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異世界捜索  作者: ンゴ
第八章
61/71

第61話 阿吽の呼吸

 空の王者を、我々のフィールドへ引き摺り込むことに成功した。

 この数千年において、地上三メートル圏内を制してきたのは、人類。

 アイディーが、犬歯を露わにどれだけ凄もうとも、その事実は、俺たちの有利は変わらない。


 ただこの竜は、他と違う。

 御伽話の中でも中々お目にかかれない漆黒の鱗が、筋肉の殆どを覆っており、サイズも弩級。

 飛行能力を奪われた今も尚、戦況を左右する存在だ。


 そんな化け物中の化け物を目の当たりにしても、小心者の俺がチビらずいられるのは、此方にも最強の騎士が居るから。


「さっさと終わらせようではないか。獣狩りも、戦争も」


 魂が抜けた翼竜の脳天を踏む、ブライスの宣言。

 その落ち着いた声が、雷鳴の如く周囲を脅かす。

 彼女の足元に、名剣が突き刺さっているのも相まって、聖書の一ページに近しい雰囲気が醸し出されていた。

 無宗教の俺ですら、その場に膝を突いて祈りを捧げてしまいたくなる程、神々しい姿だ。


 そして、ブライスの言う通り、俺たちは迅速にラスボスを片付ける必要がある。

 ただでさえ戦況は拮抗していたのにも拘らず、前線で囮となっていたブライスが席を外したのだ。

 残された部下の能力をどれだけ高く見積もっても、その影響は誤魔化しが効かない。


 今この瞬間も、俺の判断によって増えた負担が、仲間の命を食っていると思うと、気が狂いそうになる。

 だからこそ、そういった余計な心配は、思考から切り離せ。

 勝利のために、情報を掻き集めろ。

 そう、自らに言い聞かせた。


「…お望み通り、即刻ペシャンコにしてやる!」


「ギャオオ!」


 アイディーの裏の人格が厳かな空気を打ち破ると、飼い主の意思を察した黒竜は咆哮。

 次には、巨大な爪を振り翳す。


 竜の怒りに曝されたブライスだったが、彼女は表情一つ変えない。

 ひらりと後方へ身を躱し、金の長髪を宙に靡かせた。


 ブライスが後にした竜の頭が、爪の一撃に巻き込まれ、ぐしゃっという音と共に、真っ赤な噴水と化す。

 膨大な出血がやっと収まれば、爪痕から骨、肉、脳が覗く。

 単なる引っ搔き傷とは思えない痛々しさだ。


「…家の包丁といい勝負だ」


「嘘を吐け。自炊しない貴様の家に、良く切れる包丁などある訳なかろう」


「ご名答」


 前方に飛び降りてきたブライス。

 鋭い彼女に嘘を見抜かれてしまったが、潔い俺は、食い下がらなかった。


 土壇場で、これだけ生産性の無い会話をしている理由は一つ。

 あの凄まじい破壊力にどう立ち向かうか、困っているのだ。


「おっと、休む暇なんて無えぞ!」


 心中で湛えた苦笑いが見透かされているのか、指揮棒代わりとなったアイディーの細い手が、ぶんと振り上がる。

 すると、彼女が背負った大空に、五つの星が輝いた。

 星の正体は、本隊を襲っていた五匹の翼竜。

 それらが突然此方を標的とし、一斉に炎の弾を吐き出したのだ。


 竜の炎に対する対魔の剣の有効性は、既に観測された事象である。

 ブライスが剣を握る手にも、ぐっと力が込もって、迎撃態勢ばっちりだ。

 だが実際に狙われていたのは、対処の後に生まれる隙。

 視界を広く保っていた俺の目は、黒竜とアイディーの瞳がギラついているのを、見逃さなかった。


 瞬間的に流れた電流に従った脳と肉体が、ブライスを守るという目的へ、全力疾走する。

 指令を受けた右腕が腰の剣を抜き、手元でくるくると回転させると、腕を下ろした自然体へと移行した。


 一本の糸のように練り上げた集中力を、極々小さな穴に通す感覚。

 全神経を注いだ一瞬は永遠のようにも感じられたが、愛は永遠をも超越する。

 現実へと帰ってきた意識を、周囲に巻き起こる爆音の連続がお出迎え。

 同時に生み出された五つの光球が、竜の炎を受け止めていた。


「防がれた!?…気に喰わねえが、どの道ミンチだ!」


 別人格の驚きを振り払うように、声を荒げたアイディー。

 その言葉に次の指示を読み取って、黒い鱗がギュンと縮こまる。

 そのままグルン、グルンと横回転することで、雨雲を引き連れた台風と化した黒竜は、遠心力の上乗せされた尻尾を振り回し、ブライスへと迫った。


 誰もがブライスの死を確信するような、切羽詰まった状況。

 だが、俺は満足感に浸っていた。

 やる事をやった俺には、その権利があるのだ。

 空中で砕けた光の盾が破片となって降り注ぐ中、劇場の女優と同等かそれ以上に輝く、彼女の背中を眺める権利が。


 そんな至福の時も長くは続かず、後ろ姿は闇に飲まれる。

 ゆっくりと距離を詰めたブライスが、衝突寸前で姿勢を落とし、漆黒の尾と地面の間へと潜り込んだのである。


 一秒後、澄んだ鉄の音。

 青い光が、天へと登る。

 時を同じくして、痛みを訴えるような甲高い鳴き声が上がり、回転を急停止した黒竜が、盛大に足元を崩した。


「ギャオオオ!」


「おい、急にどうしたってんだ!」


 竜の背中に捕まっていたアイディーが、三半規管からの苦情に顔を顰めながら、言った。

