第53話 英雄が見ている
「最上級魔法を…」
「剣で斬った…?」
ブライスの背後で縮こまっていた俺とは違い、一部始終を目の当たりにしたミロとキロは、信じられないといった調子。
絶対的な窮地に放った奥の手を、噛めば折れそうな細剣一本で打ち破られてしまったのだから、無理はない。
そう、次の役目を待ち望み、尚蒼く発光を続けるその剣は、俺やジェイクに渡された物と同じく、特別製。
帝国の民が装着を義務付けられている、魔法の使用を封じる腕輪と同じ魔石を素材とした、剣身全体が魔法を拒絶する魔具。
言わば、対魔の剣である。
この剣が量産されるような事があれば、詠唱の高速化を繰り返す事で確固たるものにした、対人戦における魔法使いの優位が、ひっくり返る。
歴史の分岐点となり得る、破壊的な発明という訳だ。
更に、扱うのは剣の腕で帝国の頂点に立つ女、ブライス・ハワード。
純粋な魔法使いにとって、最悪の相手に違いない。
お披露目となったブライスの剣の力に、一時的に戦意が削がれていたミロとキロだったが、此処で捕まれば一貫の終わり。
コツン、その硬い足音にハッとして、手のひらを銃口に見立てる。
「ならミロの魔法が、あなたの反射神経を越えれば良いだけの事!」
「キロの魔法が、物量で圧倒すれば良いだけの事!」
焦燥感を振り払うように叫んだミロは、目にも止まらぬ速さの電撃を、キロは大量の岩を、ブライス目掛けて発射した。
何方も、命を奪える魔法だった。
だが、ブライスの歩みが止まる事は無い。
電撃に難なく反応し、それを刃で払い落としながら、一歩。
雨の様に降り注ぐ岩を、華麗な剣捌きで切り裂きながらまた一歩と、迫り往く。
「…はは、魔法が紙切れみたいだ」
あの剣の、そして何よりブライス・ハワードという存在の理不尽さに、俺は乾いた笑いを零してしまった。
技の引き出しが多く、対処が柔軟。
一本の剣で成立する動きの限界値を、見せられているような気になる。
「魔法は最強の武器だって、教わったのに…!」
「戦士は魔法使いに勝てないって、教わったのに…!」
「愚鈍な判断に、荒削りな技術…。どうやら、つまらないのは魔法の方ではなく、使い手の方か」
狼狽えたミロとキロの精神に、言葉の刃が止めを刺せば、彼女たちの膝がガクンと折れた。
無人の大通り。
最後に立っていたのは、帝国騎士の象徴だった。
置いてけぼりになっていた俺も、戦闘の終わりにつき、光の壁の際に追い込まれたミロとキロを、見下せる位置まで。
やはりまだ容姿は幼いが、親友の死を招いた悪魔である。
この手で、断罪せねば。
「最後に言いたいことがあるなら、聞いてあげるよ」
「…あなたは神の国の現状を御存じですか?」
「知ってるよ。延々と内戦をしている、馬鹿な国だ。互いの宗教の正義がぶつかり合う聖戦であれば、武力行使も許される、って話じゃないか」
「赤ん坊の頃、神の国に転移したミロたちは、見てきました。どの内戦においても、宗教上の正義なんて建前に過ぎない。…純粋に、資源と技術が足りないのです。異常気候に苦しめられ、何もかもが枯渇してしまう。命に対して、物が少な過ぎる」
話は、自分語り兼、政治への不満。
この期に及んで、自らの哀れな生い立ちで同情を誘い、恩赦を狙っているのだ。
悪いのは自分ではない、世界だなどと、宣っているのだ。
卑怯。
流石、悪魔という生き物は、卑怯が過ぎる。
「反省の弁の一つも無しか…。下らない話が聞きたかった訳じゃない。帝国には何の関係も無い、大陸の真逆の話なんて」
「関係がない…?見えないのですか?温暖な気候に愛された、豊かな土地に連なる、建築技術の結晶が。…それだけじゃない。帝国は、経済活動の全てにおいて、他の追随を許さない。優秀な技術者は囲い、情報すらも自国から出さない。酷く閉鎖的で、酷く、利己的です」
それまで黙っていたキロが、聞き捨てならないと言った様子で、会話に割り込んできた。
眼光には俺一人だけではなく、帝国に属する何もかもへの恨みが込められており、比べると落ち着いて見えるミロの奥にも、同じ色の気配がある。
睨まれた俺は、自らのこめかみを片手で抑える。
唐突に、鈍い頭痛に襲われたのだ。
原因は、主張に感じてしまった、一定の正しさ。
彼女たちが、殺されて当たり前の絶対悪という枠からぶれていく事への、焦りや恐怖が、痛みの原因だった。
「シンの不幸が帝国のせい、ましてや不幸であれば、テロが許されるとでも…?他国と差を広げる政策は、偏に民を守るため。自国の幸福を優先して、何が悪い!」
「優先された結果が、あの趣味の悪い部屋ですか。子供を侍らせて酒を浴びる、豚のように太ったあの男ですか。彼はゆっくりと老いて、安らかに死ぬのでしょうね。…骨の様に痩せ細った人々が、魔法という殺しの道具を突きつけ合っている事など、一度も考えないまま!」
