第27話 偽りの記憶
行方不明の祖父、龍宮寺優造。
俺がこの世界まで探しに来た当人が、紫色の分厚いコートを身に纏い、さぞつまらなそうだ。
久方振りに血縁者と出会った反応としては余りに味気なく、実は、他人の空似なのではないかという疑いが、晴れない。
いや、憧れの相手が人殺しの現行犯となった事実を、受け入れられないだけか。
寒気は収まらなかったが、このまま口を噤んでいては、異世界にまで追い求めた機会が、終わってしまう。
何か、何か言わねば。
「じいちゃん、何で、こんな所に居るんだよ」
「目的も、書き置いただろう。私はこの世界で、万能の薬を手に入れる。お前の父親であり我が最愛の息子、士道の病を治療するために」
「親父の、病…?」
じいちゃんは、戸惑う俺の様子にやれやれと瞼を閉じ、首を振った。
その雰囲気に血が通ったのは、親父の名前が上がった一時だけ。
すぐに再び現れた、悲しい瞳に俺の顔を映すと、語り出す。
あの、憎ったらしい親父を蝕む、病についてを。
「…士道の体は、現代医療では完治不能な心臓病に侵されている。心拍の都度、痛みに襲われているのだ。生まれ落とされたその時から、そうだった」
「そんな素振り、一度だって…!」
一度だって、無い。
そう言いかけた俺が思い出したのは、じいちゃんが行方不明になった日の事。
あの日、知らせを受けた親父は、倒れた。
確かに胸を手で抑えて、床を藻掻いていた。
つまりあれが、たった一度の綻びだったという訳だ。
毎日毎日、うんざりするほど顔を合わせていたのに、かわいそうなんて感情、抱いたことがなかった。
「我がグループの医療技術で命は繋いでいたが、肉体や精神にはいずれ限界が来る。私は士道が死ぬ前に、不自由なく息をする喜びを与えてやりたい。何と…何としてでも」
やはり、親父の話をしている間だけ、じいちゃんの表情に、感情の揺らぎが見え隠れしていた。
意識が記憶から現実へと戻った途端、老いて浮き出た血管に氷水が流れ、鉄仮面へと様変わり。
幼い頃から心の頼り所だった対象から、無関心に睨まれてしまう。
胸が、刺すように痛い。
世界で唯一、俺の味方でいてくれたのに。
俺はそんな風に、やり取りの度、落ち込んだ。
「噂がある。大陸の西側を制する、エルデ帝国皇帝。彼は不老不死であると、もっぱらの噂だ。万能の薬を使っているに、違いないのだ。しかし、奴らは不老不死の秘密について、一切口を割らない。兵を拷問しても、口を割ることはついぞなかった…。そうとなれば、全て奪い取るだけだ。私には、その力がある」
「何を…何を言ってんだよ、じいちゃん」
「我が軍隊、愛されし者は、帝国を侵略する。ルーライトの制圧は、その足掛かりに過ぎない」
「じゃあなんだ、そのあるのかどうかも分からない薬のために、この国の何百人、何千人を殺したって言うのかよ!」
「在るのだよ。大いなる意思がそう言った。だから私は、この世界に居る」
俺の怒りは、破茶滅茶な根拠によって一蹴された。
何もかもをかなぐり捨ててまで追いかけていたのは、このような、ネジの飛んだ老いぼれではなかったはず。
虚しさが抑え切れなくなってしまった俺は、恥ずかし気もなく嘆き、握り拳で不安をすり潰す。
「一人だった俺に手を差し伸べてくれたじいちゃんは、優しいじいちゃんは、何処へ行っちまったんだよ!」
「私は、変わってなどいない。お前に愛情を抱いた覚えなど、皆無」
「嘘だ…!」
あの時の温かい記憶に縋っても、縋っても、声の震えが一向に止まらない。
いつもなら、あの隠れ家の温もりを、貰った飴の甘さを思い出すだけで、体に力が漲るのに。
爪に土がぎっしり詰まる位に地面を引っ掻いて、悔しさを紛らわせた、その時。
肩を、何かが触れた。
「いいや。嘘なんかじゃないさ」
覚えのある、若い声。
隣に咲いていたのは、いつか見た、煽りっぽい笑み。
