第58話 終わりと始まり
翼代わりの義足の片方を失った僕は、大空を浴びて、座り込んでいた。
力を尽くした清々しさに、舌鼓を打っている訳じゃない。
紛うことなき決着に、絶望しただけだ。
不完全な形に戻った体。
太腿の空洞が、まるで抜け殻の様。
「…なあ、ロビン。あの夜、オーランドさんが言っていたことは本当だ。ただ、俺を迎え入れようとしてくれていただけで、お前を捨てようだなんて、これっぽっちも考えていなかった」
「黙ってよ。もう、何も言わないでくれ…!」
宥めるように言うユータの声は耳に心地良いが、聞きたくない。
オーランドには僕がいるというのに、それでももう一人と思わせるような、人の心に簡単に取り入ってしまう、彼の狡賢さが、嫌いだ。
闇に乗っ取られた僕と違い、負の感情を受け入れて前を向ける、彼の図太さが、嫌いだ。
立ち上がれない僕に視線を合わせるために屈む、彼の底抜けた偽善っぷりが、嫌いだ。
何よりも、今更になって彼の言葉に嘘は無いと信用してしまう、自らの一貫性の無さが、大嫌いだった。
ただ、ユータの言った通りだとして、オーランドの光を奪った僕が、あの場所に帰る権利はない。
それなのに、賢者のお気に入りであるユータを殺し、愛されし者に、賢者に価値を証明するという狙いも、失敗。
実力主義のこの集団で敗北を喫すれば、無能として、侮蔑される。
拠り所であったアイディーからも、見放されるに違いない。
彼女が僕を飼い慣らしたのは、ただ戦力として引き入れただけなのだと、本当は分かっていた。
「嗚呼、何で僕は、あんな事を…!」
脳の端の方で何かが弾けると、呼吸が急激に浅くなり、あの日、あの瞬間の記憶を強制される。
やっと僕は直面したのだ。
決して取り返しの付かない、自らの罪に。
オーランドの瞼ごと、眼球を切った感触を覚えている。
ぎゅっと握り潰した、馬の心臓の生暖かさだって。
家族から大切なものを奪う残虐が、白昼夢。
後悔と悲しみに、胸が引き裂かれそうになった。
こんな苦しみが永遠に続くのならば、いっそ消えてしまいたいと思ったその時。
僕の名前を呼ぶ声がした。
「ロビン!」
僕を記憶の地獄から救い出してくれたのは、此処に居るはずのないオーランドが呼び掛けてくれているような、幻聴、幻想。
実際には、様子がおかしくなった僕を心配した、ユータが発した声だった。
悪夢から解放されハッとした僕は、ぜえぜえと息を整える。
この期に及んでも、オーランドに助けられているのが情けなくて情けなくて、こうなれば、物に当たって、苛々を発散するほかない。
しかし、屋根を蹴るために足を持ち上げようとした感覚は、空虚。
義足は斬り落とされているのだった。
側に転がった脚の残骸が、恨めしい。
敗北の証拠をじっと眺めていると、悪魔の瞳による高解像度の視界に、ふと何かを見つける。
何か、義足の腿の裏側に、書かれているではないか。
気になった僕は、鉄を擦る音をザッ、ザッと鳴らし、這い寄って、残骸を拾い上げる。
ずっと隠されていた簡単なメッセージを読んだ僕は、冷たい鉄を、構わず抱き締めた。
そこには、お世辞にも綺麗とは言えない字で綴られていた。
愛する息子へ、と。
頬を、涙が流れる。
ひんやりしているはずなのに、何故か人肌の様な温かさを感じ、触れる肌は、みるみるうちに紅潮した。
その熱は、心の闇までも溶かしてしまい、悪魔の瞳を形成する黒い組織が、ポロポロと、崩れ落ちていく。
「オーランドさんには、代わりの目が必要だ。その役はお前だろ…ロビン」
