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第52話 鬼ごっこ

 カジノホールの象徴的な情景、歓喜と絶望のコントラストの中。

 俺とブライスは、ちらちらと全方位に目をやり、客の顔を確認していく。


 他に子供が居るような場ではない。

 嫌でも、目立つはず。


 しかし、どこまで進んでもアンテノーラ姉妹の発見には至らず、メインフロアの最奥に位置する、厚い曇り硝子の扉の前まで着いてしまった。


「…残すはラウンジだけ。無駄足にならないと良いんですがね」


「無駄足上等。見つかるまで、足を動かし続けるだけだ」


 俺の弱気を一蹴したブライスが、ドアノブを引く。

 すると、雑多な銘柄の煙草が織り成す濃い臭いとは真逆の、洒落た香りが俺たちを出迎えた。


 光量の乏しいライトに照らされた、薄紅色のソファによって醸し出される、妖しい雰囲気。

 そんなラウンジの空気感に負けないよう、客の誰もが高級そうな服を羽織り、金の匂いに吸い寄せられたバニーガールに、酒を注がせていた。

 

 卓ごとに築き上げられていくチップの塔は、兎をモチーフにした可愛らしい衣装が放つ魔力によるもの。

 一度財布の紐が解けてしまえば、簡単には歯止めを効かせられない。

 男という生き物を構成する内の三十パーセントは見栄、残りは水だ。


 自重で、背後の扉が閉じる。

 大衆の騒がしさからは切り離されたが、それに代わって、心根の卑しさを表した汚い笑い声に、不快感を煽られる。

 結果的に、ブライスの眉の位置、皴の本数と共に、変化無し。


「いらっしゃいませ。二名様でよろしいでしょうか」


「ああ、仕事で来てるからお構いなく」


 対応しようとするボーイを軍服の圧で制止し、俺とブライスは広いラウンジの通路へ。

 驚かせてしまったのは申し訳ないが、今は謝る時間すら惜しい。


「最悪の空間だな。財布しか取り柄の無い下種は当然だが、媚びている女も女だ」


「でも、あのテーブルのチップ、俺の月給くらいありますよ。羨ましい」


「…貴様、まさか勤務中に酒を煽っていた訳ではあるまいな?」


「老後のために蓄えてますから、ここまでの無駄遣いは。…しかし、こんな教育に悪そうな場所に、子供が入って欲しくはないな」


 俺は会話をしながら目だけを動かし、全テーブルを隈無くチェックしていくが、それらしき人影は見当たらない。

 最後の席に座っているのも、少女とは真逆。

 腹の突き出た中年男性だ。


 念入りに逃走経路を計算した上で絞り出した、渾身の予想を、外した。

 俺が、がっくりと肩を落とし掛けたとき、中年男性の左右で、太い腕に手を回すバニーガールの姿が、目に入る。

 ドクン、体内の血液が波打った。


「…ああ、頭と顔だけじゃなく、視力も良くて幸いだった」


 見間違いの可能性を潰すため、一行の目前まで迫って、そう呟いた。

 親が与えてくれた優秀な遺伝子のおかげで、最大の仇を見逃さずに済んだ。

 人を馬鹿にしたような、つくづく下らない衣装を身に纏って媚び諂う、アンテノーラ姉妹を。


 興奮し、ぎゅんと狭まった視野を気にする余裕はない。

 すぐにでも、この犯罪者たちを地獄に送らなければならないという、確固たる使命感に心は駆られ、腰の細剣を抜刀、振り上げていた。


「おい、何だお前は。俺様が最高の酒を飲む邪魔をするなら…ヒィ!」


 泥酔した客が俺を脅すも、その言葉は遮られる。

 シャンパンと脂っこい料理、それから大量のチップ。

 そんな欲望の塊が乗せられたテーブルが、突如発生した突風で吹っ飛んだからである。


 巨大な窓が壁や床に開いている訳でも無く、これは人為的に引き起こされた現象。

 所謂、魔法という奴だ。


「ミロ!かくれんぼは終わりです!」


「キロ!鬼ごっこの始まりです!」


 大人しくお縄に着くつもりはない、ミロとキロ。

 巻き散る酒の雨の中、彼女たちは互いに目配せをすると、風船のように丸々膨らんだ客の腹を、蹴る。

 その様は、月面を跳ねる兎の如く。

 トランポリンの要領で、俺とブライスの頭上を飛び越えていった。


「何をやっている、クリード!」


 先走った俺を、駆け寄ったブライスが叱責する。


 冷静でいれば、気付かれないよう歩み寄り、容易く確保できた。

 それなのに、姿を捉えた時点で俺の体は勝手に動き、罪を問う前に正面から斬りかかろうとしていたのだ。


 こんなミスをしていては、復讐が遠のいてしまう。

 好機をふいにした事を悔やんだ俺は、頭を抱えそうになるのを我慢し、すぐさま振り返った。


 まさかの手段による脱出には驚いたが、テーブルの上をぴょんぴょんと移動する双子との距離は、まだ取り返しが付く。

 その身のこなしがどれだけ軽くとも、我々騎士の体は鍛え上げられており、歩幅は圧倒的に広いのだから。


「逃がして、堪るか…!」


 駆け出した俺は、グラスが割れる音と客のどよめきを踏み潰しながら、小さな背中を必死に追う。

 給料日に奮発して購入した革靴が酒を浴びて汚れた。

 その程度の悲しみ、何のその。


「「重いです…!」」


 双子が、ラウンジの出入り口を協力して押し開ける。

