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異世界捜索  作者: ンゴ
第八章
62/71

第62話 狡い植物

 肩から斜め四十五度の直線上。

 そこに突如生まれた溝によって、引き離された細胞たちは、互いに伸ばした手を取り合い、同化していく。

 瘡蓋は必要ない。

 転移者の心臓を飲み込んだ彼らは、細菌に傷口を蝕む暇など、与えないからである。


 この奇怪な現象を見るのも一度や二度ではないため、腕時計の針が逆回転していないか、確認する程度の余裕はあった。

 まあ、真っ先に白昼夢を疑っている時点で、余裕があるとは言えないのかも知れないが。


 剣によって皮膚と衣服に開けられた穴は、元通りに塞がってしまい、何事も無かったかのよう。

 だが、実際はそうではない。

 敵軍の核であるアイディーの命を、遂に一つ奪った俺たちは、遥か遠くに在る勝利の光へと、前進したのだ。


「…ピチピチの肌が羨ましいからって、カッカすんなよクソババア!」


 万全な体を取り戻すとすぐに、言葉で反撃に出たアイディーは、自らのベルトに取り付けられた鞭を手に取り、襲い掛かる。

 ヒュンと鳴りながらしなる鞭の先端が、ブライスの頰へ。

 しかし、勢い余ってか、あらぬ方向に外れてしまう。


「何だ、鞭が言う事を聞かねえ!」


「ペットは優秀だったが、飼い主の方は随分理解が遅い」


「ふざけ…!?」


 やっと現実に何が起こっているのか理解したアイディーは、大きく目を見開いた。

 ブライスの横を通りすがる形で虚しく吹き飛んでいった鞭は、細い手首に握られたままだったのだ。

 遮断された神経が、当然まだ残っているものだと錯覚していたアイディーの脳には、未だに痛みすら到達していない。

 それは一見仕方のない事のようで、実のところでは、怠惰である。


「挙動、把握、後悔…全てが遅過ぎる。生き方が甘い証拠だ」


「口を開けば説教ですか…ウザイんだよ、行き遅れババア!」


「…やはり、今の世にも体罰は必要だな。痛みでなければ治療できない病気もある」


 静かに言ったブライスの表情に影が落ちた瞬間、広大な森には地鳴りが響き、俺は身震いした。


 やっと始まった攻勢を簡単に終わらせる訳にはいかない。

 この機会にアイディーが溜め込んだ命を、全て消し去ることができるのならば、人類にとってはそれが最善。

 それでも、振り下ろされたブライスの剣によって、頭蓋骨ごとアイディーの脳梁が叩き斬られた今、俺の心中で際立っていたのは、歓喜よりも恐怖だった。


 ほら、黒い鱗の中に埋もれている、水晶のように透き通った黄色い瞳にさえ、困惑や怯えが浮かんでいる。

 コツコツとブライスの中に積み重なった怒りが起こした爆発に、天空の覇者でさえも委縮してしまうのだから、俺の震えが止まらないのも、やむなし。


 口の悪さが招いたアイディーの自業は、閻魔大王の宣告通り、死に伴う激痛。

 刑は、直々に執行された。


「崇高な騎士が、色に現を抜かしている暇はない!」


 強情な叫びと共に、ブライスが大振り。

 アイディーの腰の骨が粉砕され、骨折の影響で動けなくなっていたところに、今度は心臓への一突きだ。

 放った暴言を大いに後悔しながら、アイディーは意識を失いかけ、すぐにやってくる強引な回復に叩き起こされる。


 真に地獄の底へと落ちる前に、たとえ事実であっても口にしない方が良いことがあるという、大変重要な学びを得られたのだ。

 その目尻に浮かんでいる涙も、無駄ではない。


「おい、あの男を…クリード・ミラーを狙え!」


「ギャウ…」


 蘇ったアイディーは、状況を打破する為、指示を出す。

 しかし、キョロキョロと辺りを見回してその場から動けない黒竜は、どれだけ尻を叩かれても、困ったような、弱々しい声で唸るだけ。

 雲隠れした俺をあっさり見つけられるほど、鼻は効かないようだ。


 飛び上がったブライスが注目を集めた際、試しに倒木の陰へと身を隠してみたが、意外にも有効だった。 

 可哀そうに。

 不慣れな森の中、花粉症でも発症してしまったか。


「…仕事の半分はサボってきたんだ。かくれんぼなら負ける気がしないね」


「チキン野郎!出てきやがァ!」


 孤独に呟いていた陰湿な俺を、相応しい蔑称で呼んだアイディー。

 彼女が全てを言い終えるより前に、開いた口が一文字に斬られた。

 表情が豊か過ぎて美しさが目立たない、持ち腐れてしまっている整った顔面が、ナイフを入れたパンのようにパックリと割れ、苺ジャムまでも溢れ出す。


「私は望んで独り身なのだ!そこに憂いなど無い!断じて!」


 直視するのが憚られるくらいの、壮絶なスプラッタ。

 長らく続いたそれは、未だに同じことで憤っているブライスが、遂にアイディーの首を切断したことで、幕を閉じた。


 先に黒竜の背中から脱落した生首を追って、脳や視界などを失ってよろめいた胴体も、ふらりと消える。

 それから、ぐしゃっという悲しい音が、二度響いた。


 代替の心臓は、残っている。

 大地に受け止められた血塗れのシスター服の首元から、新しい顔が生えてきていた。

 とはいえ、ブライスに繰り返し繰り返し殺されたアイディーの回復は、戦いが始まった当初と比べ、明らかに鈍い。


 勝利の二文字がぼんやりと現実味を帯びてきたが、表に出そうになった喜びを、握り拳に閉じ込める。

