表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/71

第3話 プライド

 俺の名は、龍宮寺優太。

 敬虔な、アポレイン教の信者。

 入信したのは、本日である。


 しかしまあ、にこやかに説教を聞いているだけで、宿と夕食が纏めて手に入るのだから、世の中簡単だ。

 ありがたい話の中身は、何一つ覚えていない。


 メニューはパンと牛乳。

 我が家の食事と比べるととんでもなく質素だが、飯抜きの可能性があったことを考えると、ありがたみは一入。

 カサカサのパンに舌の水分が引っこ抜かれようと、文句は言うまい。

 だが、この修道着と、十字架のネックレスは別だ。


「…こんなもん着せられて、よく平然としていられるよな」

 

 食堂のテーブルに着いた俺は、独りごつ。

 これらの物は信者全員に配られており、身に着けていないものは部外者であると、すぐに分かるようになっている。

 服は着ていたトレーニングウェアと比べ動き辛く、ネックレスも、何かの罰ゲームだとしか思えない重さだ。


 代金は後程請求されるらしいが、どうせ碌でもない値段だろう。

 今晩の間だけ丁重に扱い、此処から抜け出す前に、そっと返しておくほかない。


 一泊したらさっさと街に出て、この世界で旅をするための移動手段と、金を稼ぐ方法について調べなければ。

 じいちゃんが病に侵されている可能性がある以上、偶像に祈りを捧げている暇なんて、無いのだ。


「私も一緒していい?」


「…どうぞ」


 食事を運んできたリリィに声を掛けられた俺は、渋々、頷く。

 この教会に宿泊する上で、一番の面倒は、ルールではない。

 リリィや、その他の信徒と会話するシチュエーションが、多過ぎる事だった。


 教会内の作業は粛々と、という訳でもないらしく、新入りを歓迎した彼らは、引っ切りなしに構ってくる。

 他人の善意をシャットアウトする勇気が出なかった俺は、無限にも思える下らないやり取りをこなしたせいで、疲れ切ってしまっていた。


「溜息なんて吐いちゃって。大して忙しくもなかったでしょ」


「忙しかったかどうかは、俺が決める事だろ」


「だらしないわね。そんなんでこれから大丈夫?」


「不味い飯でも食って寝れば、人間そこそこ動くさ」


「まあ、確かに褒められた味ではないわね。おばあちゃんが焼いたパンは、もっと美味しかったな」


 気怠さを隠し切れない俺を余所に、リリィは楽し気。

 栄養失調の疑いがあるような見た目の癖に、良く喋る。


 彼女の祖母の難病については周知の事実であり、信者たちは揃いも揃って、神が救ってくれると信じて疑わない。

 むしろ、不幸なヒロインによる健気な物語は、セドリクが信徒全体を洗脳するための、武器にされていた。

 必死な本人は、与えられた役割を果たし続ける。

 その頑張りが、別の人生を狂わせているとは、露も知らずに、だ。


「リリィは、本当にばあちゃんの事が好きなんだな」


「当たり前でしょ。親に捨てられて一人ぼっちだった私を子供の頃から育ててくれた、最高のおばあちゃんなんだから!」


 俺は軽く嘲笑したつもりだったが、彼女の心は泉の如く透き通っていて、中途半端な悪意は届かない。

 それどころか、満面の笑みが咲き誇ってしまった。


 まあ、分からないでもない。

 祖父母は、最高だ。

 心の中で反省、そして同意した俺は、黙って何度も頷く。


 そうやって、親近感を覚えたのも束の間。

 浅い関係に、亀裂が入った。


「…お医者さんの薬も、回復魔法も効かないし、もう頼れるのはアポレイン様の力だけ。だから今日も、祈りが届くように、たくさん、たくさん働いたわ。…おばあちゃん、良くなるといいな」


