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第28話 戦士の国

 石や煉瓦造りの家屋が織りなす穏やかな色合いが、山々に隣接した長閑な村に馴染んでいる。

 曇り空からは細雪がちらついていたが、ニット帽を被った子供たちは、はしゃいではしゃいで、元気いっぱい。

 耳を澄ませると、より遠くの方で、カン、カンと鉄を打つ音が響いているのが、印象的だ。


「此処まで来れば、もう安心ね」


 辺りを見渡したリリィは、一言、ほっとしたように。

 あの独り言は、己に言い聞かせている訳ではない。

 他でもない、俺への気遣いである。


 戦火に包まれた壁の中から離れ、二か月程経っただろうか。

 俺とリリィは、できる限り安全な移動手段を使い、大陸の北の果てであるアシュガルドの僻地、リープ村へと辿り着いていた。

 休憩を挟みながらの、ゆったりとした旅だった。


 戦士の国と呼ばれる、アシュガルド。

 だが、最北端まで来てしまうと、戦士が多いというよりかは魔法使いが居ないだけで、強面な大男がごろついているのをイメージをしていた俺は、拍子抜けした。


 実際、先入観などかなぐり捨てて、気を休めるべきか。

 ルーライトで賢者と相見えた俺に、もうこの国に用事なんてないのだから。

 大自然に囲まれることで、心の傷が少しでも癒えればというリリィの考えだけが、此処に居る理由だった。


「お腹が空いたわ。牧場もあることだし、きっと美味しいご飯が食べられるわよ!」


 ぼんやり景色を眺めていた俺の方に笑顔を向けて、お腹を擦ったリリィ。

 目的を失った俺は、賢者との戦い以降めっきりと口数を減らしてしまっていたが、彼女はめげずに話し掛けてくる。

 知人の命を奪われ辛かったろうに、腑抜けてしまった俺とは違い、気丈だ。


 無言が続けば、どうしたって自らの罪について彼是と考えてしまうため、リリィの空元気は有難く、それに上手く応えられないのが、もどかしい。

 こうしてただ歩いている何気ない時間を切り取っても、俺の重い足取りに彼女が歩幅を合わせており、細やかな優しさに気が付く度、複雑な心境になった。


「あの店なんてどう?きっと、豪華な肉料理が食べられるわ!」


 リリィの指差す方、すぐ其処に。

 肉の形をしたシンプルな看板が、ぶら下がっていた。

 黙って頷いた俺は、リリィの横を少し歩いて、また歩いて、やっと酒場の暖簾を潜った。


 食を一番の娯楽とするリリィの勘は正確無比。

 芳醇な香りのバターを乗せた肉料理が人気を博しており、店内のテーブル全てに、似た様なメニューが並んでいる。

 どれだけ気が落ちていようと、美味しそうな料理を眺めて匂いを嗅げば、腹が鳴り涎は垂れるのだから、不格好で仕方がない。


 テーブルに座ったリリィが側を通った店員に三人前を注文してから数分後、ステーキと白米が運ばれてきた。

 肉を厚く切って焼いただけの無骨な料理は、どっしりとした石のテーブルに良く映える。


「美味しそう…いただきます!」


 待ちきれないといった様子のリリィは、ちゃんと手を合わせてからフォークを握り、肉汁を滴らせる厚切りの肉を、思い切り頬張る。

 彼女は咀嚼しながら一度俯いて、口の中の物を食道へ誘導すると、眩しいくらいに目を輝かせた。


「最っ高!満たされるわ!」


 落ちそうな頰を抑えて感動するリリィは、二人前の料理を豪快に食べ進めていく。

 そんな彼女の様子に感化された俺も、喉をごくりと鳴らしながらナイフで肉を切り分け、それを口へと運んだ。


 乳の香りを少し残した牛肉を噛むと溢れ出た肉汁が口の中に広がり、バターと混ざり合って更に濃厚な味わいに昇華する。

 その上、塩味が絶妙に調整されているおかげで舌の上で野暮ったくならず、締まった料理として完成されていた。

 見た目の印象よりも、奥の深い味付けだ。


「…美味しい」


「店を選んだ私に感謝してよね」


 俺が思わず感嘆の声を漏らすと、忙しない動きを止めたリリィが、顔を綻ばせる。

 口先では恩着せがましく言いつつも、この世の誰より幸せそうだ。


 健気さに目の奥を刺激された俺は、このままではいけないという焦燥を胸に、今もストライキに勤しむ肺に、力を。

 辛うじて、単純な言葉を捻り出した。


「ああ、ありがとう」


 久しぶりに作った笑顔はきっとぎこちなかったが、そんな俺の表情を見たリリィはほんの僅かに驚いてから、照れ臭そうにはにかむ。

 決して上手くはいかなかったものの、それでもやっと感謝を示すことができた俺は、安堵に鼻で息を吐いた。

 

