第42話 リンド防衛戦
「早いな、リリィ」
「あんたが遅いのよ」
廊下の壁に寄り掛かっていた私は、文句を挨拶代わりに。
遅刻される前提で、待ち合わせの時間ぴったりに来ておいたのは、正解だった。
長い赤毛の横で片目だけ開き、生身の方の手を上げて挨拶した女、ジェシカ・グリーンウッド。
遊びには常に全力な癖に、面倒な用事は全て後回しにするタイプである彼女は、悪びれもせずに大欠伸をしている。
そんな奴が遅刻している訳だから、今から向かう先は繁華街ではない。
私たちを呼び出したのは、クリード・ミラー。
リンドへの到着日、ジェシカが彼を殴った部屋が、目的地だ。
あのちゃらんぽらんな男は意外にも仕事で忙しいらしく、この一か月の間、見かける事すらなかった。
そのため、例の一件以来の再会である。
実のところ、声を交わすのが久しぶりだったのは、ジェシカも同じ。
そもそもプライベートを共にするような間柄ではないが、挨拶程度の会話すら殆ど無かったのには、理由がある。
彼女はいつ見かけても、妹のエリーゼと一緒だったのだ。
人生の長くを分厚い壁に隔たれていた、仲良し姉妹。
巡り巡ってやっと相見えた二人の空間に水を差す程、野暮ではなかった。
そうなれば、基本的に余暇は一人。
趣味の読書や、リンドで販売されている洒落た菓子を食べたりなど、優雅に過ごした。
以前であれば、違ったかも知れない。
だが、今の私にはご褒美のような日々だった。
カレンダーはあれよあれよと捲られていき、遂に明日は、帝都へ出発する予定日。
クリードに呼び出されたのも、それに際しての説明か何かだろうと踏んでいる。
結局、挨拶以降一度も言葉を発さず、作戦室の前まで。
つまりは、慣れ合うような相手ではないという事だ。
「入ってどうぞ」
数回のノックに、許しが出る。
扉を開けると、デスクに座ったクリードがふらふらと手を振っていた。
背後で目立っている、団章を刻んだ織物の奥には、彼が壁に叩き付けられた際の損傷が、顔を隠しているに違いない。
「久し振りだね。此処での生活はどうだった?」
「その面を見ずに済んでたからな。上々だ」
「いい加減許してよ」
未だ、この男の掴みどころのない雰囲気が気に喰わないジェシカ。
口を開くや否や、飛び出したのは嫌悪感だった。
そんな明らかな攻撃性ですら、柔和な笑みに受け流されてしまうせいで、彼女の目は座っている。
こうやって延々と下らない言い合いを続け、陽が落ちるのは御免だ。
やれやれ、自ら話を切り出す。
「で、何の用?」
「今日は帝都に向かう前に、例の作戦の説明をしておこうかと思ってね」
「やっとかよ。いつまで経っても話が無えから、騙されてるのかと勘繰ってたぜ」
ジェシカが代表して言ったが、実際私も似た様な事を考えていた。
これまでの日々が、帝国による大がかりな詐欺では無かったことに安堵した私は、クリードから配られた紙に目をやる。
すぐに私たちは、息を呑んだ。
ゾッとした。
呼吸の音を失った部屋に、更なる静寂。
そこに書かれている内容は、目を疑うようなものだった。
「コレ…冗談でしょ?」
「紛れもない事実だよ。数か月前から、敵の本拠地であるシンの宮殿に、工作員を送り込んである。俺たちを含めた数名は、一派を装い潜入…工作員の誘導を受け、賢者を暗殺する」
当然だとでも言うように、クリードは落ち着き払ったまま。
対して私たちは、はいそうですか、とはいかなかった。
闇に染まった転移者の力がどれだけ恐ろしいか、身をもって経験させられた私たちが、一番良く分かっていた。
二桁にも満たない人数で敵軍のアジトに忍び込むという、大胆不敵な作戦。
化け物の巣で、もし誤算でもあれば取り返しは付かない。
そこに成功の目があるとして、正気の人間に選べる策ではない。
「リスクが高すぎねえか?態々コソコソやる必要も…」