 状況を理解できていない彼女へ、種明かし。

 真っ平らな断面で分断された黒い尻尾が空から降ってきたのが、全ての答えだ。

 竜の真下に存在していた僅かな隙間に陣取ったブライスは、唯一黒い鱗に覆われていない、長い尾の接地面から、刃を通していた。


 汗ばんだ軍服を、更に砂と返り血で汚したブライスは、剣身に付着した血液や油を振り払い、やっと立ち上がった竜を、顎で指す。


「中々芸達者なペットじゃないか。…だが、ペットはペットだ」


「クソ!邪魔さえ無ければ、ババア一人如き…!」


「御免よ。今月から昇給した手前、働かない訳にもいかなくてさ」


 決定打が届かない苛立ちに、眉根を寄せるアイディー。

 その表情に活躍の実感を得た俺は、次の策を練りつつ、彼女を煽る。

 先刻まで、自らの勝利を信じて疑わなかった彼女の余裕が徐々に曇っていく様は、糖分のように脳のエネルギーとなり、計算を捗らせた。


「いい心掛けだ。馬車馬のように、とは言わん。…馬車馬よりも働け」


 戯けた俺に、常日頃と変わらず厳しい言葉を放ったブライスは、警戒を強める黒竜と視線を合わせ、そして、駆け出した。


 黒竜に次の行動を起こされるより先に手を打つという方針を、ブライスが行動で示す。

 だが、筋肉に圧迫され縮小してしまった彼女の脳味噌に、具体的な作戦の用意などない。

 結果に至るまでの過程や手段の一切は、俺に丸投げされていた。

 憧れの女性から全幅の信頼を勝ち取った幸福の代償として、騎士団のトップの命という、重大な責任が肩に伸し掛かる。


「…労働環境に関しては、聖女様のペットの方がマシっぽいな」


 人使いの荒さに、少々の憎まれ口を挟みながらも、適材適所に分担された役割に、俺はやり甲斐を感じていた。

 自分には再現不可能な、非常に複雑な動きをいとも簡単にこなしてしまう特別な体が、凡人である俺の思うがままに躍動する。

 世界一の画家に対して、事細かに注文するような優越感だ。


「グ…グルルル」


 突っ込んでくるブライスの対処を強いられた黒竜は、牙を震わせる。

 唸りながら肺に溜め込まれた炎の吐息は、ブライスを追い払いたい一心で、横薙ぎに撒き散らされた。

 光の盾で防げぐ事も可能だが、まだ動かない。

 一番効果的に盾が活きるタイミングは、今ではない。


 ブライスは盾の援護が無いと分かると、自らを焼こうと迫る炎のカーテンを、対魔の剣で切り裂いた。

 そこに空間が生まれ、致命傷とはならずとも、炎から漏れてきた熱によって、所々に火傷が。

 しかし、肌の痛みなど気にも留めず直進、黒竜の爪の間合いへと踏み入った。


 今度こそ仕留めようと躍起になっていた竜は、その剛腕に出来る限りの力を込める。

 瞬間、魔力を流し込まれた俺の剣が、光を放って悦んだ。


 ブライスの目の前に用意されたのは、半径五十センチ程の、頼りない半球。

 盾のチープさに、アイディーは腹を抱えて嘲笑う。


「おいおい、さっきので魔力切れかよ!随分な出来じゃねえか!」


 そう、アイディーの言う通り、無力なしょぼい盾だ。

 そんなあからさまな事実は、敵の僅かな慢心を誘い、同時に、味方に策を伝えるメッセージとなる。


 ブライスは勢いのまま、躊躇なく光の盾を踏み、飛び上がった。

 踏み台によって多少の補助を受けた彼女の体は、黒竜の右の爪を悠々と超えたが、空中で無防備になったところを、左爪に狙われる。


 しかし、あとは落下するだけに見えたブライスの軌道が変化。

 黒竜のアッパーは、豪快に空を切った。

 半球状の盾と同時にひっそりと用意していた空中の光球を、最高到達点に達した彼女が、全力で蹴ったためだ。


 ブライスの着陸地点は、両腕が伸びて追撃が不可能となった、黒竜の背中。

 アドリブで書いた脚本の終着点は、竜の飼い主との一対一だった。


 予想外の方法で接近され、面食らったアイディーは、思わず一歩後ずさる。


「話を合わせる暇など無かったはずです…!」


「私の右腕だ。神経が繋がっている。貴様のトカゲと同様、ちゃんと躾けたからな」


「馬鹿な、人同士でこんな芸当、出来る訳が無え!」


 困惑するアイディーは俺を人間として扱ってくれていたが、彼女へと躙り寄るブライスの方は、そうではないらしい。

 勿論、ブライスの口から絆だの愛だのという、喜ばしい言葉が出てくることなど鼻から期待はしていなかったが、まさか、人権の尊重すらされないとは。


 だが、どれだけぞんざいに扱われようと、アイディーの不憫さには敵わない。

 世界一容赦のない女、ブライス・ハワードの前に、大量の命を腹に抱えて立つ位なら、竜の胃の中で溶けるのを待つ方が、幾分も気楽だ。


「好き放題言ってくれたな、テロリスト風情が」


 抱いた憤怒を殺気としたブライスの剣が放つ、青い閃光。

 目で追うのが困難な速度で描かれた軌道が、一体何処を走っていたのか。

 それは、一瞬の間を置いて、アイディーの肩から斜めに噴き出した鮮血が、物語る。


 これはまだ、たった一太刀目。

 アイディーにとっての地獄は、始まったばかりだった。

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