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第54話 舞う、ダンスホールにて

 ロビン奪還を目指す俺、ジェシカ、リリィは、バルカンとシャッツの背に従い、宮殿内を移動していた。


 大半が此処を出立したという話だったが、確かに人が少ない。

 稀にすれ違う衛兵も、バルカンの後ろで静かにいるだけで、無問題だ。

 顔を隠した仮の姿であっても、その威圧感は相変わらずであり、彼がじろりと睨もうものなら、誰もが此方から目を逸らした。

 

 虎の威を借る状況に段々と慣れ、俺の歩幅が広がる。

 ロビンとの再会が現実味を帯び、どうしたって気が急く。

 普段であれば気にならないのに、今は、皆が何故もっと早く歩けないのかと、若干の不満すら抱いてしまう。

 

 それでも駄々を捏ねずに我慢して歩くと、やけに賑やかな彫刻をされた、華やかな扉に突き当たった。

 先導していたシャッツが、足を止める。


「ロビンさんの部屋は、このダンスホールを抜けた先です。…折角ですから、一曲踊って行きますか?」


「悪いが、ふざけている暇はない」


 ローブの裾を持ち上げたシャッツの笑みに苛立ちを覚えた俺は、フードを深く被り直し、言った。

 明確な拒絶に、会話のキャッチボールは終了。

 しかし、肺の中の空気が入れ替わったのを遅れて実感した俺は、呼吸が浅くなっていた俺への気遣いだったのだと理解し、つれない返事を後悔した。

 