その虫唾が走るような笑顔はぐにゃりと捻じ曲がり、世界が捻じ曲がり、俺の意識を、此処ではない何処かへと連れて行った。
◇
「久しぶり。元気にしてたかい?優太」
「…さっさと帰してくれ。今は、お前と話してる場合じゃない」
突然、真っ黒な空間に連れ去られた俺は、唾を吐く。
地面か床か、その何方かに着地した唾が、吸い込まれるように消滅した。
この、悉くつかみどころのない場所に来るのも、もう何度目か。
気が急く俺を面白がっているのは、根源の意思。
相変わらず、ニタニタと不快な笑みじゃあないか。
「そう言うなって。やっと、時が来たんだ。君が、本当の僕に向かい合う時がね」
「手前が本物だろうが偽物だろうが、用はねえって言ってんだ!」
「…いいから、僕の名前を呼べ!優太!」
俺が怒鳴ると、根源の意思は両手を大きく広げて見せた。
道化の様に、演技ったらしくだ。
何だか気圧されてしまった俺は、言われるがままに名付けた名前をもう一度呼ぼうとしたが、喉のチャックが閉じ切って、言葉が出ない。
そして、それに気付いた時にはもう、呼吸すら許されなくなっていた。
原因も解決方法も分からない苦しみに硬直した俺の体を、根源の意思がトンと押す。
痺れた足を突かれたときのような苛立ちが血流を巡るより、押し出されたその場に床が無かった事への、驚きや恐怖が先だった。
体はそのまま落下していき、ドボンと音を響かせながら、真っ暗な何かに沈む。
また、息苦しい。
宇宙に行けたなら、こんな感じかもしれない。
体を無限の液体が包んでいると分かるまでは、そう思っていた。
おずおずと目を開くと、周囲の闇に揺蕩う泡の中を、旅の記憶が浮かんでは消えていく。
此処は、記憶の海だった。
真っ暗な海の深みに、太い鎖で雁字搦めにされた、大きな宝箱。
コレに触れてはならない。
直感がそう訴えかけてくるも、右手の中には既に、古びた鍵が握られていた。
この鍵を錠に差し込めば息を吸えるぞ、という、脊髄と相反する誰かの主張が、脳味噌を擽った。
この二択を迫られるのは、初めてではない。
過去に、何度も此処を訪れては葛藤していた俺は、嫌な予感に従って、逃げ続けてきたのだ。
そんな、弱虫な俺を馬鹿にする、根源の意思の顔が頭に浮かんだせいか、右手が勝手に鍵穴へ、ガチャリと捻る。
厳重な鎖が解けていき、いよいよ箱は口を開けてしまった。
自らぐるぐる巻きにして、海底に封印した、閉ざされた記憶の箱が。
丸太小屋のテーブルの上を、透明な瓶に詰め込まれた、七色の飴玉が輝いている。
飽きてもおかしくないほど立ち返った思い出だが、やけに、鮮明だ。
あの時俺は、泣いていた。
何故だったか。
そうだ。
スーツを着た大人たちに囲まれて、強引に連れ去られた俺は、あの場所で、体の検査をされたのだった。
「痛い!止めて、止めてよ!」
銀色に光る長い針が俺に与えたのは、鋭い痛みと、虫に寄生されるような異物感。
そこから何度も血を抜かれ、その度に嫌がって叫んだが、淡々と作業を進める大人たちは、躊躇なく次の注射針を刺した。
「臓器も、遺伝子も、大差はない。それなのに何故、士道だけが…!」
頭を抱えたじいちゃんが、机を酷く殴り付けた拍子に、山積みになっていた紙が床へと散らばる。
その中身、難しい漢字や数字の羅列は、忘れてしまった。
覚えているのは、怒った大人が怖くって、もっと泣き喚いた事だけだ。
そんな俺の五月蠅さに、溜め息を吐いたじいちゃんは、億劫そうに屈むと、俺の下瞼を親指で乱暴に拭い、反対の手に持った瓶の中から、飴を一つ摘まんだ。
龍宮寺家の厳しいルールに縛られていた俺が、生まれて初めて目撃した菓子が、この青い飴だった。
「今日の事は、お父さんには内緒だ。分かったな?」
飴玉を渡したじいちゃんの表情には、飴玉一粒ぽっちに目を潤ませ、涎を垂らした俺への哀れみが、ありありと。