 しかし、俺たちを包み込んでいた生ぬるい空気は、切り裂かれる。

 傷だらけの腕がテーブルのど真ん中へと叩き付けられた、騒音によって。


「おい、何で俺たちの村に、魔法使いなんかが居やがる?」


 上擦った声の主は、坊主頭に小さいグラサンを掛けた、丸々と太った男。

 白い顔を血中のアルコールで赤く染めた男は、主にリリィにガンを飛ばしながら、苛々苛々している。


「何よ、文句でもあるわけ?」


 絡まれたリリィは、強気な態度で睨み返した。

 贅肉まみれな男の体は迫力満点だが、過去に相対した敵の恐ろしさと比べれば、遥かに可愛気があるというもの。

 警戒する必要性を微塵も感じなかった俺は、酔っ払いを無視。

 汗を流して運命の時を待ち侘びているステーキを、もう一枚、口に含む。


「手前…良い度胸じゃねえか!」


 俺の無反応に腹を立てた男は、太い腕をブンと振り上げる。

 自らの細い腕では、体重の乗ったパンチに敵わない事を悟った俺は、出来るだけ小規模に魔法をぶつけようと、瞬時にイメージへと取り掛かった。

 安価なライター。

 それくらいの想像で、十分だ。


 しかし、魔法が放たれる寸前、何かがプツンと切れる。

 眼中で弾けた閃光が落ち着くと、俺の指揮下から外れた脳に映し出されたのは、酔っ払いを骨になるまで焼き尽くし、愉悦に浸る自らの姿。

 記憶のフィルムに焼き付いた惨たらしいフィクションに、息を呑む。

 

 思考がフリーズした俺は目を見開いたままになってしまい、速さの乏しい酔っ払いの拳を躱すことができない。

 吹き飛ばされ、受け身すらも取らず、ごつごつとした木の床の上を転がるだけだった。


「ユータ!」


 リリィが、驚き叫ぶ。

 この程度の相手、何の問題もないと踏んでいた彼女にとっても、予想外の事態だ。


 殴られた痛み自体は、どうってこと無かった。

 が、頭に浮かんだあの光景が、何度も何度もフラッシュバックしてしまい、未だに呼吸もままならない。


「殴られるのが嫌ならこの村から出て行け。魔法使いや余所者にこの村の空気を吸う権利はねえ」


 そう言って首の骨を鳴らした酔っ払いは、床を軋ませながら、近付いてくる。

 無防備な俺を守るため、リリィが杖を取る。


 更なる大騒ぎに発展しかけた店内。

 周りもにやにやと野次馬を決め込んでおり、もう、どうしようもないかと思われたが、しかし。

 白のステッチが洒落ているチェリーレッドのブーツが、間に割って入った。


「俺の息子に対しては、そんな言い方しないじゃないか、ドク」


「オーリー…邪魔をするな!そいつらは魔法使い。俺たちから家族を奪った奴らと同じ、魔法使いなんだぞ!?」


 俺を庇うように立ちはだかっていたのは、片目に大きな傷を負った、焦げ茶色の肌の男。

 大人同士だというのに、二人はバチバチと視線をぶつけ合う。


「お前の気持ちは分かる。だがな、相手は育ち盛りの若者じゃないか。俺たちだけが心を閉ざして、情けないとは思わないのか?…もう、六年前。六年前に終わった話だ」


「終わっただと…?俺は、一瞬たりともあの時の恨みを忘れたことは()え。時間が経てば忘れられるような、簡単な感情じゃあ()えんだよ。…お前の顔に免じて、そのガキ共は見逃してやる。二度と、俺の前に顔を見せるな」