 そうやって、感情を嚙み殺していた俺とは反対に、おろおろと狼狽えたアイディーの両の人格は、弱音を吐き始めた。


「弱者を導く正義が敗北するなんて、あり得ません…このままじゃ、賢者様に失望される。それだけは、それだけは嫌だ…!」


 常に他人を見下したような、強気な態度を取っている裏人格すらも、汗だくで不安気に首を振っている。

 彼女がああなってしまう程、賢者という存在が恐ろしいのか、或いは、求心力が凄まじいのか。

 何方かは分からないが、過度の動揺は狙い目だ。


 そう思った俺が、ブライスが降りるための足場を作ろうとしたその時、アイディーの声が森を揺らした。


「あの力を使いなさい!このままでは、ただ命を浪費するだけです!…でも、そんなことをしたら私たちも、それに、みんなだって!」


「人格同士で喧嘩か…?」


 俺は不思議がって、呟いた。

 

 此処に来て、二重人格という特殊な病に起こった変化。

 目まぐるしく変化する表情に浮かんだ皴や、落ち着きのない仕草が、見ていられない。

 

 それに、狼狽え方が酷い分、まだ奥の手を残しているような言い方に、嫌な予感がした。

 そう思ったのは俺だけではなかったようで、竜の背で様子を窺っていたブライスの面持ちも、神妙に。


「…何を隠しているのかは知らないが、恐れていても仕方がない」


 乱暴に振る舞うのを止め、静かに剣を構えるブライス。

 彼女を突撃させるべきか、それとも様子を見ておくべきか。

 藪を突くのを恐れた俺が判断を下せずいると、アイディーの表人格が、更に喧しい怒声を発した。


「貴女が貴女として生きる夢を、此処で諦めると言うのですか!」


 戦闘によってボロボロにされた周囲の空間と自らの骨に響いた声にハッとしたアイディーは、幼い瞳を晒す。

 彼女の心は決まった。

 俺が決断するよりも、追い詰められた彼女が吹っ切れる方が、早かった。


 アイディーの瞼がゆっくりと閉じると、穏やかな森の風に靡くシスター服の周囲へ、わらわらと魔素が集ってくる。

 次第に黒く濁ったそれらは、魔力の流れに沿って、大地へと放出された。


 地面に衝突した闇の粒子が形取るは、踏めば折れてしまいそうな、弱々しい蔓や根。

 どこまで生長したところで、花も実も、葉っぱすらも付かない、寂しい植物。

 目にも留まらぬ速度で成長、蔓延っていき、瞬く間に森が覆われたかと思えば、遂には、本隊が争う戦場までをも草木が呑み込んでいった。


 ここまで広範囲に影響する魔法など、見たことも、聞いたこともない。

 転移者のみに与えられる特異魔法の中でも、非常に珍しい力だ。


 しかし、植物は毒物のように人間に害を及ぼすわけではなく、ただ、足元で奇妙に脈打っているだけ。

 張り巡らされた蔓と根は簡単に千切れるため、足を取られる心配もなかった。


「上っ面だけで何の変化もない…やはりハッタリか」


 見慣れない規模の魔法の効果に気を張っていたブライスは、再び剣のグリップを握り、竜の背中からの降下に備える。

 しかし、整えた体勢は、激しい揺れによって崩れた。


 人間には、何の悪さもしない魔法。

 そんな、アイディーの切り札に対する俺たちの分析は、全くもって正しかった。

 だが同時に、その本質は一欠片も理解できていなかったのだ。


「ギャアアア!」


 今までとは異なる、複雑な感情をはらんだ咆哮。

 人語を喋らない動物の声から、正確な情報を得ることなどそうは無いが、裂けてしまいそうな位に顎を開いた黒竜の叫びは鼓膜を貫通し、我々人間の心にまで、届いていた。


 人の命に見向きもしない邪悪な根が、黒竜の足には積極的に絡み付き、蔓は鱗の間から、体内へと侵入する。

 そこから何かを注入された竜は、魔素と同じ暗い闇に包まれ、皮膚の見える箇所には、病的なまでに血管が盛り上がった。

 膨張した筋肉に押し出され、鋭利な黒い鱗が逆立ち、ガラス玉のようだった瞳は、真っ白。


 風貌の変化によって、更に凶悪な、理性の無い存在に映る。

 数分前までの俺が黒竜に対して抱いていた、魔獣にしては利口で知性的という印象が、その口元からだらだらと涎が垂れ落ちる度、消失していった。


 よく見ると、地面に落ちた液体は徐々に土を溶かし、そこから煙が上がっている。

 あの汚物にはきっと、逆流した胃液も混ざっているのだ。


 黒竜は強化されると同時に体を蝕まれ、苦しんでいる。

 あのように、命を代償とした罪深い力を、俺は知っていた。


「成る程、俺が一番嫌いなタイプの魔法だ」


 死んだ親友を反射的に思い出した俺は、嫌悪感を吐き捨てるように、言った。


 ジェイクの魔剣もろくでもない発明だったが、アイディーの特異魔法は、それとは比べ物にならない程に、外道な力だ。

 見ている限り、魔法の範囲内に居る魔獣は、その意思に関係なく強化されている。

 相手が人間ではないとはいえ、命の使い道を勝手に決め付けるなんて、烏滸がましい事この上無い。


 弱者の正義を語る彼らは、尽く他の命を犠牲にする。

 そんなもの、否定されて然るべき、戯言だ。


 ならば此方は、自らの意思で、たった一つの命を賭けようではないか。

 上っ面だけではない、真の正義を証明するために。

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