 そう口にした途端、リリィの表情が、どっと疲れて。

 セドリクの、虫唾が走るような汚い笑みが、頭に過ぎる。


 もう、パンは食べ終わっていた。

 彼女の話が聞いていられなくなったなら、その場から、離れれば良いだけの事。

 だが俺は、つい、魔が差してしまった。


「神なんて、本当に存在するのか?」


「は…?不敬、不敬よ!アポレイン様は、私たちを助けて下さっているわ!」


 思わず漏れた俺の本音に、リリィが豹変した。

 想像を遥かに超える、過剰反応。

 一度は魅了されかけた青い瞳も、怖いくらいに血走って、台無しだ。


 俺の口から、乾きが零れる。

 こんな馬鹿な女に、一瞬でも好印象を抱いたなんて、自嘲せざるを得なかった。


「何も分かってないんだな。…良いか?アポなんとか様に一億貢いでも、お前のばあちゃんは絶対に治らない。神に祈って治るなら、薬も魔法も要らないだろ」


 自らが無宗教であるのを良い事に、好き勝手捲し立てる。


 本来であれば、今日出会ったばかりの間柄で、踏み込むような話ではない。

 しかし、祖母を心から愛する彼女に、無意識に自らを重ねていた俺は。

 ただ祈るだけの彼女に、じいちゃんが行方不明になった、あの日の俺を重ねてしまっていた俺は、最早、暴走列車。

 絶対に超えるべきでない境界線をも、容易く、侵犯した。


「…どれだけ祈ろうと、お前のばあちゃんは、このまま弱って死ぬだけだ」


「最低…!どうしてそんな、心ない事が言えるの!?」


「…俺のじいちゃんは、八年前から行方不明だ」


 俯いた俺が唐突にそれを明かすと、怒りを前面に出していたリリィが驚いて、黙った。

 何かを察し、話を聞く気になったらしい。


「万能の薬と、それを探して消えたじいちゃんと会うために、俺はこの世界に来た。俺はお前と違って、この手で薬を手に入れて、この足でじいちゃんに会いに行く。…祈ったところで、神様は何もしてくれなかったからな」


「…その、聞いたことも無い薬、何処にあるの?おじいさんが何処に居るのか、あてはあるの?」


(ぜろ)だ。薬に関しては、本当にあるのかどうかも分からない。この大陸を、探し回るしかない」


「それじゃあ…あんただって、似たようなものじゃない!」


 弱った瞳を潤ませながら、リリィが言った。

 

 その通り。

 やはり俺たちは似ている。

 だからこそ、目を覚まして闇雲にでも行動して欲しいと、それが正しいのだと、同意して欲しかったのかも知れない。


 彼女の言葉で、目が覚めた。

 飽くまでこれは、他所の家庭の話。

 どうでもよくなった俺は、一度息を吐いてから、言い残した。


「明日には、此処を出ていく。神様がお前のばあちゃんを治してくれるよう、祈ってるよ」


 わざとらしく手のひらを合わせ、煽ってから席を立つと、背中に舌打ちを浴びせられてしまった。

 神の加護を祈られるよりも、こっちの方が、百倍清々しい。


 思えば、この生産性のない喧嘩は、社会から切り離された俺が、人生で初めて他人と腹を割って話せた、記念すべき一幕だった。




 ◇




「お願いです…妻の渡した金を、返してください!」


 食事を終え外の空気を吸おうと外に出ようとしたところ、またもや修羅場に遭遇。

 盗み聞きという、下品な行いにも慣れてしまい、何の抵抗もない。

 

 出入り口の前で情けない声を上げたのは、酷く痩せた男。

 上はボロボロのシャツ、首の十字架もない彼は、セドリクに向かってペコペコ頭を下げていた。

 対して、薄っぺらい笑みを貼り付けたセドリクは、勘弁してくれとでも言いたげに、両の手のひらを見せびらかして、眉をハの字に。


「残念ながら、それはできませんね。奥様の気持ちは、既にアポレイン様に捧げてしまいましたから」


「…子供たちを食わせてやるための金だったんだ!」


 会話が無駄だと悟った男は、鬼の形相でセドリクに掴みかかるも、残念、無念。

 信徒に囲まれ、呆気なく取り押さえられてしまう。

 乱暴な行為に及ぶのは、お見通しだったわけだ。


 床に磔にされても、男の視線はセドリクを捉えて、離さない。

 その恨みは、果てしなかった。


「絶対に許さない…。地獄に堕ちろ!地獄に!」


「地獄ゥ?神を、信じる、我々、には、最も、遠い、場所だ!…やれやれ、貧乏人の野蛮さには、困ったものだよ、全く」


「…コイツ、どうしますか」


「妙なことを言いふらされても、面倒だ。閉じ込めておけ」


 喚く男の顔を何度も踏みつけ、唾まで吐いたセドリクは、冷やかな声で信徒に命じる。

 気を失いかけていた男は為す術もなく、何処かへ連れて行かれてしまった。

 