しかし、度重なるストレスでおかしくなってしまっていた俺は、そんなのどうでもよくて。
口の中に放り込んだ飴玉が放つ甘さと、美しい輝きに狂喜し、濁った涙を流すのに、忙しかった。
「物欲しそうにしおって…こんなもの、幾らでもくれてやる!」
そう言ったじいちゃんは、瓶に詰まった飴玉を全部、埃まみれの床に放り捨てた。
この世界の理不尽に対する憎しみの捌け口として、幼い俺が選ばれたのだ。
此処でしか手に入らない甘さを、どうにかして脳に焼き付けたかった俺は、埃がこびり付いた飴玉を素手で拾って、なりふり構わず、舌へと擦りつける。
獣になったかのような惨めさと、味蕾から広がる幸福感が、罅割れていた心をぐしゃぐしゃに混ぜ壊した。
これが、無意識下で作り替えられた、記憶の全貌。
何もかもを思い出してしまった俺は、根源の、本当の名を呟く。
「お前の本当の名前は…『哀れみ』」
「そう、僕は哀れみ。僕たちが全てを見下し、焼き払う番だ…なあ、優太!」
脳内に響く根源の意思の笑い声は、青黒い炎と化す。
圧倒的な火力が、この忌々しい空間を焼き壊していった。
◇
ハッとした俺は、すぐに周囲を見渡すも、根源の意思の姿はない。
白昼夢に囚われていたのかとも思ったが、賢者は同じ位置、同じ姿であり、何方かと言えば、時間が止まっていたこの世界に放り返されたみたいだ。
「嘘など吐いて、どうする」
賢者が、そう口にした。
事実を知ってしまえば、彼の無関心も不思議ではない。
そのため、異空間に連れていかれる前まで胸を覆っていた絶望感は、何処かに消えてくれていたが、今度は、俺を見下す老人の態度が、気に喰わない。
「そうか、嘘を吐いていたのは、俺の方だったのか」
人として生きるためとはいえ、自ら記憶を改ざんしていたとは。
何とも馬鹿馬鹿しい結末に、行き場の無い悲しみと怒りが、沸々。
その熱は衝動となって体中を駆け巡ると、吸い寄せられた魔素にまで、伝わった。
余りの熱さに焦げてしまったのか、特有の緑色が徐々に失われ、黒く染まっていく。
ゆっくりと立ち上がる俺の身を囲むように湧き上がった青い炎は、夜の海の様に暗く、嵐の様に激しい。
この、どんよりとした炎の方が、今はしっくりときていた。
「この炎、いつもと違う…!」
舞い散る火の粉に触れたリリィが、痛みに顔を歪める。
その声が聞こえていない訳ではなかったが、目の前の敵を打ちのめし、戦いへの強い欲求を解消することが、最優先。
もう、温い気持ちなど失せていた。
「これでやっと気兼ねなく、人殺しを叩き潰せる」
強い言葉を合図に走り出した炎は、川を泳ぐピラニアの群れの如く大地を飛び跳ね、標的へと襲い掛かる。
老人の反応速度で対処するには厳しい速度、挙動、数。
進化した魔法の手応えは、確かなものだった。
しかし、着弾の寸前、黒い噴水が賢者の足元から噴き出すと、回避不能に見えた魔法を、一斉に相殺してしまった。
コートに皺一つない、紳士的な立ち姿が、崩れない。
「人殺し?お前も同じだろう。この世界に来て早々、シンで荒稼ぎしていた馬鹿を、焼き殺してやったそうじゃあないか」
「似非教祖に手を下したのは、俺じゃない!リリィが、あのナイフで…!」
事実を誤認した賢者の言い分に対する否定感情が、宙に数本の青いナイフを形成し、発射。
紛れもなく、命を狙った攻撃だった。
が、水溜りの様に広がった黒い光から生えてきた、二メートルよりもっと長い剛腕に、ぺちぺちと跳ね除けられ、届かない。
そして今、力の差を見せ付けるように握り潰されたのが、最後の一本。
魔法の挙動ですらも、上から目線である。
「何を言っている。完全な焼死体、他の傷痕など無い。…どうやら、そこにいる小娘の方が、良く分かっているようだ」
促された俺が振り向くと、リリィの顔に動揺の色が。
