、筋繊維がボロボロになるまで繰り返させるほかない。
「ギャオオ!」
吠えた黒竜は、魔法の蔓の影響で更に長く伸びた爪を、横に薙ぐ。
ブライスが地面に伏せてそれを躱せば、幼児の餌食となったジオラマの如く、背後の木々が吹き飛ばされ、その内の一本は、俺が隠れている倒木の真横に突き刺さった。
「運が良いのか悪いのか…!」
日常ではその場から一ミリも動かない物が、目と鼻の先に降ってきた驚きに俺は目を丸くしてしまったが、固まっている暇はない。
空中で逃げ場の無いブライスを狙った、鱗の連射に対抗するため、俺も剣へと魔力を込めた。
宙に居るにも拘らず、ブライスは細剣を振り回し、数発の鱗を弾き返す。
ただ一発、僅かに遅れてやってきた鱗だけが、意識の外だった。
そんな不意の一撃に対し、俺は先程貫かれた物よりも、一回り小さな盾を用意した。
サイズを縮小することで、硬度を上げたのだ。
座標の調整の難度は高まるが、それも上手くいっている。
俺は身を駆け巡る成功体験の快感に、ぎゅっと拳を握った。
しかし、僅かな抵抗の後、盾は鱗に貫通された。
握り拳は、間抜けに解けた。
ブライスが咄嗟に身を捩ったため心臓からは逸れたが、代わりに左肩が撃ち抜かれる。
肉を突き抜けた鱗を追いかけるように、鮮血。
「ぐあああッ!」
「ブライス!」
計算が狂った事、何よりブライスに大怪我を負わせてしまった焦りに、隠れていたことなど忘れて、叫んだ。
左肩を抑えたブライスが地面に落下し転がるのを見て、悦に入ったアイディーだったが、此方に気づけば、ジロリ。
「弱虫野郎、そんな所に居たのかよ…。女が血を流してるってのに、薄情な奴だぜ!」
「笑止」
俺は、返す言葉もなかった。
だが、休みもせずに立ち上がり、肩の出血を手の平で握り潰したブライスが、間髪入れずに返す。
言霊という奴だろうか。
ほんの数秒だけだったが、誰も口を開けない無の時間が、この場に生まれていた。
黙らされたアイディー。
ようやくその口が動き出すと、滝の様に暴言が流れ出す。
「あァ?何が違うんだよ。女一人に戦わせて、自分は隠れているだけの、フニャチン野郎だろうが!」
「分からないか…アレは帝国の希望だ。アレが居たから帝国は集団として機能し、今も勝利を追っているのだ。私の命程度の犠牲で、国の希望を守れるのならば、安い話ではないか」
「…ああ、そうかよ」
アイディーは呆れて、気怠げに。
話は終わりだという飼い主の意思表示を、言わずとも理解した利口な竜は、ブライスへ狙いを定める。
今や両の手足以外の鱗は失われ、赤い肉質ばかりが目立ち、黒竜と呼ぶには相応しく無い惨めな姿だ。
だがそれでも、弱ったブライスと俺に止めを刺すには十分。
残りの鱗が完全に禿げるまでには、戦いは終わるだろう。
さあ、勝利の為には何が要る。
俺にできることは、何がある。
ブライスは、俺の事を希望だと言った。
ならば、俺だけは希望を捨ててはならない。
あの人の期待を裏切るような男には、なりたくない。
こういった時、ジェイクであれば腹を括る。
今までの俺のように限界を見極めるのではなく、人生最高の力を発揮し、限界を超えようとするはずだ。
帝国の矛の魂が、胸に宿っていた。
「ブライス、大丈夫だ。君は絶対に俺が守る」
自信を口元に潜めた俺。
珍しく強気な言葉は、虚だったブライスの灰の瞳に、輝きを蘇らせた。
この劇場が幕を閉じれば、主演男優賞は俺のもの。
後は、歴史上最大のはったりを、実現させるだけである。