声を荒げた俺に、対抗するように捲し立てたキロは、見上げる体勢を強要されていたが、それでも立場をあやふやにする程の気迫を、放っていた。
彼女の武器は、人生経験の殆どを元にした、確固たる思想。
対して俺の反論は、ただ正義を語っただけのものであり、本音は、腹に巣食ってどうしようもなくなった、私怨だ。
上辺だけの、正しいだけの主張に、魂は籠もらない。
意味など、ない。
年端の行かない娘に、黙らされた俺。
次には、細剣の刃を、キロの首を通る動脈に添えた。
これ以上口で争っても勝ち目が無いと悟り、強制的にこの戦いを終わらせることにしたのだ。
「…キロ!」
自らの死を覚悟していたミロも、妹の痛みには敏感なようで、その首筋に沿って一縷の血液が垂れ落ちた途端、悲痛な声を上げ、暴れ出す。
しかし、高が子供の抵抗。
ブライスの剣によって、難なく抑えつけられた。
大切な人を失う悲しみを、加害者本人に味わわせている現状に、俺の暗い部分が、どろりとしたものに満たされていく。
反面、実際に汚れた事の無い手は、微かに震えて殺害行為への拒絶を示していたが、既に胸は決まっていた。
遂に、この胸糞の悪さから解放される。
この腕に、一度、力を込めれば。
「やっと前に進める…やっと…」
己にそう言い聞かせてから小さく一呼吸した俺は、体重を刃に。
その寸前、日の光の差す方から突き刺さる、鬱陶しい視線が、邪魔をした。
大通りの人払いは済んでいるにも拘らず、だ。
やけに眩しい逆光に眉を顰めつつ、顔を上げる。
すると、平和の象徴として大至急建造された、英雄、ジェイコブ・ジャクソンの石像と、目が合った。
気付けば、ポスターに描かれた彼も、捨てられた新聞の中の彼でさえも、俺を見ていた。
「死して尚、私は帝国の矛だ。お前はどうだ?相棒」
聞こえるはずの無い声が、俺にそう問いかけた。
低い声に揺さ振られた心の中のコップが倒れ、溜まっていた重たい液体が、解き放たれる。
精巧に作られた石像の、引き締まった顔つきは、真顔。
そのままで動かないと分かってはいたが、陽光を浴びてぼやけた視界の中で、その口元が、歪んだ。
歪んだのだ。
細剣を握る腕から浮き出た血管は鳴りを潜め、そしてぶらり、脱力する。
少女のきめ細かな肌から離れた刃が、赤く濡れているのが、情けない。
妹の死に怯え、瞳を潤めていたミロは、何が起きているのか理解できず、数秒間。
ようやく、ブライスの剣が鞘に収まっているのに気づいた彼女は、膝を突いたキロへとにじり寄り、抱き締めた。
「…良いんだな?」
敢えて成り行きを静観していたブライスに、問われる。
言葉にしてしまえば、防衛線から此処までの長い距離を引き摺ってきた思いに、決別しなければならない。
それは簡単な事ではなかったが、英雄に生き様を監視されている手前、敵討ちなどという、極々個人的な行為に及ぶことは不可能だ。
「俺は、帝国の盾ですから」
この両手は、国を守るために。
帝国の盾、即ちジェイクの相棒で在り続けるために、その矜持を蔑ろにする訳にはいかなかった。
今になって、右肩にあしらわれた階級章が重い。
この刺繍を、ただの身分証などではなく、大きな頼り所を失った国民や騎士たちの、期待や信頼の結晶として、認識できるようになっていた。
上司に憧れひた走るだけの青二才は、初めて自らの二つ名を自称した事で、騎士として、国家のために生き抜く決心がついたのだ。
そして、俺の決意が本物かどうかを試すように、運命は試練を与える。
「…当初の予定では、四日後。愛されし者の総力に近い人数による、この街への一斉攻撃が、開始されます」
キロの首に顔を埋めたままのミロが、言った。
何の、前触れも無く。
その、身の毛がよだつような内容に、ブライスと俺の表情が、一瞬にして強張る。
「…貴様、冗談なら、これ以上下らないものは無いぞ!」
「真実です。ミロに与えられた情報が、嘘でなければの話ですが」
首元を掴んで恫喝するブライスとは逆に、ミロは至って冷静。
敵軍の諜報員が言うことだ、鵜呑みにはできない。
しかし、国境の警備が手厚くなることで、この双子にメリットがあるとも思えない。
なれば、これは事実。
考えれば考える程、事実だ。
「一歩、間に合わなかったか…!」
ブライスの呟きが、空虚に消えていく。
リスクの高い暗殺作戦に打って出てまでも阻止しようとした、全面戦争の足音は、すぐそこに。
しかし、ミロの気まぐれによって、帝国は数日の準備期間を得た。
この猶予を、どう活かすのか。
それを考えるのが俺の得意分野であり、仕事だ。
「いいや、ブライス…まだ間に合う命もある。俺たちは、前を向くべきだ」
魔具に込めた魔力を解くと、全員を囲んでいた光の壁が消滅し、その外で、いつの間にか吹いていた強風に、体を縛られる。
それでも俺は、出来るだけ大きく、大きく、一歩目を踏み出した。