その様を見て、不自然を思い出した。
アシュガルドに向かう際、シンを通過するのを頑なに嫌がっていた不自然が、思い出された。
教祖を誰が殺したのか。
その真実を、出来る限り俺から遠ざけようしていたのだと考えると、不可解な我が儘も、腑に落ちるというもの。
様々な要素が積み重なって、賢者の言葉への信憑性が、増していく。
罪の自覚に、耳障りなくらいの震えが、抑えられなくなっていた。
「リリィ、俺が…俺がやったのか…?」
「違う!私が刺した!セドリクは、私が殺したの!」
必死に首を振るリリィが発した声には、やはり何かを隠そうとする焦りがあり、自らへの疑念は確信へと変わった。
他人の犯した禁忌を、悪魔だなんだと否定してきた過去の自分があまりにも滑稽で、零れた笑いも乾いていた。
「…俺の手は、とっくに汚れてたって訳か」
呟けば、俺の心を見透かした青黒い炎が、血濡れた両の手を撫でてくる。
理性という名の障壁を、狂気が侵食していくのが分かる。
ルールを失った炎は空へ向かったかと思えば、俺の背中で曲線を描き、翼を生やした。
それは、誰もが目を背けたくなるほどに禍々しい、悪魔の翼だった。
「…ならもう、何人殺しても一緒だ」
「墜ちたな」
はためく翼が放つ熱風から、光の腕で身を守る賢者。
奴にはまだ、俺の無様をほくそ笑む余裕があるらしい。
それでも、巨人のような腕の陰で風を切った俺が、側まで到達していると知れば、湛えた笑みは若干の驚きへと上書きされる。
翼から右足へ、運動エネルギーを授かって。
ぶんと振った足の甲が吹き飛ばしたのは、賢者の左腕。
狙っていた頭部の代償に差し出された、供物である。
倫理という檻から解き放たれた俺は、物理的にも自由を手に入れていた。
何もかもが、軽かった。
「墜ちた?…違うな。俺は飛翔んでる」
俺は、散々ひけらかされた余裕を、見せ返す。
反対に、無駄な感情を捨てた賢者は、即座に失った腕を回復させると、老人とは思えないような身のこなしで距離を取った。
杖の先っぽがくるり。
天使の輪のような歪みない円を描くと、その軌道から、どす黒い魔素が流れ出した。
これまでに出会った誰のものより、濁った魔素だ。
「今度はだんまりか?何とか言ってみろよ、糞ジジイ!」
ノーリアクションが面白くなかった俺は、青い羽を弾丸の如く発射して、追撃を試みる。
ところが、紫のコートは未だ無傷。
飛んでいった羽は、真っ黒な円から産み落とされた鬼の顔面に、むしゃむしゃと貪られていた。
「この、捻じ曲がったような殺気…選ばれたのか?大いなる意思に。…腐っても、私の血を継ぐ者か」
一人で納得した賢者が、黒く染め上げられた杖で大地を突けば、鬼の目には赤い光が宿り、胴体、手足と、鎧を着た鬼の体が組み上がって、完成した。
アレに、時間を与えてはいけない。
防衛本能が、警笛を鳴らしている。
「…やらせるかよ!」
俺は、翼を懸命に動かしながら、両腕に炎の衣を着せた。
無防備な賢者目掛けた、再びの突進だ。
図体のデカい鎧を無視して老体を叩くという、真っ当な算段である。
しかし、こんな単純な策が通用する程、甘い相手でも無かった。
高さ四メートル程の巨大な鬼武者は、みてくれとは正反対の機敏な動きで身構えると、繰り出されたのは、豪快な居合切り。
その一撃は、雷鳴にすら迫る速度に達した俺を、ぴったり捉えていた。
ブレーキを踏んだ俺は、両腕と悪魔の翼を頭上で交差させて、黒太刀の一閃を受け止めにかかるも、屈してしまった。
ビルが降ってきたかのような衝撃に、敵わなかった。
「そう何度も、私の領域に踏み入れると思うな」
大地へ叩き付けられ、反論する権利を奪われる。
咄嗟の防御が報われ、真っ二つにはならずに済んだが、それでも、翼の盾を貫通した威力に肉体は悲鳴を上げていた。