諭すようなユータの言葉に、もう、無駄な意地を張ろうとは思わない。
僕の口から、久しぶりの弱音が漏れた。
「…ユータ、僕は怖いんだ。またあの衝動に襲われて、村のみんなを傷つけちゃうかも知れない」
「大丈夫、その時は俺が目を覚ましてやる。…でも、喧嘩は最後って言ったっけ」
「そうだね。僕ももう、本当に大切なものを見失いたくない」
困ったような顔で空を見上げたユータにつられて、上を向く。
一人前になりきれない背中を支えてくれる、兄のような存在。
彼のお陰で、僕は僕自身の足で、再び歩き出せる。
きっともう、悪魔の瞳は使えない。
だから、愛を見失ってしまうことのないように、大切な人に寄り添って生きていこう。
そうすれば、不安に負けずにいられるはずだ。
久方ぶりに、自分自身の目で見た青空は、やけに広かった。
◇
「こっちだ、リリィ!」
切迫したジェシカの声に促され、絨毯の上を走る。
進行方向には二名の衛兵が立ち塞がっていたが、黒いローブを捨てた今、演技はできない。
強行突破するしか、ない。
片腕を失うという、戦うには大きなハンデを背負っていたジェシカだが、残った右腕一本で大剣を軽々と扱い、衛兵を吹き飛ばす。
後から彼女に斬りかかろうとした二人目は、私が放った電撃の餌食に。
ダンスホールを脱出し、シャッツと別れた私とジェシカは、ユータとの合流を目指し、奔走していた。
奥に進めば進むほど警備の数が増え、こうして敵と交戦するのも数度目。
依然として、手掛かりは一度響いた崩落音のみ。
広い宮殿を案内無しで捜索するのは、やはり至難の業だ。
その上、ジェシカの先導が超の付く程に感覚的なせいで、一向に辿り着かない。
案の定、今回連れられてきたこの場にも上り階段は無く、衛兵が守る扉の奥にあったのは、宝物庫だった。
「こっちだ…って何回目の行き止まりよ!全然上に行けないじゃない!」
「あァ?文句なら、こんな造りにした奴に言えって!」
無意識の内に焦っていたのか、私はジェシカを怒鳴ってしまい、彼女は彼女で喧嘩腰に。
埃を被った財宝に囲まれながら、互いの視線をぶつけていると、オレンジ色の瞳に映った、赤ん坊の姿が目に入った。
怒るジェシカを捨て置いた私は、曇った輝きの中、ポツンと飾られた写真に触れる。
生まれたばかりの赤ちゃんを写したそれは、綺麗な写真立てに入れられており、放置された財宝とは違って、動かされた跡が。
「なんでこんな所に写真なんか…」
「汚れた手で触れてくれるな、小娘」
距離は、まだ遠い。
なのに、呼び掛けてきた老人の方へ、振り返ることはできない。
その声に、ただ視線を合わせる事ですら無礼に思わせるような、重みがあった。
瞬間、ヒュンという鋭い音がしたかと思えば、私の体が遠慮のない衝撃に浮く。
その後、靡いた銀髪の毛先を空振っていく、細長い杖。
「…馬鹿、死にてえのか!」
叱られて、唾を浴びて、ようやく正気を取り戻す。
固まってしまった私は、ジェシカにタックルされたおかげで、頭を殴られずに済んだようだ。
埃を払いつつ立ち上がれば、そこには、反射的に手放した写真立てを、皴だらけの手でキャッチした賢者の姿。
どうしてこのような場所を、集団の長がふらついているのか。
理解に苦しむと同時に、最悪の不運を呪ったが、弱みを見せまいと表情を繕い、落ち着き払って見せる。
「…何よ、ツイてないわね。関わる前に、おさらばの予定だったのに」
「なるしかねえってこった。…世界を救った英雄様によ」
心中で感情を抑え込む私と違い、ジェシカは堂々としている。
が、彼女が大剣を握る手は、僅かに震えていた。