 散々暴力を振るっておいて、野蛮なのは、どっちだ。




 ◇




 リリィの祖母が息を引き取ったのは、翌早朝の事だった。

 

 教会中、その噂で持ち切り。

 中には、彼女の辛さを慮って涙を流す者も。

 どうやら、昨晩捧げた俺の祈りは、アポレイン様まで届かなかったらしい。


 間違った事を言ったつもりはないが、ほんの少しだけ、強い言葉を後悔していた。

 他者との会話においてこれ以上なく未熟な俺に、巧みな慰めは不可能だが、何も言葉を交わさずに此処を発つのは、違う。


 そう思い、暫く教会をぶらついて、礼拝堂。

 掃除が終わり、もうすぐ朝食の時間だ。

 皆、食堂に集まっているはずなのに、誰かの話し声が聞こえてくる。 

 

「神を恨んではなりません、リリィ」


 中を覗くと、セドリクがリリィを宥めていた。

 本性を隠し切れない彼が、どんな顔をしているかなど、どうでもいい。

 俺の意識は、椅子の上で項垂れるリリィに、もっていかれてしまった。


 美しい瞳は濁り、髪は荒れ、見る影もない。

 絶望の溜まったバケツを、頭の上でひっくり返されたような有様に、見ているこっちの喉が枯れる。


「もう私には、神を信じる理由がありません」


 弱弱しい声に、胸が張り裂けそうになる。

 もし、じいちゃんが死んでしまったら。

 そう考えると、あんな風になってしまうのも、頷ける。


 これは、セドリクにとっても都合の悪い話。

 信徒たちの予想に反した悲しい結末は、神の求心力を損ね、一番の金蔓であるリリィを失う事にもなる。

 そうはさせまいと、セドリクは汗だくだ。


「神の力であっても、人の延命には限界が…!」


「…そんな事、今の今まで教えてくれなかったじゃないですか」


 もっともな反論が、諭そうとするセドリクの喉を締める。

 リリィも、根っからの馬鹿ではない。


 ただし相手は、話術を駆使して教会をこれだけ肥大化させてきた、神の手先。

 見え透いた弱点を見逃す程、甘い相手ではない。

 瞳は酷く濁っているが、目は悪くない。


「まだ諦めてはいけません、リリィ」


 ステンドグラスから差し込む光の前で、翼の如く両手を広げたセドリク。

 その姿は、さながら神に選ばれた救世主だった。

 彼を犯罪者として扱う俺にすらそう映るのだから、心理状態の不安定なリリィにしたら、神そのものにすら思えたかも知れない。


 絹のように肌触りの良い言葉に釣られ、顔を上げたリリィの瞳には、輝きが。

 その様子に手ごたえを得たセドリクは、畳みかける。


「神は、あなたのおばあさまを見捨ててなどいません。アポレイン様は命の象徴。その力で、死人(しびと)を蘇らせることも可能です」


「え…?」


「この力は秘術。しかし、あなたに覚悟さえあれば、神はおばあさまを蘇らせて下さると…」


「教祖様…アポレイン様…!私、何だってします!だから…!」


 リリィは祈るように指を組み、希望に満ち溢れた涙を流す。

 夢物語を夢物語だと断ずる事は、できなかった。

 

 壊れた人間の扱い易さに、口元の緩みが抑えられなくなったセドリクの、金歯がギラギラ。

 その懐から出てきたのは、ナイフだった。


「コレは…?」


「教団に歯向かった不届者が、懲罰室に匿われています。…殺して、死体を闇市に売り捌きなさい」


「う、嘘…。何かの、冗談ですよね…?人を、殺すなんて…私にはできません!」


「勿論、やるかどうかは、あなたの自由です。しかし!…あなたに会いたがっているでしょうねえ?お、ば、あ、さ、ま」


 ナイフがセドリクの手から離れた。

 それが、床に落ちる音はしない。

 リリィは、汚れた道への誘いに強く葛藤しながらも、受け取ったそれを、手放さなかったのだ。

 

 他人の人生。

 死ぬのも、他人だ。

 これから彼女がどんな扱いを受けようと、どれだけ搾取されようと、知った事ではない。

 こんな所で厄介事に関わっている時間など、無い。


 心中で言い訳を並べている最中なのにも拘らず、薄汚い扉は蹴破られていた。

 この俺の、右足によって。


「アポレイン様、ご機嫌麗しゅう!それから、詐欺師と闇バイトのお二方も」


 俺は啖呵を切り、首の十字架を引き千切った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