 俺を殴った男は、ぎりぎりと音が聞こえてくる程に奥歯を噛み締めると、空いていたテーブルに金を叩き付け、酒場から失せた。

 これで暴力の危機は去った訳だが、別の恐怖に心を縛られ、動悸が止まらない。

 寒さで冷え切った床に頭を擦り付けた俺は、昂りが落ち着くのを待った。

 オーバーヒートした脳味噌を冷ますには丁度良いとはいえ、心も体も、風邪を引いてしまいそうだ。




 ◇




 雪の薄っすらと積もった芝を踏むと、降り注ぐ雪が足跡をせっせと埋めていく。

 顔を上げれば、残り僅かな日の光に照らされた雪原の、良く目立つ枯れ木の周りで、数頭の馬が身を寄せ合っていた。


 自然と人間の気配が共存する、大らかな生活の形だ。

 ならではの豊かさがある。

 不便で、労力の掛かる生活であることは明白なのだが、羨ましくも思ってしまうあたり、ロマンというものは捨て難い。


「此処が俺の家だ。勿論、あいつらの家でもある」              


「凄い…こんな家、実在するのね」


「おいおい、それは褒めているのか?」


 歯に衣着せぬ物言いをするリリィに、傷の男がけらけらと笑っている。

 ちょっとやそっとの失礼では動じない懐の大きさが、格好の良い大人だ。


 酒場で酔っ払いから助けられた俺たちは、彼が所有する牧場へと訪れていた。

 迷惑を掛けた手前、世話になるのは忍びないが、リリィが招待を二つ返事で了承してしまったため、口を挟むような隙が、なかったのだ。


 黒髪に乗った雪を払いながら小屋の扉に手を掛けた男の背中について行けば、立派な丸太小屋と、更に立派な畜舎。

 山の麓、極寒の地にポツンとしているが、小窓はオレンジ色。

 この男の帰宅を、待っている人がいるようだ。  


 寒気に包まれた玄関まで出迎えてくれたのは、金髪の青年だった。

 少年から青年になったばかり、と言えるくらい、まだまだ幼さが残る風貌である。

 家主の帰宅を確認した途端、その綺麗な顔に、向日葵が咲いていた。


「おかえりなさい、オーランド!…あれ、珍しいね。お客さん?」


「ああ、ただいま。…そういえば、自己紹介がまだだったな。俺はオーランド・サリバン。で、コイツは息子のロビンだ。仲良くしてやってくれ」


「私はリリィよ。彼はユータ」


 紹介された青年、ロビンは、ちょっぴり照れながら、微笑んだ。

 純白の肌に髪は金、骨格も細身。

 容姿を見比べると、オーランドさんの持つ特徴とはかけ離れている。

 そうなると、二人の間柄が気にはなったものの、男らしい手に撫でられたロビンの蕩けた表情の前では、どうでも良い事だと、思い直した。


「じゃあ、僕は馬の様子を見てくるね!」


 一頻り甘えて満足したロビンは、靴をひっかけて出ていった。

 自重で玄関の扉が閉まるまで、離れていく背中を優しい眼差しで見送ったオーランドさんは、ようやく中へ。

 広いリビングで鞄を下すと、テーブルを挟んで向かい合う、ソファの片方に腰かけた。


「碌なもてなしもできないが、まあ、座ってくれ」


 言われるがままに柔らかさに身を預けてみると、一気に身体が重くなってしまい、眠気すら湧いてくる。

 疲れというものは、自覚した途端に作用して、消えなくなるから厄介だ。


「…とんだ災難だったな。ドクランも決して悪い奴ではないんだが、酒癖が悪くていけない」


「悪い奴じゃないですって?急に殴ってくる奴が悪人じゃないなら、世の中、九割九分九厘が聖人よ」


 手厳しいリリィの反論に、煙草に火をつけたオーランドさんは、首を竦めて白旗。

 愛称で呼び合っていたあたり、彼とドクランという男は、ある程度深い仲なのだろう。


 恩人である彼がドクランを庇いたいと、そう言うのであれば、俺に異論などない。

 どうせ、すぐに出ていくのだ。

 どうでもいい。


「ところで君たち、こんな村へ何をしに?期待させないよう言っておくが、この村、本当に何もないぞ。飯だけは悪くないが、またドクに鉢合わせるかも知れないしな」


「別に何をしたいわけでもない…逃げてきた先が、此処だっただけです」


「逃げてきた、か。随分と疲れた顔をしてるじゃないか、ユータ」


「…ドクランさんには、不快にさせたことを謝っていたと、そう伝えて下さい。俺たちは明日にでも、出ていきますから」


 探るようなオーランドさんの言い方に苛立ったのか、あるいは、見透かされている感覚が恐ろしかったのか。

 理由が何方かは分からなかったが、兎に角、個人的な事情にまで踏み込まれた事への拒否感が先行し、俺は話を打ち切った。

 俯いた俺の陰険さに、行き場を失ったリビングは沈黙。

 多少の罪悪感はあったが、それを上回る被害者意識に苛まれていたため、気を遣って話を繋ぐようなまねは、しない。

 

 そんなどんよりとした空気を、パチンと鳴った手のひらが、吹き飛ばす。

 オーランド・サリバンは、若者の不機嫌なんていう、山の天候のような気まぐれに負ける男では、なかった。


「とはいえ俺は、ドクの脂っこい拳からお前を救ってやったんだ。この恩、ちゃんと返して貰わんとな」


 これまで、見返りを求める気配なんてなかったのに、借金取りのようなことを言い出したオーランドさん。

 違和感を抱いた俺が思わず視線を上げると、彼は偉そうに足を組んで、俺がそうするのを待ち構えていた。

 歯茎を剥き出しにして、悪戯な笑顔を浮かべていた。


 気を悪くしても良い立場だったはず。

 しかし、他人に当たっておいて反省しない俺の中の子供を、彼はあっさりと受け入れてしまったのである。


「一週間だ。一週間、家畜の世話を手伝っていけ。この村の朝は寒いからな…覚悟しておけよ?」


 そう言って、灰皿に吸殻を押し付けるオーランドさんの背中越しに、磨かれた跡の残る窓。

 長らくの間寂しく舞っていた、永遠にも思えるような雪が、止んでいた。

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