 不義理を受けても、そこまでシャッツが気を悪くしなかったのは、真っ先に気付いたバルカンが、彼の頭を一往復だけ撫でたから。

 仮面の奥に隠れた感情の機微すらも、拾い上げてしまう。

 二人の関係が成熟している証拠だ。


 シャッツには優しかったその手によって、乱暴に押された扉。

 油切れを甲高い声で主張するも、誰もが無視を決め込む。

 さあ行こうと、俺が右足を踏み出すも、先頭のバルカンが躊躇しているせいで、足並みが上手く揃わない。

 妙に感じて、彼の脇の間から中を覗き込むと、有事の今、すっからかんであるべきダンスホールの中心に一人、優雅に佇む者がいた。


 古びた紅蓮のコートが、情熱的な印象を放っている反面、同じ色の瞳は凍て付く程に冷たい。

 年季の入った装いの中で唯一、左手の薬指に嵌った指輪だけが丁寧に磨かれており、華やかな場に相応しい輝きを保っていた。


 その足元には、そっと置かれた薔薇の花束。

 広い床の中心にひっそりと生まれた孤独は、まるで一枚の絵画の様だ。

 憂う表情も、残酷な程に美しい。


 暫くして、男が帯びた長い刀に外光がちらつき、そこでようやく緊張感を取り戻す。

 敵陣で、何を見惚れているのだ、俺は。


 嫌々歩き出したバルカンを先頭に、一行はホールの中へ。

 俺とシャッツは後ろをすぐに続いたが、リリィとジェシカは、一拍だけ出遅れた。

 後ろから聞こえる足音には、恐怖とまでは行かなくとも、僅かな気後れのようなものが見え隠れしている。

 あの赤いコートの男に対して、何か思うところがあるらしい。


 僅かな感情の揺らぎが、空気を伝う。

 特段、合気道や刀の達人は、そういった気配に敏感と聞く。


「…二度と姿を見せるなと言ったはずだ」


 今まさにすれ違おうというその時、男がぼそりと呟いた。

 いや、呟いたようだったが、実際には独り言ではなく、真っ先に足の動きを止めた、バルカンへ向けられた言葉だ。


 キラリ、何かに光が反射し、目が眩んだ。

 俺が思わず瞬きしたのと同時に、鉄同士の摩擦音がやってくる。

 網膜を庇った瞼を大急ぎで開くと、もう既に、長身の刀がはだけていた。


 振り下ろされた刃は、バルカンの眉間で静止。

 餌食となった黒い仮面が、寸分狂わず線対称に裂け、床へと転がった。


「他人に興味ありませんって顔してる割、根に持つじゃねえか…グレイド」


「貴様の下賎な風貌、飼い犬の悪臭。何方も私に関わることの許されない、この世の癌だ」


 グレイドと呼ばれた男は、バルカンと比べて人間らしい体型をしていたが、バルカン以上に高圧的。

 心の底から他人を見下し、それどころか、恨んでいるようにすら見えた。


 当然、特筆すべき戦力として、説明は受けている。

 俺と同じく炎の特異魔法を扱う転移者であり、リンド防衛戦において、最も厄介だった存在。

 事実上、愛されし者の副将を担う彼の実力には、クリードすらも舌を巻いていた。


「ふう…鬱陶しかったのよね、コレ」


「同感だな。没個性にも程があるぜ」


 もう変装が意味を為さないと悟ったリリィとジェシカが、黒いローブを脱ぎ去った。

 ジェシカは愛用の防具を中に装備していたが、リリィは暑い中でローブの下にローブを着る訳にもいかず、あまり見ることのないキャミソール姿だ。

 身軽になったはずなのに、その額には汗が。


 緊張がひしひしと伝わってくるが、此方は他勢であり、シャッツを除く四名は戦闘員。

 単独の奴に、何ができる。

 仲間を呼ばれる前にすぐさま叩き潰し、ロビンの捜索を継続せねば。


 そんな、甘えた考えを持っていたのは、グレイドの力を体感した事のない、俺だけだった。


「気にする必要は無い。…焼死体になれば、皆、没個性だ」


 真っ赤な眼に絶対零度が宿り、山ほど集った魔素が、光を失う。

 そして、噴き上がるは、炎。

 怨嗟の声が聞こえてきそうな、紫色をした炎は、やがて津波と化し、全てを押し流さんとしていた。


 まず手始めに、天井高くにぶら下がっていた、豪華なシャンデリアが吞み込まれた。

 こうなってしまえば、ダンスホールの煌びやかさも、四割減だ。


「おい…こんなのアリかよ」


 絶望が、俺の口からぽろり。


 魔法の規模自体にも驚いたが、対処して生き残ったとて、だ。

 窓ガラスも食器も、何もかもを破壊する一撃による騒ぎは援軍を呼び寄せ、ロビンの元へ向かう難易度をぐんと引き上げる。

 情報が伝達された結果、賢者と共にこの場を離れてしまう可能性だって、否めない。

 何方にせよ、早々に作戦が失敗したことを、俺は悟ったのだ。


「おい、魔法使い。あの辺りを撃て」


 後退してきたバルカンが、唐突に。

 此方へ迫り来る津波の、中間辺りの高度を指差し、命令した。

 怪訝そうな顔をしながらも、他に策の無いリリィは、言われるがままに杖を構える。


 すると、バルカンの長い指は俺の胸ぐらへ。

 黒いローブの生地をがっちりと掴まれ、簡単に捕獲されてしまった。


 最悪のタイミングでの、裏切り。

 失敗の雪崩に、とうとう俺の頭は真っ白になった。


 しかし、尖ったサングラス越しに此方を見る瞳が、やけに落ち着いていることに気付き、同調。

 お陰で、最後の言葉は綺麗に聞き取れた。


「契約に無い仕事までやる羽目になるとは…やっぱり俺は、最高に不幸な男だ」


 愚痴を漏らしたバルカンの姿は、数瞬後。

 遠く、遠くに離れていた。


 紫を突き破った電撃の炸裂音によって、俺の悲鳴が掻き消される。

 激しい空気抵抗の中、反射的に声を上げながらも脳だけは落ち着いており、意識が俯瞰していた。

 何故俺は今、宙を舞っているのだろうか。

 

 叫びを引き摺ったまま、電撃が命中した箇所にほんの一瞬だけ空いた穴を、見事通過。

 グレイドの、遥か頭上を飛び超えた。

 放物線を描いた体が床にぶつかる痛みを、前回り受け身でどうにか誤魔化した俺の耳に、シャッツの叫びが届く。


「一番右の、緑色の扉です!」


 ああ、そうか。

 誘導を受け、やっと意図を理解できた。

 何もかもが手遅れになる前に、俺だけでもロビンの部屋へ辿り着けるよう、バルカンは動いたのだ。


 潜入が失敗した今、後は生きて帰れば良いだけの彼にとって、この選択に何の意味があるのかは分からない。

 だが何にせよ、地獄に落ちかけた俺に、蜘蛛の糸を垂らしてくれたのは、事実だ。


「…行かせるか!」


 グレイドの足元から伸びた炎の鞭が、俺の背中を追いかけてくる。


 しかし、付け焼き刃の魔法に、大した力は無い。

 仲間への感謝をエネルギーとした青い炎が、あっさりと紫色を消し飛ばした。

 胸元が伸び切って使い物にならなくなった、黒いローブごと。


「ロビンは俺が連れ戻す。…帰りは全員一緒だ!」


 津波の向こう側に取り残された皆を、激励する。

 尚も追撃してこようとする炎は、真上から落下した瓦礫が遮断した。


 こうやって逃げていくバルカンに向かって、必死に手を伸ばした過去をふと思い出す。

 厄介な魔法を扱う敵が、今は味方。

 俺は、最高に幸運な男だった。




 ◇




 目障りな彫刻の入った扉、不必要な数を置かれたテーブル、不味い酒の注がれたグラス。

 紫色の津波は、その全てを平らげ、消化してしまった。

 焼け爛れた皮膚に、激痛。

 声帯が溶けずに残っていたため、思うままに悪態を吐ける事だけが、不幸中の幸いだ。


「全員で帰るだァ?指図してんじゃねえ。殺すぞ…クソガキ」 


 膝立ちの俺の胸の中、小さく丸まった三人が、困惑している。

 まあ、ボロボロな姿の馬鹿だ。

 馬鹿にされても、仕方がない。


 無駄にでかい体が、反射的に動いてしまった。

 全員で帰ると言い逃げされた手前、何の関係もない有象無象の命すら見捨てる事ができず、炎の波から庇ってしまったのだ。


「…貴様には、無駄な情が多過ぎる。強者には不要な、中途半端な感情が!」


 昂った声と共にグレイドが刀を振るうと、いとも簡単に切断された俺の生首。

 いや、ウェルダンな首か。


 残念ながら、これで一生を終えられるような純粋な人間だったのは、昔の話。

 爛れた皮膚が、独りでに蠢く気味の悪さに耐え、その感覚がやっと収まれば、視界が戻ってくる。

 靴の横に転がった俺の顔が、俺という化け物を嘲笑していた。


 グレイドの言う通り。

 きっと俺は、中途半端な化け物。

 だが、体内で他人の心臓の中に埋もれた、俺自身のそれを、外から優しく触れられた、この瞬間。

 今、この瞬間だけは、バルカンという名の人間だ。


「ゴタゴタ言ってんじゃねえよ、高慢野郎。この世で一番要らねえのは、俺を不幸にする存在…つまり今は、手前だァ!」


 虚勢を張って、叫び狂う俺。

 周囲の目は、一線を引いている。

 ただ、俺の背中に手を添えたシャッツだけが、共に同じ方向を見据えていた。

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