尚も刀を構える鬼を前に、俺は覚悟、目を瞑る。
何秒かの、静寂。
暫くしても、何時まで経っても、止めがやってこない。
そうやって、死の恐怖に怯えて縮こまっていると、俺の鼓膜を、コツン、コツンという軽い音が、馬鹿にした。
瞼を上げて音を追えば、塵となって消えていく鬼武者の奥に、賢者の背中。
ここへ来て、温情をかけようとでも言うのか。
「どういうつもりだ!…今更!」
「優太…私は、お前の価値を見誤っていたようだ。士道の命を救うために、私と来い」
足を止めたじいちゃんは、思い出と同じ、穏やかな声で答えた。
偽りの記憶に騙されては、ダメだ。
彼は幼い子供の心を壊した最低の人間であり、殺戮者でもある。
憧れていい相手ではない。
「許さねえ。殺してやる、殺してやる…!」
殺意を連呼する。
あばら骨が砕けたか、鋭い痛みが呼吸を遮ってきたが、神経に喝を入れ、身を引き起こした。
もう、足は止まらない。
獣臭く染まった心も、そうだ。
俺には、白線が見えていた。
あれを越えてしまえば、刷り込まれてきた常識は覆り、本能のままに暴れ狂うことができる。
心象風景か現実かの区別は、付けなくていい。
人間卒業まで、残り一歩。
果てしない憤怒、渇望を原動力に、足を上げた。
「もう止めて。優しいユータを連れていかないで」
抱き留められた。
後ろで涙ぐんでいるのは、リリィだった。
思いもよらぬ邪魔者を鬱陶しがった青黒い炎は、容赦なく熱を浴びせて、振り払いにかかる。
しかし、彼女は俺を離さない。
どれだけの苦痛を浴びても、俺の腹の前で組まれた腕が、解けない。
「優しさなんて枯れ果てた。俺はただの、人殺しだ…!」
頬を伝って落ちた涙も、じゅっと鳴って水蒸気。
悲しめば悲しむだけ、炎は勢いを増していく。
そうやって、瓦礫塗れの一帯が青に染まろうとも、リリィの決意は俺の拒絶を上回り続け、最後には、炎の方が押し負けた。
子守歌の様な声が、俺の体の主導権を奪いかけた何かを、寝かし付けてしまったのである。
「ユータの罪は、私が半分背負うわ。だから、大丈夫」
従って、辺りを覆い尽くした炎も、程なく鎮火。
俺はギリギリのところで、人の領域に踏み留まった。
「…余計な事を」
俺が崩れ落ちたのを見た賢者は、ぼそり、そう言うと、杖と革靴の音を連れ添って、離れていく。
階段を上って、行き先は壇上。
処刑前、国王が使っていた椅子に腰かけた彼は、徐に、拡声器のスイッチを入れた。
「聞け。我々愛されし者は、このルーライトを皮切りに、大陸全土を制圧する。これは、御伽話などではない。貴様等が迫害してきた社会的弱者の力は、存分に理解したはずだ。転移者は、我々に賛同し、集え。弱者は、我々に便乗するがいい。戦火は帝国すらも呑み込む渦となり、やがてこの世を更地にするだろう。諸国の民よ、震えて眠れ」
空へと広がっていく、無感情な声。
壁の中に残った全員が同様に、黙ってこれを聞いていた。
拡声器に距離の限界があろうが、逃げ出したルーライトの民は大陸各地に散らばり、この惨状と賢者の声明を伝える。
大陸全土を巻き込んだ戦争の開幕宣言は、必ず届く。
知らないふりなんて、許されないのだ。
「愛されし者であれば、その、有り余った力を思う存分振るうことができる。私なら、お前の望みを叶えてやれる。心変わりは何時でも良い。歓迎するぞ…優太よ」
言い残した賢者は、黒い光に貫かれた拡声器の爆発に紛れ、広場から消え去った。
一旦は生を許された、俺とリリィ。
しかし二人の間には、歓喜も、安堵すらも無い。
蹲った俺は、夢から覚めてくれと何度も何度も神に願ったが、祈りはまたも、無視された。
じいちゃんが消えたあの日と、同じだ。
「ああ、あああああ!」
混沌とした感情を嘔吐する俺の側で、リリィも静かに涙を流していた。
俺たちはたった一日で、多くの物を失った。