「敵は、強いカリスマ一本柱。烏合の衆。文化を積み重ねた国家じゃない。シンボルさえ破壊してしまえば、戦争無しに片が付く。無駄に兵の命を失わずに済むなら、その方が良いでしょ」
「百歩譲って、ご立派な理由がある事は分かった。けどよ、長期間アジトに居てバレない工作員…ならコイツは、転移者だろ」
「正直な所、二重スパイの可能性は低くない。というのも、彼らは愛されし者の、元主要メンバーだからね」
「…はあ!?そんな奴信用できるかよ!見す見す死にに行くようなもんじゃねえか!」
両手を広げておどけたクリードに、ジェシカが食って掛かる。
声を荒げた勢いで、高級な机をバンと豪快に叩いた。
が、脅された当人は、動じない。
一度、屈指の剛腕に殴られた過去があるのにも拘らず、男はピクリとすら、しない。
「死にに行く?馬鹿な事を言っちゃいけない。俺たちは、殺しに行くんだ。もし工作員がスパイなら、彼も殺す。そこに軍隊が待ち構えているなら、兵を殺して道を作る。…それだけの事じゃないか」
クリードは、狂犬のようなジェシカの瞳を、静かに、静かに見据えていた。
常の弱気で怠惰な振舞いを放棄した、肌寒い程冷静な瞳に、書面は決定事項であり、もう逃げ道はないのだと、理解させられる。
敵地に赴く内の一人である彼の言葉だからこそ、愚図る私たちを制する力があった。
暫くクリードを睨んだジェシカは、巨大な溜息を一つ。
とうとう、牙を引っ込めた。
「…まあ、もしもの時は暴れて解決か。考えてみりゃ、そっちの方が得意分野だ」
「頼もしいな。俺は野蛮な事が苦手だからね。是非とも守ってくれ」
「こ、コイツ…!」
緊張感を解いたクリードの微笑みが、ジェシカの鉄の拳を、軋ませる。
そんな彼ららしいやり取りは、一連の話が纏まった事の証明であり、私も腹を括った。
過去の魔法使いたち、そしてヤヌンから私に受け継がれた使命を、果たす時が来たのだ。
それは間違いなく命懸けの戦いになるが、胸中の愛を伝えずには、死んでも死に切れない。
依存から解放され、生きる亡霊のような身分をやっと卒業したというのに、今度は本物の亡霊となって未練を嘆くなど、間抜け過ぎるではないか。
だから私は、勝利し、生き残る。
全力で生にしがみ付く。
心中で自分勝手な覚悟を決めた私が、唇を固く結んだその時。
バン、という騒音が、室内の全員を驚かした。
背後の扉が、蝶番が狂ってしまいそうなくらいに、乱暴に開かれたのだ。
「緊急!魔獣に乗った数十名が、国境を侵犯!そのまま、南西へ、街の方向へ直進しています!」
「…おい、奇襲するのは俺らじゃなかったのかよ、クリード」
女性の焦りをはらんだ声に、戦いの匂いを嗅ぎ取ったジェシカは、至極本能的な笑みを湛えていた。
彼女はきっと、どれ程の地獄に身を置こうが、その赤い髪を揺らし、同じように笑う。
死の直前でさえ、そうあるかも知れない。
そうやって、強者の風を巻き散らすジェシカとは違い、気迫の類を一切表に出さないクリード。
この男の方にも、凡人には無い何かが潜んでいた。
「人数が人数、本気の殴り合いがしたい訳でも無さそうだ。ユータ君の存在に気付かれたか、それとも、作戦の先を行かれたか。…何方にせよ、地獄耳は団長だけじゃないらしいね、コレは」
冗談を口にしながら、クリードが重そうに腰を上げた。
短髪を掻き上げ、視界を確保。
軍服の裾を翻し、報告を終えたまま固まってしまった団員の頭を、すれ違い様にポンと優しく叩く。
「ご苦労。もしサボりたかったら、裏庭がオススメだよ。あそこ、あんまり人来ないから」
「…い、いえ!私もすぐに向かいます!」
クリードの細い手に触れられた途端、団員の表情に、血の気と騎士の誇りが蘇った。
この、一見頼りない男の度量が、彼女の心を締め付けていた恐怖を、いとも簡単に拭い去ってしまったのだ。
信用されるだけではなく、その信用を使いこなしている。
やはり彼も、只者ではなかった。
私とジェシカも、戦場へと歩き出したクリードを追う。