怯えているのが私だけではないと分かり、苦笑い。
まあ、なんだ。
英雄になる責務など、古代魔法を受け継いだ日に、誓っているではないか。
その予定が、ちょっぴり早まっただけ。
覚悟を決めた私は、ぎゅっと杖を握った。
◇
大陸最大の国家、エルデ帝国の太陽は、決戦の日を迎え、燦燦と輝いている。
張り詰めた空気が、国境に整列した騎士たちの表情を、より硬くしてしまうせいで、生まれ付き覇気のない顔をしている俺、クリード・ミラーにとっては、実に居心地が悪い。
魔石が点灯したマイクの前で、ブライスの長髪が踊る。
その様は騎士の象徴を超え、正義の象徴。
彼女がいる限り、我が国が、そして自らが間違っていないと信じ、剣を振れる。
なんと素晴らしい事か。
「先日、この国境は奇襲を受けたばかり。そう時間は経っていない。ジェイコブ・ジャクソンの魂も、未だ此処に在るだろう。我々には、英雄の加護がある」
ブライスの声はマイクを通して、この場に居ない者も含め、帝国の騎士全員に伝わっていく。
中には、話に出たジェイクの暑苦しい顔を、多少、美化して思い浮かべて、浸っている者も。
これでは、彼女の思う壺。
長ったらしいスピーチを好むような人ではないが、それでも、こんな在り来たりな話で、終わる訳がない。
俺の無責任な期待に応え、ブライスの灰の瞳が、厳しく、開眼した。
「…そんな、在るかどうかも分からないものに頼ることは、断じて許さん!最悪の戦争になるだろう。しかし、訓練場を超える地獄など、存在しない!…宣言しようじゃないか。帝国騎士団は、我々は最強であると!」
突如語気の強まった演説に、突き動かされた騎士は、一斉に拳を握り、大地が唸るような鬨が上がる。
折角正していた姿勢は悉く崩れたが、騎士団の絆は、勝利を目指す集団として、より、強固なものに。
ああ、やはりブライスは、最高のリーダーだ。
才能のある人間がこれだけ集まっても、彼女一人の放つ、強烈な輝きに敵わない。
血液に流れる才能の数が、俺のような凡人とは、違う。
磨き上げられた最高の遺伝子の美しさを、特等席で鑑賞できる喜びを噛み締め、俺は、うっとりとしてしまい。
反応が、遅れた。
「おい…おい、クリード。貴様も何か言ったらどうだ」
「…え、俺ですか?」
「何を呆けている。見てみろ、あの顔を」
言われてやっと気が付いたが、どうやら、ブライスがふざけ出した訳ではない。
部下は皆、目を輝かせて、期待している。
過去の俺であれば断っただろうが、帝国を守る盾になると大見得を切った手前、こういった面倒事から逃げるのも違う。
俺は溜め息を一つ、代わってマイクの前に。
「気合いの入った後で悪いけど、俺からは、普段と変わらない」
俺が前置きせずとも、これから何を言われるのか、全員分かっている。
さっきと比べて、どいつもこいつも聞き方がだらしないが、それで良い。
優秀な彼らが、緊張に殺されるような事があってはならない。
全員が国を守り、そして何より、自らを守れる最高の騎士であると、俺は信じている。
「絶対に死ぬな。怖ければ、俺の後ろに逃げて良い。そうすれば、国民のついでに守ってあげよう。繋いだ命は、無駄にならない。…なんたって、人数が多ければ多い程、祝勝会は楽しいからね」
俺がニヤリと笑った瞬間、笑い混じりの歓声が上がった。
席に着いて目を閉じたブライスも、満足気だ。
人事を尽くした俺は、国境を挟んだ向こう側を睨む。
初めて経験する、ねっとりと肩に纏わりつく責任の重みが、自らの覚悟の程を物語っていた。