 目の前で閉まりかけた硝子の扉は、後処理など一切考えない俺の足に蹴破られ、無残に転がった。

 反動で、若くない膝の皿に、電流。

 痛みから強がった足跡が、分厚い絨毯にハッキリと。


 俺たちがラウンジからド派手に駆け戻っても、カジノの賑わいが揺らぐことはない。

 賭け事に熱中するような人間に、見知らぬ子供に道を作ってやるような善人はおらず、客の荒波が障害となった。


 足を阻まれかけたミロとキロが見出した道は、巨大なルーレット台の上。

 二人が飛び乗れば、クルクルと回っていた銀色の玉の軌道が、変化する。

 迷惑そうにコツンと鳴った玉は、赤色の枠へ。

 そう思わせておいて、大人の体重による更に大きなバウンドが、最後の最後に黒へと寝返らせた。


「おい、ふざけんな!ノーカウントだろ!」


「良いぞ姉ちゃん!良くやった!」


 銀色の玉の行方を追って固唾を飲んでいた者の、約半数はイレギュラーに喚き、残りは気を良くしている。

 常のギャンブルでは味わえない特別に、群衆は興奮状態。

 少年時代以来の鬼ごっこは、カジノ全体を巻き込み、異様な盛り上がりの渦を生み出していた。

 

 逃げる姉妹がすれ違い様に客からくすねたジャケットの襟まで、残り数メートル。

 スロット台の間を、ラストスパート。

 障害物や客の姿が消え、とうとう視界が開けたその先。

 我々四人を待ち構えていたのは、営業中にも拘わらず、シャッターが閉め切られた正面口だった。


「出口が閉まってる!?何でこんな時間に!」


「関係ありません!ぶっ壊します!」


 ボールを投げるようにキロが腕を振るうと、球体の電撃がシャッターを破壊、黒煙が舞う。

 残骸が道路に転がる音。

 煙の中を突っ切り、外へ。


 実際彼女たち二人には、追いかけっこの継続も許されていた。

 が、数日振りの外の世界に対する、途轍もない違和感によって、足が止まってしまった。


「人が…居ない?」


「此処は大通りですよ?何が起こって…」


「交通規制をかけておいて、正解だった。人さえいなきゃ、捕まえるのは簡単だ」


 静けさに困惑するミロとキロに種を明かした俺は、腰の細剣に触れ、腹の奥にある魔力の泉に訴えかける。

 餌を与えられた魔石が、その対価として緑色の光を放てば、四人全員が半球形の壁の中へ閉じ込められた。


「大人しく投降しろ。部下もすぐにやってくる。逃げ場などない」


 提案するブライスの声には、特有の厳格さがある。

 並大抵の犯罪者であれば畏怖の念を抱いて、大人しくなってしまうだろう。

 しかし、未だミロとキロは猛犬のように此方を威嚇しており、降伏する気配は微塵も感じられない。


 まあ、強気な姿勢は好都合。

 大人しく捕虜にでもなろうものなら、復讐を果たせなくなってしまう。

 こうして歯向かって来てくれるおかげで、合法的にこの手で仇を討てるのだから、有難い事この上ない。


「ミロたちは、おばさんなんかに負ける程、弱くありません!」


「キロたちは、賢者様に選ばれた、戦士なのです!」


 提案を退けたミロとキロは、二人同時に両手を空へ。

 すると、ミロの上では炎、キロの上では氷が膨らみ、形を変えていく。

 数秒後には、それぞれがとぐろを巻いた竜を模し、頭の大きさは身長の二倍程までに。


 あれは、殆どの魔法使いが教科書で存在を知るだけで終わる、最上級の魔法。

 少なくとも、子供が習得できるような技術ではない。


「転移者の力か…!才能の無いコッチの身にもなれってんだ…」


「ミロたちなら、一度見ただけでこの通りです。…つまらないものですよ、魔法なんて」


 砂漠の中心に立ったような熱と凍瘡に見舞われそうな冷気を、左右から同時に浴びた俺は、思わず嫉妬してしまった。

 ただ、ミロは誇らない。

 二頭の竜の血気盛んな表情に反して、玩具に飽きた子供みたいに、寂しく俯いていた。


 そんな彼女らの姿がまるっと隠れるくらいまで、鱗が、牙が迫ったその時。

 金属同士の掠れるような、澄んだ音がした。


 次にやってきたのは、肌が痛い程の突風。

 薄目を開いても、真っ白。

 雲海を溺れているかのような状況に置かれてしまい、身動きが取れない。


 だが、生の実感だけは、未だハッキリとある。

 何故なら、この向かい風に乗って、此方まで届いていた。

 気品高い、ベルガモットの香りが。


「同感だ。鍛錬を要さぬ技など、実に下らん。そんな紛い物、叩き斬ってやろうではないか」


 強気な声に怯え、風が収まり、煙は失せる。

 光を取り戻し、恐る恐るその場を見渡した俺は、驚愕。

 足元を挟んで、道路がごっそりと抉られているではないか。

 まるで、両断された竜が地に落ちたような、深い傷跡だ。


 しかし、少し経って冷静になってしまえば、不思議な痕跡ではない。

 偉大なる我が上司は今や、魔法ですらも魚体の如く捌いてしまう、至上の剣士。


 正面のブライスが、刃を地に払う。

 その軌道に沿って、竜の残滓であろう炎と氷が、尾を引いていく。

 この世で最も美しい女性が帯びた剣は、この世で最も美しい、群青色の輝きを放っていた。

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