気のせいか、その背中がやけに大きく見えた。
◇
リンドの街中に警報の音が鳴り響き、恐怖を煽る。
前触れも無く危機を迎えた人々のどよめきは、何処までも広がろうとするが、非難を誘導する騎士団員たちの壁が、防波堤となって押し止めていた。
クリードの指示が、迅速及び的確に人手を動かした事によって、避難の遂行度合いは上々。
それでも、完了するまでにはまだ時間が要る。
馬車に乗った私たちは命の群れを追い越し、急遽定められた防衛線へ。
配置されるは、五十名と少々。
民間人を守り、そしてあわよくば、敵の主力を捕虜に。
私たちに課された仕事はそんなところだが、何より自らの命が優先。
命を奪われないためには、きっと奪わねばならない。
「サーカス団のお出ましだ」
大通りで足を止めた馬車の窓から、敵軍の姿を捉えたクリードが、言った。
私も外に出ると、魔獣の背に乗って得物や旗を振り回す野蛮な集団が、此方へ向かっているのが見える。
中でも一際目立つ翼竜の背中にはアイディー。
地を走る部隊の最後尾には、ヘルキスがサイの様な魔獣の上で、胡座をかいていた。
彼が背負っている巨大な銀色の斧は、明らかに人間が振り回せるような代物ではない。
魔獣の迫力も相まって、まるで神話の登場人物の様な、理不尽さがある。
これを相手にしなければならない事に、私は気が滅入りかけていたが、ジェシカは違った。
「来たな、筋肉ゴリラ」
大剣のグリップに手を掛け、ぼそりと呟いたジェシカは、餌を前にして涎を垂らす猛獣の如く、大物がやってくるのを心待ちにしていた。
彼女の望み通り、防衛線で一列に並んだ騎士の壁へ、敵軍が突っ込んでくる。
交錯するまで数十秒の距離まで来た所で、クリードの指示が飛んだ。
「魔獣を狙え!…撃て!」
瞬間、騎士の胸の前で構えられた細い剣が、白く発光。
そこから分離して出来上がった光の弾が、一斉に射出される。
砲弾のように若干の曲線を描いたそれらは、命令通り敵部隊の足元に着弾し、地上を走る魔獣の三割を蹴散らした。
「凄い…!」
「魔具と言ってね。体内の魔力をエネルギーにして、ああやって発射できる優れものさ。俺の給料じゃ買えないくらい、高価だけど」
よく見れば、説明するクリードの腰にも同じ形の剣がぶら下がっていた。
曲線状の鍔をもつ柄に、特有の透明感がある。
大概の魔石にはそこそこの重量があるため、剣として扱うには軽量化が必須。
まあ、既に現場に投入されている訳で、課題はとっくにクリアしているのだろう。
ここまで精巧な武器が大量生産可能である事実には、感心すると同時に、呆れてしまう。
「良いな、アレ。俺にもくれよ」
「君の場合、鈍ら買ってぶん投げてる方が、コスパ良いでしょ」
素直に強請ったジェシカに、クリードが元も子もない事を言う。
魔法へのちょっとした憧れもあって欲しがったのだろうが、彼がそんなことを知る由も無い上、意見は悲しい程に正論だ。
ムッとしたジェシカだったが、すぐに気を取り直し、魔具の何倍も重たいであろう大剣を担ぐ。
やはり彼女には、清らかな魔法の光より、鈍い鉄の輝きが似合っていた。
「まあ…んなもん無くても、俺は最強だ」
笑顔をギラつかせたジェシカが全力で駆け出せば、彼女を追いかけるように砂煙が上がった。
アスファルトと平行に靡く赤髪は、十秒程で敵軍に衝突。
前方の数名が、一挙に切り裂かれる。
すぐに迎撃がジェシカの身を襲うも、肌に触れる寸前で魔法は回避され、刃物に対しては黄金の義手を盾に。
彼女の前進は、止まらない。
噴き出された殺気と眼前の結果に気圧された、愛されし者の面々は、次第にジェシカから距離を取るように。
最終的に、彼女の前に立つ者は唯一人。
勿論その男は、ヘルキス・レオンハートだった。
「良い格好になったな、女」
「ああ。自慢の腕だ」
ヘルキスの皮肉に、ジェシカが口元を歪める。
何者にも関与されず睨み合う二人は、最早別世界の住人だった。




